121.不思議の国と忠義と大義《サクラvsクレア》
場所は、古都は南。
緑が深い山の尾根。
玄関先に提灯を飾った、今にも倒壊しそうな古ぼけた旅の宿。
涼しい風が吹き抜ける露天風呂では、湯けむりの中で三人の少女たちが湯を浴んでいた。
「ふぃー…」
「極楽極楽なのです」
「心が笑われますわぁ」
「うん、心は洗おっか」
【LIBERTAS ZERO】、ルーファ、アスカ、シャルロットは、戦いの緊張感などまるで無しに、湯気に吐息を溶かす。
湯船に浮かべたお盆に乗せた、キンと冷えたジュースを煽れば夢見心地さながらだ。
「いいのかなぁ、こんなにゆっくりしてて」
「それが命令なのだから仕方ないのですよ。時が来るまで、アスカたちは待機なのです」
「でも結構暴れてるみたいだよ?このままだと、先に誰かが倒しちゃうなんてこともあるんじゃないかな?」
「取り零しがあったとしても、最終的にノアが勝てばそれでいいのです。アスカたちはのんびり、このバトルを楽しむのですよ」
「古都の温泉巡りも飽きてきたんだけどなぁ」
「アスカは好きなのです温泉」
「私も好きですわよ!入ったのはこれが初めてですけど!」
「このまま寝てしまいそうなのですよ」
のんびり湯に浸かる彼女たちに、化け物が三匹襲いかかる。
湯の中から飛び出てくる河童に、上空から飛来する鎌鼬。
それに宿ごと呑み込まんとする大きな口の怪物。
「私はぬるま湯より熱い方が好きかな。お風呂上がりに冷た〜い牛乳をグイッといくのがたまんないんだよねぇ」
「アスカは長くゆっくりと浸かっている方が好きなのです。露天風呂も良いですが、薬草風呂も捨てがたいのですよ。それに牛乳よりコーヒー牛乳が至高なのです」
「不思議なのですけど」
「ん?」
「なんです?」
「お二人ともそんなに牛乳が好きで何故お胸が育っていませんの?」
ツルン
ペタン
ボィィィィン
「不思議ですわね」
ブチッ
「黙っ!!」
河童の顔面が爆ぜ、
「とくのです!!」
鎌鼬の腹が蟲に食い破られ、
「「無駄乳ぃぃ!!」」
怪物の口に風穴が開く。
化け物以上に化け物たちの湯宴は、それから日が昇るまで続いた。
『激闘に次ぐ激闘!!アリス選手とノア選手の恋慕渦巻く偶像劇に参入したのは、同じく【不思議の国のアリス】、並びに【LIBERTAS ZERO】の秘密兵器!!人造人間サクラ選手とクレア選手!!はたしてどのようなバトルを魅せてくれるのか――――――――!!』
「あのヤンデレ…やっぱり私が潰しておくんだった。とことん姫に執着してムカつくったらないわ」
広場のベンチに腰掛けつつ、ナッツはしかめっ面でモニターを睥睨した。
正確にはその向こうのノアをだ。
「過ぎたことを言っても仕方ありません。あとは生き残っている方々の領分です」
ルナは諭すように缶ジュースを手渡した。
受け取るなり一気に煽り、ナッツは再びモニターに目をやる。
「わかってるのよ負け惜しみだって。嫌ね負けるって。相手がノアだったにせよ、そうじゃなかったにせよ、悔しくてたまらないんだから」
「そうですね」
「ルナは満足でしょう?姫とヤれたんだから」
「ええまあ、と言いたいところですが。それがいざこうして敗者となると、足りてはいても満ちてはいないのがよくわかりまして」
あの瞬間、間違いなく最高で最強な自分だったと、ルナは言う。
「アリス様は真正面から私を打ち破りました。これ以上ない至福なはずなのに、勝ちたかったという欲が纏わりつく…。難儀ですね、少しだけ強くなるというのは」
ナッツは空を見上げてから、ルナの肩に手を回し抱き寄せた。
「えっと…これは?」
「敗者同士傷を舐め合おうってだけよ。嫌ならいいわ」
「嫌か嫌じゃないかと言われれば…生理的に無理とまでは言いませんが、アリス様以外に触れられるのはNGというか…。歳下は好みではないと言いますか…」
ゴンッ!
