第54話 勉強会②
「そういやさぁ、お前ら来週の花火大会どうする?」
食後の茶を啜りながら橋本が発した問いに、二つの卓を囲む面々の意識が集中した。
「急にどうしたんすか?」
「急でもねぇだろ。予定を合わせるためにも、そろそろ話詰めといた方がいいんじゃねぇか」
「皆で行くのは確定なのかい?」
少し困惑気味に森山が問い返すと、橋本は不満げに唇を曲げて、
「なーんだよー、まさか俺だけハブろうってのか? そりゃねぇだろ!」
「いやいや、そうじゃなくて。てっきり君や柳田くんは、二人きりの夏祭りデートに繰り出すものと思ってたから」
「あー……俺らここが地元だし、付き合う前からほとんど毎年一緒に行ってたから。今更改めてデートってのも、なぁ?」
橋本と篠原さんは元々幼馴染で、中学時代からお互いに想い合う仲だったと聞く。甘酸っぱい恋愛イベントなんて既に粗方網羅しているのだろう。
平然とした表情の橋本に、篠原さんも小さく頷いてみせた。
「同感ね。なんならあたしは今年行くつもりなかっただけど。アンタは随分友達が増えたみたいだし……」
「なんだよヤキモ……いでで、冗談だって! シオも一緒に来りゃいいだろ。高宮さんたちも、よかったら一緒に行こうぜ」
「私たちも? そうね……」
「ちょっと、あたしもまだ行くとは」
「まぁまぁまぁまぁ、いいじゃんいいじゃん」
わざとらしい笑みを浮かべる橋本が一瞬視線を逸らした先には、緊張した表情の濱崎が居た。
……いつになく強引な態度だと思ったが、もしや濱崎への援護射撃のつもりなのだろうか。確かに他の面子を巻き込む形で、花火大会という絶好のシチュエーションを提供するのは有効かもしれない。
橋本の誘いに対して考え込む高宮さんは……チラリ、と森山の方へ視線を向ける。
それを察したのか否か、当の森山は俺たちの方に声をかけてきた。
「橋本はともかく、柳田くんと明瀬さんはどうなのかな。二人はお祭りデートの予定とかあったんじゃない?
「そうだな……」
……明らかに話を逸らしたように見えたが、俺が何か言うことでもないか。
傍らの陽華と顔を見合わせる。頷きを返すと、陽華も朗らかな笑みを浮かべて森山たちに向き直った。
「私たち二人とも、ここの花火大会に参加するの初めてだから。出店とか出し物とか、いろいろ教えてくれると嬉しいな」
「あたしも行くー! 陽華にたくさん教えてあげるねっ!」
「……陽華が行くなら、私も行こうかしら。でも本当にいいの? 柳田くんと二人きりじゃなくて」
元気に手を挙げる向井さん――視界の端で橋本がにやりと笑ったのが見えた――と、気遣わしげに尋ねる高宮さんに、陽華は笑顔で首を振って、
「そんなに気にしないで、友達と過ごす時間も大切だもん。辰巳くんとの時間はもうたくさんもらったからね!」
そう話す陽華の笑顔はとても自然なもので、無理をしているようには見えなかった。
普段から、人前でも俺への好意や独占欲を隠そうともしない彼女だ。何か思うところがあるのなら、素直に申し出てくれるはずだろう。そのぐらいの信頼は築けているはずだ。
「一か月近く同棲してるならそりゃね……」
「あくまでお泊まりな」
「はいはい」
森山の呆れ混じりの呟きに言い返すもさらりと受け流されてしまった。この野郎……正直あまり言い返せない。
こほん、と一つ咳払いして、俺も横から口を挟んだ。
「なにも今回が最初で最後ってわけでもないんだ。二人きりのデートはまた別の機会に楽しむよ」
「そもそもずっと一緒に行動しなきゃいけないわけじゃないしな。出店巡りはダチとワイワイ騒いで、花火が始まったらカップルで静かに楽しみゃいいのさ。ベテランの俺がカップル御用達、絶好の場所を教えてやるよ」
「助かる」
揶揄いながらもさり気なく気遣ってくれた橋本に、素直に感謝を伝える。地元民の知見は素直にありがたいと思う。
俺たちのやり取りを聞いて、篠原さんは溜め息を吐いて頷いた。
「……明瀬さんたちが行くなら、あたしも行くわ。ヒロが騒いで迷惑をかけないか心配だし」
「シオは俺のことなんだと思ってんだよー」
「当然の心配でしょ」
じゃれ合いを始めてしまった幼馴染カップルから視線を外して、先程からずっと沈黙したままの濱崎の方へ向ける。
ひどく緊張した表情で硬直している彼は、隣の森山に肘で突かれても、不動のまま反応を返そうとしない……あいつ生きてるか?
