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ヒツジさんの執事さん  作者: 美琴
第二章
46/67

45・悪意




「風呂って良いですよねえ…」

「…否定はしないが、老人のような発言をするな」


 口元辺りまでお湯に沈んで、心の底から思ったことをつぶやいたら、レオンにあきれ半分みたいな声出された。

 年寄じゃないよ。これは日本人なら誰でも持ってる里心だよ。

 子供も大人も、一日の終りにお湯に浸かると、『あーーー…』って声が出ちゃう民族なんだよ。もう日本人じゃないけど、その心をあたしは捨てない。

 カルネイロ家のお風呂も辺境伯のお屋敷だけあってそこそこ大きかったけど、華美を好まない家風だったり一度に数人入るような物じゃなかったから、当たり前だけどこの寮の共有風呂ほど広くない。

 つーか、ここの風呂が広い。

 温泉か。豪華な温泉地の室内風呂か。それくらい広い。

 と言っても寮に住んでる生徒達も多いから、学年ごとに決められた時間しか入れないんだけど。

 貴族科所属の子は部屋に風呂あるし、一般の庶民と入るのなんてお断り! …ではなくとも多人数で入る風呂に抵抗があるヒトが多いようで、あまり居ない。ホント、レオンくらいじゃないか?

 それに、最近告白攻勢の強い女子達の対応もしなくていいし、学者科生徒の整理券捌きもしなくていいし。

 なので、風呂はとても心休まるひと時である。広くて気持ち良い。温度はちょっと熱めだが、それがいい。

 ……女の精神で、男と一緒に風呂に入ることへの抵抗感?

