表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春を謳う  作者: 葵
22/49

静けさのために

セレスティア邸の執務室。

ハルナの誕生日が近づくにつれ、屋敷には昨年をはるかに上回る贈り物と手紙が、雪崩のように届いていた。

書き物机は山と積まれた箱で隙間もなく、飾り棚の上には色鮮やかな花束や細工物が所狭しと並んでいる。

それでも収まりきらず、今や廊下にまで木箱と包みが連なり、従者たちが絶え間なく運び込んでは整理に追われていた。


封蝋の紋章は王侯から下級貴族までさまざま。

華やかな色紙、豪奢な飾り箱、繊細な細工の人形――どれもが“セレスティア家の娘”へ敬意と羨望を込めた証だった。

祝福の名を借りた縁談の打診も少なくなく、文面の隅々にそれとなく家門の思惑が滲んでいる。


――まだ二歳にもなっていない幼子に向けられるには、あまりにも重すぎる熱と欲。


クラウスは積み上がる箱の列を前に、深く息をついた。

「……今年は去年以上だな。屋敷ごと飲まれそうだ」


オルランドは淡々と手を動かす。

箱を開け、差出人と品目を照合し、受領簿に記す。

脇ではルカが仕分け籠を回し、アルビスが出自・来歴を台帳へ写していた。

三人の動きは見事に無駄がなく、まるでひとつの歯車のように機能している。


「品はどれも一級でございますが――」

オルランドが手紙の束を持ち上げ、眉根をわずかに寄せた。

「“祝意”の名を借りた縁談の申し出が、半数を超えました。家格、財貨、後ろ盾の列挙……露骨でございます」


クラウスは無言でその束を受け取り、指先で端を軽く叩く。

金で磨かれた言葉の羅列。

誰もが“セレスティア家の娘”を未来の駒として数え上げる調子に、彼の瞳はわずかに冷たく光った。

「娘を数える口ぶりだ。女児が希少なのは承知している。だが――ハルナは帳面の数字ではない」


低く放たれたその言葉に、執務室の空気が一瞬で張りつめる。

ルカとアルビスは黙って頭を垂れ、オルランドは静かに筆を止めた。


背後でジークが無言で頷き、書類を抱えたまま動きを止めない。

シオンは届けられた薬包紙をぱり、と開き、乾いた香草の香りを漂わせた。

「身体に使用する贈り物の検分は僕とルカでやる。毒見も済ませるし、怪しいものは即座に焼却だね」


「了解しました」

ルカは短く答え、仕分け籠を軽やかに回す。

彼の手は無駄がなく、次々と箱を解いては整然と積み上げていく。

「……しかし、これだけの量。倉庫に収める前に、半分は撰別して処分した方が早いかと」


フェルは白手袋の指で仕掛け箱の底を撫で、かすかな軋みを耳に寄せた。

「……ふん、子供騙しか。舞台の小道具にもならん。見せ場のない仕掛けは、劇に上げる値打ちなしだ」

小さく指を鳴らすと、隠し蓋がぱかりと開いて空っぽを晒す。


「怖い怖い……」

箱の山の陰から、グレンが顔を出した。

苦笑を浮かべながらも、眼は周囲を鋭く走らせている。

「にしても、姫ちゃん人気、今年は本当に桁が違うな。……廊下まで塞がるとは。倉庫、増設しとくか? いや、まずは“断り状”の雛形が要るな」


「断り状だけで机が埋まるんじゃないか」

フェルが肩を竦める。


「その場合は焼却炉の方が早いね」

シオンが涼しい声で返す。

「……ただ、燃やす前に誰が送ったかは記録に残しておきましょう。後々、面倒が起きないように」

とアルビスが言う。


「面倒?」ルカが手を止める。


「縁談を断られた腹いせで嫌がらせ、なんてのはよくあることだよ」

シオンは薬草を指先でひねり、淡い香りを漂わせた。

「香に毒を仕込むのは古典的手口だから、注意するに越したことはない」


グレンは深く息を吐き、額を押さえる。

「まったく……姫ちゃんの誕生日は、俺たちの胃が持つかどうかの勝負だな」


小さな笑いが一瞬、重い空気をほぐした。

だが箱の山はまだ積み重なり、執務室の空気には緊張が漂い続けていた。


扉が静かに開き、エーデリアが入ってきた。

室内に積み上がる贈り物の山へ一瞥をくれ、目を細める。


「……随分と派手な市だな」

低く凛とした声が響き、言葉を続ける。

「だが――贈り物の山よりも大事なのは、姫様の心だ」


「ハルナは?」クラウスが短く問う。


「姫様は花を愛でられた後、今は静かに眠っています」

その報告は簡潔で、それ以上の余計を一切交えない。


フェルが手を止め、軽く口笛を鳴らした。

「では次は、私が姫の子守りをしに行きましょうか」


「おいっ!! ずるいぞ!」

すぐさまグレンが声を張り上げる。

だが、フェルは白手袋の指で封蝋をはじきながら、冷静に返した。


「私の検分はひと段落。あなたはまだ残っているだろう?」


「ぐ……」

反論の言葉を探しながら、グレンは口を開けたまま沈黙するしかなかった。


そのやり取りを遮るように、エーデリアがきっぱりと言い放つ。

「必要ない。私は現状を報告しに来ただけだ。すぐに戻る」

止める暇も与えず、踵を返して颯爽と去っていった。


静けさが残る室内で、シオンが肩をすくめて笑う。

「今日は、彼女の方が一枚上手だったねぇ」


ルカが小さく咳払いをして場を整える。

「再開いたしましょう。これからも贈り物は届き続けます」


その言葉に従い、従者たちは再び手を動かし始める。

フェルとジークが目を合わせ、同時に深い息を吐いた。

積まれた箱の山は減るどころか、まるで生き物のようにじわじわと広がり続けていた。


オルランドが静かに口を開いた。

「例年通り、辞退文を用意します。――冒頭に『五歳までは謁見を控える王国慣例に従う』と記し、以降の打診はすべて我らで遮断いたします」


「頼む」クラウスは短く答え、指先で机を軽く叩いた。

やがて視線を窓外へと移す。秋の空は高く澄み、白い雲がゆるやかに流れていく。


「……守るのは我々の務めだ」

低く、けれど揺るぎのない声が室内に落ちる。

「だが、ハルナの未来を決めるのは――ハルナ自身だ。だから私は、その盾となる」


言葉に呼応するように、部屋の空気が引き締まった。

封蝋が割れる音、紙が擦れる気配、筆が走る音――屋敷は慌ただしく動いている。

だがその中心にある、ハルナの小さな部屋だけは、変わらず穏やかな静けさに包まれていた。


窓辺に飾られた青い花が、陽の光に透けてかすかに揺れる。


――その静けさを守るために。

今日もまた、この家は盾となり続ける。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