静けさのために
セレスティア邸の執務室。
ハルナの誕生日が近づくにつれ、屋敷には昨年をはるかに上回る贈り物と手紙が、雪崩のように届いていた。
書き物机は山と積まれた箱で隙間もなく、飾り棚の上には色鮮やかな花束や細工物が所狭しと並んでいる。
それでも収まりきらず、今や廊下にまで木箱と包みが連なり、従者たちが絶え間なく運び込んでは整理に追われていた。
封蝋の紋章は王侯から下級貴族までさまざま。
華やかな色紙、豪奢な飾り箱、繊細な細工の人形――どれもが“セレスティア家の娘”へ敬意と羨望を込めた証だった。
祝福の名を借りた縁談の打診も少なくなく、文面の隅々にそれとなく家門の思惑が滲んでいる。
――まだ二歳にもなっていない幼子に向けられるには、あまりにも重すぎる熱と欲。
クラウスは積み上がる箱の列を前に、深く息をついた。
「……今年は去年以上だな。屋敷ごと飲まれそうだ」
オルランドは淡々と手を動かす。
箱を開け、差出人と品目を照合し、受領簿に記す。
脇ではルカが仕分け籠を回し、アルビスが出自・来歴を台帳へ写していた。
三人の動きは見事に無駄がなく、まるでひとつの歯車のように機能している。
「品はどれも一級でございますが――」
オルランドが手紙の束を持ち上げ、眉根をわずかに寄せた。
「“祝意”の名を借りた縁談の申し出が、半数を超えました。家格、財貨、後ろ盾の列挙……露骨でございます」
クラウスは無言でその束を受け取り、指先で端を軽く叩く。
金で磨かれた言葉の羅列。
誰もが“セレスティア家の娘”を未来の駒として数え上げる調子に、彼の瞳はわずかに冷たく光った。
「娘を数える口ぶりだ。女児が希少なのは承知している。だが――ハルナは帳面の数字ではない」
低く放たれたその言葉に、執務室の空気が一瞬で張りつめる。
ルカとアルビスは黙って頭を垂れ、オルランドは静かに筆を止めた。
背後でジークが無言で頷き、書類を抱えたまま動きを止めない。
シオンは届けられた薬包紙をぱり、と開き、乾いた香草の香りを漂わせた。
「身体に使用する贈り物の検分は僕とルカでやる。毒見も済ませるし、怪しいものは即座に焼却だね」
「了解しました」
ルカは短く答え、仕分け籠を軽やかに回す。
彼の手は無駄がなく、次々と箱を解いては整然と積み上げていく。
「……しかし、これだけの量。倉庫に収める前に、半分は撰別して処分した方が早いかと」
フェルは白手袋の指で仕掛け箱の底を撫で、かすかな軋みを耳に寄せた。
「……ふん、子供騙しか。舞台の小道具にもならん。見せ場のない仕掛けは、劇に上げる値打ちなしだ」
小さく指を鳴らすと、隠し蓋がぱかりと開いて空っぽを晒す。
「怖い怖い……」
箱の山の陰から、グレンが顔を出した。
苦笑を浮かべながらも、眼は周囲を鋭く走らせている。
「にしても、姫ちゃん人気、今年は本当に桁が違うな。……廊下まで塞がるとは。倉庫、増設しとくか? いや、まずは“断り状”の雛形が要るな」
「断り状だけで机が埋まるんじゃないか」
フェルが肩を竦める。
「その場合は焼却炉の方が早いね」
シオンが涼しい声で返す。
「……ただ、燃やす前に誰が送ったかは記録に残しておきましょう。後々、面倒が起きないように」
とアルビスが言う。
「面倒?」ルカが手を止める。
「縁談を断られた腹いせで嫌がらせ、なんてのはよくあることだよ」
シオンは薬草を指先でひねり、淡い香りを漂わせた。
「香に毒を仕込むのは古典的手口だから、注意するに越したことはない」
グレンは深く息を吐き、額を押さえる。
「まったく……姫ちゃんの誕生日は、俺たちの胃が持つかどうかの勝負だな」
小さな笑いが一瞬、重い空気をほぐした。
だが箱の山はまだ積み重なり、執務室の空気には緊張が漂い続けていた。
扉が静かに開き、エーデリアが入ってきた。
室内に積み上がる贈り物の山へ一瞥をくれ、目を細める。
「……随分と派手な市だな」
低く凛とした声が響き、言葉を続ける。
「だが――贈り物の山よりも大事なのは、姫様の心だ」
「ハルナは?」クラウスが短く問う。
「姫様は花を愛でられた後、今は静かに眠っています」
その報告は簡潔で、それ以上の余計を一切交えない。
フェルが手を止め、軽く口笛を鳴らした。
「では次は、私が姫の子守りをしに行きましょうか」
「おいっ!! ずるいぞ!」
すぐさまグレンが声を張り上げる。
だが、フェルは白手袋の指で封蝋をはじきながら、冷静に返した。
「私の検分はひと段落。あなたはまだ残っているだろう?」
「ぐ……」
反論の言葉を探しながら、グレンは口を開けたまま沈黙するしかなかった。
そのやり取りを遮るように、エーデリアがきっぱりと言い放つ。
「必要ない。私は現状を報告しに来ただけだ。すぐに戻る」
止める暇も与えず、踵を返して颯爽と去っていった。
静けさが残る室内で、シオンが肩をすくめて笑う。
「今日は、彼女の方が一枚上手だったねぇ」
ルカが小さく咳払いをして場を整える。
「再開いたしましょう。これからも贈り物は届き続けます」
その言葉に従い、従者たちは再び手を動かし始める。
フェルとジークが目を合わせ、同時に深い息を吐いた。
積まれた箱の山は減るどころか、まるで生き物のようにじわじわと広がり続けていた。
オルランドが静かに口を開いた。
「例年通り、辞退文を用意します。――冒頭に『五歳までは謁見を控える王国慣例に従う』と記し、以降の打診はすべて我らで遮断いたします」
「頼む」クラウスは短く答え、指先で机を軽く叩いた。
やがて視線を窓外へと移す。秋の空は高く澄み、白い雲がゆるやかに流れていく。
「……守るのは我々の務めだ」
低く、けれど揺るぎのない声が室内に落ちる。
「だが、ハルナの未来を決めるのは――ハルナ自身だ。だから私は、その盾となる」
言葉に呼応するように、部屋の空気が引き締まった。
封蝋が割れる音、紙が擦れる気配、筆が走る音――屋敷は慌ただしく動いている。
だがその中心にある、ハルナの小さな部屋だけは、変わらず穏やかな静けさに包まれていた。
窓辺に飾られた青い花が、陽の光に透けてかすかに揺れる。
――その静けさを守るために。
今日もまた、この家は盾となり続ける。