 んなモン、最初の1か月で慣れたわ。世の中の生物とは数多の環境適応を繰り返して生き延びてきた者達の子孫だ。風呂程度、適応出来んでどーする。


「いいじゃないですか。毎日のお風呂沸かしとお掃除をしてくれている方の労力に感謝しつつ心から楽しむべきです」

「確かに作るのはともかく、毎日掃除大変そうですよね、この広さだと」


 この世界に魔法があって良かった。

 あたしの知る中世ってのは、なんというか衛生面が最低ってイメージだ。聞くところによると排泄物なんか街中に捨ててたらしいし…。本当かしらんけど。

 一般家庭まで風呂やトイレという設備がいきわたってるのは、どう考えても魔法の存在あってこそ。風呂なんて水を大量に使う物を毎日用意出来るのは、水魔法があるから。

 あんまり飲料には向かないみたいに聞くが、風呂や身支度に使えるきれいな水が即座に用意できるって、ものすごい事だよね。

 別に飲めないわけでもないし。飲んでみたけど、別に普通の水に感じた。

 でも井戸水のが、なんとなく美味しく感じた、かな…

 料理もお茶も、汲んできた水で作った方がおいしい。やっぱりこう、なんかあるんだろうな。栄養素的なものとか、水の質とか…

 ……妖精魔法で呼んだ水なら、その辺の質も思いのままなのかもしれない。しまった、それでも良かったな。今更気づいても遅いが。


「そろそろ上がるか」

「そうですね」


 まだまだのんびりしてたいが、あまり居座ると次に入る三年生達とかちあうし、混雑するとまた面倒なので制限時間いっぱいに入るとかは無い。

 いや、あたしは良いんだよ。体拭いて服着るだけだから。

 が、この世界のヒト達は、上がってからが大変なのだ。

 全身毛むくじゃらですからね。


「レオン、背中やりますよ」

「ああ、すまない」


 短毛の子達はまだいいが、毛足の長い子達は大変だ。

 生乾きだと重いし、服を着るのも問題だろう。

 なので、ドライヤーみたいなのが沢山脱衣所(これも相当広い)に置いてある。

 自動で動かすんじゃないけどね。

 あたしも知ってるドライヤーの形に近いが、その中に高めの温熱魔法のかかった部分があって、そこを風の魔法を通して熱風にするという原理。

 やはり中2くらいの年齢というのは成長期というか。そういうものがあるんだろう、入学時はまだまばらだったレオンのタテガミもだいぶ生え揃った。

 もっふもっふのえりまきは、毎日の風呂とお手入れでふかふかつやつや。

 ま、あたしのお嬢様の羊毛にはかなわないけどね。


「改めて、人間って良いですよね…。頭以外はすぐ乾くでしょう」

「代わりに皆より寒さには弱いですよ」


 あたしがレオンのタテガミをブローしている間、エルミン君も立派な尻尾のお手入れに一生懸命だ。

 オコジョの尻尾は長くて大きいから、大変みたいだ。それでも、決して身だしなみをおざなりにはしない、毛ヅヤを保つのも大事だからね。

 こんなのがあるから、この世界では男も女も風呂が長い。入ってる時間より、乾かしてる時間のが長いかもしれない。

 ……どうでもいいが、鱗人さん達はいいんだが、鳥人さん達の風呂風景と風呂上りってどんななんだろう? 気になる。

 ばっしゃばっしゃしたり、…しないよなあ。獣人の皆様だって、舐めて毛づくろいする訳じゃないんだから。

 グイノス先輩の風呂シーンが見てみたい。性的な意味では一切無く、和み映像が見れるかもしれないって期待という意味で…

 ペンギンの水浴び……あ、いやお湯か。

 毛皮のブローを終えて、浴場を出てそのまま談話室に直行。

 もう夕食は済んでるのだが、ちょっとだけ皆でお喋りしてから部屋に戻る。男女混合グループの宿命として誰かの部屋に集まったり出来ないので、こうなった。

 この世界、都会であっても基本は早寝早起きだ。

 前の世界のように夜中でも煌々と明るい訳ではない。明かりは容易に作れても、それをランプの中で保持させるには燃料がいるのだから。

 なので日が落ちれば大抵さっさと寝る。で、夜明けとともに起きるのだ。


「雨、やっと止みましたね」

「ああ。今回は長かったな」


 夏の前には、ちょっとした雨季になる。

 前の世界の梅雨程じゃないが、それなりにまとまった雨になる事が多い。

 その時期にあって、今日の夕方まで降り続いていた雨はかなり長かった。三日ほど続いてたんじゃないだろうか?


「かなり地盤が水を含んだでしょうから、崖崩れ等が心配ですね」

「そうだな。河も水量が増えるからな、流される者が居ないと良いが」

「学院の中にも、段差や河がありますから、注意しないといけませんね」


 王都内の学院の敷地だけでも、森や丘や崖、河や橋なんてのが普通にあるので、しばらくその辺に近づかない方がよさそうだ。

 談話室のソファーに三人並んで座って、他愛も無い話に花を咲かせる。

 通り過ぎる他の生徒達の視線を妙に集めている自覚はあるが、相手をしていてはきりがないので放置しておく。

 害はないし、あたしだけに向かっているものじゃないしね。

 4割レオン、4割あたし、2割エルミン君と言った具合。エルミン君も人気があるんですよ。そろそろ可愛い系だとバレてる節もあり、そこから来るのもある。

 …ただ、ごくごく稀にあたし達3人まとめて、妙に夢見がちというか妙な興奮の瞳で見ている女子、…決まって必ず女子、がいるのが怖い。

 いや、うん、脳内で何をしてようが、実害がある訳じゃないから、いいけど。

 どんな世界にも一定数居るよね。脳内が腐っている女子は。あたしにそういう趣味はなかったが、理解は……いや、個人の趣味としての許容はするけど理解は出来ない。


「お待たせー」

「ご、ごめんなさい、お待たせ、しました」


 そのうちに、ほかほかになったメルルとサンセさんもやってくる。

 ポーラ様は今日はいないようだ。お友達との友好をもっと深めたいと共同風呂に挑むこともたまにあるのだが、箱入りお嬢様の彼女に不特定多数との裸の付き合いはハードルが高いらしく、まだ数えるほどしか挑戦していない。

