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ヒツジさんの執事さん  作者: 美琴
第二章
47/67

46・落とし前



 落下していく友の姿をただ見ていることしか出来ず、それすらも曇天の夜間ではまもなく不可能になった。

 ランプを地に置いていた為に、どのような体制で落ちて行ったのかは解らない。

 ただ、少なくとも。

 ほんのいくらかの間を置いて、崖上にも聞こえる程、大きな衝撃音だけは聞こえてきた。

 それを確認した瞬間、彼を文字通り蹴落とした少年は大きく笑い声を上げた。


「阿呆が! 碌な頭も無い癖に、粋がるからこうなる! これは天誅だ!!」


 自らが犯した事への罪悪感も何もなく。笑うベアードに、取り巻きの二人も同様に笑い声を上げた。

 貴族、高貴なる者と名乗るにしては、あまりに醜悪で品の無いその笑いに、落ちて行った義弟の名を叫んだ以後は暫し放心していたメルルが三人を睨みつける。


「あんた達…! 今自分が何をしたのか、理解しているの?!」

「理解? 当然している。目障りな害虫を処分しただけだ」

「それを本気で言ってるなら、あんた達は正真正銘、救いようのないクズね! 貴族である資格どころか、この国の民である資格すらないわ!!」


 過去の過ちを乗り越え、相互の理解と和を重んじるアニマリアにおいて。その最も大きな過ち。滅ぼしてしまった隣国アンスロスの、唯一かもしれない生き残り。

 それだけでも過去を贖罪し護るべきとも言える相手を、あろう事か夜の崖下にけり落とした。

 ただ、自分が気に入らない。自分の利益の邪魔になる。それだけの理由で。

 この国の貴族の娘である事に誇りを持つメルルにとって、当然殺人だけでも許せざる行いだが、諸々の状況が更に唾棄すべき行為だと認識するに充分だった。


「碌な頭も無いのはどっちなの?! 目撃者が居る前で犯行に及ぶなんて、犯罪者としても3流もいいところだわ!!」

「目撃者? …そんなものは、これから居なくなる」


 にやり、とベアードは口元を笑みの形に歪ませる。

 明らかな悪意と害意のこもった表情に、メルルが警戒に一歩身を引くよりもわずかに早く、二人の取り巻きが彼女の腕をつかみ、動きを戒めた。


「ちょっと! 何するの、放しなさい!」

「全く気の毒な事だ。こんな夜に外出した馬鹿どもは、皆揃って崖から足を踏み外した」

「なっ……!!」


 最初から、おびき出す為に陥れたエルミンも、ついてきたメルルも、見逃す気などなかったのだと笑う。

 もしかすれば、マリヤ一人で探しに出て、メルルは残れば彼女は助かったのかもしれないが……今となっては、ただのIFに過ぎない。

 少女一人の力で、少年とは言え二人がかりで取り押さえられて勝てる筈が無い。

 ずるずると一人が主導となってメルルを半ば引きずり、もう一人は彼女の持つ妖精魔法を恐れてか、しっかとその口を塞いでいた。


「本当に……っ、何を考えているんですか!! 今ならまだ間に合います、メルル様を放しなさい!!」

「どの口が俺に向かって命令などするんだ? 貧乏男爵の子が、伯爵家の俺に指図するなど、身の程を知れ」


 悪い足場にしがみつくエルミンには崖を登る事が出来ず、続く目の前の凶行に声を上げるが、冷たく見下す少年は意にも介さず唾を吐く。

 間もなく、先ほど義弟が蹴り落とされた奈落の底に、彼女も突き落とされた。

 抱えたランプの灯は衝撃か、それとも隙間から入り込んだ風で消えたのか。悲鳴と共に落ちていく白い毛並みの少女はすぐに見えなくなり、やがて悲鳴も消えた。


「なんて、事を……!」


 目の前で、親しい友が闇の底へ消えていく様に、毛並みの下は蒼白となっていることだろう。

 再び頭上を見上げると、そこにはほんのすぐ目の前にベアードのつま先があり。その左右に控えるように、取り巻きの二人も立っている。

 何度かマリヤにちょっかいを出しては返り討ちに合っていた、決して友好的でもなく賢い生徒でもない事は理解していた。

 それでも、エルミンは爵位としては最も低いと言っても良い男爵家の子であり、伯爵家の子であるベアードの言葉にきっぱりと否を言い渡せなかった。幼い頃からの劣等感やいじめへの恐怖感も、それを助長したかもしれない。

