記憶のない翌朝。
「……ま、まぶしぃ~……」
「おはようございます。エヴァンジェリンお嬢様。」
エヴァンジェリンは、ズキズキした頭を押さえながら起き上がった。
(あれ……?)
辺りをきょろきょろと見渡すと、そこは昨晩行ったはずの煌びやかな王宮ではなく、王都にいる間、お世話になっている高級宿屋だった。
(いつの間に帰ってきたんだろう……)
ナメクジでも見たような顔で、ヴィオラが見下ろしてきた。
「お嬢様。その顔は、昨晩のことを一切覚えていないという顔ですね……」
ビクッ
ヴィオラの声を聞いて思わず肩が跳ねる。
「そ、そんなことはないわ。」
「そうですか。では昨晩あったことを、お話しいただけますか?」
ヴィオラはグイッと顔を近づけると、逃がさないとでもいうようにエヴァンジェリンの横に手をついた。
(あ、圧がすごい……)
「き、昨日は……た、確か……え、えっと……」
エヴァンジェリンは、昨晩あったことを思い出そうと目を瞑ると、いまだに続く頭痛に顔をしかめた。
(こんな時に、なんでこんなに頭が痛いのよ……風邪でも引いた?)
エヴァンジェリンは頭痛を忘れるように、首を軽く動かすと昨日の出来事を順番に話し始めた。
「馬車を降りて、バルティオスと待ち合わせしていた庭園に足を運んだの。月光花が咲き誇っていて綺麗だったわぁ……」
月の光にキラキラと光る白い花を思い出すと、そのまま続ける。
「その後はぁ……あの男が他の女と抱き合っているのを見て、どうやって婚約破棄してやろうか考えていたのよね。」
そこまで話すと、エヴァンジェリンは満足したように頷いた。
「それから?」
「えっ……?それから?」
エヴァンジェリンは首を傾げてヴィオラの方を見た。
そこには先ほどよりも、さらに眉間に皺を寄せたヴィオラが立っている。
(や、やばいわ!これは相当怒ってる……)
もう一度自分が忘れてしまったことを考えていると、一つ思い出したことを伝えた。
「あっ!チョコレートを食べたわね。甘いんだけど、ちょっとほろ苦くて、どんどん食べ進めちゃったのよ。」
「チョコレートですか……?それは、本当にチョコレートだったんですか?」
「う、うん……。」
ヴィオラは首を傾げ、少し考えると、これ以上聞いても無駄だと思ったのか、ため息を吐いた。
「はぁ~……とりあえず、エヴァンジェリンお嬢様が、仕事以外はポンコツだということがよくわかりました。」
エヴァンジェリンは小さく肩をすくめた。
(反論できないわ……)
ヴィオラはエヴァンジェリンの様子を見て、半ば諦めた様子で、手早く次の段取りへと思考を切り替えた。
「もう昼を過ぎておりますので、着替えてくださいね。今日中にはここを出て公爵領に帰らないといけないのですから。」
「えっ!?もうお昼!?」
エヴァンジェリンはヴィオラの言葉を聞いて大きく目を見開いた。
「そうですよ。旦那様と奥様は先に出発されました。残るところはエヴァンジェリンお嬢様……だけですよ?」
含みのある言い方に違和感が残ったものの、時計を見れば時刻はすでに十三時を示していた。
「す、すぐ準備するから急いで公爵領へ向かいましょう。ここから一週間はかかるし。今出れば次の町でお父様たちに合流できるはずだわ!」
エヴァンジェリンはベッドから飛び起きると、急いで帰り支度を済ませた。
***
「ふぅ~やっと落ち着いた気がするわね。」
馬車に乗り込むなり、肩の力を抜いた。
「本当ですね。」
ヴィオラのとげのある言い方を聞いて、エヴァンジェリンは何も言い返すことができず、外を見た。
その瞬間――
コンコン
扉を叩く音が聞こえる。
「どうぞ~。」
エヴァンジェリンは興味なさそうに、窓の方へ背を向けたまま軽く返すと、ゆっくりと扉が開いた。
扉が開くと同時に、馬車の中に新鮮な空気が流れ込む。
「失礼します。」
初めて聞いた声にエヴァンジェリンは振り返った。
騎士のような服装をした、整った顔の男が、馬車の中へと入ってきた。
三人の間に一瞬沈黙が流れる――
「貴方は……はじめましてね?もしかして新人さんかしら。」
その言葉を聞いた瞬間、
ヴィオラはいつものように額に手を当て、頭を横に振りながらため息をついた。
そして男の方もまた、エヴァンジェリンからの返しに驚きを隠せずにいた。
「やはり、何も覚えていないのですね?」
エヴァンジェリンは目を大きく見開いてぱちぱちとまぶたを動かした。
「えっ、何の話?」
「いえ……なんでもございません。とにかく急ぎますので出発しますよ!!」
ヴィオラはこれ以上話しても無駄だと思ったのか、従者に指示を出すと、馬車がガラガラと音を立てながら、ゆっくりと動き出した。
「仕方ないわね……後で何があったか教えてよ?」
「はいはい……。それよりもちゃんと危ないから座ってください。」
ガタン──
「イタッ……」
馬車の窓に肘をつき、顎を動かないように固定しながら外を眺めていると、石でも踏んだのか、馬車が大きく揺れる。
「だ、大丈夫ですか?」
「えぇ、ありがとう。大丈夫よ……?」
男がエヴァンジェリンを支えると、彼女は礼を言ってから、姿勢を戻した。
「……って、貴方……」
「「(つ、ついに思い出した!?)」」
エヴァンジェリンは眼鏡越しに男を見ると、少し首をかしげてから……
「うん……絶対赤より青の方が似合うわ!!」
「「(それじゃない!!)」」
ガラガラと、馬車は何事もなかったかのように進み続けていた。




