7.立浜の吸血鬼③
――決め手に欠ける。それが今の僕たちの状況だ。
秋風邸の玄関付近にいる僕と、庭で阿笠さんを何処かへ連れ去ろうとしている秋風。冷たい風が吹き抜ける中、僕たちは静かに睨み合っていた。
僕の手にはデジタルカメラ。新聞部の物だ。このカメラにはクロヨシが暴れる阿笠さんを無理矢理押さえ込み、秋風がその首筋に鋏を突きつけている写真が残されている。
……これで阿笠さんを傷つけよう物なら、秋風一味は即座に警察の疑いをかけられるだろう。
――どうにか、協力者の安全は確保できたかな。
そう考えながら僕は、さも偶然同級生の家を訪問したと言わんばかりの体で玄関を通って庭へと足を進めていた。
クロヨシは何も言わない。彼の仕事は手足であって、頭脳ではない。だから何も言えない。そして肝心の恐喝王は――
「……うっかりだわ。秘密の隠し場所を作ったのは小学生の頃……あの時は春茅君のような強敵のことは考えていなかったもの……」
何処か愉快そうに、それこそ見事に散っていく桜の花びらを見送るように微笑みを浮かべていた。そしてクロヨシに静かに阿笠さんを解放させると、一直線に僕を見ながらやってくる。
「何の事かな?」
「あはは、そうね。でも言われてみれば単純な推理よね? 秘密の物を隠すには条件がある。水や衝撃が加わらない場所でなくてはならないし、それ自体も価値が無い物でなくてはならない。
そして何より……そこにあっても誰も気にしない物。言い換えればあらゆる部屋にあって、かつわざわざ近づこうと思わない物……それが当てはまるのは鳩時計だけ……」
僕の内心を見透かすような視線を秋風は浮かべていた。そして実際、彼女の推理は間違っていない。僕は秋風の部屋に入るなり、机の引き出しやベッドの下にも関心を示さなかった。
だって、そんなところはそれこそ掃除とかの拍子に秋風以外の誰かが触れてしまう可能性があるのだ。一方、鳩時計にその心配は無い。時計なんて汚れる物ではないし、電波時計だから時刻がずれる事もあり得ない。
「君は罠を張っていたんだね? 立浜高校の来客用の玄関を見張っていたんだろ。
深井理事の下に脅迫状が送られてきた。となれば、当然彼は兄貴分の寺島理事に、探偵部のバックに頼ろうとするだろう。だから来客用の玄関に普段と違う見慣れない靴があれば、それは探偵部に依頼に来た非常勤の深井理事である可能性が非常に高い。
そして、彼が来るのは間違いなく探偵部が活動している時間……昼休みか放課後だ。後は昼休みや放課後に玄関を確認すれば、いつ探偵部に依頼があったのかも一目瞭然。後は適当に泳がせておいて、証拠を掴めば良い……」
「ふふっ、そうよ。わざわざ我が家の窓の鍵は開けておいてあげたの。警察なんて呼ばれたくなかったからね」
僕たちはそこで笑い合っていた。とても乾いた空虚な笑い声だった。慌てて駆けつけてきた大町が困惑しながらも秋風の背後に位置取る。
そこで僕が目配せすると、阿笠さんは僕の隣をキープしつつも静かに黙り込んだ。
どうやら最後まで見届けるつもりのようだ。
……良いだろう。前口上はこれで充分。後は……思い切り、死力を尽くして戦うだだけだ――!
