不正警告の惨劇④
まずいことになった。
その一言に尽きる。小栗の野郎、向こうは向こうで増援を呼んでいたっぽいのだ。きっとカンニングに気付いたはいいけどどう対処すればいいか分からないとか、そんな理由で。問題なのはその呼んだ先。話からするに、あいつは生徒会長の春先輩を呼んだらしいのだ。でも、私の記憶が確かなら、春先輩は今日は放課後勉強会の講師の準備で大忙しだったはず。つまり、当然の帰結として――
「あら? なにかご用かしら?」
「ヒッ!? なんでもないです!」
――秋風葉月。この立浜高校に君臨する、絶対に逆らってはいけない先輩ナンバーワンの超危険人物がよりにもよって代打で現れたらしい。ひえー!? しかも恐ろしいことに……どうやら秋風先輩はさっきから私を徹底的にマークしているっぽい気がする。ニコニコ笑いながらも、その視線が私の一挙一動から決して離れない……。
「さて、先生。状況を整理しましょうか」
「あぁ、頼む」
座ったまま目を合わせないように視線を逸らす私を尻目に、秋風先輩はぐるりと関係者の集められた生徒指導室の中を一瞥した。狭い部屋の中では、書棚に囲まれて私たち関係者が一同に集められている。
テーブルを挟んだ反対側にいるのは生徒会組。即ち椅子に座ったシロクマちゃん先生と秋風先輩、そして椅子がいっぱいなので仕方なく立ち尽くしている小栗だ。
「まず1年生の赤羽さん。あなたにはカンニングの嫌疑がかかっています」
「はぁ? そんなのはさっき教室で――」
「――それを判断するのは、あなたではなく学校側です」
爛々と目を輝かせた秋風先輩が一睨みすると、ばねてぃはすっかり小さくなってしまっていた。昆虫の複眼のように無機的な瞳が、ジッと観察するようにこちらの瞳を覗き込んでくるのである。あれは怖い。本能に訴えるものがある。
「それに、少なくとも動機があるのでしょう?」
「ど、どういうことですか副会長!?」
だけれど、小栗の一言によって秋風先輩は恐ろしい表情を引っ込めた。やれやれと言わんばかりに、だ。どうやら後輩の扱いに苦労しているみたい。というより、小栗の奴……もしかして秋風先輩のこと敵視してない?
見れば視線が逸れたおかげで、私と永子に挟まれたばねてぃはほっと一安心している。
「赤羽さんの家庭環境は芳しくなく……特に金銭的には逼迫している。彼女にはどうしても奨学金を手に入れなければならない理由があった。可哀想なことに彼女の両親には不幸があったからかしらね」
「……っ!? そんな! 初耳です副会長! というか、何故3年のあなたが1年の事情に詳しいんです? やっぱり、あなたが裏で後ろ暗いことをしているという噂は――」
「――小栗、何度も言っているでしょう? 証拠もないのに馬鹿なことを言うのは止めなさい。私がこのクラスに詳しい理由は……5月のイジメの件で解決に動いたからよ」
そう、テーブルを挟んだこちらにいるのは成り行き上の私、被疑者のばねてぃ、通報者の永子、そして関係者のヨッシーだ。もっとも、既に永子とヨッシーも今の秋風先輩の説明で薄々と事情を理解したっぽいけど。
「そして今日、あなたは赤羽さんが数学の小テストにおいて、ルーズソックスの中に仕込んだカンニングペーパーを使っているのを目撃した。相違ないかしら?」
「えぇ……まあ」
「ところが、実際に赤羽さんが読んでいたのはカンニングペーパーでも何でもなく、ただの手紙だった。だから、この件はただの空騒ぎ……ということかしら」
……そういう筋書きなのだ。だけれど、私には分かった。秋風先輩は疑っている。それはきっと論理的な理由じゃない。仕草だ。秋風先輩はばねてぃの怯え方から隠し事に気付いているのだ……! まずい、秋風先輩には恐喝の噂が付きまとっている。どうにかして隠し通さないと。
