番外 五 雛鳥は星を欲した
微かにコンコンと木戸を叩く硬質的な音が鳴った。
扉の向こうに、誰かが、いる。
「兄様兄様、いらっしゃいますか」
少し声が低くなっていた。
押し殺して掠れた声だ。
何時もの柔らかい声だ。
弟の、声だった。
「プロクネか?」
「ええ、扉を開けます。下がって下さい」
「分かった」
ずり、と身を捩りピロメラは地面を這い扉から遠ざかった。
「よい、開けろ」
返事の後に
、ばきりと扉が蝶番ごと外された。
「相変わらずの馬鹿力め」
「脳筋の弟はお嫌いですか?」
「いや、助かった。して、他の者は?」
「残念ながら、あの場には居りませんでした」
「そうか、死んだか」
まだ死んだと決まったわけでは、とプロクネは言い募ったが、訳知り顔でピロメラは言った。
「いや、奴らは死んだよ。契りの魔法を結んだからな。結んだ者が死ねば分かるのだよ、契約が死ぬ故にな」
「左様、で御座いますか」
「眠り薬と、その後に色々を盛られた様でな。それで分からなんだが、薬が抜けかけた今なら分かる。契約が死んでおる、連れてきた奴ら全てのな」
プロクネはピロメラの顔を見られなかった。
それを見てはいけないような気がしたからだ。
「プロクネよ、俺を兄と思うたことはあるか?」
何を急に、と思ったが、正直この質問にプロクネは困った。
―兄と思うたことなどない。
それが本音であったが、余りにも酷ではないか。
そう逡巡したが、
「構わぬ、言え」
と、ピロメラが言うものだから、選択肢は無くなった。
「正直に申し上げますと、兄と思ったことはありませんね」
「そうか」
かつて、己を拾い、育てられ、家族と見なした女を目の前で殺したこの男を家族と見なすことは、きっともう無い。
「父上は?」
「家族です」
ピロメラは即答した。
「そおか、そうか、ははっ、ああ、俺が嫌われてただけか。お前は俺とも違う、魔族らしからぬ奴だったか」
面白そうに、ピロメラはうわ言の様にそう呟くと、ピロメラ、俺を見ろと自身の傷をピロメラに見せた。
向けられた背は翼ごと毟り取られたように血に染まり、白い骨と朱い血肉がのぞいていた。
「俺の翼を奪ったのはテーセウスだ。単刀直入に言う、俺の復讐に付き合うてはくれぬか?」
「宜しいですよ」
やけにあっさりとプロクネは首を縦に振った。
「意外だな、俺の事嫌いな癖に」
にやりと、ピロメラは笑った。
それにプロクネは眉をひそめたが、直ぐに取り隠して幼子を諭す母のように柔らかい笑みを象った。
「好く分かっていらっしゃるではありませんか。とは言え貴方を見捨てると父上が悲しむ。故に協力するのです」
決して貴方の為などでは無いのですから、勘違いしないでくださいね、とプロクネは柔らかな声で言った。
「おおこわ。あのヒヨっ子が言うようになったわ」
「後は一応、本当に一応、家族では無いが友達くらいには思ってるから」
子を諭す母も、大人ぶった子供もいない声でプロクネは言った。
「ッッ……っ!?!?此奴、デレおった、あのピロメラが、デレおった!!!!」
「口を慎め、トドメを刺されたいか?」
プロクネの冷ややかな視線がピロメラを襲った。
「止めろな?一寸からかっただけじゃないか、瞬間湯沸かし機か貴様。…まあいい、それはそうと覚悟はできているな?」
「あい。と申しますか、もう双方下がれぬでしょう」
「それもそうよな」
そう言うと、ピロメラは包から出した赤い魔石を口に含んだ。
かちゃりと音が鳴り、ピロメラの口に赤が煌めいたのを見る間も無く、ピロメラの手がプロクネの首に伸びた。
とっ、と軽い衝撃がプロクネを襲う。
「ひとまず眠れ、後は俺がやる」
「ぁ、…」
意識を失う寸前に。
プロクネは、兄のやけに白い手が、まるで女のように見えた。
場所は変わり、王城にて。
「ああ、行ってしまった」
イティスはあれから部屋に戻っていた。
生まれて初めての、対等な友だと思っていた男は存外薄情だったらしい。
と言うか。
この後奴は如何するつもりなのだろうか?