 勿論、まさかこんな事態になるとは思いもしなかった。せいぜい、自分を通して王子と親しい仲になるにおいて邪魔な、そして何度も恥をかかされた相手であるマリヤへの苦情だの何だのを言いたいのだろうと思っていた。

 あろう事か、彼を亡き者としようと考えていて、その餌にされるなどと。

 解っていたら、例え上の爵位の子であろうとも、全力で抗っただろう。それくらいの勇気は、持っている。その後、どんな目に合おうとも、自分と親しくし、気遣い助けてくれる友への感情は大切なものだ。

 が、結果として、自分が騙された事で、大切な友を二人もこんな目に合わせてしまった。

 自分への怒りと目の前の3人への怒り。両方を込めて、下から睨み見上げた。


「ふん、反抗的な目で見るな、お前も身の程を知らんと見える」

「……身の程? 彼が、貴方に何をしたと言うんですか?」

「たかが敗戦国の生き残りの孤児、どこの馬の骨とも知れん輩が最も尊き血筋である王子と友などと、身の程知らず以外の何がある! それどころか王子の意識を誘導し他の者達への心象を貶めている、これは未来の国家転覆に繋がると言っても良い所業だろう!」

「…………」

「あまつさえ、この俺の! この俺の顔に幾度となく泥を塗り、下々の者達まで扇動し、あのような屈辱を味わわせるなどと…! 最早、死を持って償わせるほかに何がある?!」

