-第二百三十六話- 椿の別れ
1596年 天正二十四年 啓蟄 勿来
冬が来れば春が来る。
春が来れば夏が来る。
当たり前の自然の移ろい。
そして当たり前のことなんだが、人とは産まれ、育ち、そして死ぬ。
俺はよくわからん力で三度目の生を過ごしている。
これが本当に三度目なのか、果たして時間を溯ったのか、世界を渡ったのか……それとも胡蝶の夢なのか?
「はてさて、なんとも世界ってやつは……」
きゅきゅっ、きゅきゅっ、きゅきゅきゅきゅっ。
「時外れ……ってほどでもないけど、今年は春の訪れが早いのかも知れませんね。寒い冬の年は春の訪れが早い……なんて言いますし」
「ほう、そういうものなのか?」
「さぁ?」
最近はとんとご無沙汰になってしまったが、前世含めて長年住み慣れた勿来城。その奥の丸屋敷の中庭に面した縁側で日向ぼっこ。
そんな俺にお茶を持ってきてくれたのは、俺と同様、祖母を失くしたばかりの成田さんちの甲斐さんだ。
「昨年に江戸でお話しした時にはお二方共にお元気だったんだけどな」
母上……この身体にとっては大婆様ということになるのだが、伊藤景虎正室、長尾為景娘の景文院様は三日ほど前に、冬風邪から回復することなくこの世を去った。
隣に座る甲斐の祖母、長年棚倉鹿島神宮で剣を教えていた妙印尼様も母上と同じく、冬風邪から回復することなく世を去った。
「そうですよね。……お役目から関東を旅される機会もある景文院様とはお婆様も馬が合い、護衛役と称してよくご一緒していたものです」
「にしても、死ぬ時まで仲良くしなくてもな……」
母上も妙印尼様も同い年でご高齢。
確かにこのようなことがいつ起きようとも不思議では無かった。
けど、急だよなぁ……。
残される身としてはそのような感想しか出てこない。
この戦国の世に産まれ、有難いことに、家族の温かい愛に育まれた俺としては、どうにも親族の死というものが辛い。
「前世では一足お先に俺が死んじまったからなぁ……。周りには大層辛い思いをさせてしまってたんだな……」
「はい?」
「あ、いや。なんでもない」
死んでから二十年以上経って、漸くその思いを実感出来たよ。
実感出来たついでにこぼれた独り言を甲斐には不審がられたが、今の俺にとってはどうでも良い。
「甲斐?向こうで鹿島神宮の人が呼んでたよ?行って来たら?」
「あ、沙良さん!わかりました、行ってきます!」
とたたたっ。
何も問題が無ければ、妙印尼様の跡は甲斐が継ぐ。
棚倉の鹿島神宮の統として、伊藤家の奥州兵法役をこなしてもらう。
美月に言わせると、甲斐は実戦に強いとは言えないが、多くの者を指導するのには向いているのだそうだ。
それでは、強者を鍛えるのに不便なんじゃ?とも思ったんだが、その点は古河の鹿島神宮で兵法を教えている桐が居るから大丈夫なんだと。
一昔前は、奥州、古河、鎌倉……この三つが伊藤家の領地の核となる地域、町、城として機能していたのだが、ここ最近では、関東の何処か一ヶ所に集中させる方が効率が良いとされているようだった。
それもこれも、全ては競馬路のお陰だそうです。
何十年にもわたって行われ続けて来た伊藤家土木奉行所による大規模築城、大規模港湾建築、大規模埋め立て、そして極めつけの鹿島運河建設。これらの大工事で培われた経験と、そこで生まれた新技術。
その粋が集められた競馬路の発達のお陰で、奥州と北関東は一つの地域へと生まれ変わった。
海上交通は武凛久の開発によって勿来・鎌倉が約一日で結ばれて久しいのだが、今度は陸上交通を以て、勿来や本宮や会津から白河を越えて那須、宇都宮が一日で結ばれることとなっている。
宇都宮の先は下館まで競馬路は続いているので、そこから鬼怒川を下れば守谷になるし、古河方面に向かうならば宇都宮から姿川、思川を下って古河に着く。
どちらもが一日で結ばれることとなったのだ。
全くもって、「競馬万歳!」なもんだよね。
鉄筋と石灰壁をふんだんに使った競馬路は、山越え、谷越え、河越えてで、舗装された馬車専用路。
休憩個所や荷物の重量制限、客席の数なんかで値段が違うらしいが、羽黒の小栗さんが経営する乗り合い馬車に乗れば、庶民でも人足の日当三日分ぐらいの運賃で利用が出来るそうだ。
ざっと百文から三百文ぐらいかね?