気がつけば無意識のうちに鹿撃帽を弄りそうになる片手を我慢する。だって、今日は身につけていないし。そして言った。
「秋風! このそこで拾ったUSBなんだけど――」
「春茅ァッ! テメエ何を白々しい事を――!?」
そこでクロヨシが激昂した風に詰め寄ろうとして……秋風に片手で制されていた。
――秋風はどうやら先攻は譲ってくれたようだ。
「ついうっかり中身を見てしまったんだ! 驚いたよ! 中には深井理事を含む多くの人間の弱みになりそうな写真が入ってたんだ! つまり……これの持ち主は脅迫状を送った犯人という事になる。……ここまでは良い?」
「えぇ勿論! 私はそのUSBなんて知らないけど……それは確かね!」
僕は笑顔だった。不思議と……今日の秋風との戦いは嫌いじゃないのかもしれない。
もちろん敗北は破滅に繋がってしまう。それは非常に危険な事だ。
……だけど、だけどだよ? 僕には不思議と分かっていたのだ。彼女との決着は近いものの、今日ではない事に。そして、それは向こうも同じらしい。
秋風はメインディッシュと定めた僕を前に、極上の蕩けるような微笑みを浮かべていた。
「ところで春茅君、実はさっき私の部屋に泥棒が入ったの! 私の大事なUSBが盗まれてしまったわ! きっと犯人は今の貴男のように手袋をしていたでしょうから、指紋はない。でもね? 足跡は別よ?」
秋風は相変わらず笑っていた。まだ夕暮れ時には早いにもかかわらず、僕にはその顔がいやに赤く染まって見えた。
「犯人は直ぐに逃走できるように靴を履いたまま室内に入ったの! 間違いないわ! だってリビングに微量ながら土が入っていたからね!」
「それは大変だったね! 僕には関係ない話だけど……!」
クロヨシも……それに大町も、悪鬼のような形相で僕を睨み付けている。そして、それは破滅させられた阿笠さんと同じ表情だ。ただ、向かう先が違うだけ。
憎悪と怨念が世界を彩る中、僕と秋風だけが菩薩のような笑みを浮かべている。
「それで……秋風は警察を呼ぶのかい?」
僕の問いに秋風は台本を読むような口調で応えた。
「ううん。それがね? USBの中身はあまり他人に知られたくない物なのよね」
そこで秋風は2度ほど頷いた。そしてそのままずいっと僕の真ん前まで歩いてくる。
「つまり……こういうことなのよね……春茅君?」
「うん! つまりだよ?」
だから僕たちは、周囲の人間に聞かせる為にそれを口にしていた。
「仮に春茅君が犯罪者で泥棒だった場合だけど――」
「その場合秋風も多数の人間を恐喝した犯罪者という事になるね――」
――だから思った通り、決め手に欠けるのだ。
僕たちはお互い清らかな一般市民同士。疚しい事など何もない。
「だけども、一つだけ違いがあるよ? だって、僕が偶然拾ったUSBには深井理事の弱みもあったんだ。つまり……犯人は弱み失った。これ以降深井理事が脅される事もない」
仮にコピーが存在したとしても、大した問題ではない。もし秋風がこの件でなお深井理事を脅すなら、僕は僕で今回の件を破滅覚悟で表沙汰にせざるを得ない。……そして、それは秋風も望むべくは無いだろう。
見れば秋風はニタニタと笑っていた。
――そう。今回の僕たちの結末は引き分けだ。決着は生徒会総選挙まで持ち越し。だから僕たちが今日するべき事は一つだけ
「ねぇ秋風。一つ賭けをしない?」
「あら? 何かしら?」
「今度の生徒会総選挙、僕が君を破って生徒会長になったら、一つ約束して欲しいんだけど?」
――宣戦布告である!
僕は負けじと秋風に詰め寄り、それこそキスでも出来そうな位の距離に立ち塞がった。彼女の蠱惑的に潤んだ瞳の瞳孔は大きく開いて、僕の顔を映している。
だけれど、その表情は挑発的な笑みのまま。僕は……それを打ち破る。彼女を徹底的に叩きのめし、屈服させ、跪かせる道を選んだのだ。
「僕が君を否定できたら……考えを改めて欲しい。人の間に”上”も”下”も無い。まして”上”の人間は”下”の人間をおもちゃにして良いなんて事は無いって……!」
覗き込むような僕に対して、彼女は何も言わなかった。
肯定はする。だけど、それは僕への反撃のためだろう。なにしろ彼女と来たら、ご馳走を前にした子供のようにはしゃいでいるのだ。
それこそ、本当にキスするかのように唇を頬に寄せて囁くのである――!