「あぁ、それで靴下を巡って……」
「えぇ、ですから熊田……失礼しました。小白先生が先ほど靴下を返したのは失敗でした。なにしろ、ここに来る前に我々はお手洗いに立ち寄っておりますので」
うぅ……その通り。生徒指導室に来るまでの間にトイレを通りかかったとき、天啓が閃いたのだ。どうにかしてばねてぃをお手洗いに連れ込めば、証拠を文字通り水に流せると。そして、彼女は私の芝居に渡りに船と話を合わせてくれた。だから本物のカンニングペーパーは既に海の藻屑……のはず。大丈夫。証拠はない――
「……なら、ただの勘違いだな。確かに小テスト中に手紙を読んでいた赤羽にも非はあるが、それだけだ。精々が厳重注意だろう」
「……つまり、先生はお咎めなしと?」
「まぁ、な」
そう言って、シロクマちゃん先生は私を見てニコッと笑ってくれた。あぁ、どうやら先生も多少の裏事情は察しているらしい。だけれど、たかが小テストだからと警告ですませるつもりらしく――
「いえ、先生。それでは駄目です」
――どうやら、私の敵は秋風先輩らしい。猟犬の如き嗅覚を持つ先輩は、今はその能力を学校のために費やしている。つまり、だ。先輩はジロリとばねてぃを睨み付けた。
「カンニングは歴とした不正行為です。これを見逃せば学校は元より本人のためにもなりません。なにより、先生は彼女が受け取る予定の奨学金についてどうお考えで?」
「いや、それは……」
「控えめに見積もって100万円はしますよ? もし100万円を騙し取ったというのであれば、それは立派な刑事事件です……ねぇ、赤羽さん?」
「……っ!?」
ドン、と先輩がテーブルを叩きながら顔を彼女に近づけた。あぁ、これはマズいわね。ばねてぃは露骨に怯えて視線があらぬ方向へ向かってしまっている。どっからどう見ても疚しいことを隠している生徒の姿で……
「秋風副会長! 彼女を脅すような真似は避けてください! 可哀想です!」
たまらず小栗が割って入っていた。こいつ……やっぱり悪い奴じゃないんだろう。ただ、やってることが中途半端すぎる。案の上秋風先輩は面倒くさそうに彼を振り返って……
「使えないわね、あなた。…………あの手紙の不自然な点にも気付かなかったの?」
と言った。
「……っ!? どういう意味ですか」
「まず第一に、手紙っていうのは普通差出人がいる者なのよ。でも、さっきから誰一人としてそのことに触れないじゃない?」
……! 鋭い指摘! その通り、あの偽手紙に差出人なんて存在しない。まずい、どうやって誤魔化そう? あぁ!? こんな時に限って授業をサボっていた自分が憎い!
「さて、赤羽さん? この手紙は誰の物かしら?」
「そ、それに何の意味が――」
「――確認を取るのよ。そして、あなたの言う相手が書いてないというのであれば、この手紙は偽物ということになる。つまり、あなたが予めカンニングがバレたときに用意していたフェイクってわけね……!」
「……ッッ!!」
時間が、止まったように、感じられた。誰も何も言わない。ばねてぃは引き攣ったような表情をピクピクさせるだけで何も言えない。あぁ、秋風先輩は脅すようにばねてぃに優しく顔を近づけて……
「大人しく白状しなさい。そうしたら、私が良きに計らって――」
「――私が書きました」
だから、その時私たちは大いに驚いてしまったのだ。ばねてぃはもちろん私もヨッシーも、誰もが視線を向けた。秋風先輩ですら彼女を見ている。彼女は何処吹く風で視線を窓の外に送っているじゃないか!
「あら? 日下部さん……あなたが書いたというの?」
「えぇ、おかしいですか?」
永子! 流石は私の親友永子だ! そっぽを向いた彼女は、それでも力を貸してくれたのだ!
