8.学院内で密かに抗争が起きていたようです
禁術。
それは、国家から危険だと判断された魔術のことだ。
色々な禁術があるけれど、人の精神に悪影響を及ぼすものが多いと文献に書いてあった。
もちろん私は禁術を記した書物なんて読んだことがないから、あるのはそう言った知識だけだ。
だからそんなものが使われていた可能性が高いと言われ、ごくりと生唾を飲み込んだ。体温がどんどん下がっているような気がする。
緊張のせいか、手に汗がにじむ。きつく手を握り締めていたところ、アラステアがそっと手を握ってくれた。
そのおかげで少しだけ、体温が戻った気がする。
クラウディア殿下は私たちの様子をじっと確認しつつ、言葉を選びながら話を続けてくれた。
「今回使用されたと思われる禁術は、他人の負の感情を倍増させるというものよ」
「それは……ああ、なるほど。だから、キャスリーン様に嫌がらせをしてきた令嬢たち中にも、エフィーさんに嫌がらせをしてきた令嬢たちの中にも、あまりそういうことをしそうにない人たちがいたんだね」
「ええ、そうよ。エマニュエルさん。この禁術は、そういう感情を普段は隠せている人でも、それを抑えられなくなってしまうの。……この件はオースティン先生に話してもらいましょう。オースティン先生は紫香宮の魔術師だったから、禁術に関しての知識は豊富なのよ」
話を振られたオースティン先生は、にっこりと微笑みながら頷く。
「わかりました、王女殿下。そこからはわたしが話しましょう」
そう前置き、オースティン先生はとつとつと話し始めた。
――曰く。
今回使われた禁術は、生徒たちの嫉妬心や不満、不安といった気持ちを助長させ、心のタガを外すものらしい。
一度心のタガが外れた人間は暴力的な行動に走ったり、時には魔力を暴走させてしまうこともあるようだ。
それは精神操作系の魔術で、禁術に指定されているものなのだそう。
精神操作系の魔術は使用した形跡が残りにくく表面化しにくいため、発見するまでにこれほどまでの月日がかかってしまったのだとか。
特に最初の方――ユリス公爵家の茶会で使われていた精神操作系魔術はとても微弱なもので、気づける人はそうそういないという。
紫香宮勤めの魔術師でも、感知しにくいのだそうだ。
もともと使用することを禁じられている魔術でもある。多分、余計気づきにくいのだろう。
ただ私はそれを聞いて、長年の謎が解け少しスッキリした。
ユリス公爵家主催の茶会でなんでそんなことするのだろうかと思っていたけど、魔術のせいだったというなら納得できる。
つまり彼女たちも、被害者の一人だったのだ。
なんとも言えない状況に複雑な気持ちになっていると、オースティン先生が苦笑する。
「そんな顔をしないで、マクファーレン君。君の気持ちはよく分かる。今回の件は、まだ年端もゆかない子どもたちの心を利用した挙句駒のように使い捨て、結果その未来をも潰そうとした大人が起こした事件だからね。わたしも、一教師として許しがたいと思っている。だからこそ、君たちをここに集めたんだ。今回の件で一番被害を被るのは、ここにいる君たちだからね。説明しておかなくてはならない。もちろん、護衛も付けなきゃいけないと思ってる」
「……それは、どういう……」
オースティン先生が、人差し指を立てる。
「まず第一に、クラウディア王女殿下とジェラルド王子殿下。お二人は渦中の真っ只中にいるからね。確実に狙われてると見ていい。
そして第二に、マーシュ君だ。君は虹眼持ちの平民ということもあり、生徒たちが嫉妬心を抱きやすい。だから今回も標的にされたんだと思う。
そして第三にエマニュエル君だ。ただ君に手を出す人はそうそういないと思うけれどね。
そして第四に――マクファーレン君。君だ。わたしとしては、君が一番心配なんだ」
「……私、ですか」
「ああ。君が庭師かもしれないということは、極秘中の極秘事項なんだ。……いや、わたしとしては、虹眼がないことなどどうでもいいと言っていいくらい、君は庭師としての素質を持っていると思っている。君の育てた花を分析したわたしがいうのだから、間違いない。それくらい、君の存在は珍しいんだ。もし君という特別な存在が精霊学排除派の人間に知られてしまったら……真っ先に手を出してくると思う」
「それ、は」
