122.不思議の国と気まぐれな雷帝
熱しやすく冷めやすい。
おそらくノア以上にこの言葉が似合う者はいないと、アリスは静寂が戻った氷河で佇んだ。
再び戦闘が開始される気配もなく、剣を収めてノアに目をやる。
しばらくしてからサクラがやってきた。
身体へのダメージが甚大で、戦闘の激しさが窺えた。
「ご無事で何よりです」
自らの傷は気にも留めず膝を付き、サクラは申し訳ありませんと胸に手を当て頭を下げた。
「マスターの意にそぐわない結果を齎したこと、深く反省致します」
「ほぇ?」
何のことかと辺りを見渡すと、
「不覚を取りました。申し訳ありません、マスターノア」
右肘から先が吹き飛んだクレアが、片膝をついてノアに報告しているところだった。
「如何なる罰も受ける所存です」
「いいですよ。もうそんな気分ではなくなりました。次の働きに期待します」
「寛大なるお言葉に感謝致します」
どこまでが本気なのか、或いは全てが茶番なのか。
アリスは不思議そうに二人の奇妙な関係に肩を落とした。
「マスター、これからどうなさいますか?」
「そうだね…」
一段落区切りがつこうが一応はまだ戦闘中で、気が抜けないのは間違いないのだが、肝心の【LIBERTAS ZERO】サイドがすでに戦闘の意思を欠けさせているので手出しするのも憚れる。
アリスとしても完全に毒気を抜かれているという状況だ。
尤も、いつ何がきっかけでノアの戦闘意欲が再燃するとも限らないが。
「とりあえず、朝ご飯…とか?」
「了解。近くの街まで《カシオペア》を飛ばします」
ここで別れればそれまでだったのだが、成り行きも成り行き。
ノアたちを連れ、アリスたちは凍土と草原の境目にある小さな街へと赴いた。
ムシャッ
「んぐ…」
硬く塩気が効いた干し肉を噛み千切り、葡萄のジュースで流し込む。
「ぷはっ……ん?」
空を切る轟音に耳をすませると、少女は背中を預けていた大樹から身体を離した。
「《カシオペア》…?」
雪と高い壁に囲まれた街へやって来た一同は、《カシオペア》を広場に降ろし、食事目的で一番近くの酒場を訪れた。
とは言っても店員のNPCはおらず、保管庫や棚の食材を勝手に使って調理するだけだが。
「お待たせしました」
調理を担当したのはサクラ。
丸いテーブルの上に、三段重ねのホットケーキにベーコンエッグ、コーンポタージュに簡単なサラダが人数分置かれた。
「わぁ、おいしそう!サクラちゃんお料理も出来るんだ!」
「生きるために必要最低限な技術はインストールされております。冷めない内にお召し上がりください」
「いただきまーす!」
「いただきます」
バターの馥郁たる香り。
そこへ蜂蜜の芳醇な甘みが混じり合う多大な幸福。
半熟の玉子に絡むカリカリのベーコンの融和性など語るまでもない。
「すっごくおいしい!サクラちゃん天才!」
ハムスターのように口いっぱいにホットケーキを頬張るアリスに、サクラは嬉しそうに微かにはにかんだ。
「恐れ入ります」
「まあまあですね。私ならもっとホットケーキをフワフワに出来ますよ」
「石でも齧っていなさい駄姉」
食事による体力回復で、人造人間二人の傷は見る見る間に癒えていく。
仲睦まじいとまではいかずとも、眺めている分には多少なりとも姉妹のように見えた。
「おいしいねノアちゃん」
「ええ」
疲れているというか、無気力めいているというか、元気が無い様子。
「どうかした?」
「いいえ。ただ、ひとしきり暴れた後はいつもこうなんです」
「無茶なことばっかりするからだよ。そういえば、【放浪者】でゲーム内時間は加速してるけど、ノアちゃん体調は大丈夫なの?」
「さあ」
「さあって」
「よほどマズくなったら強制ログアウトが働きますよ。それまではせいぜい暴れます。モスキル枠も狙っていることですし。まあ半日程は落ち着いていると思いますが」
強制ログアウトを視野に入れたプレイングという点に、アリス
は言葉を挟みたくなった。
しかし口を噤む。
ノアが身を置いているのはそういう次元だと理解しているから。
そしてより理解しているのはノアだからこそ覚悟を口にする。
「次は斬ります。壊します。これは決定事項だと思ってください」
「なんだか…やられる前にやった方がいい気がしてきたよ…」
「それでも構いませんよ。むしろ喜んで相手になりましょう。剣士とは常在戦場であるべきだと心得ていますから。たとえその日その時がベストでなかろうとも」
「ノアちゃんのゲームへの姿勢は結構好きなんだけどなぁ私」
小さく息をつきながら、コーンポタージュに口を付ける。
「それ以外は好きではないみたいで、悲しい気持ちになってしまいますよ」