「理不尽です…」
「グダグダうるさい。次は頭突きじゃ済まないわよ。……いいから、付き合いなさいって言ってるのよ。私だって、悲しい気持ちなのは一緒なんだから」
「……はい」
一時の安らぎ。慰め合い。
敗者二人に出来るのは、愛しき人の勝利を祈ることのみ。
人造人間No.5、クレア。
【LIBERTAS ZERO】の隠密部隊隊長を任される彼女の実力は、アリスをして視界に捉えきれない存在の希薄さが物語っていた。
「【ダークアロー】!」
黒い矢が虚空を切る。
「当たらない…!」
けして速いわけではない。
自身やノアに比べればスピードは一段階も二段階も劣る。
にも関わらず、クレアは容易くアリスの目から逃れた。
「もらいました」
死角をついて攻撃を繰り出すクレアであったが、それはサクラの手によって阻まれた。
「マスターには指一本触れさせません」
さながらアリスの盾であるかのように剣を構えるサクラに対し、クレアは、
「お姉ちゃんを蔑ろにする妹には躾が必要ですね」
サクラの前からも姿を消し多方向から斬撃を浴びせた。
しかし、それら全てをサクラは防ぎ切る。
「無駄です。私の【記憶の瞳】は霊子の流れを見切る。あなたの小細工は通用しません」
【領域外】。
クレアが保有するスキルの名称だ。
自身の霊子で大気を屈折させることで、蜃気楼のように姿を背景に溶け込ませるスキル。
しかしそれは単なる錯覚に留まらない。
【領域外】の本質は、視界だけでなく、匂い、音、存在…それら全てを希釈させ他者の意識から逸らすことにあり、最新参にしてクレアが部隊長を任されている由来でもある。
だが、対してサクラの【記憶の瞳】は霊子の流れを読み取ることが出来る。
彼女の目の前で不自然な霊子の動きがあれば、すぐさまそれを検知することが可能だ。
「確かに私の【領域外】は、あなたのスキルと相性がよろしくないようです。ですが、それはあくまで1v1に限った話でしょう?」
クレアを影にノアが飛び出し、サクラの側頭部に強烈な蹴りを見舞う。
「サクラちゃん!!」
吹き飛んだサクラは、氷の壁に背中から激突した。
「立場を弁えなさい。あなた如き、破壊するのを躊躇うことはないんですよ。【罪架のクアルヴァイツ】」
「【ブラックホール】!!」
巨大な聖剣を吸収し、今度はアリスがサクラの前に立つ。
「させないよ!ノアちゃん!」
「……クレアさん」
「はい」
「当初の予定通り、私がアリスちゃんとヤります。あなたがあれの相手をしなさい。破壊しても構いません」
「失礼ながら、撃破数はよろしいのですか?」
「心配は無用です。あなたはただ私の期待に応えなさい」
「了解しました」
クレアがアリスの横を抜けようとした。
行かせまいとするも、ノアがそれを阻む。
「アリスちゃんは私だけを見ていてください」
「負けても文句言いっこなしだよ…ノアちゃん!!」
光と重力波が渦を巻く。
二人の力が荒ぶるのを余所に、サクラとクレアの二人も対峙し剣を構えた。
「悪く思わないでください妹。マスターの命です。ここで散る運命だと受け入れなさい」
「まるであなたは私よりも強いように物を言うのですね。ならば否定しましょう。あなたの強さと私の敗北を。そして宣告しましょう。勝ってマスターの寵愛を受けるのは、この私だと」
迸る霊子の輝きが強まる。
「蹂躙の時です、《シード》」
「遮るものを打ち払いなさい、《フラスコ》」
桜色と緑色の閃光が夜闇を切った。
端的に、サクラとクレアに相性という優劣は無い。
人造人間は身を置いている環境によってステータスが変動し、学習によってスタイルを変化させていく。
極論、【不思議の国のアリス】、アリスの剣を模倣しているサクラと、【LIBERTAS ZERO】、ノアの剣を模倣しているクレアという構図だ。
しかし決定的に違うのは、所有するスキル、技。
ときに技の部分に関して、サクラはクレアより一歩先んじていると言っていいだろう。
基本技というものを持たない彼女たちは、【技巧記憶】という、スキルを記憶するスキルと、技を投影する【機導剣流】を以て自身の戦闘力を向上させる。
そしてこの【技巧記憶】だが、記憶出来る技は人間族のものに限定される。
人造人間自体、人間を設計して造られたもののためおかしい話ではないが、必然的に技習得の機会は限られてしまう。