 挑戦した後は、きまって気疲れなのか緊張なのかぐったりして帰っていく。

 人見知りのサンセさんは大丈夫なのにな。…どんな意識の差なのだろう。


「いや、俺たちもつい先ほど戻ってきたところだ」

「ええ。今、お茶をお持ちしますね」

「あ、手伝いますマリヤ君」


 皆揃ったところで、…ポーラ様は今日は居ないけど、改めて冷たいお茶でもとエルミン君と一緒に一度席を立つ。

 給湯室で濃いめにお茶を入れて、氷を作り砕いて即席の冷茶を作っていると。


「…あれ、また降ってきましたかね?」


 ぴくん、と耳を震わせたエルミン君がそんなことを呟いた。

 言われて耳を澄ませれば、確かに微かに雨音がする、様な気がする。

 やっぱりそういう感覚は人間のあたしより、アニマリアのヒト達の方がちょっと高いんだなあ。

 お盆に5人分のお茶を乗せて、メルル達の所に戻った。


「ああ、すまんな二人とも」

「マリヤ、お菓子は無しー?」

「ありません。寝る前に物を食べる事はお勧めできませんよ、お嬢様。よく眠れなくなりますし、それ以上に」

「あ、ごめん、その先言わなくても良い。我慢します」


 直球で太ると言うつもりはなかったが、それでもメルルは察したようだ。

 聞きたくないと両耳を塞いで意思表示。

 よしよし。お菓子はたまに食べるから美味しいのよ。

 最近雨続きで室内運動が増えてるから、どうしたって少し運動量が減って消費カロリーも減ってるはずだからね。太りたくないなら、我慢も大切。


「そういえば、また雨が降ってきているようですよ」

「えー、まだ降るのー? 早く雨季なんて終われば良いのに」


 冷茶を飲みながら先ほどの雨の話題を出したら、メルルはうんざりとした感情を隠しもしないでぼやく。

 雨は嫌いなんだそうだ。湿気でムレて毛が重くなるとかなんとか。

 クセ毛の子の髪が湿気で暴発するような感覚だろうか。


「……あ」


 小さく小さく、サンセさんが声を上げた。

 何かに気が付いた、と言った様子で。ちらり、ともう日も暮れて暗くなった窓の外を、心配そうに見る。


「どうかしましたか、サンセさん?」

「ぁ、…その、……雨が止んだ時、少しでもお日様の光をと思って、お世話している鉢を外に出して……、そのまま、忘れてしまった、ような…」


 でも取り込んだだろうか? と、心配になったようだ。

 心配しているのは、サンセさんが草花栽培の授業で世話をしている植物が植わった鉢だ。

 故郷が紅茶の栽培をしているから、というのもあるだろうが、それ以上にサンセさん自身も花が好きな女の子で、とても大切に育てている。

 それがうっかり鉢を室内に取り込み忘れた、とは珍しい。

 珍しいからこそ、取り込んだかそうでないか当人も思い出せないようで、とてもそわそわし始めた。


「…あの、少し、見てきます。たぶん取り込んだと思いますけど、外にあったら、雨が強くなった時、あの子が可哀想ですし…」

「サンセさん、もう日も完全に落ちていますし、学院内とは言え夜に女性一人で歩き回るのは危ないですよ。足元も悪いですから」

「……で、でも」

「代わりに僕が見てきますよ。大丈夫、夜目は利きますから」


 よく知っている場所でも、雨が降っている上に夜では危ない。転んだりしたら大変だし、足を踏み外して怪我をしたらと思うと、女性には行かせられない。

 あたしが止めたのはその心配からで、それでもサンセさんを思うとあたしが見てこようとしたのだが、エルミン君が名乗り出た。

 オコジョさんは基本夜行性だもんね。やっぱりそういう特徴は適用されるんだ。


「あ、ありがとう、ございます。なら、私も、一緒に…」

「また雨が降って来ていますし、女性にそんな中を歩かせる訳にはいきませんよ」

「あ……、…は、はい」