お陰様で大繁盛が過ぎる羽黒衆には各種役目をお願いしているし、その辺りにも察しが利く小栗殿は大金叩いて競走馬を奥州の牧から購入していたりする。
小栗殿には長い間世話になっているものだから、今の競馬路を使った流通の半独占状態は認めているが、彼の次代からはある程度の制限が加えられるだろう。
当家で統括した上で、地域ごとに利権を分割するとか、一ヶ所に複数の運送会社?組?を作るとかね。
ただ、今のところは創業者でもある小栗殿には敬意を払おう。
……無論の所、いわゆる黒羽株式会社の筆頭株主は伊藤家だからこその経緯でもあったりする。
忘れがちだが、当家は奥州から関東の大半を治める大領主だったりするんだよね。
「で、旦那様。景文院様のお墓は鎌倉に?」
どのくらいの時間だったのか、ちょっとだけ現実逃避をしていた俺を沙良が優しく引き戻す。
「そうだね。母上はそのあたりは俺に任せると常に仰っていた。晩年は父上とは微妙な距離感が出来てしまっていたが、決定的なところまでは行っていなかった。……いなかったが、越後での娘時代を懐かしむ様子もあった。それに羽黒山城の椿も長年愛されていたし、勿来の城からの眺めもお好きだった」
「なら、いっそのことお墓は複数?」
「いや……」
俺は軽く頭を振った。
「母上はそれらの土地に思い入れも強かったであろうが、それ以上に一門の事を、親族の皆を愛されておったからなぁ。何くれとなく、折に触れて一門が参詣する場所にお眠りになるのが良いと思うんだ」
申し訳ないが、母上にはあの世でも父上と夫婦喧嘩をしていて欲しい。
「では、予定通りに鎌倉の建長寺にお墓を設けましょうか」
「そうだね、後で姉上や阿南達とも話をするけど、皆が建長寺で賛成をしてくれると思う」
ああ、そうだね。
あそこには俺の前世の墓もあるんだった。
鎮守府大将軍伊藤景藤の墓。
自分の墓に墓参りするっていうのも、なんか変な気分がするんで建長寺には足が遠のいていたが、あそこには親族の多くが眠っているんだ。
これからはちゃんと皆に挨拶をしに行かないとな。
(ふふふ。そうですよ)
ふわっ。
「え?沙良、なんか言った?」
「いえ?……今は何も」
「そ、そうか……」
頭を優しく撫でられた感覚。
眼前の中庭には、春を感じられる優しい風を浴びて椿の花が咲いていた。
天正二十四年 啓蟄 古殿 伊藤景貞
「流石は阿武隈の山中。春も近づいたというのに、この辺りは雪も残っておりますし、肌寒いものですね」
「はっはっは!何を言うか。お前はここよりもはるかに北の蝦夷地に長年居ったではないか?」
「それはその通りなのですが、向うでは常に毛皮と羽織を着ていましたし、帽子に手袋、靴も暖かいものを履くのが当たり前でしたからね。こうしてみると、意外と阿武隈の方にこそ寒さを感じてしまうのですよ」
「ふむ、そういうものなのか?」
俺はついぞ蝦夷地とは縁が無かったもので、伊織の言う違いが今一つ「ぴん」とは来ぬが、こやつが言うのならばそういうものなのであろうさ。
「ええ、そういうものです。ですから、兄上もせめて暖かい格好をなさって下さい。我らは年寄りなのですからな。お互いに隠居した身とは言え、義姉上と連続してこの世と別れを告げてしまっては、残される元や太郎丸や竜丸達が悲しむことでしょう」
「そうだな……それはそうだとも思うが……。俺達もいい年の老人だが、年齢や老いを言い出せば、一度生まれ変わった太郎丸以外は皆がいい年だぞ?」