この《NEVER END ONLINE》という複数の種族が存在する世界において、人間族という種族は極端に数が少ないためだ。
正確には減少した、というのが正しいかもしれない。
何故なら、人間族は固有スキルに《鑑定》――――モンスターのステータスを閲覧出来るスキル――――を持つが、星の数程の情報が交錯するネットの海では、初見以外ほぼ《鑑定》の使い道が無いのだ。
最も多くバランスがいいといえばそれまでで、ステータス補正もほとんど無い。
基本種族ながら不遇種族。
それ故にNEOリリース時より、人間族の数は激減した。
今人間族を使用しているのは、アバターに愛着のある最古参の他には、種族の補正に引っ張られないような玄人……生来の能力で十二分に戦えるプレイヤーのみだ。
閑話休題。
サクラはその人間族のトッププレイヤーであるアリスの剣を直に見て記憶しているのに対し、クレアはその機会に恵まれていない。
【技巧記憶】は、一定距離内で直にその技を観測しなければならないという制約を持ち、尚且つ同じ技でも使い手によって威力は左右される。
サクラが一歩突出していて、それでもクレアに対して攻めきれないのは、ある一抹の懸念があるためだ。
「剣を振り合うだけが戦いですか?使えばいいではありませんか。【機導剣流】を」
人造人間が人造人間を対象とした【技巧記憶】の発動。
サクラが警戒しているのはそれだ。
(要所要所で攻め入りやすい隙を作り誘導している。おそらく、私を対象にした【技巧記憶】は有効なのでしょう。しかしそれは、自身に【機導剣流】の容量に空きがある証拠でもある)
下手に【機導剣流】を用いれば記憶され戦力を強化してしまう恐れがある……というのはあくまで建前で、サクラの剣……延いてはアリスの剣を真似されることへの嫌悪が、彼女に【機導剣流】の使用を制止していた。
そんな思惑など関係ないと、クレアは膂力を上げた。
「来ないのならこちらから行きますよ。【装甲可変】」
「【装甲可変】」
鍔迫り合いを避け、両者は武器を変形させる。
「【双剣形態】」
「【双剣形態】」
二刀の打ち合いは激化し、衝撃が一帯に氷霧を巻き起こした。
サクラの《フラスコ》、シズクの《ラプラス》と同じ賢者の秘宝の一つ、《シード》。
その変形は大鋏、双剣に留まらない。
「【装甲可変:長剣形態】」
身の丈の倍はある剣の一振りが氷山を更地に変える。
(火力は向こうの方が上。長引けば不利。【機導剣流】云々を言っている場合ではないようです)
しかし、と人造人間特有の合理性が、サクラという人格に上書きされる。
「あなた如きにマスターの技は不相応です。モード、【屑鉄の亡霊姫】」
桜色の放電と共に屑鉄の山が出現し、兵器で彩った武装を象った。
「いつまでも茶番に付き合うつもりはありません。すぐに片を付けます」
ミサイル、レーザー、ブレード、多種多様な破壊がクレアを猛襲するも、当の本人は涼しい顔でそれらを薙ぎ払った。
「それが、あなたがコルフトから授かった個性ですか。なかなかに圧巻なのは認めましょう。けれどそれでは姉は越えられない」
淡く光る緑の風の中心で、クレアは剣を地面に突き刺した。
「姉たる私の力に刮目しなさい」
風がクレアを包んだ後、烈風と共に姿を顕わにする。
「モード、【廃鉄の変質姫】」
四肢を装甲で武装し、背中からは機械の触手が数本生えている。
人間的というよりは獣のようで、【屑鉄の亡霊姫】と比べれば些か軽装。
しかしただ事でない重圧がサクラを襲った。
「もう少し遊んであげたかったのですが、マスターの命令なので。あなたを破壊します、妹」
「その減らず口が続くのならばご随意に」
【屑鉄の亡霊姫】の巨腕装甲が真正面からクレアを狙うが、機械の触手がそれを搦め捕るなり、巨腕はただの屑鉄となって地面に落ちた。
「《霊子核》が消失した…」
【屑鉄の亡霊姫】が《霊子核》を電磁性を持たせる力だとすれば、は変異した《霊子核》を元に戻す力。
つまりは《霊子核》による攻撃を無力化、無効化する力だ。
「なるほど…変質の姫とは言い得て妙です」
「理解しましたか?《霊子核》をメインエネルギーとする私たちにとって、この力が如何に脅威かは語るまでもないでしょう」
サクラは三つの氷塊に《霊子核》を付与しクレアへとぶつけた。
「無駄ですよ。【廃鉄の変質姫】は《霊子核》の操作性においても、純粋な膂力においても、あなたより上回っていますから」