「鉢の特徴と場所と、あった場合は何処にしまえば良いか教えて頂けますか?」

「はい」


 にこっと微笑むエルミン君に、サンセさんは嬉しそうに、恥ずかしそうにちょっと視線を伏せながらも、彼に鉢を見に行くことをお願いする流れになったようだ。

 内心ニヤニヤしながら、口出しせずにその様子を見守る。


「エルミン君、僕も行きますか?」

「いえ、ちょっと見てくるだけですから。すぐに戻ります」

「遅いようでしたら迎えに行きますからね」

「解りました」


 いくら大丈夫と思っていても、不慮の事故は突然降ってくるものだ。あたしはそれを身を持って知っている。

 談話室から離れ、寮の管理人さんにランプの灯と雨具を借りるのだろう、歩いていくエルミン君を見送った。

 ……装着と移動、鉢の捜索確認とあった場合のとりこみ、全部入れて1時間ってところかな。それ以上経って帰ってこないようなら、探しに行こう。

 まさか、学院内で一昨年の収穫祭みたいな事は起こらないとは思うが、足を踏み外したとか流されたとかの方が命に関わるしね。


「……ところでサンセさん、最近ちょっとエルミンと良い感じじゃない? ねえ、そろそろ付き合ってたりするの?」

「えっ? え、い、いえその」


 ニヤニヤを内心から表情に移行させたメルルが、つんつんっとサンセさんを肘でつつく。

 そして、顔を赤らめて……いや例によって毛皮で見えんが確実に赤らめて、サンセさんは両手を頬に当ててどもりまくる。

 おお、まんざらでもなさそうだ。というか、サンセさんからエルミン君へのベクトルは誰から見ても明らかだが……


「そうなのか? 確かに控え目な性格であるサンセ殿にしては、よく喋るとは思っていたが、二人は恋人同士だったのか」


 ……訂正、誰が見てもって事はないらしい。

 男って鈍感だ。エルミン君もしばらくサンセさんからの矢印に気付いてなかったようだし。あかんなあ。


「ち、違いますっ! あの、エルミンさんとは、お友達、ですっ、…ま、まだ」


 まだってことは、これからなんですね解ります。

 とは口には出さないが。


「うーん、最近はエルミンも随分サンセさんに気遣いっていうか、気にしてるような気がするんだけどね。なんか進展ないの?」

「それは、そのー……」

「あ、やっぱり何かあるんでしょ? 大丈夫、ナイショにするから!」


 お嬢様、そのガールズトークは女子のみの場でしよう?

 とりあえず音量は下げたし、あたしとレオンの他のヒト達には聞こえないようにしてはいるようだが……

 なんせサンセさんはメルル大好きっ子なので、彼女に詰め寄られるとイヤとは言えない感じになる。

 おろおろしつつ、ちょっと周囲に視線を巡らせ必要以上に近いヒトは居ないと確認してから。

 こそこそっと小声で、サンセさんは言う。


「あの…この間の、お花の授業の時、…新しいお香立てが欲しいですって、お話したら…。…次のお休みの日に、可愛い小物のお店を知ってますから、ご案内しましょうか…って……」

「それってデートじゃない、やったわねサンセさんっ」


 流石に音量を上げて注目を集めたりしない程度の理性は働いたらしい。だが、お嬢様のテンションはうなぎ登りだ。

 しかし、ほほう。その話、あたしは知らないな。

 エルミン君もなかなかやるじゃないか。ちゃんとサンセさんをエスコートするんだぞ? 休み明けには報告を聞かせてもらうことにするとしよう。

 うまくすれば、それがきっかけでお付き合いが始まるかな。

 健全で初心な男女交際は見ていてほっこりするね。いいぞもっとやれ。

 リア充は爆発すべきではありません。保護し温かく見守るものです。

 これは、エルミン君の就職先決まったかなー…? …いや、お嬢様と執事って構図は良いんだろうか? 物語としてはときめくが、現実としてどうなんだ?