「あー、まあそんな所じゃないかなーとは思いましたよ」

「そうね。どうもあの馬鹿、自業自得って言葉を知らないみたい」


 嘲笑から一転、身勝手な怒りを露わにし、強く地面を踏みつけ声を荒げる伯爵家の少年に、心底呆れた様な声がかかった。

 方向は、4人が居る場所よりも、やや左斜め後方。

 暗闇から、誰もいないはずの夜間だというのに声をかけられ、ぎょっとして言葉を止め、視線を向ける。

 火の魔法を発動させる声が小さく聞こえ、どうやら灯がともっていなかっただけでそこにあったらしいランプが明かりを作り出し、立っている人物を浮かび上がらせた。

 そこに居たのは。

 つい今しがた、暗闇の崖下へ転落していった筈の、辺境伯の義姉弟だった。




――――――




 ぶっちゃけ、多分そう来るだろうなーとは思ってた。

 来ない程度の理性と良心を期待したのだが、裏切られたようだ。

 魔法というのは、冷静でないと使えない。これは精霊魔法でも妖精魔法でも同じこと。人間、普通は底の見えない崖下に突き落とされたらパニックに陥る。

 が、そうなると心構えをしているだけでもずいぶん違う。


「身体強化、各部最大出力。フラル・アルメリア」


 最大にしたのは、それでも完全な平静ではなかろうな……と言う理由で効果が若干落ちるのを想定し、ついでにどれだけの高度があるかも正確には察せられなかったからだ。

 背面から落ちていたのをくるんと猫のように反転し、両手両足を突き出す。

 直に、ドン!! ……と大きな音を立てて、地面に到達した。

 幸い、強化に成功した分で体重と落下速度をすべて受け止めるだけの強度は出てくれたらしい。ちょっと痺れるが……

 魔法の解除は、暫く後だ。今まで、最大出力をしたことはない。この後の反動を思うと動けなくなっても不思議ではないので、今は強化したままにする。

 継続自体は、強化が強くても弱くてもそんなに難しくない。ぶっちゃけ、消費する魔力は少ないのだ、強化魔法って。


「マリヤ、何があったのじゃ?!」

「アルメリア」


 ぱしゅっと光が生まれて弾け、アルメリアが姿を現す。

 夜中に突然全力の魔法なんて使ったから、驚いたのだろう。

 ランプは上に置いてきてしまったため崖下のここは真っ暗闇だったのだが、アルメリアの羽の光のおかげで、少しだけ視界が確保できた。助かる。


「うん、ちょっと……。想像以上のお馬鹿さんが居ただけ」

「何じゃと? …上に、お主の友ではない小僧どもがおるな。まさか、突き落とされたというのか?」

「まあ、ちょっと思い込みが激しくなるお年頃ではあるけどねえ…」

「ふふ……良い度胸じゃ。またもわらわの愛し仔を害そうなどと…! 一思いに楽になどさせてはやらぬぞ!」

「落ち着いてアルメリア、貴女のおかげで無事だから。貴女が暴れると色々と後が大変そう……」


 主契約者が誰なのかバレそうって言うのとか、妖精が暴れるとかそれつまり天変地異が起こるようなモンだってのが怖い。ただでさえ、アルメリアは妖精の中でも更に上位の存在みたいだし…

 さてどうやってここから穏便に持って行こう、と考えた矢先。


「きゃあああぁぁぁっ!!!」


 頭上から、女の子の悲鳴がした。

 上から聞こえる可能性のある女子の悲鳴の主は、一人だけだ。

 咄嗟に上を向く。最初はランプの光でその姿が見えたが、何かの拍子で消えたのか頭上は暗闇になってしまう。


「アルメリア、位置教えて!」

「良かろう、お安い御用じゃ」


 言うが早いか、メルルの背中の辺りにポっと小さく明かりがともる。

 それを目印に位置を調整。落ちてきたあたしのお嬢様を、両腕でしっかりと受け止めた。

 ……身体強化、かけたままでよかった。無しだったら流石に、肩が外れてるんじゃないだろうか……


「ま、まり、や…?」

「メルル、大丈夫?」

「だ、大丈夫、大丈夫だけ、ど、……び、びっくり、した…」


 アルメリアの羽から発されるわずかな灯りに照らされたメルルの表情は、なんというか。驚きと恐怖と、それ以上の安堵で泣き出しそうだった。

 どうやら、自分から降りてきたわけではなさそうだ。そうなら風魔法とかで落下速度を落とすことだって、メルルなら出来る。

 ってことは、メルルもあたしと同じように突き落とされたって事。あたしみたいにどっか冷めた人間でない以上、無理やり落とされて魔法を使えるほど冷静でいるのはムリだろう。

 エルミン君がそんな事をする筈がないし、状況的に出来ない。

 必然的に、あたしの大事な大事なお嬢様を崖から突き落とす、なんて事をしてくれやがったのは……


「……アルメリア、もう一個だけお願い。ここから崖上に駆け上がる為の足場に出来そうな岩の目印だけつけてくれる? 後でお礼にキャラメルプリンを作るから」

「うむ。…が、良いのか? わらわに任さば、心の底から奴らに生を後悔させてやるぞえ?」

「ううん、それは良い。……あたしが自分で、落とし前つけさせるから」


 堪忍袋の緒が切れる瞬間というのは、物理的なものではないのだから音がする筈もないのだが、気のせいか頭の中でぶちって音が聞こえた気がする。

 表情や声色から、いろいろ察してくれたらしい。アルメリアはそれ以上何も言うこと無く、暗闇の中の岩壁に、点々と小さな光を生み出し足場を教えてくれる。

 願いの対価として後でお菓子は作るのだが、それはそれとしてアルメリアにお礼を言うと、あたしはメルルを抱えたまま地面を蹴り、一つ目の岩に足をかけ、間髪入れず次の足場へと跳躍する。

 あっという間に頂上にたどり着くと、そこはエルミン君やあの馬鹿どもが居る場所からはちょっとだけ離れていて、ランプはメルルが抱えているのだがつけていない為こちらに気付いていないようだった。