クレアがサクラの視界から消えた一瞬、猛烈な蹴りがサクラの身体を折った。
「…ッ」
《霊子核》を意のままに変質させる【廃鉄の変質姫】にかかれば、《霊子核》由来の防御を貫通することなど容易い。
台風を相手にしているような連撃と重撃。
要所要所で武器を変形させ、間合いとタイミングをずらしてくる狡猾さも相まって、サクラは防戦を強いられた。
「姉に優る妹など存在しないのです」
【装甲可変:大鋏形態】。
大味ながら決まったときの破壊力は、《シード》の中でも随一。
刃に捉えられ、片方こそ剣で防いだもの、もう片方の刃はサクラの腕に痛々しくめり込んだ。
「負けを宣告しなさい。妹に痛い思いをさせたくはありません」
傷口から《霊子核》が漏れる。
このまま耐えるのは不可能で、確実に右肘から先は裁断される。
だが、それがどうしたと。
サクラは右腕で刃を押し返した。
「痛み…未知…脅威…そんなもの、私を止める要因には成り得ません。私のマスターへの愛は、その程度の領域に収まるものではありません。あまり私を見縊らないでください……人造人間である以上に、私とは【不思議の国のアリス】……!最強を冠することを命じられた者です!」
刹那、花が舞う。
「モード、【屑鉄の亡霊姫】!フォーム【繚乱】!バーストモード、【屑鉄の亡霊姫・機龍血装】!!」
鋼鉄の鎧装が龍を象る。
大輪の桜が散るように閃光が迸った。
「《霊子核》の出力が桁違い。ですが、《霊子核》の範疇の中での強さなら、【廃鉄の変質姫】の敵ではありません」
「試してみなさい。絆より生まれたこの力、与えられただけの力に劣るかどうか」
高出力のブースターによって加速した突きがクレアを吹き飛ばす。
咄嗟に《シード》を挟んだことで直撃は免れたが、クレアは氷山を一つ貫通し身体を瓦礫に埋もれさせた。
追撃の瞬間、新緑の輝きが爆ぜる。
「【廃鉄の変質姫】でも変質させきれない《霊子核》の奔流…。《霊子機関》に過度な負担を掛けることで、爆発的な出力を得ているのですね…。強力…しかし種がわかれば所詮は子ども騙しです」
「子ども騙し?あなたのそれは、自分に計れない力を低く称しているだけでしょう」
より強く。
より速く。
剣戟を交える度に光の花弁が散った。
「憐れ…理解は要りません。輝きは一瞬あればいい。偉大なるマスターの覇道を彩る路傍の花であれることを、私はこれ以上無く誇る!」
咲き誇る夢幻の万花。
閃光が空に花園を顕現した。
「【空花繚乱・晴桜戯】!!」
花を称するには些か傷だらけで、お世辞にも優雅とは言い難い。
だがそれは確かにクレアを斬り伏せ地に落とす一撃であった。
「マスターの愛の前に散りなさい、クレア」
剣が鳴れば血が熱を持つ。
命のやり取りの中でだけ生を実感する。
自分が特異なことなど理解している。
仕方ないものは仕方ない。
だって私は普通じゃないのだから。
「【グリムアリア】!!」
「【プライマルソード】」
傷を乞う。
痛みを願う。
この瞬間が永遠になればいいのにと。
刃がこの身体を過ぎる度に渇望する。
同じだけ、辟易して、酷く魘される。
何故この世界が本物の現実じゃないのだろう、と。
「ねえ、アリスちゃん」
「なに?」
「この世界に生きられたらって、考えたことはありますか?」
「それは、まあ…一回くらいは」
「現代的でありながら幻想的で、力さえ有れば何だって叶う実力至上主義の世界。ここには何でもある。まるで楽園のよう」
「そうだね」
言葉で賛同しておきながら、アリスは楽園という表現に懐疑的であった。
この世界は幻想。
しかしそれ以上に現実で、抗いながら生きている者たちを知っているのだから。
「……ああ、向こうは一区切りついたようですね」
ふと、ノアの視線が彼方を見やった。
続いてアリスもサクラたちの戦闘が落ち着いたのを感じ取る。
「いつだって誰かが二人きりの邪魔をする。運命がそれを阻んでいるかのように」
途端にノアの剣から殺気が引いた。
見るも明らかに鋭さと危うさが抜け落ちている。
「こんなにもあなたを壊したいのに」
愛したい。
殺したい。
壊したい。
ノアにとっての蹂躙は、純粋故に神聖だ。
そこには一片の曇りも翳りも許されない。
そして理性と品格を持ち合わせているからこそ。
「興が醒めました」
引き際は潔い。
ノアは酷く退屈そうに、剣を鞘に収めた。
夜明けの氷河に目を細めて。




