市場
門を抜けると道はすぐ下りになった。
石畳が磨り減って丸くなっている。荷車の輪が滑るので、ウッカリーノは轡を掴んで歩いた。両側に建物が迫り、洗濯物が頭の上を横切っていく。魚を焼く匂い、油の匂い、それから腐りかけた何かの匂い。ミトは全部を順番に嗅ぎ分けようとして、途中で諦めた。
坂を下りきると、いきなり開けた。
市場だった。
石を敷いた広場いっぱいに台が並び、その上に魚が積まれている。銀色の細長いのが束になり、平たいのが腹を上にして並べられ、桶の中では何かがまだ跳ねていた。氷はない。代わりに塩が撒いてある。売り子が声を張り、女たちが指をさし、猫が台の下を走った。
ミトは立ち止まって、しばらく口を開けていた。
「すごい」
「すごいですね、ヤシッチョ」
「ヤシッチョ?」
ヤシッチョを持ち上げるのを忘れていた。ミトは慌てて熊を顔の前に構えた。
「……ボクもすごいと思う」
「はい」
スケが真顔で答えた。近くの女がちらりとこちらを見て、すぐ魚に視線を戻した。
人が多い。荷を担いだ男が絶えず行き交い、桶が運ばれ、空になった台がすぐ埋まる。豊かな町だ、とスケは思った。ジャンセーナの市とは比べものにならない。
カシは別のものを見ていた。
樽である。市場の外周に樽が積まれていて、そのどれにも同じ焼印が押されている。網目を模した円の中に、雫が一つ。腕章にも同じ印があった。荷札にも、台の脚に打ちつけられた鑑札にも。
ひとつ残らず、同じ印だった。
彼は口には出さなかった。荷の出入りが一つの商会に集まっている町など珍しくもない。港とはそういうものだ。
「宿を取ってきまさぁ」
ウッカリーノが荷車ごと消えた。三十分ほどで戻ってきて、坂の中腹の安宿に部屋が二つと厩が確保されたと言った。荷の申告は明日の朝一番で済ませるとのことだった。彼は仕事が早い。白金貨の分は働くと決めているらしい。
ミトはその間、桟橋の先まで歩いていた。
海が近い。木の板が足の下で軋み、隙間から灰色の水が見えた。沖から船が戻ってくる。一艘ではない。次から次に、帆を畳みながら入ってくる。喫水が深い。荷を積んだ船の入り方だった。
ミトは黙って見ていた。
ここには昔、村があった。家が十二軒で、船は三艘。網を干す場所を巡って毎年けんかをしていた。塩気で作物が育たないので、麦は内陸から買っていた。冬になると誰かが必ず一人死んだ。
覚えている顔がある。名前も覚えている。ここで漁をやると言い張って、周りに笑われていた男だ。
ミトはヤシッチョの頭を撫でた。
「やるもんだねあいつも」
「ミト様?」
カシが後ろに立っていた。人目が離れている。
「なんでもないよ」
ミトは振り返って、坂の方を見上げた。屋根が段々に重なって、その隙間に看板が下がっている。木の板に文字が彫ってあった。
――コーモド亭。
字の下に、鍋の絵が描いてある。鍋から魚の尾が突き出ていた。
「あった」
ミトは熊を抱え直して、坂を上りはじめた。歩くのが早い。スケが慌てて後を追った。
桟橋には船が入り続けていた。




