第2話 絡み始める二つの世界
奴隷商会の檻の中で意識を取り戻し、新たな記憶が刻まれてから五日が経った。
アスランは水城 耀であった頃の記憶を思い起こし、嫌気が差していたサラリーマン時代が、この上なく幸せだったのだと痛感していた。
「地獄 の只中 でも 生きる しか ない のか…」
アスランが希望の欠片もない感情を抱いていると、奴隷倉庫の扉が開かれ、目を焼く光と共に奴隷商が姿を現した。奴隷商は部下らしき男を背後に伴い、檻の中の奴隷たちを睥睨した。
「アレとアレ、それとアレだな」
奴隷商はそれだけを言うと、身を翻して倉庫を出て行った。
部下の男は奴隷商の背中に向けて『畏まりました』と言葉をかけた後、指定された檻の鍵を開け始めた。一人、二人と檻から出され、三人目にアスランが檻から出された。
「お客様がお待ちだ! さっさと歩け!」
体の軋みでバランスを崩しながら、アスランを含む三人の奴隷が男に追従する。倉庫の外に出たアスランたちは水をかけられて汚物を洗い流され、粗末な腰布を巻かれた。
再び『歩け』と言われて行った先の部屋には、奴隷商と二人の客が待っていた。
奴隷商会で合法的に売られた経験がないアスランは、戸惑いながらも二人の客を観察した。客とその従者、と言うのが正しいだろう。
シンプルながら生地と仕立ての良いドレスを纏った女性がソファに座って紅茶を飲んでおり、女性の背後には腰に剣を提げた革鎧の男が立ち控えていた。
「お客様の条件に合うのはこの三人になるかと。ご検分ください」
「そう。クレイはどの子が良いと思う? 私は真ん中の子が良いと思うんだけど」
「俺もお嬢に同意ですね。体格もいいし、それなりに使えそうです」
「流石にお目が高い。その者は鉱山奴隷として働いておりましたので力があります。没落した貴族家の子息だったらしく、読み書きもできれば最低限の礼儀も弁えているかと」
「ふーん、それにしては安いわね。訳ありなのかしら?」
「この者は数年前に北の辺境で起きたスタンピードの生き残りでして、奴隷落ちした経緯が、その……」
「あー、確かウォーカー騎士爵家だったか? モンスターが去った後に盗賊の火事場荒らしで領主の妻が攫われたとかっていう。生存者ゼロの酷い有様だったらしいが、息子が生きてたとは驚きだな」
「左様でございます。この者は盗賊によって違法鉱山の元締めに売られたのですが、先ごろ崩落した鉱山でも生き残ったようです。その土地を治める領主様が処置にお困りと聞き、私が合法的に買い取りました。よくある不幸話の中でも惨い部類ですが、それだけにこの者は罪科などもない筋の良い奴隷でございます」
「あら、少し同情しちゃうわね。うん、決めた。この子を貰うわ」
「ありがとうございます。身形を整えた後に奴隷紋の書き換えを行いますので、今暫くこちらでお待ちください」
アスランが奴隷商に連れられて別の部屋へ行くと、そこにはローブを纏って短い杖を持った女性マジシャンがいた。衣裳や靴、櫛やハサミなどが備えてあることからして、買われた奴隷の身形を整える更衣室のようだ。
「レア、この者に【洗浄】と【治癒】をかけ、適当な服に着替えさせてくれ」
「いいわよ。なかなかハンサムじゃない。良いお客に買って貰えて良かったわね」
「お得意様がお待ちなのだから、余計なお喋りをせずに済ませるんだ。私は奴隷紋の用意をしてくる」
「はいはい」
レアと呼ばれたマジシャンが洗浄と治癒の魔法をアスランにかけた。レアの呪文詠唱の後に発現した魔法陣を見たアスランは驚きに目を見開いた。そんなアスランの表情を見たレアがアスランに問いかける。
「何を驚いてるの? 魔法を見るのが初めてってわけじゃないでしょ?」
「え、あ、えと、目の前 で 魔法陣を 見た のは 初めて です」
「そうなの? それも珍しいわね」
アスランが驚いたのは、洗浄と治癒の魔法陣が、日本でプレイしていた【ギャラルホルンオンライン】の魔法エフェクトと完全に同一だったからだ。
ゲームでは呪文の詠唱などなかったが、魔法はその系統によってエフェクトが異なっていた。【洗浄】は水系統の魔法で、青色の魔法陣の中心にウンディーネを模した紋章が出現した。【治癒】は光系統の魔法で、白色の魔法陣の中心にアスカを模した紋章が出現した。
ギャラルホルンオンラインの魔法は精霊魔法であり、地・水・火・風・光・闇の六大精霊を使役するという設定だった。精霊には下位と上位が存在し、プレイヤーはジョブレベルとステータスを上げれば上位精霊と契約できるという仕様だった。
「あの、二つ 聞いても いい です か?」
「なに?」
「今 のは、ウンディーネと アスカ ですか? ポセイドンと レムも いるん ですか?」
「へー、精霊の名を知ってるのね。ウンディーネとアスカは正解よ。でもポセイドンとレムっていうのは、魔法関連の古ーい歴史書に名前が載ってるだけ。御伽噺の中だけの存在よ」
「…そう ですか。あ ありがと ございました」