「良いわ。春茅君が勝ったら、”上”である貴男の考えを尊重し、受け入れましょう。代わりに私が勝ったら…………そう。”あれ”が欲しいわね」
ゾクリと、嫌な予感がした。背筋を緊迫した光が走り抜ける。そう。まるで命に関わる危険を冒したような……。
気がつけば彼女は薄ら笑いを浮かべると、いっそ情熱的と言えるほど潤んだ瞳で僕を見つめていた。
「”あれ”?」
「そう。”あれ”。ところで、春茅君は山本五十六を知ってるかしら? 彼は幾つも名言を残しているのだけど――その中にこんな物がある。『男は天下を動かし――』」
「……山本? 確か、旧日本軍の……」
連合艦隊司令長官である。
だけど、この時僕は正直なところ秋風を舐めていた。
――いざとなれば、寺島理事やちと先輩が助けてくれる。
そう確信していたのだ。……いや、実際そうだろう。だけれど、狡猾な秋風にはたった一つだけ、絶対の守りに囲まれた僕を喰らい尽くす手段が残されていた……!
秋風は赤い唇の向こうで唾液を撹拌している舌を覗かせると、獲物が罠にかかった歓喜の表情を浮かべていたのだ……!
だけれど既に僕は言葉を発してしまった後で――
「『――女は其の男を動かす』。正に私達の関係って、この通りだと思うの。あははははっ! そう、私が欲しいものは1つよ! 春茅君! 貴男の赤ちゃんが欲しい――」
――貴男を捕らえて、逃がさない。例え地獄の底まで逃げようと、私からは決して逃げられない。何処に隠れようと見つけだして、骨の随までしゃぶりつくしてあげる……!
怖気が走った。
その貪欲な食欲を前に、僕は完全に気圧されていたのだ。
「な、何を……!? 君は何を考えている!?」
「貴男の事よ! もちろん認知もして貰うわ! でも安心して、ちょっとばかしの養育費は貰うけど……先輩さんには黙っておいてあげる! だって、そうしないと意味が無いからね!」
――秋風は、僕の一生を縛り付けて食い物にする気なのだ!?
実に愉快そうに笑う秋風の笑い声が響いていく。既に僕に退路はない。どうにかしてこの目前で僕を食べようとしている恐喝王を追い返さなくてはならない……!
「君は……!? 君は大町を愛しているんじゃないのか!?」
「そうよ? もちろん。彼は私の物。でも、私が愛してるのは彼だけ。彼さえ私の物になれば、後はどうでも良い。子供なんて誰のでも良いし、精々私の役に立つが良いわ」
侮っていた! 僕はこの恐喝王を完全に侮っていた!
確かに並々ならぬ相手だと思っていたけど、彼女はそんな生易しい相手じゃない! 隙を見せたら最後、一滴も残さず食まれてしまう吸血鬼なのだ!
思わず戦慄した僕に、秋風は我慢できないと言わんばかりに長い舌を見せつけてから言う。
「私、春茅君のことをとっても評価しているの。貴男はきっと大成するわ。――だから、私のご飯には丁度良い。
ねぇ知ってる? 吸血鬼に噛まれた者は、吸血鬼になるのよ? 貴男には出世して貰わないと困るわ……」
――もしこの戦いに負けたら、僕もまた吸血鬼になってしまうのだ。
……愛するちと先輩とセットの悪の道。きっと僕は先輩を手に入れるため、躊躇無く恐喝王の下僕を選ぶだろう。秋風にもそれが分かっていたのだ! 後は、いかにして僕の弱みを作るか。
だけれど、僕は彼女の事を警戒していたし、弱みも作らないようにしていた。
しかし、まさかこんな手段で攻撃してくるなんて!?
圧倒的な戦慄で僕を押さえ込んだ秋風は止まらない。上機嫌の彼女はポケットの中を指でいじり回しながら僕を真っ直ぐに見た。
「ねぇ春茅君。貴男の他の人の気持ちを汲む姿勢って、とっても良い物だと思うわ。だけれど、貴男はそれに驕ってしまっている。それに驕って、当然するべき筈の推理を怠ってしまっている……。それでは、複雑怪奇な動機の網を操る事など出来やしない……」
――それを覚えておく事ね。
かくして、僕と秋風は決戦を迎える事になったのである。
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