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ピノコ~『ブラック=ジャック』に登場 

大学附属病院の外科手術室。赤く点灯をしたままの手術中ランプ。


市民病院の医長は執刀医として妊婦あみ分娩手術を終えた。術式は成功をした。

「ワシは産婦人科医として長年の経験とキャリアを積んできたつもりだ。孫のあみちゃんのオペにはミスなどなかった。長い時間だった」

医長は長い手術(オペ)を終え風呂に入った。ゆっくり体を休めたくなったからだ。


この風呂を出ると大学附属病院ロビー特設の記者会見が待っていた。


手術(オペ)担当医として医療関係者やマスコミのインタビューを受ける手順であった。


「あみちゃんが産んだ胎児内胎児はDOUBLEモンスターかどうか。医学的な見地からはモンスターである。胎児内胎児は存在をしていた」

医長は風呂に入りながら遥か昔の医学部学生時代を思い出す。医師としてやっていくため不安な日々を送ったあの時代をこの時に懐かしく回想をする。


どの科を専門にするか考えた若き日の医長駆け出し医者の時代。

「医学部担当教授からは内科医を勧められた。尊敬する教授だったし学術的な研究を手伝う意味もあった。だから内科学教授の言う通りに内科医の研修に進んだ」


大学附属病院の研修では内科治療の患者(クランケ)と接し現代医療の現場のなまの声を(じか)に聞く。

「内科は医療の宝庫だと思った。千差万別に患者さんが病院にはいらっしゃる。病症を診て片っ端から治療することは快感だろうと本気に考えていた。医学部4年の春休みだった」


医学部学生で内科患者と接していく中その医師の技能に限界があることを悟る。

「ワシが悩んだのは世に言う不治の病いだ。あれだけ医学を学んでもまだまだ不治が山とあるとは嘆かわしい」


医学に対する責任感から完璧主義者はどんどん挫折をする。医学に立ち向かう傷病に負け敗北を味わう。医療現場の惨状に悲鳴をあげる。医学に壁を感じたのは医学部学生の半ばである。


「医学のドンキーホーテはやめることにした」


内科に夢がないなら外科に転換か。切った張ったの世界は苦手な血があった。いつまでも血を見て医師人生を全うせねばならない。

「多少なら出血も我慢もするが毎日だとな。勘弁してくれだな」


附属病院の患者さんの話の中に不妊治療を耳にする。結婚をしたが子供に恵まれない切実な話だった。あれだけ愛した相手がいるというのに2世が生まれない。

「産科の不妊治療は目から(うろこ)だった。内科医は病症クランケを治療して健康体にしてやる。だが不妊治療は病症ではない。ましてや傷病でもない。健康体な両親から跡継ぎが産まれないだけの話だ。ワシはすぐさま興味を持ち始めた」

内科の臨床や診療を抜け出しこっそり産科に顔を出した。

「待ち望む子宝に恵まれない夫婦。辛い不妊治療をせっせと受けていらっしゃる。見て見ぬフリはできない。しっかり勉強をして医学で立ち向かってやろうとやけに燃えた。しかも当時の日本医学産科学会は立ち遅れていた。不妊治療のために渡米される両親もいたくらいだった」


医学部の授業は大半を内科に取られたが専門は産科・産婦人科に決めていく。

「どうしてもお産婆さんができなければまた内科医をやろうという気楽な気持ち半分だった」

医学部の同期は約90人だった。産婦人科希望医学生は5人だけだった。しかも産婦人科医の息子ばかりだ。

「医局の研修を終えるとみんな大学に残らず開業医になってしまった。不妊治療に執念を燃やす産婦人科の医師はワシだけになった」


若き日の医長は大学院に進み産科学・不妊治療の研究に没頭していく。

「生まれないのは精子がいけない卵子が悪いとだけではないとワシは知るんだ。つまり健全なることでも子宝は恵まれず(こうのとり)は運んではこない」


この疑問点から医長はアメリカ医科大学院に留学を決める。

「帰国したら不妊なんて撲滅させてやる」

大変な鼻息を吐いた。


アメリカ医科では多産系民族の生態系を(つぶさ)に知る。

「これだけポンポン子宝に恵まれたらそりゃあ気持ちがいいぞ」

多産科は不妊など無縁であった。

「民族の違いか食事か環境か。ありとあらゆる条件を調べた。学会にも発表してやった。だが単なるデータの羅列に過ぎないとか評判は今一つだった」


不妊症から多産科に至る研究の中に若き医長は


運命の出会いをする。


「あれはアメリカ医科の3年目だった。附属病院に小学校低学年の男の子が入院をしていた。男の子は産科のワシには関係ないはずだった」


男児はいたって健康体で風邪ひとつひかない子供だった。だが半月ほど前か右胸あたりがプクリッと膨らんで来たのだ。

「慌てた両親はすぐに病院に連れていった。何か悪性の腫瘍が膨らんできたのではないかとな」


男児診察に当たった小児科医は聴診器をあて触診をして驚く。


「おい心音が聞こえる」

なんと男児の右胸には胎児が存在することになる。

「医学的には妊娠3ヶ月だった。胎児がいるとなり男児はワシのいる産科に回されてきた」


医長は聴診器で心音を確認。確かに微かながら胎児の鼓動が聴き取れた。

「あの聴診器からの心音は忘れられやしない。男児から胎児なんか生まれてはならない。ならないはずなのだが現実には胎児がいるんだ。認めてやらなくてはな」 


男児の体内の胎児はその後も育ち右胸の膨らみは増していた。

「だが何かショックを与えたか知らないが心音は止まった。死産になってしまった」

男児の膨らみは外科手術にて摘出をされた。

「出てきた膨らみものは見事なまでの胎児だった。妊娠3ヶ月の赤ちゃんだ。

頭や骨格も形成をされ見事なものだった。問題の死因だが。胸の膨らみを男児気味が悪いとか思ったらしい。手で叩いたり殴ったりとしたようだ。残念だが死産で我々産科医と胎児はご対面の運びになる。また胎児の育てられる子宮とは異なり胸腔で育てられたとしても肋骨やその他の骨格が邪魔をして成長はしなかっただろう」

若き日の医長はこの嬰児(えいじ)はいったいなんであったのか徹底して調べることにする。アメリカ医学には数々の病床例がファイルされていた。

「さすがは最先端医学と言われたアメリカだな。何もかもが揃えられている」

医長が調べていく間にふと思い当たることがあった。


「ピノコさんか」


手塚治虫漫画『ブラックジャック』がある。ブラックジャックと呼ばれる無資格医が主人公。


漫画の設定では関西医科大学出身となっている。


無資格医ブラックジャックにはアシスタントが登場しピノコと呼ばれる。ピノキオが男の子なら女の子はピノコということらしい。


漫画ではブラックジャックの患者できたご婦人に寄生する腫瘍がピノコであった。

「体内にある腫瘍を切除したら胎児だったという話だな」


ピノコは成人した女性の体に寄生をする『胎児内胎児』(DOUBLEモンスター)として描かれている。


元来は双子の姉妹として母胎から産まれてくるはずだったピノコ。なんらかの原因で姉の体に寄生をし腫瘍化してしまう。


「胎児内胎児か。ピノコさんは胎児でなくご婦人だったが。漫画では存在しても現実医学の世界にいたとは信じ難いものだ」


胎児内胎児は病床例は数件あったらしい。ただそれが全て同じ病床例の範疇(カテゴリー)に入れてもよいものか疑問点はたくさん残る。

「今回のあみちゃんも胎児内胎児の病床例かどうかはワシにも実際はよくわかったとは言えない。なんせなぜ双子や多胎児が他の胎児に寄生をするのか。そのメカニズムがさっぱり想像つかない」


受精卵子が仲良く分割を始めて胎児に成長する過程で何らかのアクションをするかショックを受けたかで寄生するのではないかと仮定するだけである。

「これから先は顕微鏡の世界だな」


医長はゆっくりと手術室備えつけの浴槽からあがる。湯上りにビールをグイッとやりたいが、

「アッハハ今から記者会見だというのに真っ赤な顔していてはな」


浴槽室前にはメディカルクラークがバスタオルと冷えたオレンジジュースを持って待っていた。オレンジジュースは孫娘の大好きなものだった。

「医長先生ご苦労様でございます。記者会見の準備は整えられましたわ。テレビ局が3社入った模様でございます。テレビ映りを気にしなくてはいけないですから私がお化粧を担当致します」

医長は白衣に着替えさせられたら手を引かれた。

「お化粧だって。おいおい君っ。どこに連れていくのかね」


男の医長はナース更衣の控え室に連れて行かれた。立派な洗面と鏡があった。

「テレビ画像にはテレビ用の顔が御座いますから。私こう見えましても元メイク。若い時には女優になりたくて」

メディカルクラークはゴシゴシと顔を洗顔しファンデーションを塗りたくる。女優になるつもりが気がついたら裏方さんの道をひたすら歩くことになった。医長は顔を好きなだけ塗りつけられてどうなることかと不安であった。

「色男なんだからそんなにいじめなくてもよかろうに」

メディカルなメイクはハッと気がつく。

「あらっそうでしたわね。医長先生はかっこいい男さんで。違いますわっただテレビ映りを考えてのドウラン化粧でございますわ。もう少し辛抱してください。テカテカの肌を実現させてご覧に入れますからアッハハ」

メディカルクラークのおばちゃんは豪快に笑い医長の頭をポンポン叩いた。

「顔は塗りたくられほっぺたはパンパン張られた。頭はゴツンゴツン叩いたり大変じゃぞぅ。ワシはもうテレビには出たくないなあ」

メディカルクラークのおばちゃんは豪快に笑い医長の頭をポンポン叩いた。

「顔は塗りたくられほっぺたはパンパン張られた。頭はゴツンゴツン叩いたり大変だ。ワシはもうテレビには出たくないなあ」

大学附属病院のロビー。記者会見会場にはマスコミ各社が今や遅しと執刀医の医長の出現を待っていた。


「記者会見はいつからなんだ。気を持たせやがるじゃあないかなあ。母親となった幼児の安泰は確かなんだろう。生まれた子供はどうなんだ。まったく勿体ぶりもいい加減にしてもらいたいな。おい繰り返して申し訳ないが父親ってのはいないのかい。どうしても気になってなあ」

記者会見を待つマスコミ記者たちはイライラとする。


「そんな大袈裟な話ではないのにな。歳の若い母親が子供をポコンと産んだだけなんだから。それがたまたまに幼児だった。それだけさ。幼児でも女は女だ子供ぐらいその気になりゃあ産むさ」

ザワメク記者の雑談。マスコミ記者は医療関連の記者もいれば芸能関連の女性雑誌記者も混ざっていた。赤ちゃんの誕生は慶事だと考えて出席をした。


時間が来た。司会者を民放局が買って出てくれいよいよ記者会見が始まる。

「御待たせいたしました。只今から記者会見を執り行いたいと思います。私は民放局のアナウンサーで皆様の総合司会者を務めさせていただきます」


ロビーに飾られた雛壇は華やかであった。白い布でマイクの机は覆われ右手には大きなコチョウランが置かれていた。


医長は颯爽と現れた。顔はテカテカと光りテレビ用の照明は眩しいくらいとなった。

「ご紹介をいたします。あみちゃんの執刀を担当なされた」

司会者が医長を紹介する。医長の肩書きには"教授"がなかった。

「ただいま紹介に預かりました産婦人科医でございます。当大学の出身で産婦人科教授(執刀医)を補助し手術に立ち合った者でございます。手術(オペ)途中から教授は体調を崩され急遽私が執刀医になった経緯が御座います」

その他あみを初診した産婦人科医であり言わば育ての親的な存在だとつけ加えた。

「あみちゃんの出産の経緯を簡単にご説明致します」


医長は医学用語を交えながらあみの身籠った胎児は胎児内胎児(DOUBLEモンスター)であると説明をした。

「記者さんの皆さんはブラックジャックのピノコをご存知ですね。あのピノコちゃんがあみちゃんのお腹にいたという話でございます」

記者たちはザワザワとする。


「おいおい漫画の世界になってしまうのか」

司会者が再びマイクを持つ。医長に長い説明ご苦労様ですと告げる。


「ただいまより質疑応答に移らせていただきます。ご質問のあるかたは挙手をお願い致します。質疑の時間はたっぷりと取ってございます。この記者会見の模様は世界各地に伝えられることになっております。出来ましたら国際的は発言を期待されたいです」

壇上のコチョウランは眩く美しさを見せ芳しき香りを撒いていく。


記者たちからはサッと手があがる。医長やその場にいた医療スタッフはグッと気構え緊張をした。


「何を聞かれようが心配するようなことはないさ。あみちゃんは無事に出産したんだ。産んだ子供は元気そのものだ」

司会者は質問の記者にマイクを使うように指示をした。

「私は女性週刊誌記者です。2〜3執刀医長や大学病院に質問が御座います」


雑誌記者からはあみの妊娠がなぜ普通と違うと判断をしたかに集中をした。

「胎児内胎児の見解を大学は発表していらっしゃいますがそう診断された根拠を教えていただきたいと存じます」


またあみの妊娠には父親が関与してた疑いがあるとも質問があった。

「私は幼児虐待があったのではと大胆な意見を記事で見ました。父親が関与をしてはいないことの証拠はあるのでしょうか」


質問に答える医長は頭から湯気(ゆげ)が出ていた。

「早く記者会見終わりにしてくれないか。誰か助けてくれ」

テレビ用のドウランは医長の汗で剥がれてしまっていた。


産婦人科病棟。

出産したあみは手術室から戻って来た。しかし3時から全身麻酔をかけられまだ昏睡状態だった。


「お母さん。そろそろあみちゃんの麻酔が切れる頃でございますわ。この麻酔がなくなってしまいますと痛みがドッと全身を襲いますから気をつけていかないといけません」

病棟のナースはあみの検温と血圧を確かめた。異常はなかった。

「こんな幼児が出産に耐えたなんて」

母親はあみの額を撫でてやった。

「産まれましたお子様は新生児室にいます。元気な男の子さんですわ。体重2200gでございます」

新生児の背中は皮膚がただれてしまい(まだら)で残るであろうことは伏せられた。


あみの麻酔切れはナースを苛立たせた。麻酔科医の説明では術式後4〜5時間で切れるらしい。

「麻酔は早く切れてくれませんとあみちゃんの生命が危険です。赤ちゃんが産まれたら今度はあみちゃんの番ではお話になりません」

産婦人科ナースは溜め息をついた。


母親はあみの寝顔を眺めては額を撫でてやる。

「あみちゃん頑張ったもんね。あみちゃんのお腹から"私の赤ちゃん"が産まれたんですからね。あみちゃんにたくさんたくさんお礼しなくちゃあね」


あみの母親は胎児内胎児

(DOUBLEモンスター)はあみとは双生児。あみの母親を母胎とするはずが双子の姉を母胎にしてしまった。


「私がいけないの。母親である私がちゃんとした双生児のお産をしないからいけないの」

ベッドに横たわる幼児あみの幼い手をギュッと握りしめた。あみの細い腕は氷のように冷たかった。


あみは麻酔が切れない。待っても待っても切れてはこない。産婦人科ナースは仕方ないわっと麻酔医を呼んだ。


麻酔が効いて7時間が経過しようかとしていた。


「まだ目覚めませんか」

麻酔医は若い女医。あみの母親と同世代ぐらいである。

「先生あみはどうかしたんですか。麻酔が切れないっていうのは何かトラブルがあったのではありませんか」

母親は同世代の麻酔女医に喰ってかかる。

「麻酔医療の方法にはトラブルは御座いません。私は幼児の麻酔もかなり臨床をしております。この年齢の子供を経験していますからトラブルなんてことは一切御座いません」

女医もつい語気を荒々しくした。


しかしあみは麻酔から目覚めることはない。このまま昏睡が続くとなると脳の機能に障害が発生し植物人間になってしまう可能性があった。麻酔女医はそれを恐れた。


あみは麻酔が切れぬまま一夜を越えてしまった。

麻酔科の女医やナースらはあみの体温や脈拍を測る程度しかなす(すべ)がなかった。


翌朝もあみは昏睡状態が続く。一晩中母親はあみを看病したが寝返りのひとつうたないままの昏睡状態に不安を覚えた。

「このまま眠りますと脳に異常が来たす可能性が御座います」

麻酔女医は母親に脳に刺激を与え覚醒させなくてはいけないと説明をした。

「脳波ですか。電気をビリビリってやるんでしょうか。覚醒ですか。またあみを私の娘を(いた)めつけるつもりなんですか。もういい加減にしてくださいませんか。こんな幼い子供にメスを入れて。さらには脳波で電気刺激を与えるなんて」

母親としては自分の分身であるあみが可哀想でたまらなかった。だから大学病院が娘のあみをモルモットにしていると不愉快に感じた。


モルモットだっとは喉の先まで出かかるところであった。

「(麻酔医が)あみちゃんを傷めつけるだなんて。お母さん誤解でございますわ。レッキとした医療行為のひとつでございます」


母親はちょっとムキに成り過ぎた。

「ナースさんお願い致します。臨床検査室にあみちゃん(クランケ)連れて行きましょう。急がないといけないの。ストレッチャーを用意してね」

麻酔女医はキイキイ声をあげながらナースに指令を出した。


眠り姫のあみ。麻酔の効きはかなり深い。幼児であることを勘案させて麻酔薬を投与したはずだった。


だがあみは過敏に麻酔に反応してしまう。


あみは全身を麻酔で麻痺をされ脳だけが活性化されていた。このまま(ほか)っておくと仮死が始まる危険状態に陥いる寸前であった。


「お姉さんお姉さん。聞こえるかい。麻酔で(しび)れて意識がないかアッハハ。どうだい情けない話だな」

あみの前頭葉に産まればかりの弟・DOUBLEモンスターが語りかけた。

「僕は念願の子供になれたよ。僕を分娩手術した医者が背中の皮膚を傷つけやがった。かなり痛かったよ。思わずギャーって悲鳴を出してしまいそうだった」

DOUBLEモンスターから話掛けられたあみは前頭葉だけで話を聞く。麻酔が効きさらには特異体質ゆえに身動きすらできない状態だった。麻酔女医が脳波に電気刺激をビリビリっと掛けてくれたらばと前頭葉のあみは願っていた。