「あとは森山は確定として、赤坂たちにも声かけなきゃな」
「……予定もないから、まぁいいけどね。けど、赤坂くんは来ないと思うよ。サッカー部の男子で集まって祭りに行くって話してたし」
「は!? 俺それ聞いてないんだけどぉ!? マジでハブられてんじゃん!」
「主催の山中先輩曰く、彼女持ちは参加禁止だってさ」
おーまいがっ! と大袈裟に頭を抱える橋本。キラキラした花形のイメージのサッカー部にも色々とあるらしい。
他人事のように――実際他人事だが――考えていると、森山がこちらを見て愉快そうに笑みを浮かべた。
「ちなみに、柳田くんは山中先輩と会ったことがあるよ」
「そうなのか?」
「ほら、柳田くんたちが僕らの試合の応援に来てくれた時、明瀬さんのことで君に詰め寄ってきた先輩だよ」
「あぁ……」
言われて思い出した。後輩を引き連れてやってきた先輩が、「明瀬陽華さんの彼氏か?」と尋ねてきた大柄な男子が居た。
逆恨みされたりしないか不安ではあったが、森山曰く「無駄に暑苦しいところはあっても粘着質な人じゃないから大丈夫」とのことで、あまり気にしていなかった。
当時の記憶を反芻していると、陽華が心配そうに覗き込んでくる。
「辰巳くん、先輩に詰め寄られたの? 大丈夫だった……?」
「ん? あぁいや、別に何かされたわけじゃないから、心配ないよ。公衆の面前だったし、橋本や森山たちも居たしな」
「大丈夫だよ明瀬さん。暑苦しくて無遠慮なところはあるけど、基本的には男気のあるいい人だから。堂々と”彼氏だ”って宣言した柳田くんには、むしろ好感を持ってるんじゃないかな」
「それはそれとして彼女持ちには僻むけどな!」
男気とは……?
首を傾げつつ傍らの陽華の様子を窺えば、なにやら嬉しそうに頬を緩ませていて、
「堂々と宣言したんだ? 先輩に」
「事実だからな。嫌だった?」
「んーん、むしろ嬉しい。とっても嬉しい! 私も誰かに聞かれたら、堂々と宣言しちゃうね♪」
「……ありがとう?」
俺が逆の立場に置かれることは恐らくないだろうが、陽華は楽しそうだし何でもいいか。
そんな俺たちのやり取りを眼前で見せつけられた橋本は、露骨に溜め息を吐き出してリビングの方へ視線を映した。
「すーぐ二人の世界に入りやがる……いつまで固まってんだ濵崎ぃ。当然お前も行くだろ? 花火大会!」
「…………はぇっ!? あ、な、なんっすか――あっ!? うわっ、と、ととぉ……っ!?」
橋本の声に弾かれたように再起動した濱崎だったが――勢い余って振り乱した腕が、紙コップに直撃。
中身が空だったのは不幸中の幸いか。慌ててキャッチしようとするも手からすり抜け、跳ねたコップを掴もうとしては空を切り……。
数回にわたる無様なジャグリングの末、ようやく手中に収めたコップを前に、濱崎は大きく息をついた。
実に滑稽なジャグリング擬きを披露した濱崎に、俺たちが呆れた視線を送る中で――彼の斜め前からけらけらと軽やかな笑い声が上がった。
「あははっ! びっくりしすぎでしょー! なんか考えごとでもしてたの?」
「おいぇっ!? ……あ、あぁーー、その…………っか」
「”か”?」
「か、唐揚げ……。べ、弁当の空揚げが、美味しくて……えと、浸って、ました……ハイ」
好きな人に話しかけられてテンパっているとはいえ、もう少しましな言い訳はなかったのか……。
頭を抱えたくなる俺たちとは裏腹に、向井さん本人はぷはっ、と噴き出していた。