「だって怖いんだもんノアちゃん」
「ゲームに準じているだけですよ」
プクっと頬を膨らませる姿は年相応で、それがまたアリスを惑わせる。
狂人の面と朗らかな面、本当はどちらがノアなのだろうと。
ただ結局のところ、どちらのノアも受け入れているからこそ、アリスは彼女の友人足り得ているのだが。
体力回復を終えて、四人は店を出た。
「おいしかったぁ。ありがとうサクラちゃん」
「恐れ入ります。この後は如何なさいますか?ご命令とあらば、先の続きを実行しますが」
《フラスコ》の柄に手を掛けるが、ノアはおろかクレアも微動だにしない。
「ノアちゃんたちがやる気なら、かな」
「斬り合いたい気はあるのですけれど。少し休ませていただきます。私とて人間ですので」
「ってことらしいから、サクラちゃんもちゃんと休まなきゃダメだよ。人造人間だって無理はしちゃいけません」
「かしこまりました」
「って…こっちは勝手に決めちゃったけど、クレアちゃんはどうする?もしやる気があるなら私が相手になるけど」
「マスターを差し置いて私が出しゃばるつもりはありません。ご命令が無い以上、引き続き任務を続行するまでです」
「任務?」
「では、私たちは行きますね」
「あ、うん。また…でいいのかな?」
「どうせ再会しますよ。強者同士が惹かれ合うのは運命ですから。それに、誰にも負けるつもりは無いのでしょう?」
「うん、当然。誰が相手でも私が勝つよ」
「フフフ。ということらしいですが、あなたはどうなさるおつもりで?」
ノアが路地の方に目を向けて言葉をかけると、天使が一人暗がりから姿を見せた。
「ココアちゃん!」
「ういー」
どこか気怠げに、頭を掻きながら歩みを寄せる。
「もう、誰が見てるのかと思ったら。ビックリしたよ」
抱きついて邂逅を喜ぶアリスの頭を撫でながら、ココアは苦笑した。
「結構気配消してたつもりなんだが?ナチュラルにレーダー搭載してるじゃんお化けかよ」
「あれ…もしかして私たちのこと襲おうとしてた?」
「やー、それもありよりだったけど」
「ありだったんだ…」
「そんな雰囲気じゃなかったし」
バトルロイヤル中に敵同士仲良く朝食を摂っていた件について、ココアはあえて言及しなかった。
自分たちのリーダーに理屈を求めるだけ無駄と納得しているためである。
「ちょっとぶっ倒したい奴がいてさ。それまであんまし無駄なバトルしたくないのよ」
「倒したい人?」
「人造人間No.2、ヴィルヘルミナ」
一瞬、ココアの眼光が鋭くなったのをアリスは見逃さなかった。
「もし見かけても手ェ出さないで絶対。あのガラクタはウチがスクラップにする」
と、そこへ横槍を入れたのはノアだった。
「無理な注文です」
「あ?」
「そちらにどんな理由事情があれど、賞金首枠は全て【|LIBERTASZERO《我々》】が狩る手筈となっています。一体たりとも譲りません」
轟と唸る風が一つ。
《デスサイズ》がノアの首に添えられた。
「ウチがヤる。邪魔するなら殺すぞメンヘラ」
「まったく…血の気が多いですね【不思議の国のアリス】の皆さんは。そんな顔をされたら、冷めかけた血が熱くなってしまうじゃありませんか」
これがバトルロイヤルである以上、何がきっかけであろうとも、アリスには口を挟む権利は無い。
どうするべきかと二人に視線を行き来させていた、その時だ。
雷は突如として鳴動した。
「!!」
「!!」
「アハッ、やっと見つけたわ!」
太陽のような眩しい金髪を靡かせ、また黄金に輝く激しい雷を纏って、少女は嬉々とした笑顔で場に登場した。
「【Colpo di fulmine】…!!」
「【雷帝】…」
「テスタロッサ、さん…?!」
「チャオ、【不思議の国のアリス】!【LIBERTAS ZERO】!」
五人の中央に降り立つなり、目まぐるしい速度で蹴りを見舞う。
まともに食らったのはサクラとクレア。
二人ともが建物数棟を貫通するほど吹き飛んだ。
「サクラちゃん!」
対しアリスとノアは跳び、身を屈めて回避し、ココアは鎌の柄で防御に成功した。
「ブラーヴォ!さすが!」
「いきなり出てきてしゃしゃんなよ!」
【詠唱破棄】から繰り出される光の雨がテスタロッサを襲う。
しかし少女は至近距離から放たれたそれらを全て紙一重で躱してみせた。
「?!」
「惜しいわね。いい線いってるけど、私には通用しないわよ」
一拍遅れてアリスとノアが剣を抜き、異常事態に駆け出す。
「【エクストリームエア】」
「【アルフィリアス】!!」
それぞれがそれぞれの持てる高速の剣。
それでもテスタロッサはノアの剣に対して身を捩り、アリスの剣を受け止めた。