「へぇぇ……でも何故? 私の調べでは……あなたは特に赤羽さんと仲が良かったわけではないけれど?」
「逆に聞きますけど、理由がいるんですか? 秋風副会長、あなたはスケベな男子が無防備な女子を見て鼻の下を伸ばしていたら、教えてあげるでしょう?」
……さすがだ永子! 完璧な言い分だ! うんうん、幼馴染みの私も鼻が高い! 永子ができるのは勉強だけじゃなかった! ばねてぃと成績トップを争うだけはある……!
だけれど、秋風先輩はそれをこれっぽっちも信じていないらしい。むしろオモチャを見つけたと言わんばかりに笑っている……。
「そうね。確かに教えてあげるわね。それで手紙で警告を?」
「はい。桂川のことは――」
「――もしあなたが書いた手紙なら不自然すぎる。どうして手紙の最後の方は、時間がないと言わんばかりに走り書きになっているのかしら? 授業中に暇つぶしで書いてるなら、急ぐ必要はないわよね?」
「それは……内容的に急ぎで――」
「――急ぎ? 急ぎなら手紙なんて使わないわ」
「いや、その……」
「そもそも、席が遠いあなたが赤羽さんに手紙を届けようとしたら、かなりの生徒に仲介してもらう必要がある。本当かどうかは調べればすぐに分かる事よ。それにどうして手紙の中では、嵐野さん一筋のはずの桂川君が赤羽さんに心変わりしているのかしら?」
相次ぐ剣撃のような問いかけの嵐に、私たちはなにも答えられなかった。
「一応これでもチラ見のつもりだったんだが……そんな焦るほど露骨だった? メンゴメンゴ! 永ちゃんもばねてぃも悪かったな! 今度お詫びに食事でも奢――」
「――桂川君、手紙の内容が本当だというのなら、私はあなたをストーカーで処分することになるんだけど?」
「……っ!?」
さすがのヨッシーですらその言葉も萎んでいってしまう。万事休すだった。何も言えなくなった私たち座った3人は勿論、ヨッシーですら観念したのか膝をつきそうになって――
「――ッ本当にすみませんでしたッッ!! 赤羽さん、大変申し訳ありません! 俺が間違っておりました! この通り深く反省いたしますッ!」
――土下座だった。
「ヨッシー――」
「――すまんカルア! でもな? 男ってのは、諦めが悪いもんなんだぜ! だから副会長様、どうにかもう一度だけチャンスをくださいお願いしますッ!!」
こいつ……私のためだけに嘘を突き通すつもりなの!? 処分覚悟で? いいよそこまでしなくて!? だいたい、私たちにはもう勝ち目が……。にもかかわらず、あいつは副会長からは見えないように小さくこっち向いて笑ってやがる……。
「ふ、副会長、なんていうか、たかが遊びの手紙です! なにしろ桂川はこういうキャラですし、大げさに書いてあるに違いないんです! な、なぁ日下部さん?」
「……そうです。すみません副会長。小栗君の言うとおりなんです。誤解を招いてしまい、申し訳ありません――」
「――2人とも、あんがとな! でも、やっぱり悪いことは悪いことだから」
あぁ、小栗も永子も、桂川でさえも、ばねてぃを必死になって庇っている。私は……駄目だ。こんな時にもなって、なんの力にもなれないなんて……。私たちの必死の思いは秋風先輩に――
「――そんな理屈が通じると、本気で思っているの?」
ただ、ゴミでも見るような視線が返ってくるだけだった。あぁ、秋風先輩は苛ついているのか、不機嫌そうな顔のまま舌打ちまでしている……。
「この手紙を細工したのは嵐野さん、あなたね? 証拠の靴下を脱がしたのはあなただけ……だから、カンニングの同罪で退学とします」
「……ッ!?」
……心臓が止まるかと思った。まさかそこまで重い処分が下されるなんて!? 今更になって冷や汗が止めどなくわき出てくる。
「は? テメエなに勝手にカルアを退学に――」
「――あら? 何を言ってるのかしら? 退学なのはあなたもよ? 桂川君?」
