第31話:【紫紺の詩】(1)
その光景は、かつて見たサレンの詠唱を彷彿とさせた。
「【崩壊の嵐、荒んだ草原。小さな命も刈り取る我は、死の代行者】」
漏れ出る漆黒の魔力光が無色に染まり、泡のように漂う光の粒に新たな色が注がれる。
【還元魔法】の特徴である神秘の光景。
無色から行われる変色作業が終わりに近づき、牢屋内に煌々とした輝きが生まれる。
その色は、紫紺。
「【私を見たら隠れなさい、声を聴いたら逃げなさい。抗うことの出来ない絶対に、立ち向かう術はなし】」
それは人一人分に過ぎないけれど、鉄格子の真下に集約し、魔法領域が描かれる。
五大系統の一つ。
魔法領域内にのみ効力を発揮する【エリア魔法】。
一体どんな力があるのかと、僕は目を丸くした。
「【メル・オルザリナ】っ!」
「っ!!」
告げられた魔法名を合図に、魔法領域は鉄格子を包み込む。
眩さに思わず瞳を閉じ、風圧に両腕で抗った。
「…………っ、はぁっ!?」
紫紺に覆われていた視界も、段々と薄くなる。
眩さが消え、目を開いた光景では、魔法領域の及んだ範囲のみの鉄格子が消滅していた。
「マコトさん……。後は、お願いします……」
「ニアっ!?」
足の力がすっかり抜けてしまったニアは、ストンッとその場に座り込み、瞼を重くする。
咄嗟に駆け寄ろうとしたのも束の間、「何だ、今のは!」と、一人の胴間声が僕達の下へと近づいていた。
「私は……大丈夫、ですから……。ここから、出ましょう…………っ」
「…………っ、ありがとう……っ!」
引きつった笑みで見つめてくるニアに、僕は短く答えて振り返る。
駆け足の迫る牢屋外へと。
「ガキ共っ! お前らなにしやが──」
「──ふん!」
「うッ!?」
開けた鉄格子から抜け出し、通路の奥から顔を出した男目掛け、僕は跳び蹴りを浴びせる。
予想もしていない不意打ち。
無防備な腹へとめり込んだ一撃は、男をくの字に曲げ、鈍い音を立てて壁に打ち付けた。
「っ!」
「うおぉぉぉっ!?」
痛みに悶えながらも起き上がろうとしたところに、続けて顎を蹴り上げる。
呻き声を上げ、ついに昏倒した男から視線を外し、牢屋より先に続く道へと目を向けたところで息をついた。
(……一人だけ?)
全力疾走を終えたように、毛穴という毛穴からは汗が吹き出し、早くも肩で息をする。
まぐれであろうと一人倒せた満足感に、体が休息を求めようとするが、
(いや、最低三人はいたはず……っ。なんとしてでも残り二人を倒さないなと……!)
ぐっと堪え、握った拳に再度力を込める。
特にダングと呼ばれていた鳥獣人。
あの格幅の良い男を倒さない限り、僕達がここから出ることは出来ないだろう。
不意打ちでも、卑怯な手でも、なんでも良い。
どんなに不格好だろうと、ニアとここから出られれば上出来。
それがこの状況を作り出してくれたニアへの恩返しになるのだから。
「やっぱり……、出来るじゃないですか…………」
「……ぅ、ぅぅっ」
今のは不意打ちが上手くいっただけだ。
四の五の言えない状況とはいえ、あまり褒められたものではない。
だというのに、ニアは当然とばかりに微笑みを向けてきた。
嬉しくはあるが、どこか複雑。
マニさんが僕を褒めるように、姉の言葉を信じるニアもまた、僕への期待を高めている。
そんな期待に応えようと、僕は顔に力を込めた。
「と、とりあえず……、僕はこのまま様子を見てくるよ。ニアはこのまま待ってて」
「はい……、お願いします」
ダウンタイムが刻一刻と近づいているようで、ニアは瞼を重たくし、弱々しい返答を告げた。
ニアが【還元魔法】の使い手だった驚きを、完全に払拭出来たわけではない。
けれど今は考えるべきではないと思考に蓋をし、僕は通路を進み出した。
この根城の全容は把握できていないが、おそらく広くはないはずだ。
通路は一本道。
他に部屋はない。
そして妙に天井が低い作りに、僕は先程までいた牢屋の中を思い出す。
あの場所だってそうだ。
入口に扉がなければ、部屋そのものもかなり歪な形をしていた。
岩肌に覆われているこの根城は、もしかすると天然の洞窟を利用しているのかもしれない。
人が隠れられるような隙間がない一本道は、警戒する手間を省いてくれる。
着々と歩みを進めることが出来た僕は、数十秒足らずで次なる部屋を見つけた。
「あそこか……?」
通路を進んだ先、またしても扉のない一部屋からは灯りが通路へと漏れている。
人の気配を探るため、僕は足を止めて耳を澄ます。
「……っ」
頬を伝う汗、緊張で鳴る喉。