 これからエルミン君も蹴落とそうとしているらしい。

 ……という所で、さっきの状況に戻る。




――――――




「き、貴様ら……何故…っ?!」

「何故も何も、ごく単純に着地をし、お嬢様をキャッチして、崖を登ってきただけですが」


 メルルをお姫様抱っこの状態から地面へ降ろす。

 怖い目にはあったが、腰は抜けていないし、今はもう表情にもショックらしいものは残っていない。

 あの馬鹿野郎どもへ弱いところなど見せたくもないという虚勢かもしれないが、それが出来るのだからさすがあたしのお姉ちゃん。

 さてと。

 あたしが無表情で馬鹿どもの方へ足を進めると、明らかに怯んだように3人は後ずさろうとするが、下手に動けば落ちてしまいそうな位置に居る為、下手に動けないようだ。


「こ、この化け物…!」

「なんとでも。少なくとも、ヒトとして最低限のモラルと品位、そして良識と善意を持たない方に言われた所で、少しも私の心は痛みませんよ」


 身体的に異常よりも、精神的に異常の方が性質が悪いしね。


「一番足りないのは頭じゃないかしら」

「ご尤もです、お嬢様」


 2年に一応進級できたのだから、勉強ができないわけじゃないだろう。

 頭が良い事と、馬鹿であることは無関係だからね。

 つかつかと歩み寄るあたしとメルルに、3人は表情を引きつらせる。

 純粋な腕っぷしでかなわない事は、1年の初めごろで思い知っているだろう。

 加えて、妖精魔法による強化も出来るようになっている、それは彼らも知っている事だ。例え今3人がかりで襲い掛かられても、問題なく叩きのめせる。

 メルルはあたしの後ろに居るから、あたしを抜けない以上は人質にも出来ない。そもそも彼女も妖精魔法の使い手だ。先ほどの事もある、もう二度とこいつらの接近を彼女は許さないだろう。

 となると、諦める気がないのなら、取る手段は一つだけ。


「そ、それ以上近寄るな! 今すぐコイツをここから蹴り落とすぞ!!」


 ……当然、彼らの足元で今も崖端にしがみついてるエルミン君を脅しの材料として使うしかない訳だ。

 今回は、あたしはここに居る。今エルミン君が落とされれば、メルルの時のように受け止めてあげることは出来ない。

 彼は妖精魔法も持っていないから、そこで落とされたらアウト。高さ的に、良くても重傷、悪ければ死ぬだろう。

 想定通りの言葉に、あたしは目を細める。

 背後のメルルは大きなため息を吐き、エルミン君は……特に命乞いをするでも、あたしに逃げろと言うでもなく。無言で、状況を見守っていた。


「解りました。あなた方に足りないのは、何よりも想像力のようです」

「なんだと…?!」

「ここで彼を人質に逃げ出して、その後はどうします? 寮に戻って素知らぬ顔で無かった事に出来るとでもお思いですか? 私達が殺されかけた、なんて事を先生方に報告しないとでも?」


 いくらあたしが穏便に事を済ませたがる人間だと言っても、いくらなんでもこんな事をされて黙っているほどお人好しではない。

 ハッキリとこの後は報告をさせてもらう。いくら貴族の子と言えど、殺人は当然ながらこの国では重大な犯罪だ。

 例えば貴族が庶民を害したならば、貴族だから許されるなんてことは無い。むしろ、きっちりと罪に問われる。当然だ、この国における貴族とは、国民に貢献する事が最大の権威となるのだから。

 今回は3人とも爵位持ちの家の子を、身勝手な理由で殺そうとした。

 これも当然ながら重罪である。退学は勿論、彼らの今後の身の振り方もかなり厳しいものとなるだろう。


「ここからどのような道を選ぼうと、あなた方に待ち受けるのは身の破滅です。ですが、まだ未熟な子供のした事です。自分の犯した罪がどういう物かを理解し、謝罪をするというのであれば、私は許そうと思っていました」

「誰が、貴様などに頭を下げ…!!」

「いえ、例え頭を下げられても、私はあなた方をもうただでは許しません」


 進退窮まっているというにも関わらず、プライドと自己顕示欲の塊みたいなこの馬鹿はあたしに噛みつかんばかりの威嚇をするが、あたしはそれをさらっと受け流した。

 そう、例えば自分がヒトを殺めたと、それを悔やむ心が少しでもあるなら、穏便に済ませようと思っていた。

 幸い誰も死んでないし。何せ、彼らはまだ若いのだ。

 やり直す機会くらい、あっても良いと思った。

 が。


「私を蹴落としたことは良いです。あなた方のような立場から見れば、私はさぞ目障りでしょう。生物のオスという物は、自らの縄張りを脅かす存在を排除したがる物です。当然それを抑えるのがヒトとしての理性と知性ではありますが、その衝動に関しては、私は理解をします」