「はっはっは!それもそうですね」
自分の年なぞは数えるのを忘れて久しいものだが、子供たちの年齢は違う。
こう、簡単に思い出せるものなのだ。
長子の竜丸で六十手前、末子の真由美で四十も半ば。
長命の我らだから感覚が狂うが、他家の者ならば、そろそろ息子たちの方にもお迎えが来ても不思議なことはない年齢だ。
「まったく……竜丸もいい年ですが、その父である景貞様の方が年をお召なのですからね?!伊織様の申される通り、せめて老人らしく暖かい格好を為されてくださいな!」
「やかましいわい!お前は下がっておれ!」
「はい、はい」
竜丸の母。
俺とも長い時を共に過ごしている藍はいつものように俺を揶揄い、俺と伊織の茶と菓子を用意して下がって行った。
「藍殿は相変わらずですな」
「いつまで経っても、この古殿の里の娘であった頃の気分が抜けぬ困った奴よ」
思えば本当に長い時よな。
こうして目を瞑れば、あの時のことなどつい昨日のようにも思い出せるというに……。
「そこが藍殿の魅力でしょうね。……さて、話は変わるのか、戻すというべきなのか。……兄上。私よりも健康そうに見える兄上が、ここ古殿の鎌倉山麓の社に住まわれるというのは?」
確かに、俺よりもだいぶ爺じみた肌をした伊織が、そう尋ねて来る。
爺じみたと言っても、そこいらの者からしてみれば、驚きの若さを保ってはいると思うが。
「うむ。まぁな……。俺は童時分にこの社とはちょっとした因縁があってな。「死」について考える時が来たらここに住む、と先代の社の主と約束をしたのだ」
うむ、嘘は言っていない。
「そのような話……いや、確かに童時分に兄上から聞いたことがあったとは思いますが……。その、本当にこのような山奥で暮らさなくても宜しいのでは?」
「まぁ、皆まで言うな。それに、この古殿もそこまでの山奥ではないぞ?鮫川沿いには街道も通っておるしな。羽黒山か白石まで出れば競馬路とも繋がるのだ。二日とかからず江戸まで行けるのだから、田舎の山奥では無かろうさ。里には勿来に向けての食肉加工所もあるので、そこそこ栄えてもいるしな」
「まったく……」
伊織も俺の説得を諦めたようなので、こやつがわざわざ俺の顔を見に来た本題に入ってもらうとしよう。
「さて、伊織よ。お前がここを訪ねたのはそれが目的ではあるまい?」
「はい……。その、私はそれほど詳しくはないのですが、兄上は何やら当家の家宝というものを義姉上から預かりこの社に置かれているとか。……この話の真実を知るものは少ないようなのですが、その触りだけは、残念ながら広く噂されております。当家の領内は良く治まってはおりますが、何処にも性根の腐った輩とは居るものです。ここは、何処ぞ近くの城にしばらく移られ、そのような物の所在が城中であるという噂が広まってからこちらに住まわれた方が宜しいのでは?と思います……」
相変わらず慎重な男よ。
「そうだな、家宝。家宝ではあるが、本当は大した価値のあるものではないのだがな。お前はわざと詳しいことを知らないでいようとしていたみたいだが。……ほれ、お主も知っていよう?例の狼の牙と鹿の角。あれの欠片を預かってきただけよ」
「……景清が産まれ持って来たという物ですか?」
「そうだ。……ただ、この場合は「景清が」というよりも「太郎丸が」と言った方が正しいな。それに、太郎丸が生まれ持った物だけでなく、一丸と中丸が生まれ持ってきた物も俺が預っている」