アスランの中にある耀の記憶が訴えかけた。『ここはギャラルホルンオンラインに似た世界かもしれない』と。
身支度を整えられたアスランは、レアに連れられて応接室へと戻った。
女性客はクッキーのようなお菓子を摘まんでおり、従者の男は腕を組んで時間を持て余すように立っていた。
奴隷商はスクロールと短剣を携えたまま、女性客に世間話を振っていた。
「来たようでございます。ほぉ、こうして見るとなかなかどうして…」
「ホントね。体調が回復すれば美丈夫と言われそうだわ。お得な買い物ね」
「アンジェリーネ様にはご贔屓にして頂いておりますので。では、奴隷紋の書き換えを行いましょう」
「わかったわ。あなたの名前は何かしら?」
「わ、私は アスラン ウォーカー です」
「私はアンジェリーネ、後ろの彼はクレイラントよ。私のことはアンジェ、彼のことはクレイって呼ぶといいわ」
「は はい。アンジェ 様。よろしく お願い 致し ます」
アスランの返事を聞いたアンジェは満足げに微笑み、奴隷商が用意した短剣の刃を人差し指に押し当てた。じわりと滲み出た血が、雫となってスクロールに落ちた。
奴隷紋が描かれたスクロールが淡く光を放つと、アンジェが主従契約の言葉を紡いだ。
「我アンジェリーネ・アストレアルは主となり、其アスラン・ウォーカーを従となさん。血印の契約よ、シャドウの恩恵を以て主たる我が意を成せ」
スクロールが黒い炎をあげて燃え尽きた瞬間、アスランは胸が焼けるような痛みを感じた。アスランにとってこの痛みは三度目の経験であったため、歯を食いしばることで痛みに耐えた。
「へぇ、根性あるじゃねーか。奴隷紋の刻印ってのは相当な苦痛を伴うってのに、声の一つも上げねーとはな」
「ありがと ござい ます。クレイ 様」
「うんうん。アスランは強い男ね。さ、帰りましょ。クレイ、代金を払ってあげて」
クレイは懐から小さな革袋を取り出し、一枚の大金貨を奴隷商に手渡した。
「お代の百万ギル、確かに頂戴致しました。またのご来店をお待ちしております」
奴隷アスランの価格は百万ギル。アスランの記憶を基にした耀の貨幣価値からすれば、凡そ百万円。耀が日本で働いていた時の年収に照らせば、十二分の一の価値であった。
奴隷商会の玄関を出ると、そこには久しぶりに見る平和な街の景色が広がっていた。数日間を暗がりの中で過ごしていたアスランは、陽射しで眼球を焼かれるような感覚に目を細めた。
「お日様の下で見るアスランの髪って、不思議な色をしてるわね。藍色に光る漆黒、そんな感じだわ。さ、あの馬車で屋敷へ帰るわよ」
「アスラン、お前は御者の隣に乗れ。あいつは元奴隷だ。お嬢の意に沿う働きをすれば、お前も奴隷から解放して頂けるかもしれないぞ」
「は はい。アンジェ様 と クレイ様 の ご命令 に 従い ます」
「当面は屋敷周りの仕事をしながら体調を回復なさい。アスランが必要になる仕事は半年後よ」
アンジェはそう言って馬車へと乗り込んだ。クレイはアスランに向けて顎をしゃくり、『乗れ』と促した後に乗り込んだ。アスランは御者に一礼して、覚束ない足どりで御者台へと登った。
奴隷商会のある裏通りから大通りへ向けて、御者が馬車を走らせた。穏やかな陽射しを下で、緩やかな風を頬に感じさせながら馬車は進んだ。
大通りへ出たところで御者がアスランに話かけてきた。
「俺はゲイルだ。お前の名は?」
「アスラン です。ゲイル様 よ、よろしく お願い 致し ます」
「ハハハ、俺に“様”なんて付けなくていい。俺も元は奴隷だ。アスランは運がいいぞ。アンジェお嬢様は優しいお方だ。奴隷でも獣人でも、ちゃんと人として扱ってくださるからな。アスランもしっかりご奉公しろよ」
「は、はい。ご命令 に 従い ます。ありがと ござい ます。ゲイル さん」
「…アスランは酷い扱いを受けていたみたいだな。言葉が途切れる奴隷ってのは、エサ同然の物を食わされて、喋ることすら禁じられていた奴に多いんだ」
親切心で話しかけてくれるゲイルを無視することなどできなかったが、アスランは大通りから見た街の景色に思考を奪われていた。
大通りにある商店の種類や位置関係、城郭都市として聳える高い防護壁、街の中心に建てられた鐘楼つきの大聖堂、そして街の北側に鎮座する巨大な王城。
それら全ては水城 耀の記憶にある、ギャラルホルンオンラインの世界に存在したルインフェルド王国の王都、ルインスタの景色に酷似していた。
アスランは混乱した。自分がアスラン・ウォーカーなのは間違いないが、同時に水城 耀でもあるとの感覚。ついさっきまでは二重人格のような個別認識であったが、ギャラルホルンオンラインの世界観が強まるに連れて、同一人物かもしれないとの認識が湧き上がってきたのだ。
水城 耀は、地球は、日本は、ギャラルホルンオンラインは、今も何処かに実在するのかもしれない。
そんな思考に埋没していくアスランを乗せた馬車は、王城と貴族区のある街の北側へ向けて走っていた。