秋風先輩の独壇場は続く。思わず頭が真っ白になってしまった私を尻目に、彼女は続々と決断を下していき……シロクマちゃん先生はそれを苦々しげに眺めるだけ。
「お、俺も……?」
「それも違うわ。日下部さんも一緒よ? 4人で仲良く退学処分――」
「――副会長! いい加減にしてください! そもそもあなたにそんな権限は――」
「――小栗。これ以上私を失望させるのはやめなさい」
慌てた小栗をピシャリと窘めた秋風先輩。先輩は最後に心の底からゴミを見るような視線をばねてぃに向け……
「申し訳ありませんでした! でも、悪いのは私だけなんです! 他の人は関係ありません!」
その瞬間を、私は忘れられそうにない。なにしろ震えて怯えていたばねてぃが突如上を向くや、即座に土下座に移ったのだ。力を合わせて彼女を守ろうとしていた私たちが呆気にとられるほどの早業だった。
「今更ね」
「本当に申し訳ありませんっ! 私は確かに1人でカンニングを行いました。退学処分で構いませんので、どうか他の方達は許して上げてください」
頭を下げたまま動かないばねてぃ。彼女は……最後の最後で良心の呵責に耐えかねたのか、家族よりも私たちを選んでくれた。違う、選ばせてしまったのか。私達に……力がないから……。
重い空気が流れ込む室内。あぁ、私はこんなとき、どんな顔をすれば良いのだろう? 私は……無力だ……。見れば秋風先輩は白旗を掲げた私たちを無視してばねてぃに歩み寄って――
「私、言ったわよね? 白状すれば良きに取りはからうと……」
「は……はぃ」
――ニコリと笑った。……え? なんで? だって、今の笑い方は、まるでちっちゃな子供が悪戯成功と言わんばかりの顔で……
「そろそろ入ってきたらどう? ”お嬢さん”?」
「その呼び方はやめて」
あぁ! なんて事なんだ! 唐突に蹴り開かれた扉! だって、だってそこには……! そこにいたのは…………モモ先輩ッッッ!!!
「恐喝王、忠告しとくけど……そのやり方は貴女自身の評判を傷つけるだけだし」
「……その言い方は的確すぎるからやめて欲しいのだけど? それに、あいにく私はこのやり方しか知らないのよね」
「モモ先輩! どういうことなんですか!? というか、その荷物は何ですか!?」
そう。モモ先輩はその細腕いっぱいに重たそうな本を抱えていたのだ! いや、雑誌かな? どっちにしろ中々の重量物のようなので、持ってあげよう。私が手を貸すと、案の上モモ先輩の腕は微妙にぷるぷると震えていた。持ってたのは……神奈川県高校一覧。なんだそりゃ? しかも似たようなタイトルが他にも幾つか。これは重い。しまらないなぁ。でも、いいか。私にも分かったのだ。モモ先輩が来たということは……解決が近いってことなわけで。
「カルっち……それにお友だちの皆も、敵を間違えないで。そもそも一生徒会員如きに、生徒に退学処分を下す権限なんてあるわけないじゃん」
…………あ、あれ? そりゃあそうだ。
「……小栗?」
「……う、うん間違いないよ嵐野さん。僕達生徒会の権限は、基本的には委員会活動や部活の延長線上にあるからね。生徒に処分を下すのはもっと上の権限だよ」
ということはだ。私は知っている。秋風先輩は無駄なことをする人じゃない。ということは、さっきの脅しには意味があったってことで……
「あは、春茅君は後輩に恵まれてるわね」
そうして、秋風先輩は悠々とシロクマちゃん先生の隣に腰掛けた。先生はやりすぎだ、と言わんばかりに苦言を呈したそうにしているけれど、先輩を止める気はないようで……。
「そもそも心外だわ。だって、本当に詐欺事件として警察に持って行ったら、とんでもない醜聞よ? それは私にとっても学校にとっても得にならない。だから私は……この件を隠蔽することに決めた。それこそ、クラスメイト達が必死になって庇うからには、悪い人じゃなさそうだしね?」
「でも、その為には一つだけ問題があったんだし」
「問題? どういうことですか、モモ先輩?」