「僕はこの世に生命(せい)を受け幸せな気分さ。双子のお姉さんから遅れて産まれたが爽快な気分そのものさ」

DOUBLEモンスターは新生児室の中で快適な眠りを貪っていた。

「産まれた新生児の僕だというのに。お母さんは会いにやって来ない。まだ僕には会いにやって来ない。あみの体ばかり心配をして。なんたる不愉快なことか」


DOUBLEモンスターは母親に怒りをぶちまけた。


父親もしかりである。あみの父親は新生児室にいけない。またあみの入院病棟にさえも近づくことができない状態だった。


「ねぇお父さん。お願い致しますよ。本当のことを喋ってくださいよ。知ってるんでしょ。あみちゃんの産んだ子供の父親が誰なのかを。もう子供は産まれたんですよ。話をしたってバチは当たりはしません」

父親はマスコミの取材合戦に取り囲まれていた。あみが出産をしたことがテレビニュースで流れると、

「DOUBLEモンスターなんでなんだろうか。おいおいマスコミは本気でそんなバカな話信じているんか。そんなことより父親は誰だったんだ。幼児に子供を産ませた張本人は誰だったか突き止めろ。いないはずがないだろう」

放送局に苦情の電話が殺到をした。


「お父さんあなたは暢気な性格なんですね。医者の言うDOUBLEモンスターなんてことを本当に信じていらっしゃるのですか」

週刊誌記者たちは視聴者からの問い合わせの声を後押しにした。荒々しく声を張り上げて怒鳴る。


「記者の皆さんは僕に何を言えと仰るのだ。あみはDOUBLEモンスターを産んだんだと医者が医療判断を下したじゃあないか。ゴチャゴチャ言うなら医者に聞いてくれよ。僕はまったく知らない。こんな職場にまで押し寄せていい迷惑だ。あみの子供は僕はわからない。何も知らないのだ」

父親が興奮をして怒鳴る度にマスコミは色めき立つ。

「お父さん。あんたが娘を幼児虐待したんだろう」

父親は幼児虐待の犯人に奉りあげられてしまう。


「なんだとぉ。俺があみに虐待をしただとぉ。なんの証拠があって根も葉もないことを言うんだ。おいキサマどこの週刊誌だ。名前を言え。告訴してやる。あみはかわいいかわいい俺のひとり娘なんだぞ。なんで酷い仕打ちをしなくちゃあいけないんだ。バカヤロー」


父親が興奮するとマスコミは待ってましたとばかりに代わる代わる畳みかけた。

「告訴してくれよ楽しみだな。父親が子供の張本人だからあれこれとギャーギャーと騒ぐんだぜ。お父さんあんた酷い親だな。やっぱり父親が原因なんだな。アンタが諸悪の根源になるわけだな。可哀想に娘は泣いているぜ」

父親はどうしても記者に信じてもらえぬと短気を起こした。


おいキサマ〜


殴りかかってしまう。悪態をつく記者に一発ボカ〜ンと見舞ってしまった。殴られた記者はすぐに携帯から警察を呼んだ。

「痛かったなあ。親父さん。あんた元気がいいなあ。そんな元気があれば娘のひとりふたり平気だろうに」


なんだとコノヤロー


父親が大立ち回りをしているとパトカーがやって来た。巡査は記者たちの騒ぐ様子を観察してから、

「どうされましたか。あなた暴力を振るうなんていけませんね。本署までご同行願います」

父親は暴行の現行犯で逮捕をされてしまった。


「父親は情けないな。あれが僕の父親だと思うと憂鬱になる。だから新生児の僕には面会に来るやつがいないのか。両親とは非情なもんだぜ」

DOUBLEモンスターはせっかく産まれ落ちたというのにまだまだ孤独であった。


臨床検査室にあみはストレッチャーで運ばれていた。

「(麻酔医の)先生が電気ショックを与えるんですって。ちょっとちょっと患者さんってあの幼児じゃあないの」

臨床検査技師たちは幼児のあみを見て驚く。

「麻酔を掛けたんだけどまだ覚醒をしていないんだって。大丈夫かしら。仮死状態じゃあないのかしら。ヒェ〜あんな幼児に電気ショック与えるのですって。私知らないわよ。麻酔女医の責任だからね」

技師たちは暗に麻酔女医がミスをしたと言わんばかりであった。


「臨床(技師)さん電気の準備お願い致します。ボルトは私がクランケ(あみ)の様子を見て判断致します」 

麻酔女医は汗だくであった。この電気治療で覚醒しなければあみはどうなるのか。成人には施したことがあるが幼児には未知の世界であった。

「ボルトを間違ってしまうと取り返しがつかないことになるわ」


麻酔女医が顔面を真っ赤にさせて電気治療の準備をする。横には物言わないあみがグッタリとしていた。付き添いに母親が立ちあみの手をしっかりと握りしめていた。

「先生同じことを繰り返しますが電気なんか幼児に与えて大丈夫なんですか。私はもう心配で心配でたまりません」

あみの顔を覗きながら母親は言う。

「先生。私ははっきり申し上げます。あみは娘はモルモットではありませんよ。よろしいですね」 

母親と同世代の麻酔女医は胸にグッサリとその一言が突き刺さる。


あみはモルモット。


臨床検査技師は電気ショックの準備を整えた。

「先生準備しました。後はボルトを設定するだけです」


麻酔女医はあみの血圧と脈拍を確かめる。両方とも正常値を遥かに下回る。早く覚醒させないと危ない状態は続く。

「ボルトはどうするか。成人女性を100と仮定した場合にあみちゃんは幼児だから」

頭の中でボルトは成人の1/3なのか1/4なのか計算を繰り返した。あみにとって高圧ボルトは心臓を射抜いてしまいかねなかった。


「弱電気で行きたいわ」


ボルト設定を決めた。二度も三度もこれでよしと確かめた。

「適度なショックが起こるはずよ。お願いあみちゃん覚醒をしてね。私の頼みを聞いてちょうだい」


ビリビリ


あみの体に電気は走る。全身がピクッと反応をした。

「あみちゃんあみちゃん」

母親はあみの手を握り呼び掛けた。あみは反応がない。まだ屍(しかばね.のように横たわるだけだった。


ウンともスンともなんともなかった。


母親は麻酔女医に喰ってかかる。

「もういい加減にして。ウチの娘はモルモットじゃあないって言ったでしょう。あみちゃんは覚醒しないわ。心臓に多大な負担のかかる電気ショックを与えても効果なしだわ。あみちゃん可哀想に。どうするの貴女(ドクター)。患者が屍になってしまった責任をちゃんと取ってもらいますからね。私のあみちゃんを返してちょうだい。あの笑顔の素敵な私の娘を返してちょうだい」

母親はあみの手を握りながらワンワンと泣いた。


麻酔女医は顔面真っ青で黙ったまま下を向いた。


電気ショック治療はボルトが低めから効果は期待できなかった。


母親はヒステリーを起こす。あみをモルモット扱いされたと興奮をした。


女医の白衣に手を掛けてしまった。

「ウチのあみちゃん返して。貴女は医者なんでしょ。あみちゃんにしっかり麻酔を掛けた医者なんでしょ。掛けたら掛けたで元に戻ってちょうだい。あみちゃんはあんな子供じゃあなかったのよ。麻酔から覚醒させるそんな簡単なことができなかったの。ねぇ貴女本当に医者なの。医学部出ただけで医者と名乗っているだけじゃあないの。医師免許ないんじゃあない怪しいわね。何とか言ったらどうかしら。黙ったままじゃあ医療過誤を問われてもしかたがないわ」


臨床検査技師たちの前で母親は散々に言いたいことを言いまくる。

「黙ったままだけど。あみちゃんはどうなるの。麻酔が切れないのはどうしたことなの。私はねあみちゃんが元に戻ってくれさえすれば何にも言わないわ。だけど貴女があれこれやってもあみちゃん起きて来ないわ。これからどうするの。また幼児の心臓に多大な負担を掛ける電気を流すの。覚醒しなければあみは幼児から植物人間になりますの」

麻酔の過誤は植物人間が多いと医療雑誌で読んでいた。


地元の警察署。あみの父親は雑誌記者に対する暴行で身柄を確保されていた。

「お父さんもおとなげないなあ。そんな雑誌のブンヤのヨタった話を間に受けてさ。あいつらは面白い記事を書くことが仕事さ。好き勝手に書くから雑誌が売れるだぜ。お父さんが暴力を振るからまたまたどうでもいい記事を書かれてしまうんだぜ。黙っておけばよかったんだよ」

担当の刑事から父親は説得される。暴行を受けた記者からは告訴は取り下げてもいいと願いが出ていた。記者はその代わり特ダネを父親からもらいたいと願った。


「お父さんの娘さんがあみちゃんか。今話題になっているからな。私も新聞を読んで気になったんだ。

お子さんを持つ身としては大変な目に遭われたんだなあ。

なんかわけのわからないうちに幼児のお腹が膨れてしまったんだろ。胎児内胎児だったけっ。赤ちゃんの体に別の赤ちゃんが寄生してそのまま育ってしまうやつ。なんだっけ何とかモンスターだろ。あみちゃんのお腹にモンスターがいたってことなんか。なんかわけのわからぬミステリーはミステリーだけどな」

刑事はひとりで喋り父親を言いくるめた。パトカーが出動して事件にはなったが充分な反省をしているとして釈放を許可した。

「ハイッ(釈放を)ありがとうございます。以後充分に気をつけます。お世話になりました」

父親は反省しきりで刑事に頭を下げた。


警察署の玄関を出たら殴られた記者がいた。記者は頭を掻きながら申し訳なさそうに待っていた。

「どうも先程は失礼いたしました。ハアッ恐縮です。警察署からこっぴどく言われてしまいましたか。まあ成り行きというやつですなあ。告訴は取り下げておきましたわ。お互い大人なんですからね」

腰が低くなった記者だった。


父親は記者を見て嫌だなっと逃げ出したくなった。

「お父さんお話を聞かせてもらいます。謝礼は充分に弾みますから。さあクルマにお乗りください」


臨床検査室。

あみは電気ショックを浴びて横たわる。意識はあるが覚醒はしないままである。母親と麻酔女医の言い合いは続いていた。

「(麻酔女医)先生。あみちゃんにもしものことがありましたら私は貴女を告訴しますわ。医療過誤訴訟をこの大学病院相手に起こす覚悟があります。これだけ娘を玩具(オモチャ)扱いされてはもう堪忍袋の緒が切れました」

言われた麻酔女医はだんだん不安になる。


「麻酔投薬にミスがあったのだろうか。いや幼児だから子供だからと細心の気を配ったはずよ。私は麻酔医として最大の努力をしたの。麻酔に関して医療過誤なんてしてはいないわ。患者(クランケ)自身になんらかの麻酔アレルギーが発生したか手術(オペ)の術式にトラブルが発生したか。私の知る範囲以外であみちゃんが覚醒をしない遠因があったとしか考えられない」

女医は白衣を震わせあみの母親からの愚痴を聞いた。母親の言い合いはかなり続いた。


うっウーン〜


あみが、僅かだがあみが(うめ)き声をあげた。


あみちゃん!あみちゃん!


母親も女医もあみに寄り添った。

「お母さんあみちゃんの意識が戻りましたわ。麻酔は切れてございますわ」

麻酔女医はあみの細い手を持った。脈拍を確認しながら言った。脈拍は確かめているうちにだんだん強くなっていく。

「ふぅ〜まずは覚醒してくれたから安心だわ。やれやれ」


母親はあみの体に抱きついた。あみを起こすためによいしょよいしょと揺り動かす。

「あみちゃんあみちゃん。お母さんよ、あみちゃんわかる。わかったらお返事してちょうだい。お母さんですわよ。あみちゃん」

あみはうっすらと目を開けた。トロンとしたぼやけたような瞳が見えた。意識は朦朧(もうろう)である。


あみは一晩明けた長い麻酔から目覚めた。体力は徐々に回復をする兆しが見えた。


母親はあみの手をしっかり握りしめ盛んに、あみちゃんあみちゃんと声を掛けた。母親の呼び掛けにあみは少しだがニコッとした。

「あみちゃんわかってくれたのね。お母さんよお母さんなのよ」


麻酔女医はあみの脈拍が戻っていくのを確認した。

「ナースさん。このまま脈拍があみちゃんの正常値に戻りましたら私まで教えてください。もう心配は入りません。お母さんよかったですわね。本当によかったわ。私はこれで失礼致します」

女医は足早に検査室から消えていった。散々検査室で母親に悪態をつかれ胃の周りがムカムカしていた。


あみは母親の献身的な看病で介抱に向かう日々を迎える。

「あみちゃんが元気ならお母さん何もいらないわ。あなただけあみちゃんだけがいたら。あみちゃんが私の全てなの」


父親もあみのお見舞いにやってくる。あみが出産して2〜3日後であった。父親は来院をしたくてもマスコミが邪魔をして身動きがとれなかった。


「あみが元気になりやれやれだ。いろいろナースさんや医者から聞いたが大変だったらしいな。手術が済んでも起きてこなかったんだってな」

父親は看病に疲れた妻を(ねぎら)った。母親はコックリ頷く。


「あなた私たちのあみちゃんは油断は禁物ですわ」

あみはベッドの上から優しく父親の顔を見ていた。細いあみの腕には点滴のチューブが痛々しい。


「あみが早く元気になってくれたらいいがな」

ふたりであみの回復を願う。母親はあみの日増しの回復は間違いのないことよっと強調した。


「ねぇ"私たちの孫"を見に行きたいわ」


新生児室のDOUBLEモンスター。母親の一言にパチッと目覚める。

「やっとだ。僕のお父さんお母さんが面会にやってくる。僕は早く会いたい。お姉さんに遅れて生まれたんだ。遅れてしまった分を取り返してやりたいんだ。お母さんは(あみの)胎内にいていつも一緒だったからわかる。だがお父さんはわからない」


新生児は無菌ボックスの中で足をバタバタさせた。新生児を看るナースは気がついた。

「あらっお目覚めになっているわねお坊っちゃん。なあにっこれ。新生児だけどやけに元気いいじゃあない。あの幼児が生んだ子供でしょ。母親が若いと子供もハツラツとしているのかしら」

新生児室のナースはにっこりマスク越しに眺めた。新生児のバタツキはなんかなっとオシメを取り替えてもらった。 


父親と母親は新生児室に行こうかと腰をあげる。

「私も生まれて初めて面会をするの。あなた緊張するわ。私たちの孫なのよ。でも私たちの本当の息子であるのよ」

父親に盛んに話かける。父親はウンウンわかったと頷く。

「わが息子なんだな。わかっているさ。わかったよ」


さあ新生児室に行こうかとしたら、

「こんにちは。あみちゃん元気かなあアッハハ」

母親の姉(32歳独身)があみのお見舞いに現れた。

「お久しぶりです。義理姉さん」

姉はあみのニュースをテレビや新聞で知りやってきた。

「あみちゃん大変なニュースになってしまったわね。私の家(母親の実家)にマスコミが来たの。女性週刊誌記者だったけど。あれこれ妹(あみの母親)のことを聞いていったわよ。私適当にハイハイッて答えたけどね」


その女性週刊誌は姉が毎週楽しみに愛読をしていた。専ら芸能人記事(スキャンダル)を好んで読んでいた。


週刊誌好きな姉としてはまさか自分が週刊誌にという喜び。さらには掲載をされるとは驚きであった。


「お姉さんちょっとあみちゃんお願い致します。今から新生児を見てこようかと思うの」


姉は2つ返事でいいわと答えた。

「私なら構わないわよ。どうせ暇なんだし。ゆっくりお孫さんを見ていらっしゃいよ。私はあみちゃんと居ますわ。ねぇっあみちゃん。あらっあみちゃん寝てるわアッハハ」

あみは姉が付き添いだと知り安心をしていつの間にか寝てしまった。


「弟くん弟くん。そこにいるんでしょ」

あみは夢でDOUBLEモンスターに久しぶりに話掛けた。あみは全身に麻酔の痺れがあり前頭葉も麻痺させられていた。


話掛けられたDOUBLEモンスターはピクッとした。

「お姉さんかっ。どうしていたの。長く音信不通だったじゃあないか。僕はお姉さんのおかげで今は新生児になれたよ。足は動くし頭も振れる。夢に見ていた人間になれた」


あみは無事にDOUBLEモンスターを産んだから今はホッとしているのと言った。

「出産はしたけれどまだまだ産後の肥立ちがよくない。麻酔も全身から完全に抜け切れていない。手足が痺れて力が出ない」


あみは前頭葉に麻痺が忍びよる可能性があった。

「電気ショックがあったからなんとか(しかばね)にはならないで済んでいる。お気の毒さまね弟くんの思う通りにあみちゃんはならなくて。あみちゃんはこのまま回復をするわ。また元気な可愛いらしい女の子に戻っていくのよ。簡単には弟くんの望むようにはならないわ」


DOUBLEモンスターはシニカルな笑いを浮かべた。

「お姉さんは屍になり損ないだったのか。そりゃあ残念だった。別に僕はお姉さんの屍を望んだりはしていない」


DOUBLEモンスターは自分の力で姉のあみを闇に葬るつもりであった。


「嬉しいことにお父さんお母さんが新生児室に来てくれた。僕はできるかぎりの愛嬌を振る舞ってやらなくちゃあいけない。やっと生まれ落ちたんだから」 

DOUBLEモンスターは夢から現実に戻っていく。


新生児室にあみの両親は行く。受付で面会リストに名前を記入すると、

「あみちゃんのご両親でございますか」

新生児のベテランナースが出迎えてくれた。

「こちらの新生児室は無菌でございます。こちらの保護服を着用になってくださいね。準備が整いましたら私について来てください」

ナースに導かれて父親母親は"お孫さん"と対面をする。新生児室は未熟児が大半である。

「あなた未熟児ばかりですよ。こんなにも小さくて育つんでしょうかね」

母親は他人の赤ちゃんながら心配をする。ベテランナースはにっこり笑い、

「当病院は新生児に関しては日本一を自負していますから。立派に育ててあげますわ」

新生児ナースのプライドであった。


長く新生児カプセルが続き奥の方にあみの産んだ子供はいた。

「元気なお子さんでございますわ。見てくださいほらっ。一生懸命に足をバタバタさせていますわ。まるで我々が来たのを喜んでいるようです。ご両親が会いに来たからかな。あらっ失礼っおじいちゃんとおばあちゃんでございましたわね。お若いのにもうオホホっ」

ナースは口に手を当て笑ってしまった。

「ナースさん確かにそうですよ。僕らはおじいちゃんおばあちゃんですよ。まったく僕30歳の誕生日がこの前に来たばかりだというのに。女房は28歳でおばあちゃんですからね。ひょっとして日本で一番若いおじいちゃんおばあちゃんになってしまったかもしれないなあ。やりきれないなあ」