 ……ま、その場合は最初から永久就職をすればいいのか。エルミン君が。

 キャッキャとテンションの上がるメルルと、てれてれもじもじ乙女なサンセさんを眺めながら、レオンと並んでお茶を飲む。

 こういう話題の時、あたし漏れなく傍観者だなあ。

 …参加するとメルルと同じくテンションあがってガールズトーク全開になるからあえてしないんだけど。


「…好いた異性に買い物に誘われるのは、女性にとって喜ばしい物か」

「世間一般的にはそうでしょうね」

「では、そうではない異性に誘われた場合はどう思われるものなんだ?」

「嫌ってさえ居なければ、買い物くらいならば受ける方も多いのではないですか。無論、男の買い物につき合わすのではなく、女性の買い物に付き合うという前提でですが」


 ただ、おしなべて女性の買い物ってのは長いからな。生半可な覚悟でおつきあいするもんじゃないぞ。あたしは脳内女だから平気だが。

 好感度上げようとして、辛抱が足りずにむしろ下げたなんて場合もあるだろう。

 ……って、何かねレオン、その質問は。


「レオン、気になる異性でも?」

「い、いや、単なる好奇心だ」

「そうですか」


 そもそも貴方の場合は、好感度が極端に低い女性も、交際を断る女性もそうは居ないんじゃないかな。絶対居ないとは言わないけど。メルルが良い例。

 好奇心と言いつつ、しっかりどもって微妙に視線をそらすレオンもお年頃だなーとか思う。

 レオンは立場が立場だし、どっちかと言うと気を遣われる方だよね。

 でも、今でも『普通』に対するあこがれはあるんだろうし、極真っ当に恋愛の階段上ってるサンセさんとエルミン君は、羨ましくも見えるだろう。


「……遅いですね」

「え? …あ、うん。そうね」


 きゃっきゃとガールズトークしている女子を見守りながらレオンと話をしていたのだが、ふと談話室奥の柱時計で時間を確認した。

 楽しい時間ってのは早いもんで、とっくに1時間は経過している。

 このパターン。嫌な予感がする。

 …いや、間違っても学院内には変態は居な、……いとは言わないが、犯罪に走るレベルの変態は居ないと思うので、そういう心配じゃあないのだが。

 ここからサンセさんが鉢を置いたと思われる学院の校舎の裏には、滑落するような場所もないし。

 ……道に迷った、というのが一番の懸念だな。


「探してきます」

「俺も行くか?」

「いえ、この上で私も戻らないようでしたら、先生に知らせてください。と言っても、どうしても見つからないようなら、捜索をアルメリアに頼みますからすぐ戻るとは思いますが」