「うん、いいわね。やっぱりあなたが一番ステキ」
「……?」
「ちょっと付き合って。悪いようにはしないわ」
「つ、付き合う…?わっ?!」
有無を言わさずアリスの腰に腕を回すテスタロッサに、番犬が吠える。
「ウチの女に…色目使ってんな!」
背後から攻撃を仕掛けるココアだったが、刃がテスタロッサに届く前に止まった。
「誰だよ」
白銀の装備に身を包んだ長身の男性が、無骨な銀の剣を以てココアを阻む。
「下賤の者がお嬢様に触れるな」
「ついて来なくていいって言ったわよレガート」
「ハッ、よくわかんないけど保護者登場ってわけね。おけまる。じゃあ死ね」
「縁があったらまた会いましょう」
「逃がすか!!」
ココアが止めようとした矢先、
「【パラダイムシフト】」
「は――――――――?」
ココアの視界全てが空で埋め尽くされた。
「空の上…?!スキル?!【奇術王】とは比べ物にならん規模の強制転移とか…!!」
近くには誰もいない。
何も無い。
雲を突き抜け身体は落下を続けた。
「っざけんなよあのパスタっ娘!!」
地表までの距離はおよそ数千メートル。
当然このままでは数分後に身体が叩きつけられ爆散する。
ココアは死の恐怖よりも、自分が虚仮にされたことに対して心底腹を立てた。
自分を歯牙にもかけないテスタロッサに。
自分を羽虫と扱ったヴィルヘルミナに。
「どいつもこいつも……」
歯を砕けるくらい軋ませて叫ぶ。
「【黎明の白翼】!!」
白く輝く翼を展開し空を舞う。
「全員ブッ殺してやんよ!!」
強制転移にて、ノアは樹海に飛ばされた。
高い高い木の上の、枝や幹で組まれた巨大な鳥の巣の中で、眼下のジャングルを眺める。
「あの【雷帝】までもがアリスちゃんを目にかけるとは。フフ、ますます楽しくなりそうですね。それにしても…」
太陽の光があたたかく、そよぐ風がノアの眠気を誘う。
「なかなかどうして心地が良いじゃありませんか」
我が物顔でゴロリと寝転がるのをおもしろく思わないのが、巣の主である。
全長十メートル以上ある赤い羽の怪鳥は、けたたましい鳴き声を上げ、鋭い嘴をノアに向けた。
ノアはすでに目を瞑り完全にリラックスしている。
敵意どころか意識を怪鳥に向けてすらいない。
にも関わらず、スパッと怪鳥の首が落ちた。
モンスターにすらそう錯覚させるほどに研ぎ澄まされた殺気。
怪鳥は大人しく巣の一部をノアに譲り渡すと、翼を布団のように被せる形で従順した。
これは逆らってはいけない禁忌そのものだ、と。
「さて…」
四方八方毒の沼。
沼の真ん中に一本だけ残った枯れ木に佇立し、クレアは今後の身の振り方を考える。
「まずはマスターを捜さなくては。それにしても…」
すると沼の表面が泡立ち、体表が腐ったドラゴンが数頭姿を現した。
瘴気を口の端から漏らしてクレアに毒のブレスを放つ。
「ああ、ちょうどいい」
無機質の中に確かな狂気を宿した目がドラゴンを射抜いた。
「不完全燃焼だったところです」
新緑の剣閃が乱舞する。
全てのドラゴンが肉片となって散らばった頃には、毒も瘴気も吹き飛んだ、澄んだ大地に成り果てた。
「ごめんなさい妹。マスターの命令なもので。次はちゃんと本気で相手をしますからね」
不敵に微笑み足取りは軽く、その人造人間は何処へと姿を消した。
深い森の中、サクラは折れた腕を押さえて太い木に寄りかかった。
「ダメージ甚大…一刻も早い回復を」
と、モンスターないしドロップアイテムを探しながら、自分に一撃で瀕死の重傷を負わせた少女を思い返す。
テスタロッサ。
シンプルに速くシンプルに強い【雷帝】を。
「体術にスキル…ほとんど一人であの場を制圧するとは…」
呆気なくやられた自分への不甲斐なさもさることながら、サクラはアリスを連れ去られたことへの憤慨に血潮を熱くした。
無事な方の腕を木に叩きつけ木の葉を落とす。
「マスター、今向かいます」
兎にも角にもまずは体力の回復と治癒だ。
ふと、前方に果物が実った木々を発見した。
回復アイテムだとよろめきながら進んだところで、
「?」
自分と同じくボロボロの男性が倒れているのを発見した。
「この方は…」
ギルド【十天】のリーダー、レオンとの出逢い。
これが何を齎すのか、未だ誰も…サクラ自身でさえ知る由もなく。
「ココアちゃん?!サクラちゃん?!みんな、どこ?!!」
「とりあえず心配無いわ。なんて、個人戦のバトルロイヤルで他人を心配する方がどうかしてるんだけど」
「あ、あの!離し、離してください!」
「大人しくしてて。すぐに着くわ」
「着く……って――――――――」
「いいところよ」
言って、テスタロッサは雷になった。