そんな疑問がふと頭を過ぎる。
昔、あの魔石の耳飾りは兄と揃いなのだとあの男は言っていた。ともすれば、何か、身の危険のようなものが起こったのは兄なのだろう。
使者として来るのだから、道中何かあったか。
だが、
仮に、プロクネの兄とやらに何かあったとしてだ。
父が居るのだ。
だから、大丈夫ではないか。
何を心配しようと言うのか。
そう、イティスは思ったのだが、
いや、彼奴が疑ったのは、父ではないかと。
ふと思った。
そう考えれば辻褄は合う。
合ってしまう。
奴は父を警戒している。
勿論、目の前では隠しているが、如何にも信用できない薄気味悪さがあると以前より語っていた。
それは分からなくもない。
以前より自分は失敗作であるとイティスが思う理由でもある。
父は。
優しい男だ。
イティスにも、部下達にも滅多に叱責はしない。
弱くても、上手くいかなくても、鍛錬を積めばきっとお前は強くなれると言ってくれる。
話せば構ってくれる。
――だが。
見えるのだ。
極偶に、チラリと。
目の奥のあの侮蔑の色が。
失望と無関心のあの瞳が。
それが如何にも無視できなかった。
とは言え本当に出来た父なのだ、表面上は。
きっとプロクネが感じる薄気味悪さはそこから来るのだろうと思っていた。
目を閉じて。
――何も見なかったことにすれば良い。
その、分厚い皮から覗く悪魔と目を合わせなければ良いのだ。
聡いプロクネとて完全に気付けていない。
きっと己以外誰にも解らぬ事だ。
実際、分からぬものは狗の様に父に尾を振る。それで頭でも撫でられればキャンキャンと嬉しげに、鳴く。
それで良いではないかとも思わなくはない。
だが。
其れでは往けない。
父は疎ましいほど勘の良い息子だからこそ、まだ爪の先程の感心を向けている。
愚鈍な息子ならば、疾うの昔に興味など失くしていた。
他の部下と変わらぬ、狗になっていた。
それは嫌だった。
爪の先程でも良い。
一欠片の、あの魔族の。
関心が。
興味が。
視線が。
欲しかった。
己がもっと強かったら。
父の関心を引くほどの、本物であったならば。
母は愛されていただろうか。
己は愛されていただろうか。
両親からは、愛されていただろうか。
母の顔は知らぬ。
父が戯れに抱いた商売女だからだ。
とは言え兄弟は他にも居たので大人が思う程寂しくは無かった。
正妻の子もその中に居る。だが、己が後継ぎになって居るのは、単に父が後継者に興味がなかったからである。
長子だから嫡子になった。
それだけだ。
父にとって、正妻の子も、側室の子も、遊び女の子も変わらぬのだ。
花の水やりと同じである。
水をやらねば枯れてしまうから、毎日せっせと水を掛ける。
花壇の中で群がる花のどれに水をやろうかなどと、考えはしない。
とっておきだけ、別の鉢に移しておく。
それが父だ。
もしかしたら。
プロクネの兄も別の鉢植えに移されたのやもしれぬ。
気づけば部屋にたどり着いていたイティスはいっそう強く耳鳴りのような静寂に目眩暈を覚えた。
その内に、カツカツと、石畳を伝って何者かの足音が近付いてきた。
部屋の入り口の手前から、イティス様と酷く事務的な声がした。
「何だ?入れ」
「失礼致します。先程父君が帰城なされました。道中でプロクネ殿の兄君に襲われらしく。部下は皆殺され魔石のみ持ち帰られたそうです」
「成程な」
いや、それは嘘だろうなとイティスは思った。
先ず、里側にメリットが無さすぎる。
父を襲えば間違いなく戦になる。
「余程の勝算でもあるのか、しかしそのような報せは聞いていないが…」
イテュスは逡巡するも、思考を続けた。
やはり血迷ったか、いや、以前の報告からして、長は兵力差が分からぬほど、愚かでは無いだろうし、プロクネが居る今決行するほど情がないようにも見えなかった。
――では、やはり父が。
嫌な仮説が頭の中でパラパラと立てられてゆく音がした。
「イテュス様?」
「何でもない。して、プロクネの居場所を聴きに来たのだな?」
「はっその通りで御座います」
「そうか、だが生憎私は彼奴の居場所を知らぬ。他を当ることだな」
「しかし」
「知らぬものは知らぬ。それとも私が私情で彼奴を庇い立てしているとでも言いたいか?」
「め、滅相もございません!!」
兵士は血相を変えて私に謝った。
「そうか、ならば良い。ほら、もう行け」
「ははっ、大変失礼いたしました」
そう言い残して兵士はさっさと部屋から出ていった。
少し高圧的になりすぎたか。
まあいいか。
どうせあいつも父の狗だ。
暫くすると、わあわあと煩い声と血の匂いが香ってきた。
イティスはすぐさま腰掛けていた寝台から身を起こし、足早に現場と思しき場所へ向かった。
はずだった。
何者かに、ぐいと腕を掴まれた。
イティスは驚いて振り返った。
そこに居たのは。
――渦中の魔族、プロクネであった。
「やあ」
「プロクネ、君、何時から」
「ごめん、窓空いてたし、正面からは入れないし」
「そうか。取り敢えず逃げないから。腕、離せよ」
「ああ、そうだね。痛かった?」