ナースと3人で大笑いである。

「あらあら困ってしまいますわ。私はまだまだ未婚の娘のつもりでいましたのに」

図に乗って母親は言ってしまった。横で聞いた旦那は、


オイッ


「早くお子さんっ、いやお孫さんに名前をつけてあげてくださいね。えっとお子さんではなくてお孫さんでしたから母親が決めるのかしら」

両親はお互いの顔を見合わせては首を捻る。


はてはて 


「小学生のあみが子供の名前を考えてつけるのか。そうなるとアイスクリーム名やシュークリーム名をつけそうだな」


しばらく両親は新生児を眺めていた。ナースの話では無菌状態ですから長くは居ないでと言われた。

「あなたこの新生児は私たちの子供なの。私が双子であみと一緒に産まなくてはいけなかった子供なの。わかってもらえるかしら」

妻は夫の手を握りしめた。

「ああっわかるよ。胎児内胎児っていうやつなんだろ。DOUBLEモンスターかな。だがなあ学のさしてないような僕には到底理解できない話なんだ。医者の話を信じるしかない」

父親はまたマスコミの記者から矢継ぎ早の質問を受けたことがフラッシュバッグされてくる。


あみに子供を産ませたのは父親のアンタだろう。認めろ。


あみを幼児虐待して子供を作ってしまった。酷い父親だなあアンタは。認めろ、認めないのはなぜか。


「あなたはマスコミからずいぶんと酷いことを言われたのね。私がちゃんとした母親でなかったがためにあなたにも迷惑をかけてしまたわ」

母親は子供を双子で生まなかったからと自分を責めた。夫やあみにも迷惑をかけてしまったと申し訳なく思ってしまう。


「それはそうと名前をつけてやらなくちゃあ」

父親は再び名前生命判断の本を広げることになりそうである。

「あみが産んだから名前をつけて見たいと言えばあみに任すが」


あみの病棟。付き添いを姉が務めてくれていた。独身の姉は付き添いが好きになってきた。


あみは寝ていたが産婦人科病棟には医学部の学生や産婦人科研修医らが頻繁にあみの様子を視察にやってきた。姉は付き添いしながらうつらうつらだったがハタッと目が覚めた。

「ヒェーあの研修医さんらみんな医学部卒業されているだわあ。しかもこの国立医科大学ですわあ」

32歳独身女(&婿養子希望)は目の色が変わる。


あみのベッドにいらっしゃるのは医者ばかり。国立大学出身ばかり。選り取りみどり浦島太郎の玉手箱であった。


「あみちゃんの横で付き添いしている間にひとりぐらい」

めくるめくいらっしゃる研修医者の姿はクルクル回る回転寿司のように見える。


手を出して好きなお皿を取りお食べください。


「私を見染めてくれるお医者さまいないかなあ。やだなあ私。今度からミニスカートはいて来ようかしら。ケバ目にしてこなくちゃあお医者さまの恋心は捕まえられないわ。私の婿さまの募集定員は一人でございます。なるべくなら早いうちに来てもらえたら嬉しいなあ。お医者さまがダメなら薬剤師さん。薬剤師がダメならえっと」

産婦人科研修医は付き添いの姉にあれこれとあみの容態を尋ねた。

「あみちゃんは出産されてから容態はいかがですか。なにか変わったことなどはございませんか。幼児の腹部にメスを入れるなんて常識では考えられない話ですからね」 

独身の姉は研修医者に話かけてもらうだけで天国へ登るところである。さらに姉好みのハンサムな医者がいらっしゃるともうダメ。自分を律することはまずできない状態になる。


ハンサム研修医者が現れただけで、

「はじめましてこんにちは。私あみの叔母でございます。独身なんですの。先生は長男さんでいらっしゃいますか」

研修医者はキョトンとする。妙なことを聞くオバチャンだなあ。


思うが医療であり仕事であるからあみの容態を一通りは姉に尋ねた。

「ええっあみちゃんはいつもの通りに寝てるだけでございますわ。先生はご趣味はなんでございますか。私はテレビゲームと競馬を少しでございます。先生は男の兄弟はいらっしゃいますか。はあいい天気でございますわ。お馬さんも喜んで走りますわ」


あみの母親はあみが入院をしてから付き添いを毎日続け疲れが溜まってしまう。

「あなたも付き添いで疲れているから休みなさいよ。久しぶりに自宅に戻って旦那さんとさぁ。ふたりでのんびりしてきなさい。あみちゃんはこのお姉さんに任せなさい。私のかわいい姪っ子なんだから。何て言うだけどさあ」

姉は頼むからあみちゃんと一緒にいたいなあとまで言い出した。


「そうお姉さんがそこまで言うのなら。あみちゃんは赤の他人が付き添いだと嫌がるから困っていたの。じゃあお姉さん昼だけでも頼みましょうか。私も気が楽になります」


母親はさっそくに夫と帰宅をする。夕方には戻ってくると約束をして夫婦仲良く帰った。


「いいわよ。ゆっくりしてきてお姉さんは困らないの。研修医は昼しかいないからなあイヒヒッ」


姉がニソニソしていたらあみが目を覚ます。

「あみちゃんお目覚めさんかなあ。叔母ちゃんが今はいますからね。あみちゃん気分はいかがかなあ。お林檎食べるかしら。アイスクリームは食べさせたいけどお医者さんがダメだって言うのグシュンさんね。代わりに叔母ちゃんが食べ食べしてきますわ」

あみはそこに叔母ちゃんがいるとわかりにっこりとした。あみの笑顔は32歳独身の叔母とさして大差はなかった。


天使の笑顔。


「アイスクリームはやっぱりうまいやあ。私はあみちゃんの代わりに食べてあげているのよ勘違いしないでね。好きで食べるのではありませんから。(売店の)オバチャンメロンアイスクリームもちょうだい。ああっあみちゃんのためですわ」

叔母は売店でイチゴアイスクリームをペロンと一口。追加にメロンアイスクリームをグイッと丸かじりをした。


あみは日増しに元気になって行く。点滴ばかりだった栄養補給が流動食になってお粥さんとなる。

「お母さんお粥さん美味しいね。だけどもういらないわ」

あみはスプーンで2掬いでいらないと言ってしまう。

「あみちゃんダメ。栄養をつけてくれないとなかなかお家に帰れないわ」

母親が付き添いなら出された流動食事はすべて時間をかけてあみは食べさせられた。


「あみちゃんハイハイッお粥さんですよぉ〜」

32歳独身叔母は違う。あみがいらないと言えば、

「あっそっ。ならば私が」

叔母は自前のフリカケをお粥に振りつける。ムシャムシャと全部食べてしまう。

「流動食はいくら噛んでも味がないから不味いわ。アッと食後のデザートを食べないといけないわあ。アイスクリームがいいなあ」

叔母としては夕食が浮いた浮いたと喜んでいた。

「アイスクリーム食べないといけないやあ」

あみが横で眺めているのにもかかわらず売店に走っていく。


叔母は売店で今日はどのアイスクリームにしようかなと冷凍庫に顔を入れた。丸で子供である。

「バニラからイチゴから食べてない味がいいなあ。氷あずきは不味いからやめてっと。チョコレートアイスクリームにしたいけどなあ。肥るかもしれないからパスだわ。イチゴかなあバニラかなあ」

ああでもない、こうでもないとアイスクリームで悩んでしまう。


「どうかされましたか」

32歳独身の叔母は後ろから声をかけられた。


「うん誰かしら」


クルッと振り向いた。そこには背の高い産婦人科研修医(32歳)がにっこり立っていた。

「奥さん(叔母)はアイスクリームが好きなんですね。僕と一緒だアッハハ」

研修医に奥さん呼ばわりされて32歳独身の叔母は一瞬ムッとした。さらには同世代の男性である。

「やだぁ〜所帯染みて見えるのかしら。だから私はミニスカートはいて赤の口紅キリリってさせなくちゃあいけなかったのよ。女学校時代には白雪姫とも呼ばれていたのに。でもあれは10年も前の話だわ」


※正確には15年


今は白雪姫に毒林檎を食べさせた継母のようであった。


研修医はさらに高笑いをした。あまりに熱心にアイスクリームを物色する姿が滑稽(こっけい)に見えるからだった。

「どうですか奥さん売店のアイスクリームより病院のレストランのアイスクリームを食べませんか。あそこのアイスクリームは実は僕が不味いと文句を言ってやったんです。それから味が変わりましてねアッハハ。よろしければレストラン行きましょうか」

叔母は32年生きて来て生まれて初めて男性とレストランに行く。売店から研修医と一緒に歩く時に緊張し2〜3回足が(もつ)れた。

「キャア研修医よ。医者だわ。しかも国立大学医学部卒業のエリートさんだあ」


レストランに入ったが姉の心臓はドキドキとしてしまう。


「はじめまして僕は産婦人科研修医者のお医者さんです。あみちゃんのお母さんですね」

改めてお医者さんは姉に挨拶をした。

「あみちゃんは目下産婦人科や小児科の学界では大変な話題になっています。僕も医学の書物でしか見たことがないケースですからあみちゃんにお会いすることが楽しいでした。さてアイスクリームですが」

研修医はレストランのウエイトレスを呼びアイスクリームと簡単なスナック類を注目をした。

「アイスクリームは絶品です。実は僕はアイスクリーム屋の息子さんでねアッハハ」


姉はアイスクリームはもはやどうでもよかった。

「あのぉ私はあみちゃんの母親ではありません。あみちゃんの叔母になるんですの。私の妹が母親ですの」


研修医はあみと顔の輪郭が似ていたからてっきり母親と思ったと釈明をした。

「それは失礼致しました。そうそうもうひとりのご婦人が付き添いをされていましたね。いけないなあっ僕は」

研修医は大きな声で笑った。

「てっきりあみちゃんの母親(ママ)さんだと間違いをしてしまったなあ。申し訳ございません」

わざと大きな態度で深々と頭を下げた。

「医者は観察力が大切だからどうもこの世界は僕は失格かな。間違いのお詫びにアイスクリームをどうぞ。僕が特に誂えたアイスクリームですからね。早く来ないかなあ待ちきれないよ」

姉と研修医はすっかり打ち解けていた。世間話に自然と花が咲く。

「先生はアイスクリーム屋さんの息子さんって仰いましたがどんなアイスクリーム屋さんですか」

姉としては街の小さなアイスクリーム屋さん。個人経営の駄菓子屋さんかなと思った。


「僕の実家ですか。僕ね実家は東京にあります」


研修医は誰でもが知ってる日本有数のお菓子メーカーの名前を言った。


テレビコマーシャルでお馴染みなメーカー名と研修医の白衣にある札は同じ名前だった。


姉は運ばれたアイスクリームを一掬いしたがプッと吐き出してしまった。


「あみちゃんは僕ら産婦人科研修医には貴重な存在なんですね。胎児内胎児なんでまさか目にするなんて想像すらしなかった。今は妊娠されたデータから出産に至るところまで大学と研修医たちが懸命に資料づくりに忙殺されています。データを欲しいというのは全世界の医学部ですからね。お姉さんも将来に結婚されます。まあ素敵な伴侶を見つけたらお子さんを身籠るでしょう。あみちゃんにある遺伝と同じものがあるかも知れません。胎児内胎児を生む可能性や大ですよ。いかがですかレストランのアイスクリームの味は。うちの親父が作ったアイスクリームよりは味が劣るけどね。甘さはいいがまろやかさが難だなあ。自家製アイスクリームは防腐剤の投与がないんだから」

研修医は盛んにあみの医学的価値を力説した。が姉の頭にはなんにも残りはしなかった。


アイスクリームの甘さは姉にはまったく感じられなかった。姉の頭にはアイスクリームやお菓子メーカーのエンゼルマークが嫌でもピピポッピ〜飛びまくってしまう。

「この研修医さんはとんでもない御曹司(おんぞうし)さんだわ。私みたいにパートで働くような女と付き合う身分ではない」

姉は研修医との恋ね発展を夢に見たが一気に萎んでしまった。

「私はどうせ売店の安売りアイスクリームがふさわしいのよ」

姉はいじけてしまった。レストランの自家製アイスクリームは甘さが気に入らなくなってしまう。


「お姉さんお願いがあります。僕はしがない産婦人科。まだまだ研修医なんですが。あみちゃんに関してもう少し綿密な医学的データが欲しいのです」

御曹司はあみを出来るだけ監視をしていたいと希望を述べた。


「胎児内胎児は近代医学が進歩をしてやっとわかった病床例なんです」

近代医学の黎明期はほんの100〜150前と仮定するとあみのような幼児出産例はほとんどないに等しいと言われている。


幼児虐待で身籠るの例は枚挙にいとめがないらしい。

「僕を含めて若い産婦人科医や産科医は皆さん注目をしているんですね」


母胎の中で双生児卵がいかにして対等に育つかのメカニックはまだまだ謎が多い。

「医学書にはかなりの率で受精卵は多産卵になっているのではないかと言われています。つまり僕やあなたも双子や多胎児だった可能性がたぶんにあるわけです」

研修医は産婦人科学を話始めたら相手が医学知識があろうがなかろうが平気で話をした。姉は何がなんだかわからなくなってポォーとしてしまう。

「あっごめんなさいね。産婦人科学になると熱が入ってしまうわ。お姉さんまだアイスクリームいただきますか。うちのアイスクリームを頼みましょうかね。エンゼルマークが良いかもしれない。あっウエイトレスさんこちらにアイスクリームひとつ。僕はコーヒーを」


受精卵の多胎児はわかってきた。なぜその後に一人卵になるのかのメカニズムが謎になってしまう。元気のよい受精卵が他の受精卵をけちらかすのか。お互いにライバル心を持ち合わせて戦いを繰り返してしまい勝った受精卵が一人卵として勝ち残りなのか。


子細には人体実験して顕微鏡観察したらわかるかもしれない。


姉は御曹司の研修医の願望を承諾する。

「昼は私があみちゃんの付き添いでよろしいのですが。夜は母親の妹が付き添いになるんですの。妹は正直に申し上げまして大学に不信感を抱くものですから」


御曹司は姉とさっそくにあみの病棟に行く。研修医は大抵は産婦人科教授や助教授の後ろをついていく。

「僕一人であみちゃんに会うのは照れちゃうなあ。えっ、あみちゃんはアイスクリームが大好きなんですか。そりゃあ嬉しいな僕と同じだ。なんでしたらうちのお菓子をパッケージにしてプレゼントしたいなあ。わかりました退院をされる時にはエンゼルマークをパッケージしてドンってアッハハ」

エンゼルマークはあみも好きだったが付き添いをする姉も欲しいと思った。

「あみちゃんがエンゼルマークをもらえたら私ちょっとお裾分けいただきたいなあ。チョコレートのエンゼルパイが食べたいなあ」

御曹司がエンゼルパイにふと見えてしまった。


「あみちゃんを診てみましょう」

御曹司はニコニコ顔からキリッとした産婦人科の医者の顔になる。

「脈拍も血圧も異常はありませんね。ナースの検温にも異常は見られはしない。順調に快方に向かっています。いやね朝の教授巡回の際にデータがちょっと気になったから」

御曹司は幼児の朝の体調と昼過ぎの体調はかなり違っているのかなと納得をした。専門は産婦人科。小児科ではなかった。

「お姉さんありがとうございました。あみちゃんを診察できて嬉しいです。また時間を見ては来ます。よろしくお願い致します」

頭を下げて研修医は産婦人科外来に戻って行った。付き添いをする姉の手元には名刺があった。研修医の名前と携帯電話番号が印刷されていた。

「御曹司さんかあ。私には高嶺の花そのものだわ。どうしようかなあ」

御曹司研修医は暇があればあみを診に病棟にやって来てくれた。あみにも顔を覚えられたようだ。


あみは起きていたら研修医に笑顔を見せてくれた。

「あみちゃんこんにちわ。お医者さんでございますよ。あみちゃんお腹ポンポン見せてね」


あみは来る医者来る医者がお腹を診たがるからうんざりだった。だが面白い研修医にはまんざらではないようだ。

「あみちゃんのお腹は凄いんだよ。魔法さんがいらっしゃるんだから驚かないでね」

あみは魔法さんがいるわっとパジャマの前を開ける。痛々しい開腹跡が目に入る。小さなお腹に痛々しい爪跡であった。


付き添いの母親はとてもではないがあみの傷つけられた跡を見ることができなかった。あみの体を熱いタオルで拭いてやるがお腹だけはダメだった。

「お母さん心配しないでください。傷跡も充分に治ってます。外科担当医が抜糸をされていくでしょう。子供だから回復は早いですね」

研修医は聴診器を外した。するとあみは、

「あみちゃんの魔法はなんて言ってましたかあ」

担当医ならば魔法さんは早く治っていきますだとか、アイスクリームが食べれるまでもう少しですとか子供騙しを言う。


研修医ははてはて?