 別にそのことには、さほど怒ってはいない。そうなる事もあるかなあと、1年の頃から思ってはいた。それが現実になるような馬鹿は居てほしくなかったが。

 あたしが堪忍袋の緒が切れるほど怒っているのは。


「…が、か弱い女性を手にかけようとするとは、あなた方はそれでも紳士ですか。貴族の家に生まれた男子たるもの、女性を護り尊重する紳士たれと、誰もが最初に教わる事でしょう」


 立ち止まっていた足を、一歩進める。

 怒りを隠さないあたしの声と表情に気圧されているのか、3人は足元を気にしながらもなんとか距離を取ろうとしているようだった。

 逃げようとするってことは、ちったぁそれに関しては後ろめたく思っているんだろうか。

 が、今更悔やもうが何しようが、遅い。

 あたしはお前らを逃がす気なんぞ無い。しっかり落とし前はつけて貰う。


「あなた方には、想像力が欠如しています。自分がこれをしたら何が起こるか。相手はどんな思いをするか。自分がその後どうなるか。そういった最低限生きる上で必要な力が無いから、こんな短慮な行いをする」


 あたしの前の世界なら、幼稚園で習うようなことだ。

 人が嫌がることはしてはいけませんだとか。最低でも小学生の年には、相手の身になって考えましょうだとか言われるモンだ。

 平和を愛するこの国でだって、同じような教育はされた筈。

 その力を育てられなかったこいつらは、10歳児にも劣る。当人に欠陥があったのか、周囲の甘やかしによる歪みなのかは知らんが。


「残念ながら、どんなに言った所であなた方は理解しないでしょう。ですから」


 す、とあたしは右足を少し上げる。

 そして、彼らに笑いかけた。…目は笑っていなかろうが。


「知りなさい。あなた方の行いが、どれだけの痛みと恐怖を伴うのか」


 上げた右足で、強く地面を踏みつける。いわゆる震脚。

 落下時から今でも、全力強化は維持したまま。

 ドン!! と一人の人間が起こしたにしては大きすぎる衝撃音が響き、あたしの右足の下を中心にして地面に大きな亀裂が走る。

 ただでさえ大雨の後、水を含んだ地盤は脆い。しかも崖の端。

 衝撃に耐えきれなかった地面はバラバラに砕け、先ほどあたしが蹴り落とされた崖の方へと無数の瓦礫となって崩れ落ちて行く。

 勿論本格的に崩れだす前にランプを持ったメルルを右腕に座らせるようにして抱えて、浮足立った馬鹿どもを跳躍で飛び越え、まだ崖にしがみ付いてたエルミン君の腰辺りを左腕で小脇に抱える。

 ついでに元壁だった岩を蹴って、少しだけ崩れ落ちる崖から距離を取った。


「「「うわああああぁぁぁっ!!!」」」


 馬鹿3人組の悲鳴が重なり瓦礫に混じって落ちていく。

 無論あたし達3人も再び落下する訳だが。


「メルル、お願い」

「ええ。風よ、大岩を吹き飛ばして。フラル・アルメリア!」


 あたしのに抱えられているメルルは、今回とても平静で居てくれている。

 彼女の妖精の力を借りた風は、あの三人の周辺にある大きな岩だけを選んで突風を吹かせて離れた場所へ落下させる。

 先ほどはランプ無しだったので視界が確保できなかったが、今回はメルルが明かりを持っているし、あの馬鹿3人のランプも3つのうち2つは消えずにいてくれているので視界は確保できているから、こんな事も出来る。

 何故そんな事するかって?