私がそう言うと、憮然とした表情で腕を組んだモモ先輩は見た。秋風先輩もだ。それは私と一緒に椅子に座っている……永子だ。
「え……私?」
「そう。赤羽さんの失敗は一つ。頭を下げる相手を間違えた事よ」
秋風先輩のウインク。その瞬間、遅まきながら私にも事情が理解できていた。そうだ。生徒指導室に入れて貰えたのは関係者だけ。でも、本来通報しただけの永子は関係者じゃない。にもかかわらず、秋風先輩が入室を認めたのは――
「――つまりは、奨学金が問題なんだし」
そこで思わず私は口を挟んでいた。
「モモ先輩、つまり永子が本来の奨学金の獲得者なんですね?」
そう、ばねてぃのカンニングを誤魔化した場合、一つだけ問題が生じてしまう。つまり、カンニングがなければ100万円近い奨学金を貰えた本来の生徒だ。そうか、だから秋風先輩は……本来の生徒の永子が納得できるよう、ばねてぃを自白に追いやったんだ!
「その通りだし! つまり、カンニングを隠蔽するには、ばねてぃは永子ちゃんに頭を下げて奨学金を譲って貰う必要があった! でも、ここに来たカルっち達は変な方向に団結してて、むしろ逆にばねてぃのカンニングを意地でも認めないつもりだったっしょ? あれじゃお手上げだよー」
「この先、日下部さんの長い生涯においてもしお金に困るときが来たら? そしてその時、カンニングのことを思い出したら? きっと暗い気持ちになるでしょうね。だからこそ、そうならないように赤羽さんが自ら罪を認めて謝る必要があったのよ」
……だから、シロクマちゃん先生が何も言わなかったのか。それに、今の私なら分かる。モモ先輩が持ってきた重たい本の理由も。
「それに、赤羽さんも退学する必要はないわ」
「…………あの……でも……もう、お金がないんです……。貰った奨学金は……弟や妹の学費に充てるつもりだったんです……!」
そこでばねてぃが口を開いた。混乱しているのかその顔色は青白く……それでも、先輩たちの優しさに気付いたのか、申し訳なさそうに視線は下を向きっぱなしで。
「そうね。残念ながら立浜高校に通うのは難しそうね。でも、高校は立浜高校だけじゃない」
「そうか! 転校ですね!? 定時制の公立高校への……!」
「その通り! だから私がわざわざ図書室まで行って重たい資料を必死になって取ってきたんだし! ほら、ここなんてどうかな? 貸出しだけど無利子の奨学金とかあるよ?」
あぁ……私は……なんて甘かったのだろう! ばねてぃのカンニングを見破っただけで満足してしまって……もっとスマートな解決方法があったにもかかわらず、安直にカンニングを隠す道を選びそうになって……。まだまだだなぁ。
見れば赤羽さんは、とっても優しい先輩たちが熱心に自分のことを案じていてくれたことに気付いたのか、じんわりと涙を零し始めていて――
「さて、先生がコーヒーを奢ってやろう。自販機に行くぞ」
そうして、私たちは生徒指導室をを出た。その名に相応しい活躍の舞台となったその場所に、ばねてぃと永子の2人だけを残して。
中庭の自販機前で、私たちはシロクマちゃん先生及び猛省している小栗の奢りで、飲み物を飲んでいた。ミルクもお砂糖も多めのカフェオレを選んだのは我らがモモ先輩。そんな先輩は……ブラックを選んだ私に信じられないものを見るような顔をしている。秋風先輩は何やら先生と話をしているようだ。
「……桂川君、嵐野さん、悪かった。僕が余計なことをしたせいだ……」
「うむうむ。以後気をつけるように」
「あんたは黙ってなさい……」
まったく、無駄に自体を巻き起こした小栗に馬鹿のヨッシー。本当にどうしようもない男達だ。…………私の大切なお友だち、だけど。
そこでモモ先輩が私の袖を引っ張ってきた。なんだろう、と思ってそのまま引っ張られていく。しかもシロクマちゃん先生に手を振ってるし。
行き先はどうやら校舎内らしい。授業中なので人の気配はするのに誰の姿も見えない不思議な空間を静かに歩いて行く。ええっと、私のクラスに向かっているのかな?