「そうか。…彼女の力を借りるというのならば、大丈夫か」

「マリヤ、私も行くわ」

「…風邪引いたらどうするんですか、お嬢様」

「もしエルミンが怪我してて、背負って戻らなきゃならないとかなら、誰がランプを持つの」


 ……それはそうか。

 それこそレオンの光の魔法ならば徒歩の移動に追随して照らせるが、流石に見えてない場所での操作は出来ないだろう。

 流石に王子様を夜に外に連れ出すってのは、ちょっと問題あるし。お嬢様だって充分問題だが、サンセさんよりはまだ家族である分気兼ねは無い。

 というか、サンセさん心配して涙目になりそうな顔してるしな。


「はぐれないで下さいね?」

「当然」


 自信満々にメルルは胸を張る。

 相変わらず、お嬢様はおてんばである。こういう時に、基本おとなしくしているのは性に合わないのだろう。

 最初の収穫祭の時も率先して作戦に参加してたし、一昨年の時は私もぶん殴ってやりたかった! なんて言ってたしね…

 一度自室に戻り、風防のガラスがついたランプに灯を入れて、雨具を着こむ。

 傘ではなくて、長靴と、革製のレインコートのような上着だ。


「折角お風呂に入ったのにね」

「戻ったら、部屋のお風呂を入りなおしましょうか」

「んー、冷えたらね。そんなに冷たい雨じゃないし、というか止んでるじゃない」


 管理人さんに、あたしとメルルも少し出てくることを伝えて、外に出てみるともう雨は止んでしまっていた。

 風もあまり無い。ただ、頭上は分厚い雲に覆われていて、外は完全な暗闇だ。

 学生寮の隣に先生方の宿舎がある。見る限りその二つの建物と、ちょっと離れたところにある食堂、それから遠くに見える校舎にちらほらと明かりが見える程度。

 あれはたぶん、寝食忘れて研究してる系の、…先生。

 生徒は自室を研究室まがいにしたりするが、先生は校舎に研究室があったりするので、そこで寝泊まりするヒトも少なくない。

 とりあえず、あれを目標にしていけば、道に迷うことは無い。

 寮から校舎までの道のりは、一応石畳で舗装されてるし……


「丁度良い! おい、お前……、…あー、マリヤ、だったか?」

「はい?」


 歩き出そうとした所へ、ばしゃばしゃと水溜りを跳ねさせて近づいてきた誰かが居た。

 各々手にランプを携えた、3人組の男子達。

 あたし達と同じような雨具に身を包んでいて、フードを降ろすと先頭の男の子は熊の男の子だった。

 ……って、あんたは。


「なあに? わたし達、今忙しいのよ。因縁つけるのは後にしてくれる?」


 メルルも気づいたようだ。

 誰かと思えば、剣術授業で粋がって大恥かいたり、歴史授業直後に使用人科生徒から沢山の白い目向けられた熊っ子じゃねーか。

 今更だけど、君進級してたんだね?

 でも、取り巻きって最初3人居たよね? 1人減ってるぞ、どーした。留年したのか、うっかりレオンかポーラ様に睨まれたのか。

 ともあれ、向こうがあたしに敵愾心を抱いているのは解っている。

 適当に相手して満足という名のスルーしてしまいたいのはやまやまだが、あんまり今は時間を使うのが恐ろしい。

 どっかでエルミン君が怪我してたらと思うと、あんまりのんびりしている時間はないのだ。


「因縁ではない。…お前らとしょっちゅう一緒にいる使用人見習いが居るだろう。あいつについて、知らせてやろうとしていたのだ」


 どこか恩着せがましく、ふんと鼻を鳴らして熊っ子は言う。

 まあそれはこの子はこういう子なので、どうしようもないとは解っているが。


「あの間抜けめ、この暗闇で足を踏み外して、向こうの崖の先で引っかかっていたぞ」

「……それを見捨てて戻ってきたの。とんだお貴族様ね」

「バカなことを言うな、助けてやろうとしたとも。だがあいつ、高貴な俺達に直接触れるなどと恐れ多い、まだ落ちはしないからマリヤ達を呼んできてくれ、と懇願してきたのだ」