 そりゃあ、あんまりでかいのに押しつぶされたら、冗談抜きで死んじゃうじゃないか。

 死なれるのは困る。死んだら、反省も何も出来なくなる。

 土だけなら水を含んでいる分柔らかい。タダでは済まないだろうが、死にはしない筈だ。

 直に、岩と土砂の崩れ落ちる音が鳴り響く中、あたし達は地面へと到着する。

 今回は下が見えている分、二人を抱えていても二本の脚だけで着地が出来た。

 メルルを降ろし、エルミン君も降ろす。

 メルルはしっかり自分の足で立ったが、エルミン君はへたりこんだまま立ち上がろうとしない。

 …腰抜かしたかな。まあ、ショッキングだよね、これ。悲鳴を上げないとか頑張ったなと思ってたんだけど、声も出なかっただけかな。後で謝ろう。

 さあて、あの馬鹿どもはどうなったかな。

 途中まではあいつらのランプが光っていたが、落下の衝撃で壊れたのだろう、今はもう光源が無い。


「アルメリアー、まだ居る?」

「居るとも、当然じゃ」

「ちょっと視界が悪いわ。なんとかならない? あんまり目立たない方法で」

「ふむ。…少し待て」


 あんまりここに煌々とした明かりを作ってしまうと、寮の方から見えてしまう。

 もしかしたら、今の崖崩れの音とか気づかれたかもだけど。

 アルメリアはあたしのお願いに少し考え込むと、ふわりと浮いて空へ向かって二度、三度と小さな手を振る。

 すると、分厚くかかっていた雲に切れ間が出来、そこから明るい月の光がいくらか零れ落ちてきた。

 月光は当然ここにも落ちているが、見える場所の別の場所にもあるようだ。確かにこれなら雲が徐々に晴れてきている結果として、通常の現象と認識して貰える範囲内だろう。

 どうだと言わんばかりに胸を張るアルメリアにお礼を述べると、また姿を隠した。あいつらに見られるのは面倒になるからね。

 ……後でキャラメルそのものもお礼に追加する事を決意しつつ、あたしは崩れ落ちてきた大きな岩に飛び乗って、周辺一帯を見渡す。

 ……お、居た居た。

 大して離れていない場所に、あの3バカは倒れていた。

 熊っ子の腰から下は、土砂で埋もれている。丁度足がある辺りに大きめの岩があるので、自分じゃ脱出できないだろう。

 取り巻きその1は足が両方、その2は片腕が瓦礫の下敷きになっている。その他にも、擦り傷や打撲による流血がいくらか。

 うん、頭は無事だな。出血量も、今すぐどうこうなるレベルではない。

 メルルの加減が素晴らしかったのか、意図を汲んだアルメリアが少し協力してくれたのか。

 どうやら気絶はしていないらしい。というか、中途半端な痛みで出来ないのか。

 うめき声を上げる3人に、あたしは歩み寄る。

 取り巻き二人の心は、もう折れている。痛いとか、助けてとか、お母様ーだとか涙声ですすり泣いていた。

 そして主犯の熊っ子は。


「き、さま…、…こんな、俺に、こんな事をして、許されるとでも、思っているのか…! 後で、貴族の子を害した、凶悪犯と……証言するからな…!」

「どの口が言うんですか。その根性だけは、見上げたものですが」


 あー、だーめだこの子は。

 この状況下において尚、自らの行いを反省する気がカケラも無い。

 なんで自分がこんな目にあってるのか、自分のした事を少しも考えちゃいねえ。何もかも相手が全て悪くて、自分は何も悪くない。自分に非はない。貴族である自分が何からも優先され高みにあって当然。

 これが固着してて、もう手遅れの末期に近いね。

 おそらく本人の素養もあるだろうけれど、そういう教育をされちゃったんだろう。

 正しい情操教育というのは大事ですよ。誰よりも、その当人のためにもね。誰かを育てる時は、肝に銘じておいてほしい。

 はああ、とあたしはため息をついた。


「解りました、私の負けです。この上は、貴方の望み通り、私は今すぐこの学院から去りましょう。二度と貴方の前に姿を現しません。当然、レオン殿下の前にも」


 100%の呆れを含んだ声であたしが言うと、熊っ子はこんな状況において尚、勝ち誇った笑みを浮かべた。

 が、即座に彼に背を向けると、焦ったような声を上げる。


「ま、待て…! どこへ行く…?!」

「ですから、今すぐ、即刻、皆様の前から姿を消しますよ。そうして欲しかったのではないですか? 回りくどい真似をやめて、あんな短絡的なヒト殺しという手段を選ぶくらい、火急的速やかに排除したかったのでしょう?」


 半身で振り返り見下ろすと、やっと熊っ子も理解したのか、焦りの色が表情に浮かんだ。

 この状況。崖崩れの下に半分埋もれた少年と、両足が折れているかひどく痛めている取り巻きその1、腕を瓦礫につぶされている取り巻きその2。

 すぐにどうこうなる訳ではないが、出血もしている。

 自らに降りかかっている痛みは、互いに動けない以上取り除けない。

 ここで、今すぐあたし達が姿を消せばどうなるか?