「あははははっ! そ、そんなに美味しかったんだ!? あははははっ!」
「よっ、よかったら、買ったコンビニ教えますかっ!? あと値段とか……! 確かレシートが袋の中に……あれ、ないっ!?」
「だ、だいじょ……ぷっ、あはははははっ!」
どうやら向井さんのツボに入ってしまったらしい。
腹を抱えて笑い転げる向井さんと、あわあわと慌てる濱崎という構図に、思わず陽華や橋本たちと顔を見合わせる。
向井さんのツボの浅さと濵崎の天然ボケな部分が、ここにきて謎の噛み合いを見せているようだ。渦中の濱崎は困惑しきりといった感じで、それに気付くことはなさそうだが……打ち解けるきっかけにはなりそうだ。
濱崎の焦りが落ち着くのを待って、改めて花火大会に参加する意思を確認し、無事に全員の参加を取り付けることができた。
腹ごなしの雑談も一段落して、再び各々の宿題や勉強に取りかかる。
時折雑談や質問を交えながら、勉強を進めること一時間ほど。集中力の低下を感じた俺は、小さく伸びをした。
チョコを摘まんで一息つく中で、ふとリビングの方から向井さんの声が聞こえてきた。
「……ん~~~、わかんない! 佳凛、森山くん! ここ教えて!」
「はいはい。あぁ、ここは前に教えた――」
「高宮さん待った。濱崎くん、君が教えてあげなよ。午前中に僕が教えたのと同じ内容だし、その確認も兼ねてさ」
「ほぁっ!?」
おぉ、ナイスアシスト。実に自然な流れで二人を誘導してみせた。
果たして濱崎がそれに応えられるかどうか……。目を白黒させていた濱崎は、やがて覚悟を決めた表情で大きく頷いた。
「――お、俺でよければ……! 全力で教えさせていただくっす!」
「ぷふっ、あはは! なんか大袈裟だなー。でもそれならバリバリ頼りにしちゃうね!」
「うぅっす……! えっと、ま、まずはここのページの――」
……意外といい感じだな。やらかしを大笑いで笑い飛ばされたことで、逆に緊張が和らいだのかもしれない。
安心して視線を戻せば、陽華たちも手を止めて二人の動向をさりげなく見守っていることに気が付いた。
揃ってこっそりと森山にサムズアップを送れば、苦笑を返されてしまう。お疲れ様。
その後も、和やかな雰囲気の中で時間は過ぎていく。
時折休息を挟んで――その際には濱崎と向井さんが話せるように話題を振ったりしつつ――作業に没頭していると、あっという間に窓の外が橙色に染まっていた。
「もうこんな時間ね。そろそろお暇しましょうか」
「えー、もう少し居てくれてもいいのに……」
「これ以上あなたたち二人の家に長居するのは、流石に居た堪れないわよ」
「……一応俺の家なんだけどな」
「実質同じことでしょう」
軽く言い返してみたらさらりと流されてしまった。冗談なのはわかっているし、別にいいか。
高宮さんの言葉を合図に、他の面々も帰り支度に取り掛かり始めた。
俺も筆記用具を片付けていると、対面の篠原さんが丁寧に頭を下げてくる。
「柳田くん、明瀬さん。今日は本当にありがとう。このペースならヒロも余裕をもって宿題を終えられそう。ほら、ヒロも」
「わーかってるよ! 二人ともマジでありがとな! ほんっとーに助かった!」
「俺たちは場所を提供して、少し手伝っただけだから。今回の集まりを言い出したのは橋本本人だよ」
「こちらこそありがとう! すごく楽しかったよ」
あまり気にしないようにと軽い口調で返す俺たちに、篠原さんは安心したような笑みを浮かべて頷いた。