すかさず母親が助け舟を出す。

「あみちゃんの魔法は先生ではなくお母さんに言っていましたの。あみちゃんお(かゆ)さんをたくさん食べてくださいねって。あみちゃんはお食事を残さないで食べてくださいね。魔法さんはお母さんにはちゃんと言ってくれましたの」


母親の話を聞いて研修医はなるほどと子供騙しに理解を示した。

「あみちゃんのお腹さんね。本当に魔法さんだったよ。あみちゃんがいい子さんにしていたらあとからわんさかお菓子さんがもらえるよって。お菓子(エンゼルマーク)に足が生えてあみちゃんの枕にやってくるらしいよ。先生も楽しみだなあ。やってきたらパクパクしちゃうよ」

あみはお菓子さんと聞いて喜んだ。

「エンゼルマークのお菓子さん。わあーいわあーい。あみちゃんはお菓子さん大好きダモン。魔法さんがお菓子をくれるのね。楽しみですよピピポッピ〜」

あみはエンゼルマークのコマーシャルを口真似した。このエンゼルマークが功を奏したらしくあみは元気が出てきた。早く良くなってお菓子を食べたいなあと真剣に思ったらしい。

「(研修医の)先生ありがとうございます。あみちゃんにお菓子が来るなんて(子供騙しな)口裏を合わせていただいて」

母親は頭を下げてお礼を言った。あみの喜んだ顔は久しぶりだったから余計に嬉しかった。

「アッハハ。お母さんそんなことでしたらお安い御用でございます」

研修医は母親の手を持ちあみに聞こえないようにと廊下に出た。

「近くエンゼルマークのお菓子があみちゃんの枕元にどっかって届きますから。お母さんも驚かないでくださいね。あみちゃんの魔法さんは偉大だなあ」


翌日のお昼にあみは宅配便の訪問を病棟に受けた。

「ちわぁ宅配です。こちらの病棟にあみちゃんって方はいらっしゃいますか。天使(エンゼル)のような可愛らしい女の子だと聞いてますけど」

あみは喜んだ。宅配は華やかなエンゼルマークのお菓子詰め合わせを両手いっぱいに抱えて病棟に入ってきたのだ。

「わあっ凄い」

あみはヨイショっとベッドから起きてきた。手術後初めて起き上がった。


母親はあみの回復に目を細めた。

「あみちゃん頑張ったね。オッキできたわね。偉い偉いなあ」

母親は宅配に判を押すとエンゼルマークを一抱え受け取った。

「凄いなあお母さん。あみちゃんの魔法さんは凄いやあ」

母親はベッド横に置かれた研修医の名刺を取り出した。


番号を確かめながら携帯に電話をした。

「もしもし先生でございますか。あみの母親でございます。たった今お菓子が届きました」

あみは詰め合わせの中身をひとつひとつ確かめていた。

「エンゼルマークがいっぱいのお菓子詰め合わせに大変喜んでおります。あまり元気がない様子でしたが今は喜んでむしろハシャイでいますわ。元気いっぱいでございます。ありがとうございます。なんとお礼をしたよろしいかわかりません」


母親が電話をしていたら姉が入ってきた。お姉さんは入念に化粧を施し赤い派手目な服を着こなす。あらあらっスカートは32歳独身にしてはかなり短い。見るからに研修医の気を引くぞの姿勢が見て取れた。


「こんにちは。あらっあみちゃん凄いわね。お菓子の宝物じゃあないの。それ全部あみちゃんのお菓子さんなの。叔母ちゃんも欲しいなあ」

あみがベッドでお菓子詰め合わせにホクホクしている姿を見た。あみは喜んでお菓子の包みを高くあげて見せた。エヘヘと可愛らしくはにかんだ。


「お姉さん。(研修医の)先生からお菓子詰め合わせをいただいたの。今ね先生にお礼をしているところなの」


姉はお見舞いの品は研修医からと聞き色めき立つ。

「私からも謝礼を言わなくては」

妹から電話を受け取った。

「先生こんにちは。姉でございます。大層なお菓子ありがとうございます。姪っ子のあみちゃんがハシャイでいますわ。私も甘いものには目がないでございますから嬉しかったです。特にエンゼルマークなんて」

姉は携帯を隠すようにヒソヒソと喋る。気分としては恋する男性と仲良くしている最中であった。


「いやああんな程度でしたらお安い御用です。そうですかあみちゃん喜んでくれましたか。あみちゃんの魔法さんがエンゼルマークのお菓子を呼び寄せたんでしょうね。大変な効果がある魔法さんだアッハハ」

姉は研修医は今日来られますかと尋ねた。

「私は先生にお礼がしたいですわ。姪のあみも先生にお会いしたいと申しております」

研修医は恐縮しきりである。

「まあお姉さんがお礼ですか。僕照れ屋さんになってしまうなあ。今日はお昼は忙しいから夕方に病棟お邪魔しますね。うーんちょっとタテコンでいるから夕方過ぎかもしれませんね。実はあみちゃんのデータを学界発表する最終段階なんでして」

夕方には顔を出す。姉の顔が見たいから病棟には行きたいと言って携帯を切った。

「まあっ嬉しい。先生来てください。私お待ちしております。はいっワクワクして待ちますわ。来て来てちょうだいね」

姪っ子のあみがホクホク笑顔ならば叔母はワクワク笑顔であった。


にっこりとした叔母に姪っ子あみは小さな手でエンゼルパイを渡す。叔母は大好きだと知ってるから渡した。

「叔母ちゃんエンゼルパイさんひとつどうぞ。エンゼルパイが叔母ちゃん大好きよって笑ってます。ピピポッピ〜」

エンゼルパイのコマーシャル入りであみは渡した。


姪っ子あみからエンゼルパイのバニラを叔母ちゃんはもらった。

「わあっあみちゃんありがとう。叔母ちゃんねバニラ大好きなの。さっそくいただくわ。パクパクしたいなあ」

叔母は嬉しい顔をしてエンゼルパイの銀パッケージを開く。中から大好きなパイが出てきた。

「あれっちょっとちょっと。あみちゃんこれって普通サイズと違っていないかしら」

姉が見たエンゼルパイは市販のそれとはまったく異なる特別仕様だった。

「どこう食べてみるわ。パクッ」

美味しそうにエンゼルパイを食べた。かなり甘さが違っていた。

「あみちゃん叔母ちゃんね頬っぺたが落ちちゃう。美味しいわあ」

叔母は満足してパクッついた。


姪っ子のあみも叔母の食べっぷりに刺激されて一口食べた。

「うんぐぅ」

あみは小さなお口にパイを頬ばる。


噛んだだけで吐いてしまった。甘さが不快に感じてしまい体が受け付けてはくれなかった。

「あみちゃんもういらない。エンゼルさんさようなら。あみちゃんいらないのエンゼルさんごめんなさいね」

あみは淋しい顔をしてベッドに潜り込んだ。母親は心配しながら布団をあみに掛けた。


「まだお菓子は早いみたいね。お腹の魔法さんが食べてはいけないさんと言ったようね」

母親はエンゼルパイを包み直しあみの枕元にそっと置いた。


大学附属病院教授室。産婦人科と小児科の医療スタッフが全員揃い会議をしていた。各々の教授クラスが集まり学会への正式な報告データを取りまとめて行く最終段階だった。メインは産婦人科である。


「産婦人科さんには頭が下がります。妊婦のあみちゃんの出産を扱い大役を果たしてくれました。改めましてお礼を述べさせてもらいたいです。我々小児科としては幼児の妊娠など前代未聞の医療行為を目にして正直驚くところですから」

小児科教授がまずは挨拶をする。

「我々小児科といたしましてはこの幼児妊娠を胎児内胎児と位置づけるにあたりかなりの苦労もありました」

教授は手元の資料ファイルを眺めながら首をかしげた。


小児科医の間であみの妊娠にかなり疑問点があるのではと論議がされてはいたのだ。父親もなく妊娠をすることが非科学的なことであると。また母胎の中で双生児が誕生をしDOUBLEモンスターに成長をしていくプロセスは医学や生理学でも説明材料が乏しく非科学的と見なされてしまった。

「我々の小児科としましてはこの幼児妊娠は厄介な存在になります。世間では何かと気を揉んで興味を持たれたお騒がせDOUBLEモンスターですけどね」


小児科医たちはあみの聞き取り調査や父親母親の家系などの資料から遺伝学的な面を押さえてみた。

「父親は双生児はおりませんが母親にはかつていたようですね。出産記録はかなり古くて信憑性には欠けるのが難点なんですけども」


母親の家系は多産であった。農家の出であるらしく三世代遡ると10〜12兄弟が確認された。双子(ふたご)や三つ子など出生を確認されていく。

「多胎児は育ちはしませんでしたがこの世に顔は出してはいます。多胎児が産まれやすい家系と言えるでしょうね」


御曹司の研修医も熱心にメモを取りあみの家系を知る。サラサラと書いたメモを見ながらノートパソコンにインプットしていく。

「多胎児はわかる。体質的なものがあるということだ。問題は多胎児がどうしたら成長が止まってしまうのか。さらには他の胎児に寄生してしまうのか。ふたつの疑問が未解決なわけだ」


小児科医が順番に発言をする。

「幼児あみちゃん今までの健康診断は幼稚園と小学校での二回だけでございます。手元の資料ではレントゲン画像ぐらいしかございません」

あみが新入生で撮ったレントゲンが公開をされた。

「そんなレントゲンぐらいに何か映れば苦労はないであろうに」


画像にはかわいらしい骸骨が映し出されていた。幼児あみの骨格はいかにも華奢な感じであった。注目すべき点は骨盤が他の骨身よりはガッチリとして見えるぐらいである。成人女性ならば安産タイプであった。

「見ようによっては胎盤の形成準備。しかしなあ単にでっかいお尻だとも見えるな」

研修医は何度か画像を凝視したがなんら確信は得られはしなかった。


教授会議が終わる。研修医はふぅっと一息ついてから立ち上がる。

「長い会議だったなあ。パソコンを長い時間眺めていたから疲れたよ」

両手を挙げて背伸び。アイスクリームが食べたくなった。

「売店の市販アイスクリームにするかな。ここの売店にはエンゼルマークがないからなあ。ライバルのメーカーはあるけど。今度から仕入れるように売店のオバチャンに言わないといけない」

研修医は立ち上がる。


あみの病棟。

付き添いの姉と妹(あみの母親)がいた。姉はそろそろ帰りましょうかと腰を浮かすところである。

「お姉さんあみちゃんの付き添いありがとう。後は私が看てますから御心配なく」

妹としては早く姉に帰ってもらいたかった。


「うん。もう少しいようかな(研修医が来るまで)あみちゃんも叔母ちゃんがいなくなると寂しくなってしまうからねっ。あみちゃんが泣いたりしたら嫌だから」

あみを出汁(だし)に使っていた。


「こんにちは。おやっ皆さん御揃いですか」

夕陽が沈みかけた頃のあみの病棟。姉の待ち望んだ研修医はやってきた。

「こんにちは遅くなりました」

御曹司が姿を見せたから喜んだ喜んだ32歳独身の女。まるで病棟で跳び跳ねるかのごとし。

「まあいらっしゃいませ先生。お待ちしておりました。さあさああみちゃん。かっこいい先生がいらっしゃったわよ」


32歳独身。派手な真っ赤な服と短めのスカートで憧れのドクターを見た。研修医の心をガッチリと(つか)むことはできるか。


「こんにちはお姉さん。遅くなりました。あみちゃん元気だったかな。おっ顔いろはよろしいですね。エンゼルさんがあみちゃんを元気にしてくれたかな」

研修医は姉の存在(赤服ミニスカ)気になることもなくさっさとあみの診察に入る。ベッドサイドにある検温データをザアッと確認した。さして異常は認められはしなかった。

「脈拍も血圧もいいな。お通じもっと」

白衣から聴診器を取り出す。

「さあっあみちゃん。お腹の魔法さんと先生はお話がしたいなあ。エンゼルさんはどうですかって聞きたいなあ」

あみはエンゼルマークを研修医からもらったことを知ってる。

「はいっ先生わかりました。あみちゃんの魔法行くわよ」

あみは喜んでパジャマをはだかす。あみの開腹跡はかなり治っていた。

「おっ凄いやあ。よし魔法さん聞きたいぞ」

あみはにっこりした。


「あらっ私って」

姉はいなくてもよい扱いに、

「どうしましょう」

戸惑うばかりであった。


「だいぶ快復されていますね。抜糸はうまくいきましたね安心しました」

研修医は聴診器を白衣にしまい真面目に母親に言う。言われて母親はそうですかと軽く相槌である。


ベッドのあみは不満さんである。

「せっかく先生にあみちゃんのお腹の魔法さんに会わせてあげたのに。先生はなんにも魔法さんからは聞かなかったのかな。つまらないなあ」

あみはプイップイッっと()()ねである。


あみの膨れ(つら)を見てハタッと研修医は気がつく。


あっしまったっ!


「あみちゃんあみちゃん忘れていた。お腹さんねお腹の魔法さん言っていたよ。先生にねあみちゃんはもう少し我慢したら退院させてあげてくださいって。退院したらあみちゃん小学校に戻ってもいいですよ。もう少しの辛抱さんですからね」


取ってつけたような嘘っ子供騙し。幼児のあみは嬉しかった。

「本当ですかあ。あみちゃんの魔法さんが教えてくれたの。小学校に行ってくださいって言うのね。あみちゃんいい子さんしていますよ。あみちゃんお腹痛い痛いさん我慢するモン。魔法さんにちゃんと教えておいてね」

ベッドの上のあみはすっかり上機嫌さんになった。機嫌が悪いのはあみの叔母ちゃん。

「アッハハあみちゃんには勝てないなあ。よし魔法さんにあみちゃんはいい子さんしてますよって教えてあげるからね。さて僕も帰りますかね」

研修医はちらほら叔母の方に視線をやる。

「あみちゃん実はね」


研修医はあみのデータを採取したらその足で東京に戻っていく予定だった。

「こちらの大学病院には本当に研修短い期間だけのつもりだったんだ。だけどあみちゃんがあんまりにも可愛いから長くいることになってね」

研修医は一旦東京に戻りあみのデータを医学書にまとめなくてはならないと告げた。

「こちらの病院主治医さんからの診察カルテ記録を参考にするだけです。まず戻ってくることはなくて」

戻って来ないと言われれてあみはベッドから手を振った。

「先生さようならね。エンゼルマークの先生さようなら」

優しい手の振りだった。

あみには別れの意味がよくわかってはいなかった。


あみは研修医とさようならでよかったが良くはなかったのは、

「えっ先生東京に帰ってしまうの」

気が動転した32歳独身。

「そんなぁ。いきなり東京に行ってしまったらもう会えないわ。あみちゃんはさようならだけど」(32歳独身は一生独身を覚悟しなくてはならなかった)


姉は血相を変えた。この瞬間を逃がしたら医者・御曹司・国立大学・エンゼルマーク全てを失いかねない。言われた研修医はさらにまごついた。

「うーん東京から来ないということもないですけども」

研修医は歯切れが悪い。


姉は狙った獲物が東京に行くわ。逃がしてはならないわっシャカリキになる。

「今夜は先生とお別れなのですか。ならば先生私と最後の晩餐会をいたしましょう。あみちゃんのお礼もしたいと思います。私のお気に入りのレストランにご招待させてくださいませ」

姉が懸命になっているのをあみの母親はハラハラしながら見守った。

「お姉さん頑張って。我が家の独身最年長記録保持者だから」

あみベッドの上から叔母ちゃんの様子を見た。叔母と先生はどうなるのかなっ。子供心に、

「なんだろうかな」


姉はもうこうなったら、

「どうとでもなってしまえっ」

半ば捨て鉢状態で一気に研修医に思いの丈をぶちまけた。


「あっ晩餐会ですか。喜んでお供致します。どうですか皆さんも一緒に行きませんか。主治医の許可があればあみちゃんも近くなら大丈夫」


はらっ


姉は目が点になってしまった。

「願いが叶ったわ」


あみは外に出られると聞いて喜んだ。

「わあーいオンモに行けるの。嬉しいなあ」


さっそくに主治医の外出許可を取る。

「あみちゃんの外出許可か。付き添いに産婦人科医がつくのか。君が付き添いかね。まあ芳しくはないがちょっとぐらいなら目を瞑るか。冷たいものや熱いものは食べてはいけないよ」

あみは許可をもらうと車椅子に乗せられた。乗せてもらうあみは遊園地の車みたいな気分で喜んでいた。


叔母は研修医と仲良く並んで歩く。好きな男性と一緒にいられる幸せから姉は大ハシャギだった。真っ赤な服にミニスカ姿。宵闇に紛れ込むと夜の商売に間違ってしまう。


後から車椅子を押した母親がついていく。あみにとっては入院以来初の外出になった。

「あみちゃん嬉しいなあ。わあっ空気が美味しい。早く退院したいなあ」

あみにとっては街の騒音や排気ガスすらも新鮮なものと映るようだった。


4人は近くの和食レストランに入る。回転式ドアを押し館内に入ると落ち着いた雰囲気になる。


母親はレストランの中を眺め二人の邪魔はいけないなあっと察する。

「お姉さん私はあみちゃんと流動食をいただくわ。あみちゃんお食事をこぼしたりいたしますから。あちらの景色がよく見える窓側に行きます。あみちゃんは長くレストランにはいられないでしょう。お姉さんと先生はごゆっくりしてください」

姉には分かれて行きますと言う。あみの車椅子を母親はグイッと押しスタスタと別行動で行ってしまった。

「あみちゃんはお母さんと一緒の景色のいい席がいいわね」

あみとしてはどこの席でもよかった。

「お粥さんをお母さんと召し上がりましょうね。玉子とお魚さんのやつがいいかな。御子様ランチがあみちゃんにはお薦めさんだけどちょっと無理かな」


姉と研修医。最後の晩餐会を和風レストランで過ごす。

「そうですね。せっかく妹さんが気を利かせてくれたんですからいかがですか」


研修医は真っ赤なミニスカ姉をエスコートした。

「うーんちょっと頼みがございますお姉さん」

研修医はレストランを辞退してバーラウンジを希望した。レストランの正面で流しのタクシーを拾い、

「運転手さん公園のスカイタワーに行ってください。今からなら渋滞込みで20分ぐらいで行けるね」

スカイタワーラウンジは人気の場所。若い恋人同士がいくナイトスポットで有名だった。姉は女子高生時代から行きたくてたまらなかったデートスポットのひとつであった。


行きたいと考えても行く相手がいなかった。

「ヒャア〜私一度でいいからスカイタワーに行きたかったの。昼はバイキング食べ放題があるの。夜はウフゥーンやだやだ恥ずかしいわ」

タクシーの中で盛んに照れ照れしながらミニスカを引っ張った。もじもじと恥ずかしいから引っ張るたびに赤いスカートから白いパンティがこぼれた。


タクシーは大した渋滞もなくスカイタワー前に到着をする。研修医は先に降りて、

「さあ着きました。ご存じですかこのスカイタワー。この展望台からは昼間は港が眺められ天気がいいと太平洋の入り江まで見えるんですよ」

姉はそんなことはとっくに知っていた。女子高生時代から愛読した雑誌。あり溢れるくらい特集されたデートコースのひとつとなる。人気の高いスカイタワーを常に紹介されていた。