 すっかり日の落ちた、人気のない森の奥。学院敷地内とは言え、ここは広い。

 崖崩れの音は聞こえただろうが、今様子を見に来れば二次災害の危険もあるし、本来ここには夜にヒトは居ない。

 きっと、朝までここには誰も来ないだろう。

 今はまだ宵の口。はたして、救助は何時間後になるだろう? その間、夏が近いので凍死は無いだろうが痛みと流血に子供の身体は耐えられるだろうか? 弱った地盤が再び崩れて今度こそ完全に埋まってしまうのではないか?

 …想像力貧困の彼らが、何処まで想像したかは解らないが。

 ただ、命の危機が自分達のすぐ傍にある事だけは、やっと理解したようだった。


「み、見捨てるというのか?!」

「立場が逆なら、貴方は私を助けるのですか?」


 ぐ、と言葉に詰まった。

 そりゃ、助けるなんて今更言えないだろう。完全に殺すつもりでエルミン君を誘い出し、餌にしてあたしを蹴落としたのだから。


「おめでとうございます、大きなリスクを負って作戦を決行しただけはありましたね。では、目障りな私は消え去りますよ、ごきげんよう」

「待てっ! ちょ、ちょっと、待て…!」

「おや、まだ何か?」


 笑みも怒りも顔に浮かべず、無表情で足元で半ば埋もれた少年を見下ろす。

 一瞬、彼は怯んだようだったが、自らの状況と、痛みにすすり泣くばかりの取り巻き達の泣き声にやっと現実を受け入れる気にはなったらしい。


「た、助けろ、今すぐにだ」


 それでも命令形からは抜けださなかった。

 ので、あたしはその場に腕を組み、彼を見下ろしたまま無言を貫く。


「早く助けろ! 痛いんだ、足が、足が岩につぶされていて…! 腰から下は動かないし、息が苦しいし…! 右足が、特に痛くて、熱くてどうにかなる!!」

「それが、貴方が相手に与えようとした痛みですよ。少しはご理解頂けましたか」

「こ、こんな状態を放置するなど、許される事ではないだろう!」

「ええ、貴方は許されない事をしようとしたのです」

「たす、…たすけてくれ…!」

「私がもしそう叫んだら、貴方はなんと答えたのでしょうね? 是非お教え願えますか?」


 我ながら、とてつもなく低く冷たい声が出た。

 成長期に入ったせいか声も依然より少し低くなったので、きっと一昨年の収穫祭の時よりも凄味が多少は増したことだろう。


「ご自分のしでかした事を理解したのなら。命乞いよりも先に、まず言わねばならない言葉があるでしょう」


 この分だと、いつまでたってもそこにたどり着かなさそうなので、促した。

 なんでこんな目に合っているのか?