そして今度は陽華に向き直り、少し声を潜めて、
「……それと、あの。例の件、よろしくね明瀬さん」
「もちろん、どーんと任せて! 最初はいつにしよっか――」
陽華が篠原さんに料理を教える件についての相談だろう。俺が口出しすることでもないので、そのまま片づけを再開する。
卓上の紙コップをまとめて立ち上がると、橋本も足早についてきた。
「柳田……マジで、本当に、ありがとう……!」
「礼ならさっき聞いたけど」
「そっちじゃなくて、シオの料理のことだよ」
「それなら俺じゃなくて陽華に言ってやってくれ」
「そりゃもちろん! 近いうちに、お前を通じて何か礼をするからそん時はよろしくな!」
「あいよ」
そんなやり取りをしている内に、他の面子の片付けも終わったようだ。
見送りの俺たちも含めて全員で玄関の方へ向かう。
「今日はありがとう、柳田くん、明瀬さん」
「あざっす……! めちゃくちゃ助かりました……!」
「二人ともほんとにありがとー! おかげで何とかなりそう!」
「ありがとう二人とも、また連絡するわね」
口々に感謝の言葉をかけてくる彼らに、ひらひらと手を振って応える。
「どういたしまして~! こちらこそ本当に楽しかった! また花火大会の時に会おうね!」
「俺も新鮮な体験で楽しかったよ。また今度な」
「おう、またなー」
「ばいばーい!」
「さようなら」
各々別れの挨拶を残して去っていく友人たちを見送って、俺たちはリビングへ戻った……瞬間、ふと小さな違和感を覚える。
その違和感の正体を探るように部屋の中を見渡し、気付いた。
「……こんなに広かったっけな」
「ふふ、ついさっきまで八人も集まって、あんなに賑やかだったんだもん。ちょっと寂しいね」
……なるほど。直前までの和気藹々とした雰囲気との落差を感じて、ついセンチな気分になってしまっているわけか。
まさか、我が家に八人もの友人を招くことがあるなんて、思ってもみなかった。
自分でも気づかない内に、テンションが上がっていたのかもしれないな。
「機会があればまた呼んでみようかな。それこそテスト前とか、ただ遊ぶだけの集まりとか」
「いいね! 私も参加してもいい?」
「男子だけの集まりは遠慮してほしいけど、それ以外なら好きにしてくれ」
「やったー」
無邪気に喜ぶ陽華の笑顔に、思わず頬が緩む。
機会があるとして学期が明けてからだろうし、随分気の長い話になりそうだ。
……今の今まで頭から抜け落ちてしまっていたが。夏休みが終わってしまえば、陽華の”お泊まり”も終わってしまうんだな。
たった半日にも満たない喧噪が過ぎ去っただけで、これほどに寂寥感を覚えていると言うのに……一か月以上も生活を共にした陽華が居なくなってしまえば、どうなってしまうのやら。
「もういい時間だし、夕ご飯の準備を始めちゃうね。辰巳くんはリビングで休んでて?」
軽やかな足取りでキッチンへ向かう陽華の背中を見送って、小さく肩を竦める。
……なにもお泊まりが終わったら会えなくなるわけでもないのだ。
二学期も、休日になれば再びこの部屋で一緒に過ごすことになるだろうし、必要以上に深刻に考える必要もない。
今はただ、残り少ない時間を大事にするべきだ。
「勉強で疲れてるのは陽華も同じだろ。俺も手伝うよ」
「ふふ、ありがとう。じゃあ一緒に作ろっか。今日はね――……」
そうして俺たちは、先程までとは打って変わって静かな、穏やかな時間を過ごしたのだった。