「あらっそんなに眺めがよろしいのですか。私一向にスカイタワーは知らなくていけませんわオホホッ」

咄嗟(とっさ)に突いて出た言葉であった。

「あちゃあ私ってお姫かぶってしまったわ。どないしましょ」


二人して展望台入場料金を支払い展望台ラウンジまでの直通エレベーターに搭乗をする。

「スカイタワー展望台のお客様に申し上げます。申し訳ございません。ただいま展望台ラウンジが大変混雑いたしまして満席となっております。今しばらくお待ちくださいませ」

待ち時間の立て札が掲げられた。エレベーターガールの言うには降客の人数だけ展望台にあげる制限をしていると言う。

「しばらく待てば大丈夫ですよ。人数制限されていたなら必ずラウンジ席はあるのですから。考えようによっては安心です」


順番待ちも後からどんどん恋人たちが並ぶ。

「ヒャア〜みんな彼氏持ちばかり。エヘヘッ私だって今はちゃんといますからね」

32歳独身は生まれて始めて優越感を芽生えさせた。


恋人たちは手を繋いだり肩を寄せあったり。手を繋がない肩を抱かないは姉と研修医だけだった。


あちゃあ〜


展望台へのエレベーター順番が来る。カップル同士4〜5組が乗り込んだ。

「お姉さんやっと展望台に行けますね。パノラマ展望を楽しみにしましょう」

颯爽と乗り込んだのはいいが他のカップルは邪魔だった。エレベーターが昇り始めたらギュギュと抱きしめ合っていく。しっかり愛を見せつけていた。


まったくガキのくせしやがって。オバサンは頭に来ているんだぞ。後ろから蹴り入れたろっか。


スカイタワー最上階展望台のラウンジは混雑していた。

「混んでますね」

運よく湾が見える席が空く。サーバーは二人を上席に案内した。研修医はよしよしとついていく。

「長く待たされた甲斐がありましたね。さあさあ座りましょう。いやあ眺めが素晴らしいなあ。港の夜景がまた一段素晴らしい。お姉さんぐらいに綺麗に見える」

研修医はニコニコしながら姉を見た。


窓際席についた姉はムカッとしていた。エレベーター内でアベックが目の前でイチャイチャしたため興奮状態。研修医の台詞がよく理解できなかった。


ウエストレスがオーダーを取りにやって来る。

「二人とも(子牛の)フルコースをお願い致します。焼き具合はミディアムで頼みます。お姉さんもよろしいでしょうか」

子牛と聞いてゴックン。もはや食欲は収まりがつかない。

牛肉(ビーフ)大好きなの。やだあこんな高級ラウンジで食べるのなんて」

目に置かれたナイフ&フォークを見たら緊張感が走る。

食前酒(アペタイザー)はワインを頼みます。彼女はどうかなっ。ワインですかビールですか。お好きなものをどうぞ」


飲み物は何かと聞かれハタッと悩む。普段は日本酒だが。

「私はひとり手酌(てじゃく)日本酒(ぽんしゅ)ガバガバが好きなんだけど。まさかねこんなラウンジレストランで茶碗酒とはいかないから」

しおらしく研修医と同じワインをと言ってみた。

ワインもウィスキーもガブガブと飲みまくれたらうまいのかなと思う。


銀器(シルバー)だけのテーブルにキャンドルが運ばれた。二人の恋人ムードはいやがおうでも高まる。

「週刊誌で見たとおりのサービスだわっ。私毎日でもここにやって来たいなあ。連れて来てもらう相手がいたらなあ」

昔からのデートデータの知識を確認する。

「女子高生時代からの夢なんだ。素敵な夜が今あるのは夢が叶ったのよ」


研修医はメニューを眺めながら一通りのオーダーを済ませた。フルコースの選択は意外に多岐に渡り面倒である。

「とまあこんなところでひとまず。お姉さんもよろしいですか」

ウェイターは前菜料理から運ぶ。


小皿の前菜が綺麗に並ばれたらソムリエがゴロゴロと音を立ててワインを台車で運ぶ。

「今晩はお客様。失礼致します」

ソムリエの手によりワインボトルがセレクトされた。冷えたアイスボックスから一本が選ばれ、

「今晩のお料理にはこちらのワインはいかがですか」

ソムリエは二人に選ばれたワインを説明し始めた。

「たくさんのワイン種類があるのね。どれがどれなのか選んでいただかないとわからない」

赤いワイン白いワインとワインセーラーボックスはいろいろ取り揃えられていた。

「お嬢様ようこそ当ラウンジにお越しくださいました。私ソムリエはお客様のお料理に最も合ったワインを一本セレクトさせていただいております。子牛のソテーにはこちらの一本をお勧め致します」

手際よくアイスボックスからセレクトボトルを抜く。白いクロスで底を押さえコルクがスポンっと抜かれた。


ワイングラスはキャンドルの炎の中で優雅にゆらゆらと光る。


「乾杯をしましょう」

赤い服の32独身女は夢にまで見たラウンジでの晩餐会が今始まる。ワイングラスを合わせた。カチッと小さくガラス音が響く。

「お姉さんいかがですか。落ち着いた気分になれましたか。僕は好きなワインが飲めて光栄の至りです。夜景は綺麗だし料理は美味しい。ラウンジは高いと最高ですよ」

姉はもちろんですわっと頷く。乾杯をして赤ワインをグイッとやる。鼻先にほんのりと甘い香りが漂う。まろやかな感じがした。


一口含む。口当たりよろしくワインの芳醇さが広がり美味しかった。

「わあっ美味しい」

素敵な夜は訪れた。


研修医はワインの酔いに任せ快活に会話を進める。元来から話好きなタイプなようで姉は聞き役に撤した。医学からエンゼルマークからと話題は尽きない。いかようにもスマートな紳士であった。

「先生はなんでも御存じなんですね」

前菜が引かれてサーバーされていくのはメダイオンである。子牛のソテーがジュウジュウ美味しい音を立てながらテーブルに並んだ。

「わあっ凄い」

ワインの酔いが少しまわり食欲がそそられる。

「このお肉柔らかくて美味しそう」

ソテーを目にしてついつい本音が出てしまう。研修医はもちろんという顔をして、

「そりゃあ美味しいですよ。産地直送の子牛ですから」

サービスが終わりウェイターが失礼いたしますといなくなる。


待ちきれずに一口食べてみたら、

「あんっいゃ〜ん。ほっぺたが落ちちゃう」

なんともしまりのない情けない顔になってしまった。

「そっ、そりゃあよかったですね」

研修医なぜが冷や汗が出てしまい顔をハンカチで拭いた。


病院近くのレストランのあみと母親。親子二人だけとなりのんびりとする。あみは久しぶりの外出を楽しんでいた。いつも眺めた病院からの景色はもう飽きてしまった。

「お母さんレストランのお粥さん美味しい。玉子さんが柔らかくて美味しいわ。だけどあまり食べたくない。デザートは何があるの。メロン・グレープフルーツ。お菓子はアイスクリーム、プリンなのね」

あみはそれでも少しは食欲が出てきたようでご飯茶碗半膳ぐらいは食べてくれた。デザートはアイスクリームを欲しいと言った。

「あみちゃん無理しないで。少しでもいただいてくれたらお母さんは嬉しいわ」


あみは食事が終わるとラウンジのテーブルから離れたくなる。レストランの窓から外の景色が見たくなった。街を走る自動車や歩く人をただ眺めるだけでも楽しく感じられた。

「いいなあオンモは。あみちゃん早く退院したいなあ。小学校のお友達と仲良く遊びたいなあ」

街行く風景に母親と童女連れがたまたま信号待ちをしていた。童女はあみぐらいの年格好であった。ちょこまかちょこまかと歩く。手を繋いだ母親に一生懸命についていく。

「あの子いいなあ。あみちゃんも早く元気になります。元気になったらお母さんに公園に連れて行ってもらいたいなあ。お花いっぱい咲いた公園に行くの。あみちゃんはお弁当さんにサンドイッチをたくさん作って持っていくの」

あみは外を眺めながら母親の手を握る。


母親は出産してからのあみが元気になることを見て安心していた。

「こんな幼い子供がお腹を切って。成人の経婦さんだって産後の肥だちは回復しないというのに。まったく子供の時から車椅子なんかのお世話になったりして」

母親はそっとあみの髪の毛を撫でてやる。窓を眺めながらあみは、

「ねぇお母さん。叔母ちゃんはどこに行ってしまったのかなあ」

あみも独身の叔母と研修医の仲が気になっていたようだ。もしも叔母が結婚をするようなことがあればどうなるかと考えた。

「叔母ちゃんの旦那さまになるのだから。あれっ、あみちゃんの(義理)叔父ちゃまになるのかな」


母親はあみの独りごとを聞いて笑ってしまう。


「あみちゃんったら」

まさかお医者さまが結婚したいなんて言わない。あのそそっかしい姉と恋仲になるとはまったく考えられなかった。


「ハックション」

姉はスカイタワーでひとつ大きなクシャミをする。楽しいラウンジでの食事の最中だった。

「おやっお姉さんどうかしましたか。ラウンジの空調が効き過ぎたかな。肌寒くなりましたね」

研修医はナイフを止めた。医者であるから姉の顔いろをじろじろ眺めた。

「寒いかもしれませんね。スカートも短いから冷えてしまったのかもしれない」

姉はスカートを言われて恥ずかしくなった。

「ちょっと化粧を直してきますから」

そそくさと席を立つ。

「なんでクシャミ出たんだろ」

首を何度もかしげながら化粧を直した。


ラウンジのフルコースはデザートのみとなる。

「先生大変美味しかったですわ。こんな素敵な夜を過ごすこともできましたし」


誰も誘いがなければ今頃は手酌で日本酒呑みながらいっぱいやっているところだった。30独身女の哀れさが滲み出たような夜がいつものように訪れていく。

「私も楽しい夜が迎えられて幸せです。もう東京に帰りたくないなあアッハハ」


食事が済みラウンジの席を立つ。研修医は姉の肩に手を伸ばしてきた。そして耳元で甘く囁いた。

「あちらの展望台に行きましょう」


姉は体の芯に電気がピリピリ走った。期待していた一言があった。無言で従う。肩には研修医の優しい手があった。


ラウンジから展望台に向かうとそこは二人だけの世界だけがあった。パノラマ展望台の至るところで恋人たちが肩を寄せあい甘いムードを漂わせていた。


研修医は肩の手をさげた。腰にスッと手を回してきた。姉は待ってましたっと背筋に快感が走った。

「キャア幸せだわゾクゾクっワクワク」

嬉しくなる。夢なら醒めてくれるなあと願ってしまう。


展望台の空いたシートを探してどっこいしょ。仲良く並んで腰かけた。


生まれて初めての経験になる。肩を抱き寄せられた。髪の毛の(ほつ)れが恥ずかしくなる。男の胸板の厚みを感じる。

「展望台からの眺めは最高だね」

研修医は景色を話題にするがまったく耳に入らない。(うわ)の空となった。


「こうして夜景を眺めていると懐かしい気分になる」

姉には懐かしいの意味もなにもさっぱり耳には残りはしなかった。あくまで夢の中であった。


「夢なら覚めないでね」

研修医の胸に顔を埋めた。


スカイタワーの夜景は眩いばかりに光輝いて見えた。


病院近くのレストラン。車椅子のあみが窓の外を眺めていると宵闇の中霧が発生してきた。街頭の景色はぼんやりとしか見えなくなってしまう。


それを見たあみに偏頭痛(へんずつう)が襲う。

「お母さん。あみちゃん頭が痛い痛いさんだわ。あーん痛いなあ。我慢さんできない。イヤーンダメだわ」

母親に抱きついて泣き出してしまう。

「あみちゃん大丈夫。すぐ病院に戻って行きましょう」

あみの頭を撫で撫でしながら車椅子を押す。

「早く病院に戻って行かなくては。あみちゃん久しぶりに外の空気に触れたから体調が悪くなってしまったのね。霧だからじめじめして体に悪かったかな」

あみは病棟に戻るまで泣き声が止まない。エレベーターを上がり病棟に戻る。

「どうしましたか。あみちゃん」

ナースステーションで担当の産婦人科医に診てもらう。担当医はすぐに鎮静剤を投与した。あみは泣きやみスヤスヤと眠りにつく。医者は経婦にありがちな病症だと判断をする。


ベッドに眠りあみは悪夢に(うな)され始める。DOUBLEモンスターが現れた。


「姉さん姉さん。ねぇ聞いているんだろ。僕っさあ」

鎮静剤でぐっすり眠りに落ちたあみを待ち受けたのはDOUBLEモンスターの弟であった。


あみはぼんやりとした夢の中をさ迷う。弟の姿を懸命に見ようとする。弟の姿はいつもより大きく見えはっきりとした輪郭が確認された。


DOUBLEモンスターは幼児から小学校入学あたりの体長であろうか。背中にはランドセルがあった。夢の中で霧が晴れた。

「弟くん成長したね。幼稚園さんから小学校さんにあがったのね。おめでとう」

あみは弟に問い掛けた。夢の周り景色は霧のモヤモヤでどうしてもはっきりとは見えなくて困ったが今はクリアになる。


DOUBLEモンスターは頭をかいて少し照れていた。小学校の制服を着て誇らしげに手にした帽子を被る。その学帽子はあみの地元にある有名私立学園附属小学校のものだった。

「弟くんは(有名な)附属に入学をしたんだね。賢いんだね。あみちゃんとは違うね」


弟は帽子をグイッとかぶり直した。あみに褒められたことが嬉しかったらしい。笑顔を見せた。

「そうさ附属だよ。僕勉強が好きなんだ。学園では習うことすべて好きなんだ」

ランドセルの中身を開いた。あみにひとつひとつの教科を教えてみせた。

「すごいね。しっかり勉強しているんだね」

小学校1年のあみにまったくわからない教科ばかりだった。


「お姉さん一緒においで。附属小学校に連れて行きたいんだ。学園には尊敬する先生やお友達がいるんだよ。だからおいで」

DOUBLEモンスターはあみの手をグイッと持った。強引なやり方であみを抱き抱え空を飛んでいく。


DOUBLEモンスターは上空に舞い上がり雲に近くなる。あみは(もや)の中で息が苦しくなってしまう。

「弟くんあみちゃんねっゴボッゴボッ」

呼吸が乱れてきた。空高く舞い上がって苦しいのか霧だからか。空気を吸っても吸っても苦しくてたまらない。


あみが苦しい表情を見せたらDOUBLEモンスターはニヤッと笑う。顔全体が薄気味悪い悪魔の形相に変わった。

「あみちゃん苦しいゴボッゴボッ。息ができないの。もうダメだわ。楽になりたい」

あみが楽になりたいと言うと、

「そうかいそうかい。お姉さんは早く楽になりたいか。そうなんだね。だったら希望通りにしてあげるよ」

DOUBLEモンスターは懐からキラキラ光る刃物を取り出した。あみを一突きするつもりだ。


あみちゃん逃げろ。殺されてしまうぞ。


あみは刃物にはまったく気がつかない。ただ喉を押さえゴボッゴボッしているだけであった。


「あみちゃんあみちゃん。大丈夫かしらっあみちゃんってばぁ」

母親が揺り動かした。あみは目を覚ます。病棟のベッドであみは悪夢に(うな)されていたのだ。体から玉の汗が流れ(うわごと)を繰り返した。


母親は居ても立ってもいられなくなりあみを起こした。あみは間一髪だった。


「ふぅ〜」


あみは目覚めると悪夢を覚えていなかった。


病棟の天井と母親そして担当の産婦人科医とナースがわかった。

「あみちゃん大丈夫かい。悪い夢でも見ていたかなアッハハ」

ナースが脈拍と体温を測る。脈拍はかなり高い。

「あみちゃん今の気分さんはどうかな。気持ち悪くはないかな」

担当医は聴診器をあてがう。脈拍の異常さは全身を襲う痙攣(けいれん)らではないかと診た。ナースに看護の指示を与える。あみに気分はどうですかと重ね重ね聞いた。

「あみちゃん大丈夫。あみちゃんの頭痛い痛いさんなくなったの。平気だもん」

頭を襲う痛みはなくなったが全身が震えてしまう。産婦人科医は経婦によくある現象だと診断を下す。

「しばらく様子を見てみますかっ。大したことはないと思いますよ」

担当医は御大事にと言い残し病棟から出て行った。


母親はあみの額に手をあてた。汗だくであった。


あみが一段落ち着く頃に姉と研修医が帰ってきた。姉はちょっと不思議な顔をしていた。決して浮かれてはいなかった。


「あらっお姉さんお帰りなさい。いかがでございましたか先生と御一緒で」

さぞかしお楽しみではなかったかと妹は思ったが。


姉は妹から言われてもプイッと横を向いて知らんぷりであった。


あみのベッドの回りをグルリと見渡す。サイドボードの手荷物をまとめて持つと、

「私疲れたからもうおウチに帰っていくわ。あみちゃん明日会いましょうね」


研修医にも妹にもろくろく挨拶せず出て行ってしまった。


母親はツッケンドンな姉を見て、

「またなにかお姉さんの我が儘が始まったな。原因はわかんないけど」


研修医はソワソワしながら申し訳なさそうに口を開いた。

「いやぁ参りましたね。悪いのは私の方なのかな。お姉さんを怒らせた原因は僕だなあ。何というか」

研修医は頭を盛んにかいた。


病棟のあみと母親はお互い顔を見合わせた。


研修医と姉はスカイタワーの展望台でアツアツなムードだった。研修医の優しい手がたまらなかった。

「わあっロマンチックだわあ。夢じゃあないわ、夢でないわ。美味しい料理でお腹もふくれているから夢だとはありえない」

姉は展望台のソファに座りながらミニスカートを気にした。

「ダメちゃんとお座りしないと見えるわ」

だけど頭の中は好きな男のことでいっぱいになり自然と腕の中に抱かれていく。


「私どうしましょう」


展望台という最高の場所ムードが高まる。研修医から付き合ってと言われる可能性。プロポーズに発展していよいよ念願のゴール結婚に辿りつける可能性。


姉はひとりニヤニヤし始めた。32歳独身はいよいよクライマックスになり『独身時代に終止符』が決まるのかと。


「お姉さん展望台からの素敵な夜景ですね」

研修医はワインのほろ酔いも手伝いムードにも酔う。

「こんな素敵な夜があるなんて」


娘も連れて来たらよかった。


研修医は何事もなかったかのごとく姉の耳元で。


アガッ〜


32歳独女の姉は目が点、頭が真っ白になる。


娘っ


姉は研修医の腕の中でなぜかパンチを浴びた気分になる。


「娘を連れて来たい?」

姉は繰り返した。

「娘って?」

気が付く。

「む・す・めと言ったわ」

娘は女のことだわ。

「先生は『娘』って言ったのよね。スズメでないわ。お酒の『福娘(むすめ)』ってこともないわ」

研修医には娘がいると嫌々ながら理解する。

「エッ先生は独身ではなかったの」


研修医は医学部6年在籍中に学生結婚をしていた。当時女子高生だった医学部先輩の娘さんの家庭教師をしたのが縁となる。医学部時代の学生結婚はかなり話題になった。


「僕の娘は小学校4年です。なかなか忙しくてどこにも連れて行かれなくて。まったく悪い父親ですよ。顔を見ることも稀れになってしまいました」


ミニスカートの姉はガバッと足を開いた。白いパンティを景気よく見せながら立ち上がった。

「先生は独身ではないのね」


研修医はポケットから写真を一枚取り出す。

「妻と娘です。もう半年会っていないかな」

かわいい奥さんと娘さん。にっこり微笑んで写っていた。奥さんは姉とは比べられないくらいにチャーミングな女性だった。女優松嶋菜々子に似ていた。


「菜々子に似て。アガァ〜」


それ以後姉はあみの病棟に姿を現すことはなくなった。


あみはちょっと残念な感じである。

「おばちゃんはどうしたのかな。あみちゃんがお電話してあげたいな。もしもしおばちゃんですかぁ〜病院の先生がおばちゃんに会いたいと言ってますよ。あみちゃんからのお願いですよ」