「なんと……いや!それが真なれば、正に棚倉か羽黒山の城中に納めるべきものなのでは?!」
これが普通の「宝物」であればそうするのが良いと俺も思う。
だが、この「宝物」は少々違う。
「待て、待て。そうは言っても、これは結局のところ、ただの獣の牙と角の欠片だ。盗人どもにとって益がある代物ではない。値打ちものでは無いのだから、誰が狙うというのだ?」
「しかし、当家の宝だという話だけを聞きかじった者が現れるやも知れませぬ!」
「宝……な。だがその宝は、ほれ!そこに置いてあるぞ?」
そう言って、俺は顎で床の間脇に無造作に置いてある牙と角を指し示した。
「あ、兄上!な、なんと無作法な!!」
俺の示した所に牙と角を見出した伊織は声を裏返した。
あの冷静沈着な伊織が声を裏返すなど珍しい。
このような光景が見れただけでも、ここに宝物を置いて正解だったな。
「落ち着け、伊織よ。ずっとこうして置いてあったのに、お前でさえ俺に言われなければ気付かなかっただろ?そういう事よな。はっはっは!」
「し、しかし、一度こうして気付けばその光沢やら、力ある姿やらが一目で衆目を集めましょう!さすれば……!」
「だから、落ち着けと言うておる。……伊織よ。お前はこういう「家」のことからは意識的に遠ざかってきたようだから知らないのだろうな。実は、この牙と角は伊藤家に繋がる者……と言うよりは、忠平と縁がある者以外にはただの我楽多にしか見えぬ物らしいぞ?」
「……え?」
これも不可思議なものなのだが、どうにもこの牙と角は、一部の人間にしかその神威が届かぬらしい。
俺も伊織も、無論伊藤家の者なので、この牙と角は輝かしい神威を放っているように観えるのだが、なんと大多数の者達にはただの我楽多にしか見えないらしい。
試しに、今は亡き佐竹の姫だった俺の妻に見せたところ、「何ですか?それは?旦那様も我楽多集めなどお止しになさい!」と叱られてしまったからな。
「忠平の」という部分は俺の推測だが、この推測はそれほど外れてはいないだろう。
ようは、この牙と角は神仏と我らとの証の代物であって、それ以上の物ではないということだ。
証を立てた者達には神威が観えるのだろうが、そうでない者達には何のことだか理解できないということだろう。
それこそ、この社の先代主にも良く聞かされたことだが、神仏といえど万能ではないのだ。
そもそもが「神仏」などというものは、我ら只人が呼び習わし、造り出した物。
「神仏」などというものは存在しないが、神仏は神仏として存在しているということだ。
「え?……え?」
どうにも理解できぬ伊織はしきりに首を捻っておる。
はっはっは!
そのようなことをしていては首でも攣ってしまうぞ?
ついに母上も天に召されました。
太郎丸を知る者が産まれてくる一方、知る者も去っていきます。
前世と今生の両方に渡り、影から太郎丸を支えて来た母上が退場されました。
今後はその役目が正式に姉上と瑠璃に譲られるのでしょうかね?
そして、年老いた景貞叔父さんと伊織叔父さん。
最晩年に差し掛かった二人にも別の仕事が割り当てられたようです。
武の柱として立っていた景貞叔父さんはなにやら阿武隈の山奥に隠居、政の柱として立っていた伊織叔父さんは口うるさい一門の御意見番に就任された模様。
そんなこんなで、そろそろ二部が終われそうです。
今後ともよろしくお願いいたします。
m(_ _)m