「私さ、時々思うんだよね。どうしてあと1年早く、あるいは遅く生まれてこなかったんだろうって。だって早ければリョウっちと同級生だし、遅ければカルっちと同級生だ」
「……? でも、モモ先輩ってめっちゃ友達多いですよね? むしろ毎日を存分に満喫してるというか……」
それこそ、リアルに友達100人くらいならいそうだ。
「ううん。そう言う意味じゃないし」
ふたりで並んで廊下を歩いて行く。なんだろう、この感じ。楽しい楽しい花の高校生活に似つかわしくない、重苦しい空気。思わず私も無言になってしまう。しばらくの沈黙、それを破るように授業終了のチャイムが鳴り始め――
「――ごめんねカルっち。私は1年先に卒業しちゃうけど、負けないで……」
「どういう意味ですかモモせんぱ――」
そこで私は足を止めていた。止めざるをえなかった。自分の教室に辿り着いたし、なにより……そう、全ての鍵はルーズソックスだったんだ。ルーズソックス、それは一世を風靡した女子高生の象徴であり、奥深いファッションの世界のアイテムであり……つまるところ、女の子の為の物なのだ。
――それじゃあ、男のの小栗がカンニングに気付いたのは何故?
普通成績に直結する小テスト中に、わざわざ他の生徒の脚をジロジロ見たりしない。ましてあの堅物の小栗だ。本来テストに集中していたはずなのだ……! だけど、あいつは見た……! そして気付いた……! 何故か? それは――
……チャイム終了と同時に教室の扉が開かれた。颯爽と鞄を片手に部室へと向かおうとする女が現れ……
――他でもない、女に唆されたからだッ! その女は私と同じようにファッションに詳しく、かつばねてぃを失脚させることで得をする女……! そしてそいつは小栗の左後ろ、すなわちばねてぃの斜め後ろの席にいるから、薄々とカンニングに気付いていたはずで……
「幸菜お前かぁぁァァァッッ!!! ばねてぃをハメたのはッ!」
チャイムが鳴り終わって静まりかえった廊下のど真ん中。私は真っ正面から上機嫌にニヤニヤ笑う性悪女と対峙していた。
「あらぁ? カンニング疑惑はどうしたのかしら、カ・ル・ア?」
奥歯を噛みしめて正真正銘の屑野郎と対峙する。そう、私はこいつと似ている。似ているからこそ、私が気づけたことはこいつも気づいていたに違いない! これから先、私はモモ先輩の力を借りず1人でこいつと戦わなければならないのだッ! ……それがどうした! こいつは……こいつだけは決着をつけなければ気がすまないッッ!!!
「あんたね……。そんなにクラス内のポジションが大事? その為だけにクラスメイトを不幸のどん底に蹴落として自分より”下”を作る? 正気? 頭大丈夫?」
「何とでも言いなさい。その惨めな”どん底”が分からない貴女には、決して理解できないでしょうね……」
奴の顔が憎悪に歪む。それは……きっと私も同じだろう。
誰もいない廊下で私達は確信しあっていた。隕石と隕石が引き合うように、似た者同士近い軌道を行く以上激突は不可避。近い将来、私たちは必ず雌雄を決することになる……!
「私、あなたが大嫌い……!」
「奇遇ね、その点だけは気が合うわ……!」
同時にクラスメイト達が一斉に帰宅の途につき、睨み合う私たちを追い越していった。