母親がまずは電話をする。が姉は出ることはなかった。あみが会いたいと言ったとしてもガンっとして出ることを拒否していた。

「あみちゃん。おばちゃんは来ないけどおじいちゃんとおばちゃんがお見舞いに来てくれるわ」


32歳独身女の失恋は痛手が大きかった。


市民病院。大学附属病院産婦人科医局から連絡が入る。

「産婦人科入院患者あみを移転院させる」


業務連絡のファックスを医長の秘書が受ける。

「あらっあみちゃんが戻ってくるのかしら」

早速に医長先生にファックスとあみのカルテを手渡す。医長は喜んだ。

「おおっあみちゃんが転院するのか。よろしいよ。君っ済まないが病棟のベッドは空き状態はどうかね」

秘書は端末を叩き大丈夫ですと答えた。

「あみちゃんか。ワシの孫娘さんだっ。アッハハ」

その日から医長はおじいちゃん気分となる。病院にいてもウキウキ気分になる。内線で秘書を呼ぶ。

「おいちょっと頼むよ」あみの好きなショートケーキを買い込んでおきたいと思った。


あみは附属病院から退院の知らせを受ける。

「先生いろいろお世話になりました」

母親はお世話になった病棟の産婦人科医と小児科医に挨拶回りをした。

「ねぇお母さん。あみちゃんも行きたいなあ。あみちゃんがお母さんの代わりに『皆さんさようならっ』したいの」

あみと母親は忙しく病棟をグルグル回ることにした。あみは立ち上がれなくて車椅子だった。

「あみちゃん退院おめでとう」

小児科病棟では歓迎された。ナースたちからは早く丈夫になってねとねぎらいをされた。


小児科から外来からと病院を回り新生児のカプセルの前にやってくる。


母親はあみに新生児を合わせるべきかとうするか悩む。

「あみちゃんは新生児に会いたいとは言わないわ」

あみ自身も新生児とはどういうところであるのかよくわかってはいなかった。

「お母さんここは何するところなのなかあ」

あみは車椅子から指を差す。

「ううんっあみちゃんには関係ないことだから」

母親は車椅子を押して向きを変えた。その時である。


「痛っ痛い」

母親に激痛が襲いかかる。頭が割れそうになってしまう。立ってはいられない。


たまたま通りかかった検査技師が母親の異変に気がついた。

「お母さんどうかされましたか。まあ大変誰か誰か」

すぐに診察室に連れて行かれた。診断はくも膜下出血だった。幸い発見が早く大事にはいたらなかった。病院で発見されたことは不幸中の幸いである。


幼いあみは母親を心配するばかり。

「お母さん大丈夫ですかあ。あみちゃん泣いちゃう。あみちゃんお母さんのそばにずっといたい」

幼女あみは手術室の赤いランプを眺めながらワンワン泣き声を出した。廊下いっぱい声は響いた。


病院はあみの家族に連絡を取る。父親は会社から呼び出された。また母親の姉も呼び出された。

「私あんまり行きたくないんだけど。えっ妹が倒れたの。あかんやそれ」


しばらくはあみがひとりとなるのはいけない。病院保育士が小児科から呼ばれてきた。あみの担当者であった。


母方の祖父母も心配をして駆けつけた。

「災難だな。孫のあみちゃんだけでなく娘まで病院にお世話になるとは」 


母親の手術は30分ほどで終わった。あみの父親が担当医から説明を受ける。

「奥さんはくも膜でした。が発見が早いことと出血した後の処置が適切であったことから大事には至らないでした。100%完治いまします」 

外科医はにっこり笑ってくれた。

「おやっこちらが娘さんのあみちゃんですか」

産婦人科からあみの評判だけは聞いて知っていた。あみは外科医の手術姿が怖く感じ父親にしがみついた。

「あれっ私は嫌われちゃったかなアッハハ」


その夜は母親は外科病棟に。あみは産婦人科病棟にと別れ別れとなる。父親はあみも同じ外科にと頼むが規則が規則としてあるため受け入れられはしなかった。

「お義理姉さんすいませんね。あみの付き添いを頼めませんか」

父親は32歳独身の姉に手を合わせて頼む。

「ええよろしいわよ。あみちゃんおばちゃんと今夜から寝んねしましょうね。あみちゃんもう泣かないでくださいね。おばちゃんが絵本を読んであげるからね。白雪姫がいいなかな。あみちゃんに林檎食べもらいましょう」

産婦人科病棟にあまり行きたくはない姉ではある。

「ありがとうお義理姉さん。あみよかったなあ」

父親は一晩今後をどうするか悩む。

「女房には無理させてしまった。あみの妊娠以来休む間もなく忙しくしたから。医者の言うには過労から倒れたとも考えられるという。元々華奢な体なんだから。毎日のあみの付き添いで無理させた俺がいけなかったんだ。済まない」

付き添い介護を雇うことにした。


あみは病棟のベッドに横になる。いつも眠る前に手を繋いでくれる母親がいないのがまた泣ける。おばちゃんの手を握りしめてはいるが違うらしい。


姉のおばちゃんは約束の通り白雪姫の絵本を読む。あみが泣きやんでくれないかと林檎を食べさせてみた。

「あみちゃん。絵本の白雪姫読んであげるから泣かない泣かない。あみちゃんいいかな」

あみの涙はなかなか止まらない。絵本をおばちゃんは開き読み出す。

「あみちゃん聞いてね。鏡よ鏡よ鏡さん。この世で一番きれいな娘は誰かな。教えてくださいな」

読んでいる姉の方が教えてもらいたくなった。


絵本の白雪姫を読んで聞かせるがあみはまったくの上の空である。涙が枯れてくると母親にどうしても会いたくなってしまう。白雪姫はあみにはいらなかった。

「おばちゃん。あみちゃんお母さんに会いたいよぅ。あみちゃんいい子さんにしているからお母さんに会いたいの。お願いだから会いたいの」

だから車椅子を引いて母親の病棟に連れて行って欲しいと頼んだ。


言われても母親は絶対安静の集中治療室内である。医者やナースだけしか入っていけない。

「あみちゃん林檎さん食べてみるかな。林檎さん食べ食べしたら明日お母さんに会いに行こうか。おばちゃんと行こうか。あみちゃん約束しましょう」


さんざんに泣いたあみは林檎を一切れもらう。

「あみちゃん聞いてね。白雪姫はね悪いお母さんに林檎をもらって」

あららっ童話『白雪姫』に継母(ママはは)が登場して林檎を白雪姫に食べさせてしまう。

「悪いお母さんに白雪姫さんは林檎もらうの」

あみはグズついた。

「お林檎いらないモン」


おばちゃんは白雪姫の気分になっていたがハタッと我に返る。


「しまったなあっ。悪い母親と毒林檎が出てきたわ」

舌を出した。

「あみちゃん。絵本替えましょうね。『イソップ物語』にしましょう」

おばちゃんはこれには母親出てこないだろうと考えた。()いた林檎はおばちゃんが全部食べてしまう。あみはもうひとつぐらい食べてみたいなっと思ってはいた。

「イソップ物語はアリやキリギリスさんだからね。安心だわ」イソップ物語はアリやキリギリスさんだからね。安心だわ」


おばちゃんがイソップを読んで聞かせたら、

「あみちゃんお眠さん」

大きなアクビをしてくれた。

「ハイハイあみちゃん寝ますわ。いい子さんだね」

掛け布団を直してやった。


可愛いらしい姪っ子の寝顔があった。

「あみちゃん明日になればお母さん元気になるからね」

姪っ子が落ち着くと妹のことが気になってくる。

「ナースさんに聞いたら妹の容態はわかるかな。出たついでにコンビニ売店でアイスクリーム食べてこようかな」

付き添いを離れた。ナースセンターに出て行き当分戻っては来なかった。


病棟にはあみひとりとなった。ベッドでスヤスヤ眠るいたいけな幼女であった。あみは熟睡していく。


「あみちゃんあみちゃん。お姉さんお姉さんってば」

あみの夢にDOUBLEモンスターが現れた。あみは(うな)された。付き添いの者がいたら起こし悪夢から覚醒(おこ)してやらなければならなかった。


あみの夢にぼんやりとDOUBLEモンスターは現れる。靄のかかる中からあみを手招きをする。


あみ自身はぼんやりとした幻想の世界を見ているとわかる。影が揺らぎ初めてDOUBLEモンスター現れる。

「その声は弟くんね。どこから声を出しているの。あみちゃんからはぼんやりして見えないわ。また大きくなっているの。背が高く見えるわ」


あみの声にDOUBLEモンスターは反応をした。

「そうさ成長しているさ。お姉さんより成長しているんだ」

靄が晴れてくる。DOUBLEモンスターはあみによく似た顔を見せてくる。


「お姉さん言いかい。よく聞いてくれよ」

秘密の話、嬉しい話があると耳打ちをした。

「嬉しい話があるの。あみちゃんが喜びなことかなあ。弟くん」


僕についておいでとあみの手を取る。DOUBLEモンスターは空に舞い上がる。あみは強引に手を引っ張られた。

「どこに行くの。あみちゃんお空には行きたくないの。あみちゃんはお空には行きたくない」

あみは空高く飛ぶと呼吸困難に陥る。


眠るあみは病棟のベッドで苦しみながら寝汗をかいていた。さも苦しみの表情だった。


「大丈夫さお姉さん。すぐに到着をする。じゃあ行くよ」

パッと舞い上がるとあみに視界が開けていく。あみは嫌がりながら下を見た。

「あらっこれは(大学の)病院じゃあないの。あみちゃんは今から病院に行くのね。病棟があるわ、あみちゃんの入院しているお部屋もあるわ」

小児科病棟と産婦人科病棟があみにはよく見えた。


「病院は病院だけど。お姉さん違うよ。病棟が違う。こっちだよ」


小児科も産婦人科病棟も通り越す。母親がいる集中治療室に辿りつく。


DOUBLEモンスターはあみと並んで集中治療の前に立つ。二人が並ぶと2卵性双生児。似たような姿に見える。

「あみちゃん知ってモン。この中に誰がいるか知っているモン」

集中治療室のドアをあみは指で示した。中に母親がいると教えたかった。


DOUBLEモンスターはドアを開けようとした。すると、

「弟くん開けてはいけないわ。お母さんは病気だから」

あみは弟の手を握り行かないでと制した。


DOUBLEモンスターはギイッと恐ろしい顔であみを睨みつけた。

「弟くん怖いわっ。あみちゃん嫌だモン行きたくないモン」

あみは手を離す。がDOUBLEモンスターは冷酷な顔つきで前に出る。あみを後ろから押した。


双生児の姉弟がドアを同時に開けた。


集中治療室の中が開かれた。あみは怖くなりながら目を開けた。真っ暗闇で何も見えない。

「お姉さん大丈夫だよ」

目を見開いて部屋の様子を見てみる。しばらくすると目が暗闇に馴れてくる。


双生児の前に治療ベッドが現れた。母親の横たわるベッド。母親は体中にチューブを入れられていた。点滴から栄養補給チューブ。さらに酸素呼吸マスクの設備。


幼女のあみは横たわる母親の姿が見えて嬉しくなった。


お母さん!


すぐに駆け寄り母親を抱きしめたくなる。あみの存在を教えたくなる。あみは足を一歩踏み出そうとした。足は根が這えたように動かない。

「あらっどうしたの。あみちゃんの(あんよ)が動かない」

下半身にまったく力が入らなくなっていた。

「弟くん。あみちゃんおかしいの。(あんよ)がダメになっちゃった」

あみは母親に抱きつけないとわから涙がこぼれる。DOUBLEモンスターを見て助けを求めた。足をなんとかしてくれないか。母親の元に行きたい。母親の顔が間近に見たい。


「お姉さん大丈夫かい。どうかしたんだろうかな」

DOUBLEモンスターはニヤリと笑う。足が動かないあみを残しスタスタと治療ベッドに向かう。

「待って弟くん。あみちゃんも行きたいわ。あみちゃんもお母さんのところに連れていって」

あみは泣きじゃくる。

「お姉さんはそこで待っていて」

DOUBLEモンスターは青ざめた昏睡状態の母親を見据えた。手を高く振り上げた。


バアーン


母親の体に装着されたチューブ類が音とともに弾かれた。上布団がめくりあげられた。


あみは泣き声を止めた。母親がどうなるのか。病人姿の母親が今からどうなるのかと注目をした。

「お母さん。あみちゃんよ。お母さんお返事をして。あみちゃんがここにいるの、わかって」

青ざめた顔の母親はムクッと上体を起こしていく。いつもきれいにセットされていた髪はザンバラであった。頬は痩けゲッソリして骨が見えそうである。目は閉じたまま。


あみは大きな声で母親を呼ぶ。

「お母さんお願いだから。あみちゃんって呼んでちょうだい」

母親はあみの声に目を開く。

「お母さんここよ。あみちゃんはここにいるのよ。わかってちょうだいね」

ベッドの上に母親は無表情に座る。回りを眺めた。あみの呼ぶ声には取り立て反応をしたわけではなかった。


DOUBLEモンスターはベッドの横に立ち母親の手を持った。母親はこっくりと頷きベッドから立ちあがろうとする。

「お母さん危ないから気をつけて。ゆっくり立ちましょう。さあ息子の僕の肩につかまってください。大丈夫です僕はしっかりとしていますから」

あみは身動きできないまま母親を見た。真っ青な顔の母親であった。


あみは怖くなり泣き出した。

「お母さんお母さん。あみちゃん怖いの。いやん助けて」


母親は手を介助されてベッドから立ち上がった。体は万全ではなくフラフラである。

「お母さん大丈夫ですね。立ち上がったんだから大丈夫ですね。さあこちらに来てください」

手を引かれあみの方に誘導をした。


あみは母親の顔を見た。夢遊病人のような真っ青な姿。母親は生きているのか死んでしまったのか。あみには判断できなかった。


あみがいくら泣き叫び母親の名を呼ぼうと反応はみせない。あみは母親に恐怖を感じてしまう。

「お母さん元気だよ。ほらっちゃんと歩けるからさ。お姉さんは心配症だからなあ」

そろそろと足を運びあみの前に向かう。


DOUBLEモンスターは母親の手を離す。手を離したが母親は進む。そのままあみに行けと命令をする。目の前には動けないまま泣くあみがいた。母親はソロリソロリと近寄る。


母親は片手を病院着の懐に入れた。ゴソゴソと何かを探している様子である。


右手を懐から出す。キラリっと光る刃物がしっかりと握られていた。


右手を振り上げた。あみは刃物を見た。


キャー


叫び声をあげた。


「あみちゃんあみちゃん」

おばちゃんは病棟のあみを揺り起こす。長い間あみの付き添いから離れ売店コンビニでアイスクリーム一個。照り焼きバーガーセット食べながら女性週刊誌をただ読みしてきたのだった。


「あみちゃん大丈夫ですかね。こんなにも(うな)されちゃって。ナースさん呼んだからもう少し我慢してくださいね」

おばちゃんは心配でたまらなくなる。あみは全身汗だくで奇声を発していた。


ナースと産婦人科医が駆けつけた。医者はすぐにあみの症状に気がつく。

「うーん弱ったな。悪い夢でも見たんでしょうね。体力が極端に落ち込むとよくあるんですね」

医者が言うには産後の経婦にはよくある体力減退だと説明していく。


あみは精神安定剤を投与され落ち着き払う。医者とナースがいなくなるとおばが全身の汗を拭いて着替えをさせてやる。

「あみちゃん大丈夫ですか。さあきれいに体を拭きますからね。早く拭き拭きしないと風邪ひいちゃうかな」

おばがタオルであみを拭きますと言うと体がブルプル震え出してくる。

「あみちゃん寒いのかな。体は冷たいもんね」

おばが片手にタオルを持ち変えた瞬間。


あみはしがみついてきた。

「おばちゃんあみちゃん怖い。あみちゃん怖い」

ワアッと泣き声を立て怖い怖いと言い出した。


おばはあみの髪の毛を優しく撫でながらよしよしと(なだ)める。

「あみちゃん大丈夫ですわよ。何も怖くなんかないわ。おばちゃんが側にいてあげますからね。大丈夫ですわよ。あみちゃんはいい子さんだからね。もう泣かない。明日になればお母さんにも会えますからね」

姪っ子あみの泣き顔におばもさすがに困ってしまう。


あみはおばに抱かれながら悪夢の話をし始めた。あみの恐怖体験である。

「あみちゃんの弟くんが夢にいつも出てくるの。弟くんはあみちゃんをお姉さんって呼んでくれるのよ。でもね怖い弟くんなの」


弟くん(DOUBLEモンスター)はあみを殺そうとしてくると訴えた。

「あみちゃんにナイフをつきつけてくるの。あみちゃん怖くなったの」

あみの寝物語はどうしたものか。おばはいかに慰めるべきかと思う。

「あみちゃんの弟かぁ」

おばとしてはDOUBLEモンスター(胎児内胎児)はよくは理解できなかったが、

「お医者さんの説明だとあみちゃんの産んだ子は元来双生児だった。それがあみちゃんの体に寄生してしまう。出産を経て生まれたわけ。遅れて生まれたから弟だということかもしれないなあ」

おばが奇怪現象だっまか不思議な世界に興味があればあみの悪夢を理解したかもしれなかった。


「おばちゃん。あみちゃんねお母さんに会ったのよ。お母さん真っ青な顔してベッドにいたの。とっても怖いお母さんだったの。あみちゃん怖くなって泣けてしまったの」

おばは姪っ子あみを抱きしめ頭を優しく撫でていく。体は抱きしめていてもブルブル震えがやまなかった。

「あみちゃん寒いのかしらね。おばちゃんもちょっと寒いから」

重ね着をさせてやる。改めてナースを呼んだ。

「あみちゃん何か温かいもの飲むかしら」

体内から温かくしてやればあみも安らかに眠れるのではないかと想像した。


ナースが来た。

「どうかしましたか。あみちゃん震えがとまらないの。うーん先生を呼んだ方がいいわ」


医者の診断は精神安定剤が効きすぎだった。

「幼児だから1/3の投与だったんですが」

眠くなるように飲み物を与えても構わないと言われる。

「わかったわ。あみちゃんちょっとお利口さんしていてね。おばちゃん温かいココア買ってくるから。あみちゃんが元気ならねぇアイスクリームばぁんって買うだけど」

おばは財布を改め売店コンビニに出かける。病棟には医者もナースもおばもいなくなった。

「おばちゃん早く帰ってね。あみちゃんひとりだけになるよ。嫌だなあっあみちゃん寂しくなるの」

おばは財布を取り出すと、

「うんわかったわ。早く帰ってくるからね。心配しないで待っててね」

財布の鈴がチャリンと鳴り響き早足で消えてしまう。


あみはベッドに横になる。全身から震え眠くならない。

「やだなあ。おばちゃん早く来て」


病棟はあみの個室だけが電気がついていた。産婦人科の特別個室である。一般の患者は立ち入ることのない病棟であり個室である。


個室は扉がギィと開く。


おばが買い物から戻って来たのか。


ベッドに横になったあみは気がつく。

「あっおばちゃんが戻ってきたのね。あみちゃんのためにココアを買ってくれたわ」

おばの帰りは嬉しい。だが体は震えがよりひどくなる。振り向いて扉に顔を向けることも辛いようだった。


あみはよいしょっと振り向いた。


アッ!