 それは、しっぺ返しを受けたからだ。自らの行いがそっくり自分に返ってきているのだ。

 最初の原因まで立ち戻り、許されるためには何をしなければならないのか。

 単純な事だ。ここまでしても尚、彼はその言葉を口にしない。

 命乞いよりもプライドが許さぬことなのか。…つまらん意地など、持っていたって自分の首を絞めるだけなのに。

 というか、意地もプライドも、持つことは良い事だ。肝心なのは、それを押し通す状況とタイミングを見る事である。

 命捨ててまで守り通す信念は、好ましいけどね。だが彼らの場合は、本当に心底詰まらん、ただの自己愛をこじらせた感情に過ぎない。


「っ……」


 それでも、熊っ子は言いよどむ。

 よほど今まで苦汁を舐めさせられ(勝手に舐めてただけだろう)、さんざん恥をかかされた(これも頭が足りなかっただけ)、あたしに屈するのは屈辱なのか。

 最終的に自分で自分の首を絞め、墓穴を掘るのをやめないのなら、もうどうしようもないとしか言えないが。

 ぎりりと歯を噛む熊っ子が、ハっとあたしではなく崩れ残った崖の方を見た。

 小さく、石がいくつか落ちてくる音がする。

 あたしの震脚は全力強化を施している分、相当な衝撃だったのだろう。崖崩れというのは、一度で終わらない場合がままある。

 あたしはそれを見上げず熊っ子を見たまま。

 さほど間も開けず、今度はがらりと大きな音が鳴る。

 熊っ子も、取り巻きその1も2も、頭上を見上げ再び悲鳴を上げた。


「解った! 謝るっ、…すまなかった! ごめんなさい!! もう二度とこんな事はしないから、助け…!!」


 悲鳴じみた言葉を必死に並べ立てる熊っ子を確認してから、あたしは再び地面を蹴った。

 想定よりは巨大な岩塊が、ちょうど3バカの上あたりに直撃するコースで落ちてきていたが、…まあ問題ない。

 全力強化を施したままの足で、岩塊を思い切り蹴り飛ばす。

 何度目かの、大きな衝撃音。強く蹴りすぎると砕いてしまいバカどもを埋めてしまうので、サッカーボールの如く蹴り飛ばせるように強さを調整。

 結果、あたし達が居る場所の20mほど離れた辺りに、岩塊は音を立てて転がる事となった。

 熊っ子が驚いて良いやら安堵して良いやらよく解らない顔になっているがとりあえず無視することにする。

 地面に着地してから、後方であたし達の問答を見守っていたメルルとエルミン君の方を振り向いた。


「エルミン君、立てるようになりました?」

「あ、は、はい、もう大丈夫です!」

「なら、寮に戻ってリシッツァ先生を呼んできてください。談話室で先輩方と双六してましたから、今日は酒を飲んでないでしょう。あと彼らを運ぶ人員を何人か」

「解りました!!」

「お嬢様は申し訳ありませんが、少し手を貸して頂けますか?」

「ええ、勿論」


 腰を抜かしてた状態から復帰したエルミン君に連絡と応援を頼み、あたしは先ずは熊っ子の足の辺りに転がっている石をどかし、彼を土砂の中から掘り出す。

 メルルにはとりあえず、目に見えている範囲の傷を水魔法で呼んだ水で洗って貰い、常備している軟膏を塗って行って貰った。

 骨折だの酷い裂傷だのは、リシッツァ先生の薬ならばなんとかしてくれる。なんせ、国一番にして伝説の薬師さんだ。

 彼が来るまでに出来るのは、破傷風だのにならないように傷口を清潔にする事、出来る限りの出血を抑える応急手当くらいだ。


「言っとくけど、これで逆恨みなんてするんじゃないわよ。貴方達のおつむじゃ解らないでしょうけれど、これ以上なく穏便に済ませてくれてるんですからね、マリヤは」


 次は物理的にぶっ飛ばされるわよ、なんて薬を塗りながらすごむメルルに、取り巻きさんその2がかくかくと壊れたお人形みたいに首を縦に振った。

 とりあえず、悪い事をしたら謝るって基本的な事くらいは覚えましょうね。

 …勿論その前に、自分の首を絞める悪行しないってのが一番なんだけど。






 マリヤさんの カム着火インフェルノォォォォオオウ!!


 というわけで、案の定掠り傷も負わないマリヤさんでしたとさ。

 尚、彼が怒ったのは自分に対する害意ではなく、メルル(とエルミン)にまでそれが及んだからです。マリヤだけなら、たぶんもっともっと穏便に済ませてくれたんじゃないかと思います。

 お嬢様に手を出すのが一番危険。



 余談ですが、以前友達と話していた時。


俺「まあ、そのうち必要以上に鍛える必要なくなるから」

友「魔法的な意味で?武術的な意味で?はたまた、けんりょk(ry」

俺「全部?(・∀・)」


 という会話をしていたのですが実現したような気がする。

 魔法的、と武術的、が同じ意味だけれど。




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