中の様子を伺うために壁に張り付く僕の心臓は、壁越しにも聞こえそうなほど高鳴っている。
研ぎ澄ました感覚が拾ってくる余計な情報をかき分け、部屋の中へと意識を集中させるが、そこあるのはただの「無」だった。
(……バレてるっ)
もはや直感に過ぎないけど、都合よく無人であるはずがないと、この世界の厳しさに言及された気がする。
壁一枚隔てた先に、残る二人の鳥獣人が武器を持って待ち構えている。
迂闊に踏み込めば、返り討ちに合うこと間違いなし。
ただの妄想であって欲しい。
そう願う一方で、現状を打開しようとする頭脳が、過去の記憶。
モネフィラさんの教えを、呼び起こしていた。
× × ×
セイバートゥースの試験が終わって間もなく、ウィネーブルでの滞在時間を残しているというモネフィラさんに、僕は教えを請うていた。
「結び人って、神命の時はどうしたらいいのでしょか?」
「ん? 少年、もう忘れたの?」
「いやいや、忘れてませんよっ! 『観察』すること、でしたよね!?」
「そう、正解。よく出来ました」
柳眉を歪めたモネフィラさんは、慌てる僕の答えに微笑みを浮かべる。
戦闘において、結び人は役に立たない。
その中で結び人に出来ることがあるとすれば、『観察』である。
それがモネフィラさんの『結び人』としての振る舞いだった。
魔獣の弱点あるいは、『クタリア』の【魔法】の仕組みはどんなものか。
よく『観察』することが、戦うディスターの訳に立つ。
その教えがあったからこそ、僕はローレンツさんの【魔法】の秘密を見抜き、アカリとサレンの力になれたと思う。
ただ今回、僕が聞きたかったことはもっと別のことだった。
「魔法が使えなかろうと、結び人だろうと関係ない。僕も……、アカリやサレンと一緒に戦う方法はありませんか……っ」
「……」
思いつきや、一時の感情で言っているのではないと、真剣な眼差しをモネフィラさんに向ける。
すると、
「なら──」
「──うぇっ!?」
「まずは、自衛の術を身に着けなさい」
視界が、大回転。
突如モネフィラさんが消えたと思った次の瞬間、僕は仰向けに倒されていた。
「ぁ、ぁぁ……」
一体何が起こったのか?
思考を巡らそうとしたところ、足の痛みを知覚する。
視界から消えたのは、早業の如き体捌き?
この痛みは、体勢を崩された時のだろうか?
後のことは何が何やら。
あれよあれよと寝かされた僕に予想できるのはそこまで。
ただ間違いない事実があるとすれば。
「モネフィラさん……、強すぎませんか?」
「そう? ウチとしては、か弱い乙女ってことにしたいんだけどね」
「あ、ははぁ……」
身動きを取れないようにするためなのか、足を組んで僕のお腹に腰掛けるモネフィラさんは、どこからどう見てもか弱い乙女ではない。
けれど思っても言えない感想はぐっと飲み込み、せめて苦笑だけを返した。
「気持ちは察するけど、魔獣相手には何もせずじっとすることに徹しなさい」
「え?」
「ヒューマンに何が出来るのさ? 変に出しゃばらない方が相方のため」
「そ、そうですか……」
モネフィラさんの実力は、まだまだこんなものじゃないのだろうと思いつつ、確かな強さを持っている。
そんなモネフィラさんでも棒立ちを選んでしまう辺り、一緒に戦いという僕の気持ちは、アカリたちからすれば邪魔でしかないのだろう。
愕然とし、語尾を弱めた僕への慈悲なのか、アーモンド型の瞳を細めたモネフィラさんは「当面の間はね?」と、付け足した。
「けど、わざわざ一緒に戦おうとするなんて物好きね」
「いや、なんていうか……、僕はアカリやサレンだけを戦わせるなんてことをしたくないんです……。一応、男ですから……」
「言葉と態度がまるで噛み合ってないわよ? 頼られたいならもっと胸を張って言いなさい、よっ!」
モネフィラさんに手を引かれて起き上がる僕は、弱々しくも本心を告げる。
結び人の大先輩に理想を否定されれば、気を落とすも当然。
胸の前で指先を突き合わせ、虚しく涙目を浮かべてしまうと言うもの。
そんな僕の背を、モネフィラは強く叩くのだった。
「まぁ、あの試験に飛び込んでいけるだけの度胸はあるからね。後は、少年の頑張り次第かな」
「?」
「残り数日だけど、ウチらはここに滞在する。その間、ヒューマンでも出来る自衛の術を教えるよ」
「ほ、本当ですかっ!? ありがとうございます!!」
体中を満たすやる気と、みなぎる力。
その全てを出し尽くしても足りない地獄の特訓が始まることを、その時の僕は知る由もなかった。