「いかに庶民とは言え、ヒトの命という物は大切なものだろう? 故に、こうしてベアード様自ら言伝を持ち、案内まで買って出る温情が解らないのか」


 相変わらず、なんというか、貴族様風ぴゅーぴゅーである。

 この子に対して全く興味がなかったので、どの程度の爵位で取り巻きさんたちがどれくらいの子なのかとかさっぱり知らんのだが。

 少なくとも、これまでの所業でとても聡明で尊敬すべき貴族、とは呼べない事は明白である。

 ヒトの命に係わる場面で、気に食わないが助けてやろうという気には、まあなっても納得はするが。


「…貴方達」


 だが、明らかに納得していない、胡散臭そうに熊っ子達を睨むメルルは、あたしが認める聡明で尊敬の出来る貴族の娘だ。

 その発言や、何でそもそも外に居たのかなど諸々、ごまかしようがない程突っ込みどころ満載なお馬鹿さん達に指摘しようとしたのだろう。

 が、それを言葉にする前に、あたしがすっとメルルの前に出て止めさせる。


「解りました、皆様のご厚意に深く感謝致します。……場所をお教え頂ければ、後は私達で彼を救助しに参りますが」

「それはいかん、俺とて名誉ある貴族の家の嫡男だ。一度関わり、助けを求めてきた相手を知らぬと放置すれば、家の名折れとなるだろう」

「……然様で御座いますか」


 そう言うのなら、もう何も言うまい。

 一応、本当にたまたま何らかの用事があって外に居て、うっかり道に迷ったエルミン君が足を踏み外した場面に遭遇し、助けを求める言伝をしに来た可能性も、なくはないのだ。

 リスクはあるが、かかってみる事にする。

 出来れば、一縷の望みではあるが、この子にも良心や善意があると思いたい。


「お嬢様、レオン達と待って……」

「却下よ。わたしも行くわ」


 ……ま、そう言うわよね。それでこそ、あたしのお姉ちゃん。

 願わくば、この子らが救いようのないクズでないと良いのだが。




――――――




 案内されて、水溜りとぬかるみを踏み越えやってきた先は、学院の敷地内でも校舎や大きな建物からは離れた、森や丘がある区域。

 普段は植物や鉱物の授業だとか、薬学なんかだと薬草の採取場所なんかを実地解説するのに使われる場所で、当然だが周囲に人気は無い。

 校舎や寮の明かりもまだ見えてはいるが、音までは届かないだろう。

 手元と足元を照らすのは、各々が持つ小さなランプの明かりだけで、実に心もとない。

 雨が再度降り出さないのを祈るばかりだ。


「ねえ、ちょっと、まだなの?」

「もう少しだ」


 明らかに、エルミン君が行った校舎とは違う方向。

 メルルは胡散臭いと感じている感情を隠しもしない。あたしだって、思いっきり怪しんでいますとも。

 サンセさんの花の安否を確認しにいっただけのエルミン君が、こっちの方に来る理由がない。単に迷ったと言ったって、丘を登る事はないだろう。

 なのに、崖から足踏み外したとか言うんですよ、この子らは。

 その言葉に説得力が少しでもあって、あたし達が本当に信じてついてきていると思っているんだろうか。知力と理解力と想像力って、あるのか?

 …それでも素直についていくのは、わずかながら彼らが本当を言っている可能性があるからだ。居丈高なのは彼らの通常運転で、今は悪気はないのだと。

 ……うん、ほぼ無いとはわかってるけど、本当にエルミン君が居た場合、困ったことになるからね…


「あそこだ」


 熊っ子が指差した先は、丘の頂上の切り立った崖の先。

 なんでこういうモン作るかな学院。…何故かって、山岳系の実地がある授業があるからだけどさ。

 指差された方へ数歩近づき、ランプを掲げて先を照らす。

 ……あろうことか、崖の縁から、見慣れた茶色の耳がぴょこんと覗いていた。


「エルミン君?」

「! マリヤ君?!」


 呼びかければ、確かにエルミン君の声だ。

 やっだ、この子本当にここに居たのかい…

 残りの距離を近づいて覗き込むと、泥だらけになったエルミン君は崖にしがみつきその場になんとか留まっている、という状態だった。

 足場となる大きな石があるので、完全に滑落しないで済んだのだろうが、崖の上はエルミン君の頭とほぼ同じ高さだ。悪い足場で、ぬかるむ草や土や石相手では、掴んで上ることもできなかっただろう。

 よく見れば、頬に擦ったような傷もある。足を滑らし落ちたのは本当みたいだ。


「何でこんな所に……と、問答は後にしましょうか。今…」

「ダメです、離れて!! 後ろに…っ!!」

「はい?」


 1人を引っ張り上げるだけなら、ごく弱く強化の魔法をかければ十分だ。

 そう思ってエルミン君の傍に膝をついてランプを置き、手を伸ばそうとしたら、帰ってきたのはやけに切羽詰まった声。

 自分の置かれた危機的状況に対する物ではなく、あたしに対しての物。

 後ろって、あたしの後ろには、メルルと熊っ子3人組しか、と思った瞬間。

 どん、と。強い力で、背中を押された。

 雨に濡れた草の上、滑るそこに片膝をつくという体制だったあたしは、ふんばる事も出来ずに転がるように切り立った崖の向こうに放り出される。

 ちょうど前転するような形になり、その際に今まであたしの後方だった場所が見えた。

 ランプを片手に、右足を蹴りだした状態にしている熊っ子。

 やや下よりの光に照らされたその顔は勝ち誇ったような笑顔を浮かべていて、なんというか若干ホラー気味である。

 その後ろに同じような笑顔の取り巻き二人と、目を丸くしているメルル。


「マリヤ君!!」


 咄嗟に、エルミン君があたしに手を伸ばした。

 が、彼も非常に悪い足場に居る。落下するあたしの体重と落下速度がそこに加われば、間違いなくふんばりきれないか、足場が崩れるか。どちらにしても、一緒に崖下に転落するのは間違いないだろう。

 なので、あたしは伸ばされた手を、取らなかった。


「マリヤーーーっ!!」


 ランプの小さな明かりでは到底照らしきれない夜の暗闇に、メルルのあたしを呼ぶ声が響いた。







 あかん状況になったまま、次回に続く。









 心配はいりませんよ?




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