「こんなことを突然言っても飲み込みにくいと思うけれど、分かって欲しいんだ。君はそれくらいすごい力を持っているんだってことを」
頭が、混乱した。まさか自分がそれほどまでにすごい力を持っているなんて思わなかったからだ。
だけど同時に、すとんと何かが胸に落ちる。
浮かんできたのは、死ぬ前に聞いた言葉だ。
『なんで……なんであんたみたいな女が! そんなにも好かれてるのよ!』
そう言って、彼女は私を刺した。何に対しての嫉妬心か分からなかったけど、今なら分かる。
あれは、私が精霊に好かれていたことへ嫉妬したものだったのね……。
あの頃の魔術は、精霊たちから力を借りて補強してもらうものだった。だから彼女は私に嫉妬したのだろう。
もしそれを知られたら、また殺されるかもしれない。
そう考えただけで、じくじくと刺された辺りが痛くなってきた。
ああ、この痛みは、アラステアと初めて会ったとき以来ね……。
だけれど、今の私は違う。昔みたいに、ただ怯えているだけじゃないのだ。頼りになる友人もいるし、大好きな婚約者もいる。
それに今回は、花をめちゃくちゃにされたという怒りもある。それが私の心を余計に奮い立たせてくれた。
立ち上がるなら、今しかない。
私はオースティン先生の顔を真っ直ぐ見つめた。
「先生。私は大丈夫ですわ。ですから先生方は、今回の件を解決することに力を注いでくださいませ」
「……マクファーレン君、それは……」
「はい。護衛は、付けていただかなくて結構です。私は、ですけれど」
するとアラステアも頷いた。
「僕もいりませんよ、先生」
すると、キャスリーン様だけじゃなく、クラウディア殿下、ジェラルド殿下まで手を挙げた。
「あ、わたくしもいりません」
「わたしたちも同様に必要ないわ、先生。なんせ、日常茶飯事だもの。王宮もここもさして変わらないわ。むしろここのほうが過ごしやすいくらいだもの。ねえ、ジェラルド?」
「はい、姉上。護衛はエフィー嬢だけに付けてくれ」
「君たち……自分たちが危ない状況にあることを分かっているんだよね?」
オースティン先生が呆れている。
すると、ジェラルド殿下が笑った。
「先生、こう言ってはなんだが、護衛を付けたほうが目立つだろう。特にフレデリカ嬢に護衛が付けたら、彼女が精霊学に関係している人間だと敵に知らせることになる」
「そのリスクがあることは承知しているよ。しかしそれよりも、わたしは君たちの安全のほうが大事だと思ったんだ」
なるほど。生徒想いの良い先生だ。
しかし、クラウディア殿下はそれに笑みを返した。
「あら、嫌ね先生。マーシュさんはともかく、わたしたちは王族で他の方も貴族なのよ? 危険な目には何度もあっているわ。自衛くらいはみんなできるしね。それよりも問題解決に時間を費やしていただいたほうが効率的よ。むしろわたしたちのことを上手に使ってくださいな」
「……クラウディア殿下……それは……自分たちを囮に使えと。そう言っているのですか?」
「ええ。いつも通りに見せかけて、おびき出してやったらいいのよ。わたしたちよりも先生方のほうが魔術に精通しているのだから、それくらいできるのでしょう? むしろやってくださいな。どうせ、もう犯人の目星くらいは付いているんでしょうし」
「……参ったな。そこまで見透かされていたとは……」
オースティン先生が、観念したと言わんばかりに首を横に振った。
「分かりました。護衛をつけるのはマーシュ君だけにしよう。他の五人には使い魔をつけます。もし何かあったときはすぐに対応できるよう、我ら教師は最善を尽くすから、みんなはできるだけ一人にならないように行動すること」
「分かりました。で、犯人候補を教えてくださいな、先生」
「……クラウディア殿下は本当に恐ろしいですね」
オースティン先生はこほんと一つ咳払いをした。
「一番有力だと言われている犯人候補は――バーナード・モロイ教師。第一側妃殿下の実家であるオレアリー侯爵家の分家の人間だ。クラウディア殿下は彼の授業を取っているから、くれぐれも気をつけてください」
「分かったわ」
「他にもこの学院には、何人か繋がりがある人間がいる。くれぐれも注意を」
先生は少し逡巡した後、息を吐く。
「情けない教師ですまないね。だけど……もう少しだけ耐えてくれ」
――その言葉を最後に、私たちは解散したのだった。