扉にはいつも悪夢に現れるDOUBLEモンスター。弟くんがそこに立っていた。


あみは夢を見ているのか。幻想なのか。(うつつ)なのか。


全身の震えはあみに襲いかかってきた。身動きの自由さえ失わせていく。


DOUBLEモンスターは悪魔の顔をしてあみに近寄る。

「やあっお姉さん」

左手を振り上げた。


あみは震える体で悪魔の左手を見た。ナイフが蛍光灯の光に鈍く見える。


あみは殺されると咄嗟に恐怖心を覚えた。


誰か助けてっ!イヤーん


声を出そうにも声が出ない。


悪魔は迫る。DOUBLEモンスターは目を吊り上げた。恐ろしい鋭い歯をギラリとあみに見せた。

「お姉さん楽になれるからさ」

底冷えのする陰気な声だった。あみは心底怯(おび)えてしまう。


悪魔は反動をつけナイフを降り下ろそうとした。


あみ!危ない。


「あみちゃんただいま」

扉を閉める音がする。

「あらっなんで扉が開いたままなのかしら。ナースさんが来て閉めるの忘れたかな」

おばが買い物から戻って来た。


DOUBLEモンスターはおばの気配を感じスゥ〜と煙になる。あみの前から悪魔は消えてしまった。


床には林檎の皮剥きナイフが無造作に落ちていた。


おばはナイフを床に発見する。

「あらっ私がそそっかしいからかな。林檎ナイフ仕舞い忘れちゃったのかな。危ないなあっ。よいしょっと」

床に落ちていた林檎ナイフの回りは水浸しであった。

「あらんっ、なんだろうかっこの水は。あみちゃんが何かしたのかな」

おばは元気のいい姪っ子あみが戻ってきたのかなっと楽観した。


雑巾(ぞうきん)を探して不思議な水を拭き取る。

「これでよし。さああみちゃんココア飲みましょうか」

ベッドのあみを見た。

「あみちゃん。あらっ眠ってしまったのね」

おばは眠っているあみの布団を掛け直してやった。


顔いろは真っ青。あみは眠っていたのではなく恐怖心から気絶をしていただけだった。


気絶したあみを待ち構えていたのは悪夢の中に潜むDOUBLEモンスターである。


「お姉さんお姉さん。僕は来るのを待っていたよ」

DOUBLEモンスターは悪魔の素顔をさらけ出しあみを呼んだ。緑いろの舌をベロンと出してあみを威嚇した。


あみはぼんやりとしてまだ夢に入っていかない。視界もままならずのまま身動きが取れない。


ただわかるのは、

「弟くん顔が怖いわ。あみちゃん弟くんの全てが怖いの。だからこちらに来ないでちょうだい。あみちゃん怖いから嫌だから」


DOUBLEモンスターは顔がだんだんと悪魔になり変わろうとする。黒いマントを羽織り黒い尻尾がニョキリと這えていく。

「お姉さん。僕だよ、弟だよ。何が怖いんだい。同じ双子なんだよ。顔も似ているんだからさ」


あみは逃げたかったが動けなかった。悪魔はジリジリっあみに近寄る。あみは悪魔の左手に光る刃物を見た。


あみは恐怖から泣き声を出し叫ぶ。

「あみちゃん怖いから来ないで。あみちゃんに近寄ることをしないで」


悪魔は聞き入れはしない。ニッタっと笑いながら詰め寄る。

「お姉さん僕たちは同じ母親から生まれた子供なんですから。僕を邪険にした扱いは許しませんよ。仲良くしましょう」

悪魔が口を開く。緑いろの舌はビローンと不気味に伸び縮みを繰り返した。

「キャア」

グイッと伸びた舌は今にもあみの頬を舐めてしまいそうであった。


悪魔があみに寄り添う。後ろからボォ〜と母親が現れた。


母親は真っ青な顔。頬がげっそりと痩せてしまっていた。気色はなくただそこに立っているだけの存在だった。あみは母親を見て、

「お母さん助けて。お母さんあみちゃんを助けて」

あみは泣き叫ぶ。あみの出る限りの大きな声だった。


母親は娘あみの泣き声に全く反応を示しはしない。あみの懸命な助け声にも動じない。


悪魔があみに(ささや)いた。

「お姉さんいかがされた。お姉さんがワンワン言うからお母さんはどうしたらよいか迷ってしまった。困った困ったと思っている」

悪魔が母親を見た。顔面真っ青な母親はコックリと頷く。乱れに乱れた長い髪は不気味であった。


「お姉さん言っておくけどさ」

悪魔は母親に寄り添う。

「お母さんは僕がいるから安心なのさ。お姉さん」

緑いろの舌がニョロニョロ出た。

「お姉さん。よく教えておくが僕の母親だよ。忘れないでくれ」

悪魔の舌はベロンベロン。緑いろの舌が母親の顔を軽く舐めた。


あみは母親が弟(悪魔)に取られてしまうのではないかと危惧(きぐ)をした。

「弟くん。お母さんはあみちゃんのお母さんだよ。お母さんはあみちゃんのもんダモン。あみちゃんの大好きなお母さんを取ってはいけないの」

あみは泣きじゃくりながら訴えた。

「あみちゃんだけのお母さんだモン。お母さん答えて」

悪魔はこの一言にカチンっときた。


「黙れ!あみ」


緑のグロテスクな舌はあみの頬をバシッと打つ。まるで鞭を打つかのごとしだった。


痛い!


幼女あみは頬を押さえて倒れた。

「おいっあみよく聞け」

悪魔はみるみるうちに大きく膨れた。全身黒ずくめの姿が不気味に光り始め正体をはっきりとあみに見せていく。

「黙れあみっ」

あみに向かい仁王立ちをした悪魔。今にも襲いかかろうかとする。


もくもくとした悪魔の横に無機質な顔の母親がいた。悪魔に体を抱えられた。

「さあこれを持て。あみに行け」

悪魔から母親にキラリ光る刃物が手渡された。


無機質な母親。手渡された刃物をじっくり眺めた。母親の顔つきが変わる。みるみる変わり緑いろの悪魔の顔が乗り移る。刃物は母親の手にしっかり握りしめられた。


母親は悪魔のしたり顔であみを見据えた。口を開け舌を出す。緑いろがチョロチョロと不気味に見える。


あみは母親の変化(へんげ)を恐れた。いとおしいはずの母親がどうしてこんなに変わるのか。

「あなたはあみちゃんのお母さんなのよ」

あみは動かぬ体で見るだけであった。

「お母さん怖い。あみちゃん怖い。お母さん来ないで。あみちゃんに来ないでちょうだい」


悪魔が母親の肩をグイッと押した。


「行け」


母親は刃物を左手に持ち高く振り上げる。


あみはしゃがみ込む。出来るかぎり身を呈したいと小さくなる。


オホホホッ〜


母親が不気味な笑い声をあげた。刃物は勢いよく振りかざされた。


「あみちゃんあみちゃん」

あみの病棟深夜のナース定期検温の時間であった。深夜だから患者や妊婦を起こすことはなかったが。

「あみちゃんの顔いろが真っ青なのは見逃せないの」

医師からは要注意とレッテルがあみには貼られていた。ナースは発見をした。

「あみちゃん気分が悪くなったかしら。あみちゃん大丈夫ですか」

ナースはあみの額に手をあてる。冷たい。汗もかいていなかった。

「体温は低いわ。脈拍はどうかしら」

あみは体調異常だと判断され医師が呼ばれる。


付き添いのおばはあみのベッド横にイビキをかいて安らかに眠っていた。


医師は聴診器をあてた。あみを診断した。

「ただちに集中治療室に運びなさい」

ドタバタと慌ただしくあみはベッドごと移動させられた。

「先生この付き添いの(おば)はどうしましょう」

おばはそのまま寝かせておくことにした。


集中治療室内。ICUの病室部屋は各科別の個室(セル)だった。

「あみちゃんと母親か」

医師同士話し合い。外科医師と産婦人科医師。違う分野のクランケを診てはいた。

「親子ということですからね。まあよいでしょう。同じセルにしましょう」

外科患者の母親と産婦人科経婦あみ。仲良く揃えられた。


朝日が昇る早朝。おばは目覚める。

「あわわっよく寝たわあっ。うん?アガァ〜」

目の前にあみがいないと気がつく。

「あみちゃんがいない。どこにカクレンボしたんだい。あみちゃんは」

ベッドのあった場所に紙切れが落ちていた。

「なんて書いてあるの。あみは集中治療室に移動しました。あらあみちゃんいつの間にかいなくなって」


集中治療室。ようやく母親が目覚める。脳膜の出血は収まり回復に向かう兆候が見える。


母親の目覚めにナースが気がつく。

「おはようございますお母さん」

若いナースは明るく元気に挨拶をした。

「お母さんお目覚めですわね。隣には娘さんもいらっしゃいますわ」

母親はチューブのついた顔を右に向けた。


「あみっ」


母親は我が娘の横顔を見た。悪夢の中ずっとあみの泣き叫ぶ姿ばかり見せつけられていたことを思う。

(うな)された悪夢には悪魔が出てきたの。私にナイフ持たせてあみちゃんを殺させようとするの」

若いナースは医師を呼んだ。

「お母さんご気分はいかがですか。今お医者さんがやってきますから。頭は痛くありませんね」

てきぱきと検温から脈拍。点滴の取り換えと看護業務をこなす。

「うーん異常はないですね。脈拍もしっかりしているわ」

外科医がやって来る。母親の執刀担当医だった。聴診器をあて診察をする。

「よかった目覚めましたね。ご気分はいかが。痛みはありますか。そうですかもう大丈夫ですね」

外科手術施行後の目覚めは最高の喜びである。聴診器から聞こえる心音は躍動感さえ伝わった。

「もう安心です。回復に向かいます。我々医療スタッフもホッとしたところです」

頭痛がないかと言われたら偏頭痛が少しはあった。

「お陰さまで助かりました」

母親は倒れたあたりからの記憶がまったくなかった。

「新生児のカプセルの前までは覚えているんですけどね」


母親は隣のベッドで真っ青になる娘あみを見る。ナースからあみの病状を聞く。

「私まで倒れてしまって。あみちゃんの付き添いが出来なくてごめんなさいね」

集中治療室はしばしの母と娘再会の場所となった。


あみの病棟。


おばが手持ち無沙汰である。

「あみちゃんは集中治療から戻ってこないかなあ」

あみの病室ベッドもなくなったから周りを少し掃除しておこうかと(ほうき)を出した。きれいにモップでもかけようかとした。

「うんなんだろう」

あみのベッドのあったあたりナイフの欠片(かけら)がいくつも見つかる。

「林檎の皮剥きナイフの歯こぼれみたいだけど。いやあ違っている。私が付き添いになってずいぶんだけど。なんだろうかなあっ。こんな刃物をベッドに持ち込むなんてことはまったくなかったわ」

おばはナースステーションに行く。

「すいません。ベッドの下にこんな刃物の破片が落ちていたの。細かい破片がいくつもありますわ」


ナースステーションは当然わけがわからない。

「ベッドのクッションから破片が落ちていたということもないですわね」

ナースから病院の(設備)保安課に連絡がいく。

「この金属はベッドの破片ですか。エッ違っていますか。なんだろうなあ。確かにナイフのような鋭利な金属ですね。設備の方としてはなんとも判断つきにくいなあ」

建物保安課の男は盛んに首を捻る。病室ベッドの納入業者を呼んだ。

「患者さんのベッドにはね金属はひとつも使ってないんですよ。スプリングベッドは付属にはありません。この金属破片はベッドではないですね」


ことは大きくなる。警察が現場検証にやってくる。大学事務局から気味が悪いと要請をした。

「うーん確かにナイフみたいに見えるね。鑑識に回せばより詳しくわかるだろうけど」

刑事たちがまず周りを調べていく。病棟のベッド後を詳しく見た。後から鑑識が呼ばれてくる。

「僕ら鑑識はこの手の捜査には馴れています。だけど病棟でナイフ破片とは穏やかでないですね」 

鑑識は真っ白な手袋をはめ細かい破片を集め始めた。

「金属の破片なんですがモノを斬ったから刃こぼれ。モノと接触したから欠けたという具合ではないですね。血痕は何もないです」

鑑識はお手上げだと言わんばかりであった。

「科学捜査を待たなくては何とも言えません」

顕微鏡検証まで始めた。

「不思議なんですね。金属破片は断面が丸くなっていますから。こりゃあ鑑識泣かせだぞ。そうそうナイフだとか包丁だとかではないですね。材質が刃にはまず使われていないものです。見たところでは硬質金属ではないです」

鑑識は半時間ほどベッド周辺をゴソゴソやり帰った。


「なんか大事件になってしまったわね。私が変な破片拾ったばっかりに」

おばは鑑識がいなくなったの見はかり掃除機をかけ始める。

「やっと念願のお掃除だわ。気が済むまでやりたいわ。後から妹とあみちゃんを見舞いに行かないといけないな」

水モップで床がけをヨイショとやる。床はきれいに輝くかと思ったが。


「あらっあらっ」


おばは腰が抜けるほど驚く。

「床がピカピカ光るわ。なぜか病棟に夜のオネエチャンの盛り場バーがあるの」

竹取物語の『かぐや姫』が見つかるのは竹の中ピカピカだった。

「なんだろう。破片のあったところがピカピカだけど。かぐや姫登場かなあ。だったら私は竹取りの(おきな)かいな」

水モップをおばにかけられたDOUBLEモンスター。さぞかし喜んでいるかと思ったが。

「なにするんだい。この行けず後家(ごけ)のおばちゃん。僕の頭を水モップで拭くとはなんたることしやがる。侮辱だ侮辱。許さん許さんぞ」

悪魔の顔をしながら露骨(ろこつ)に嫌な顔をしたDOUBLEモンスター。

「なんたるこっちゃ。ああっ黒い衣裳が水で台無しになってしまったじゃあないか。クリーニング代を損害賠償請求してやるぞ。あちゃあパンツまでビショビショに濡れてきた」

DOUBLEモンスターは文句を言うことで光り輝いていた。ヤンヤヤンヤと文句を垂れてガンガン光る。盛んに悪魔の緑いろ舌をベロンベロン出す。おばには姿は見せてはいない。

「不思議な光だこと。また警察に言うと面倒臭いから黙っておきましょ」

グイグイと水モップを力を入れて拭きまくる。


「やっ〜やめてくれ!そんな汚い水モップで僕の体を拭きまくるなんて」

悪魔は全身水浸しになり()をあげた。汚い水の中で溺れてしまう。

「あらっなんか気のせいかしら。やめてなんて声がしたわ。なんでしょ」

あみの個室病棟には誰もいないはずである。

空耳(そらみみ)かな。さあさあバカなこと考えていないで早くモップ掛けしてしまいましょ。妹とあみちゃんのお見舞いにいかなくちゃあ」

バケツの水を取り換えてモップ掛けを続ける。


バシャア〜


アッガァ〜


悪魔はヘタリ込む。全身汚水にまみれて倒れてしまう。悪魔のヘタリにより床のピカピカは収まった。


「ふぅ〜きれいになってくれたわ。病棟の掃除のおばちゃんの一日分の仕事を取ってしまったかなアッハハ」

おばはモップを片づけた。一息ついてからナースステーションに行く。集中治療室の様子が知りたくなった。

「妹と姪っ子はどんなですか。まだ集中治療ですか」

ナースは事務用パソコン開示をして調べてくれた。

「お母さんはっ。えっと妹さんは回復されて外科病棟に移りましたわ。今は身内の方は面会していただけます。残念ながらあみちゃんはまだ集中治療です。顔いろが芳しくないですわ」

妹には面会が可能だと言われた。

「よかった回復したのね。あみちゃんがダウンして母親の妹も揃ってダウンだなんていけないわ」


ナースに教えられた外科病棟に妹を尋ねた。病棟には雇いの家政婦さんが付き添ってくれていた。

「ご苦労様でございます。いかがですか妹の様子は」

雇いの家政婦はことこまかに病状を伝えてくれた。年輩の家政婦さんは看護免許資格。定年前は市民病院の看護婦長(部長)まで歴任されていた。

「集中治療室から戻られまして食欲もございます。検温も異常なしでございます」

業務報告をしてペコリっと頭を下げた。


行けず後家(ごけ)の姉が悪魔をヘタらせ(笑)妹は元気回復をしていく。


「あっお姉さん」

妹は薄目を開け姉の来訪に気がつく。


蜘蛛膜の症状の妹は長く話はできない。疲れてしまう。家政婦が代わりにあれこれと病状から今後のケアから指導をする。

「妹さまは順調でございますわ。蜘蛛膜になったことは同情ではございます。でもお若いですから回復が早いでございます」

家政婦さんが元市民病院の看護部長だと姉が知る。

「あの市民病院の産婦人科医長先生があみちゃんの手術をしてくれましたの」

市民病院医長とは当然面識があった家政婦さん。

「どういうことでございますか。市民病院のドクターがいくら出身医科大学だとはいえ附属病院にまでやって来るということは」

疑問を投げかけてしまった。


姉はこと細かい話を家政婦さんに話す。

「胎児内胎児(DOUBLEモンスター)ですか。なんだろうでございますね。私は残念ながら初耳でございます。元来双生児で誕生するべきが片方に寄生をしてしまう。うーんなんだかSFの世界に埋没したようなお話ですわね」