「珍しいな、君はそんなこと気にする質では無いだろうに」
そう言いきった後に、イティスは首筋に太腿に仕込んでいた短刀をスラリと抜きはなった。
が、すぐさまプロクネに取り押さえられた。
「…、酷いじゃないか、たった一人の親友なのに」
「いいや、お前は親友では無い。何者だ」
イティスの問に、返ってきたのは酷く硬質的な声だった。
「何故わかった?」
「いっ〜〜ーー!?」
突如プロクネらし者に腕を更にぎゅっと掴まれ、一部に力をかけられたベッドは悲鳴を上げた。
「何だ、痛過ぎて声も出ないかえ」
「黙れ偽物」
唸るようにイティスは言った。
「偽物じゃないよ。兄がすまない」
その言葉にイティスの抵抗する手が緩み、プロクネは腕を手放した。
「お前、入れ替わったのか!?てか、それ、その髪、どうしたんだよ。青空みたいだった青髪が、まるで…っいや、その前に説明しろ!!どういう事だ?父がお前の兄に襲われたと云うが、報せは嘘だよな?何故父上はお前の兄を襲った!今お前は大丈夫なのか!?」
「相変わらずせっかちだなあ、君は。順を追って説明するよ。まずその報せは嘘だ。襲われたのは私の兄で、襲ったのが君の父上ね。で、うちの兄が復讐したいって言ってるるんだけど、翼を切られたからもう死を待つしかない。そこで、私に魂を移したのさ。髪と羽の色が変わったのはそのせいだね、兄様の魔力に当てられちゃったみたい。魔族は髪が魔力に染まるからね。ま、私は翼も染まっちゃったけど」
「…そうだったのか」
嫌な仮説は当たっていた。じとりとイティスの背中には脂汗が滲んでいた。
恐らくまだ私たちは父上の用意した脚本の中にいる。
イティスにはそんな確信があった。
プロクネの兄の一件を謀反と声高々に糾弾し、翼の魔族が住まう里を我がものにせしめんとしているのだ。
その上で、自分は手に入れたかったプロクネの兄をコレクションに加えたのだ。
どちらがついでとは判からないが。
なんて狡い男なのだと、イティスは実の父の悪質さにほぞを噛んだ。
それを知ってか知らずか、プロクネはすっかり濃紫や群青が混ざるゼニスブルーに染った翼をはためかせ、髪を手ぐしでさらりと靡かせた。
何もかも変わってしまった。
だが。
いつも通りの笑みを零す友を前に、イティスはゆっくりと息を取り戻したような心地になった。
聞かねばならないことが山ほどある。
だが、そう思うと寝台の冷たさが重たくイティスにのしかかった。
しかし、訊かねばならないことは先延ばしにできるようなことでは無いし、其れはどちらも承知の上だった。
「私を殺しに来たのか?プロクネ」
「うーん、殺したくは無いのだけれどね、」
――多分。
その時プロクネの瞳が揺れたのは、恐らくイティスの気のせいではない。
プロクネは鈍いのだ。
というか、鈍くあろうとしている節があった。
瞳の揺れも、きっとそのせいだとイティスは思った。
「相変わらず歯切れの悪いやつだなおい。これくらいははっきりしてくれ、死にきれないじゃないか」
そして、プロクネが鈍くあろうとする時は、真剣な時だ。
誰もやりたくないが、誰かがやらねばならないことはごまんとある。
それを、
真正面から。
真面目にやらねばならない事と思っているから、だからこそ、感情を必要以上に排斥しようとする不器用な奴なのだ。
だから。
「私とて積極的に友を殺したくはないのだよ」
「…残念なことに私に殺す程の価値はないぞ。それに、父上がしでかしかした事だからな」
「そうだ。そうなのだよ。もう後戻りはできない。このまま里へは帰れない。私は兄の汚名を雪がなければならないんだ。じゃないと、戦禍が、里が、」
――ちちうえが。
私は。
だから。
「オマエを殺さなきゃならないんだ」
魔族の戦において、敵対する一族は、系譜ごと消さなければならない。
報復の可能性を消すために。もし落ち延びられて、当魔族にその意思が無くともその血の力と正当性故に反乱の旗印に祭り上げられ反乱に繋がらないように。
ずっ、と腰の剣を抜くプロクネを見て、イティスは唇を噛んだ。
切れた傷から僅かな鉄臭さと、甘い味がする僅かな液体をイティスはべろりと全て舐めとった。
「大丈夫、大丈夫だから、怖い顔するなよ」
「済まない。ごめん、君は」
いや。
「いいんだよ、私は父上の狗には成りたくない」
「抵抗くらいてくれよ、馬鹿」
嗚呼プロクネよ、私の親友よ、済まない。
私は多分、実の所。
あの男とそれほど変わらない。
でもそれは君に知られたくないから。
父上という魔族は、一生私に目線をくれない。
でも君は何時だって私に視線をくれた。
でも、私は君に何も返せていないんだ。
だから。
「いいさ、命くらいくれてやる」
「…、分かった。ならばこれ以上は問わまい」
無情にも、振り下ろされた声と剣は私の心の臓を貫いた。
イティスが最期に目にしたものは、鈍い輝きを宿したプロクネの瞳だった。
2匹を照らし出す月明かりが赤い寝台を染め上げ、その、しららかな月と同居する夜の空を小さな流星が駆けた。
ありがとうございました。