家政婦さんは信じなかった。

「私は看護職をリタイアして長くなります。今更改めて看護学生になるつもりもございませんから」

ムベもなくケンもホロロに言下(げんか)にしてしまう。


姉は家政婦さんによろしくと伝えて帰ることにする。

「あみちゃんは集中治療だから付き添いいらないからなあ」

手持ち無沙汰な32歳独身女に戻っていく。

「暇だから日本酒でも買っていっぱいやるかなあ」

頭には酒のアテ(スルメや貝柱)がチラチラと浮かぶ。


「イヒヒッ早く帰ったらやるぞ。おやじギャルだモン私」


外科病棟の雇われ家政婦さん。

「胎児内胎児とはなんでしょう。気になるわ」

手持ちの携帯サイトで検索してみる。医学専門ではなかったからアウトラインだけしかわからない。

「胎児が寄生という表現がわからないの。母胎の中に元来双生児または多胎児で存在をしなくてはならないことが寄生になるとは。まったく笑い話のひとつにしか思いませんわ」

家政婦さんブツブツ。携帯サイトをみながら愚痴をこぼす。母親は静かな病棟で目を醒ます。

「どうかされましたか家政婦さん」


家政婦さんはかつての看護部長時代が戻ってしまう。若いナースに臨床看護を教えるような気になる。


携帯サイトの内容をかいつまんで病床の母親に聞かせた。

「あっそのことでしたら」

散々に産婦人科医たちから小児科医からと説明を受ける。

「なんでもお医者さんの話では私(母胎)が双生児を生む予定だったそうです。それが何かの拍子にあみちゃんだけしか分娩しなかったらしいのです」

母胎が産み損なった片割れはあみに寄生した。胎児内胎児になり長い眠りについてしまう。


家政婦さんいや元看護部長は納得しがたい顔である。

「お嬢さんが妊娠されたんですか。6歳の童女が妊婦さんにですか」

先頃帝王切開で分娩をしたと母親は話す。

「赤ちゃんが生まれたのですか」

信じられない話が現実に行われている。

「笑い話が笑いで収まらないとなりますわ」

看護部長は胎児内胎児に興味を持たざるを得なくなる。


長年の看護職生活では未婚の母親はかなりの数診てきたつもりである。しかし父親がいないままの妊娠など聞いたことがなかった。

「未婚の母はいくらでもいるの。単に民法だけの問題で入籍を果たしていないだけ。赤ちゃんが生まれてから籍をどうするこうするは決められたような揉め事のひとつ。未婚男性と未婚女性なら比較的楽な解決だけど」

看護職という長年の経験が役に立たない胎児内胎児であった。

「父親のいない妊娠だなんて。イエスキリストの聖マリアの『処女受胎』

みたいな感じなのかしら」

さっそくに医療図書館で文献に当たってみることにした。

「DOUBLEモンスターなんて言われているのね。寄生胎児が成長をしていくのね。でもなぜそうなるのかわからないのね」

ますます理解できなかった。


集中治療室のあみ。こんこんと眠りまだ目が醒めない。集中治療の医者はあみを危篤(きとく)状態であると診断して予断を許さない。

「産後の肥立ちがよくないですね。経婦だとしても童女ということは否めないですからね」

お産という体力を使う一大事をこなすのにはあみでは無理があったと診た。集中治療の医療スタッフ外科医たちは、

「産婦人科はこんな子供に出産させてしまった。自分らの学術研究のために。母胎の保護を考えたら思いとどまるのがよかったんじゃあないか」


あみは鼻からチューブを入れられサイボーグ状態にさせられてしまう。

「昨夜から脈拍が弱い。危篤状態だから困ってしまう。衰弱の原因が出産だとはっきりしているだけに悔しい。開腹からの合併症は今のところ問題はない。不幸中の幸いというべきか」

外科医の見解は極めてドライなものであった。

歯痒(はがゆ)いのは童女ゆえにだよ。注射投与ができないこと。お子ちゃまはお子ちゃま。小児科に任せるべきだぜ」

カンフル剤一発でシャキッとさせてやる自信がベテラン外科医にはあった。


あみの危篤状態は続く。

脈拍がかなり弱くなり予断を許さない。呼吸困難が見られてくる。

「酸素呼吸に切り替えるか」

外科医は汗だくになりあみの蘇生を手助けしていく。


「弟くん弟くん。大丈夫かな。あみちゃんはよく見えないのね。弟くんですねそこで(うずくま)っているのは」

あみは気絶した中である。意識がなく闇の中だった。外科医たちの蘇生によりぼんやりとした夢を見ていく。意識だけはかろうじて戻って来たようだ。あみは体がふらふらとして覚束無い。


夢の中でDOUBLEモンスターの弟がわかるようになってきた。水モップで32歳独身女に体中をいいように拭きまくられて脆弱化をしていた。

「弟くんが大変だわ。床に倒れて困ったちゃん」


どうするお姉さんのあみちゃん。


あみはグルリと周りを眺めた。弟の(うずくま)る後ろに人の気配があるのを気がつく。


アッお母さん!


DOUBLEモンスターの後ろからぼんやりと(たたず)む母親の姿が見て取れた。あみは喜びだった。ぼんやりとした姿が段々克明に見えていく。

「お母さんお母さ〜ん」

大きな声で呼ぶ。口に両手を添えて腹に力を入れて、


お母さ〜ん


お母さ〜ん


あみちゃんはここにいるのよ!お母さ〜ん


あみの声が響き渡り届く。母親は緑いろの悪魔顔から徐々にいつもの穏やかな素顔に戻っていく。

「お母さんがお母さんが」

あみは母親の元に駆け寄りたくなくなる。が体に力が入らない。足は全く動き始めやしない。

「なんとかならないかなあ。あみちゃんは動けない」


よいしょコラショ


あみはなんとかして体を動かしたいとバタバタと身動きする。僅かながら足が動き始めた。外科医たちの治療が効いて来たようだ。


「あみちゃんの(あんよ)さんが動き始めたよ。もう少し頑張って(あんよ)を前に前に」


一歩前に進む。あみの小さな歩みだが母親が近くに見える。


一歩前に出た。あみは全身に力が入った。回復の(きざ)しが見て取れた。外科医がカンフル剤を投与して効果が現れてきた。

「お母さんにお母さんに」

幼いあみはただひたすら母親に抱きしめられたいと願う。両足は羽が這えたようになる。


「姉さん。僕はここにいる」

DOUBLEモンスターが悪魔顔で転がっていた。憐れみを感じさせる情けない姿。あみを見上げた。悪魔は動けなかった。

「弟くん」

あみは弟(悪魔)の顔を見た。グロテスクな緑いろの舌がペロペロと出たり入ったりしている。


体調がよくなり手足の痺れや倦怠感はなくなってくる。足が軽くなるあみ。一刻も早く母親に抱きしめられたいと前に進む。

「あみちゃんは弟くん大事じゃあないの。あみちゃんはお母さんに会いたいだけなの。あみちゃんを邪魔しないでちょうだい」


母親は無意識の中から立ち直る。あみを優しく抱きしめてくれる素顔な母親に戻っていく。あみが近くに寄ってくることがわかるようになってきた。

あみちゃん


小さな声だった。母親はあみを呼んだ。あみは(わず)かだが聞き覚えのある声が聞き取れた。


母親の懐かしい声に駆け寄りたくなる。


あみちゃんね。そこにいるのは私のあみちゃんなのね。


母親はいつもあみに接している優しい女性であった。


あみが幼稚園から帰ったらおやつをくれた母親がいた。

「お母さん」

あみははっきりと母親をわかる。紛れもなく優しくてきれいな母親の声だった。

「お母さんあみちゃんはここよ」

優しいお母さんに抱かれたい。大好きなお母さんにあみは抱きしめられたい。


悪魔が倒れていようと苦しんでいようと。


あみは手を伸ばす。精一杯に母親の愛情を全身に浴びたいために。母親は意識が戻りあみを娘を認識する。

「私のあみちゃん」

母親の細い手をあみの童女の手が交わる。が母親は手から体から段々と小さくなってしまう。


あみちゃん!あみちゃ〜ん!


「奥さま奥さま」

外科病棟の一室。あみの母親は(うなされて全身汗だくになっていた。

「奥さま大丈夫ですか。かなり悪い夢を御覧になっていたようでございますわね」

家政婦さんは病人の母親の額を触る。熱があるから魘されたかなっと思った。

「奥さまのお嬢さまはあみちゃんとおっしゃいますのかしら。魘されながら何度も何度もあみちゃんっ、あみちゃんっとおっしゃっていましたわ」

家政婦さん母親の顔いろを眺めナースコールをしようかどうしようかと判断に迷う。

「私っ」

母親は目覚めていく。

「私にあみちゃんが駆け寄る夢を見ていたの。あみの弟だとかいう…」

DOUBLEモンスターもちゃんといたことを記憶していた。


家政婦さんは全身の汗を拭きながら着替えをさせた。

「肌着が気持ち悪いから『悪夢に魘される』のかもしれませんわ」

新しい病棟着に着替えたら気分が少し落ち着く。ゆったりとしたリラックス気分が全身を(おお)う。

「奥さま温かい飲みものをご用意致しますわ」

長年看護に携わる経験が母親を元気づけていく。


集中治療室のあみ。外科医が施したカンフル剤が効果絶大だった。

「脈拍が戻ってきたぞ。血圧はどうだ」

外科医がもう少しで正常値だと思った時である。


あみはパチッと目を開けた。


(つぶ)らな澄んだ童女の瞳だ。

「先生っ先生。クランケが気がつきましたわ」

検温担当ナースがあみの目覚めに気がつく。集中治療室に安堵の雰囲気が漂い始める。外科医はホッとした。

「目覚めてくれたかっ。ありがとうよっあみちゃん」

外科医は脈拍が安定したら一般病棟に移動させたいと思った。

「母親と同じ一般病棟にね」


家政婦さんは幼女が病棟に搬送されると知り喜ぶ。

「まあっあみちゃんって」

話だけ聞いたクランケが目の前に現れてくる。

「長年の看護経験でも理解できない分野でございます」

かつては看護教育に明け暮れた日々が思い返されていた。

「医療の現場では信じられないことがいつもございます。医学でもなく看護でもなく」

学校で医師は医学を学んでいるはず。看護は看護を学んではいる。

「臨床の現場では常識の範囲を著しくハズレておりました。長年の経験は無意味なこともあると言わざるを得ないでしょうか」

常に看護のトップをひたすら走り続けた日々が(むな)しく思えてしまう。


あみという幼女。あみが経妊婦である真実。得体の知れないクランケだとして元看護部長の家政婦さんは興味を持って迎えたくなる。


「奥さま。まもなく病棟に娘さまがいらっしゃいますわ」

あみが母親と同じ一般病棟に移る連絡を貰う。


母親はわかりましたと優しく頷いた。

「あみが回復してここにやってくるのね」

母親も心なしか気丈夫な姿勢を見せていく。


「お母さん。もうどこにも行かないで。あみちゃんのそばから離れたりしないでね」

全身にチューブの管を差し込まれた患者あみ。母親は蜘蛛膜で倒れてから初めて我が子あみを見た。

「あみちゃん」

なんと悲しげな我が子の姿があった。

「私は母親として失格ね。ごめんなさいね貴女のそばにいて助けてやれなくて」

母親はあみの姿を見て涙を流した。

「お母さん泣かないでちょうだい。あみちゃんまで悲しくなるの。いつも笑顔の素敵なお母さんでいてね」

あみは小さな手を差し出した。可愛い手のひらは母親の胸を打つ。


大学附属病院の新生児カプセル。


ベテランのナースが忙しく立ち回っていた。赤ちゃんの発育状態をひとつひとつ確認しながら看て回る。


保育器(カプセル)からチューブがハズレていたり産着(うぶぎ)が脱げてはいないか。

「細かなことだけど新生児はあれをしてこれをしてと赤信号を発しないからね。私たちナースが命綱になるんだね」


新生児カプセルには未熟児から栄養の偏りの激しい新生児と様々にいた。


あみの産んだ新生児・DOUBLEモンスターもカプセル群の中にいた。ベテランのナースはDOUBLEモンスターを見た。

「この子は特別だね。毎日必ず小児科と産婦人科の医学学生が見学にやってくるからね。最初私はわからなかったよ。なんら説明受けていなかったからね。でもね説明してもらったけどさっ訳わからなくて」

ベテランナースは忙しく新生児カプセル群の中を行ったり来たり繰り返す。

「胎児内胎児ねぇ。長年ナースをやっているけど初めて聞いたね。あの胎児に寄生してしまうってやつだろっ。そんなことがこの世にあるとは神秘だねぇ。信じられないけどさ」

DOUBLEモンスターはナースが近くにやってくると足をバタバタ動かした。まるで喜びを現すかのごとくだった。

「なんだろうかねっこの子は。大人になればませたガキになるね。私みたいな美人さんが近くに来ると喜ぶんだからさっアッハハ」


新生児も長いことカプセルにいられなくなる。未熟児ならば体重が正常値になると保育器から出されてしまう。


DOUBLEモンスターは小児科が珍しいことだけからカプセルに収められたフシがあった。


「あみが産んだからといってもなあ」

大学附属病院から父親は連絡を受ける。

「カプセルから出したら引き取ってくれって言われた。どないしたらよいのか」

妻は蜘蛛膜で入院。娘あみは体調が(すぐ)れず悪いまま入院。


母子の両方ともまだ数週間附属病院に入院をしなくてはならなかった。

「体調がよくなれば市民病院に転院らしいが」


父親は例え妻が退院をしたとしてもすぐには育児に携われはしないだろうと覚悟を決めた。

「俺が新生児のミルクやらなくてはいけないのか。えっと新生児は僕の孫に当たるのかっ、ヒェ〜」

30歳ちょっとで祖父になったあみの父親はガッカリ。

「おじいさんは仕方ないや。さてさて子供の面倒だけど親父やお袋さんに頼むか。義理の姉さんはどうかなあ」


こうしてDOUBLEモンスター、あみの産んだ男児は一足先に退院。自宅に戻っていく。


自宅ではあみの祖父母が待機していてくれた。

「まあかわいい子じゃなあないかい。孫のあみちゃんにそっくりだね。孫が産んだんだね。となるとこの子は私たちの何だね」

そう祖父母たちはニコニコしながら『ヤシャゴ』(孫の子)を眺めた。

「おじいさん見てごらんなさい。(やしゃご)が一生懸命に足をバタバタやってますわ。うちの子供の赤ちゃん時代にそっくりですわね。なんか昔を思い返されてしまいますこと」

あみの自宅に父方の祖母が住んでくれることになった。祖母は育児を引き受けてくれた。


あみの祖父母は子沢山で3兄弟2姉妹だった。(あみの父親は3番目で次男)


祖母としては5人も育てたんだから今更一人ぐらいなんのこともないという日本の肝っ玉母さんであった。孫は10人を軽く越えた。(あみは7番目の孫)

「一人ぐらい面倒を見るなんてなんのことありませんよ。ただね残念なことは」

おばあさんちょっと首を(ひね)ってしまう。

「私がお婆ちゃんだからオッパイが出ないことね。後20年早く生まれてくれたらねぇ」


DOUBLEモンスターは狭い街の噂の(ぬし)となった。


近所の皆さんが珍しいからと顔を覗きにやってくる。

「へぇこの子なんかっ。あみちゃんが産んだ子供なの。よく顔を見せてくれよ。母親(あみ)に似ているね。そっくりさんじゃあないか」

新生児を見せるたびに祖母は説明をしている。

「私には子が5人。孫が10人。曾孫は1人」

嬉しそうに答えた。

「新聞社の方の話では私はねひょっとして日本で一番若いヒィお婆ちゃんかもしれませんわ。嫌ですわねこの歳でヒィお婆ちゃんだなんて」

地元の新聞にも掲載された。いや掲載は新生児だけである。

「幼女(小1)が男児を無事出産。母子共に健康」

それまでは身内だけしか知らなかった妊婦あみだったが一気に有名になる。

「最も若いヒィお婆ちゃんも有名にしてくださいね」

新生児の抱っこされた写真は全て祖母が笑顔で写っていた。祖母はいつも化粧をしていた。


「ずいぶんと騒ぎになったね」

ここは天国である。朝の食卓で大天使ガブエル(男)は羽根を休めながらコーヒーとトーストをいただいていた。下界の喧騒をのどかなる時間として見ていた。


朝のコーヒーは大変美味しいようでグイッと一気に飲み干した。

「お代わりもらうかな」

召し使い(サーバント)に命令をした。


「(騒ぎの原因は)僕がさっ」

ガブエルはコーヒーにミルクを注ぐ。


あみが双生児として生まれることは大天使のガブエルが決めていた。

「あみちゃんと弟の双生児の誕生は僕が決めていたんだけど」

あみの母親が受胎した時にガブエルはミスをしてしまう。

「なにぶんにもアッハハ。老眼なものでなあ」


受胎のランプが『双子(ふたご)女児・男児』と点滅した。ガブエルは点滅したランプをポンポンと二回押すだけの役目だった。


女児ランプをポン!(あみ誕生了解)

妊娠期間を過ぎ無事出産に至る。ガブエル安心。


男児ランプをガブエルは見た?


ポンと押さないでそのまま放置した。


「アッしまった。見逃したんねん。なんせ忙しかったし。双生児やなんて思っていなかったんやあ。えろぅすんまへん。老眼はあかんなあ。早めにメガネ買ったらなあかんわ。遠近両用老眼メガネがよろしいかいな」


男児誕生せず。

(ガブエルの単純ミス)


「せやさかいなっ」

ガブエルは男児を親の母胎に残して再度妊娠させることを考えてやればよかった。

「慌ててしまったんねん。若気の至りでしゃろかっ」


チャチャっと姉あみの体に『男児』を寄生させて知らんぷり。

「こうして小細工さえしておけば」

母胎はあみに代わったが、

「適当に妊娠期間過ぎて生まれますやん。まあ早いか遅いかの違いだけやんかぁ」

大天使ガブエルはあみの母胎に男児を宿らせてしまう。

「これでよいのだ。後は知らんモーン」


病棟では家政婦さんが新聞記事を見た。

「新生児のことが記事に載っていますわ」

あみの産んだ新生児と祖母がデカデカと写真入りで掲載されていた。


くしゅ〜ん


大きな(くしゃみ)をした。


「あみちゃん大変だ」

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