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十二ヶ月の姫君様  作者: 桜二冬寿
第七章 あの日にあったもの
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Chapter 3-(4) 陽だまり

「ほえ〜……立派なところで働いてるんだなあ……」

 悠馬は目の前にそびえ立つビルを見上げた。空に引き寄せられているかのように高く伸びるビルは窓ガラスが朝日を吸い込んで輝いている。

 悠馬は京安駅から電車に揺られて二十分ほどで着く都市部にやって来ていた。その理由は昨日、宮葉家に来た一本の電話にある。


『明日、会えないかな』

 電話の主はお母さんだった。声はしっかりしていて、どこか堂々とした雰囲気があった。どこか不安げの感じる面影はどこかに行ってしまっている気がした。

 しかもお母さんは悠馬と話がしたいと言い出した。どうして自分だけなのだろうかと疑問にも思ったが、花火大会で良い方向に心を入れ替えた悠馬に断る理由もなく、こうしてお母さんの職場である法律事務所に来たのである。


 ビルに入って受付の人にお母さんと取り合ってもらう。入場許可を貰って事務所のある八階へとエレベーターで上がっていく。どんどん上昇していくエレベーターと連動しているかのように、悠馬の緊張感も増していった。

 また六人が揃ったときみたいに我を失ったらどうしようか。そんな不安にも駆られるが、今日はいつもより地に足がついている感覚がある。胸に残る温かい何かが震えを止めてくれているような気がした。


 八階に到着してエレベーターを降りると、そのすぐ側にスーツを着たお母さんが立っていた。

「わざわざごめんね」

「ううん、大丈夫」

 お母さんは微笑んで、これから進む方向を指さした。


 お母さんは慣れた職場を迷うことなく進んでいく。

 悠馬は事務所内にある休憩スペースに案内された。自動販売機だけが設置してある静かな場所で、談笑しているお母さんの同僚も穏やかに会話を楽しんでいる。


 お母さんに促されて座って待っていると、お母さんはコーヒーを二つ持ってきた。一つは悠馬の前に置いて向かい側に座る。

「体調はもう大丈夫?」

「うん、すっかり元気だよ」

「そう、それは良かった」

 安堵の息を漏らし、お母さんは一口コーヒーを飲んだ。どうやら悠馬の異変に責任を感じていたらしく、相当気にしてくれていたらしい。それに申し訳なくなるけど、少し照れくさくもなる。


 そして少し間をおいてから、悠馬はテーブルの上で手を組んで、決心するように短く息を吐いた。

「……今日は、どうしたの?」

 連絡が取れるようになったとはいえ、お母さんの方から呼び出されるのは初めてだった。きっと大事な話があるということは、悠馬も薄々気づいている。

「ちょっと、話がしたくてね」

 そう言ったお母さんは細くて白い手を綺麗に揃えて――頭を下げた。


「あのとき、悠馬たちを置いて行ってごめんなさい」

 そしてか細くもぶれない声で、悠馬に謝罪の言葉を発した。周囲の社員の見る目が明らかにおかしくて悠馬はかなり戸惑ったが、お母さんは続ける。

「拓斗から聞いたかもしれないけど、あのとき、私は自分のことしか考えていなかった。早くお父さんから逃げよう。早くこの家から出て、相田さんのところに行こうって。情けないわね。母親なのに、子どもたちのことが浮かばないなんて」

「もう終わったことだよ。怒ってもいないし。だから頭を上げて――」

「何も終わってないの!」

 勢いよく頭を上げたお母さんの瞳は少し潤んでいる。久しぶりに聞いた母の叫びに、悠馬は驚いて目を見開いた。


「いや、正確には私が終わらせていないのよ。悠馬たちと久しぶりに会っても、私は逃げてばっかりで……」

「仕方ないよ。俺だってお母さんの立場だったら――」

「逃げないわ。悠馬は」

「――え?」

「悠馬だけじゃない。拓斗も、結希も、羽花も、きっと逃げないでしょうね。子どもが成長しているのに母親がこれではダメね」


 お母さんは苦笑いして、ポケットから一枚の紙を取り出した。それをそっと悠馬に手渡す。

 お母さんに視線で紙を見るように促され、悠馬はゆっくりと折りたたんであった紙を開いた。するとそこには、十一桁の数字が羅列されている。

「私の携帯電話番号、良かったら登録しておいて。拓斗と結希と羽花、それに……会えたらお父さんにも伝えて」

「いいの?」

「うん。もう逃げないって決めたからね。それに、やっぱり私は悠馬たちのことを好きなままなんだって気づかされたもの」


 そう言ってお母さんは悠馬の手を優しく握った。そこに自分の息子がいることを確かめるように、何度も擦り、指を絡める。

 思春期の悠馬にしたら、とても恥ずかしいはずなのに、そこから離れたくなかった。この不思議な安心感と、陽だまりのような安らぎは、よく覚えている。

「私が力になれることがあれば、いつでも連絡してね。どんなにくだらない内容でもいいわ」

「んー……じゃあ、手始めに結希の晩御飯でも送るよ」

「ふふ、楽しみにしているわ」


 柔和に微笑んだお母さんに太陽の光が差し込む。眩しそうにお母さんは少し目を細めて、あと少しとなっていたコーヒーを一気に飲んでしまった。

「さあ、私は仕事に戻るわ。今日はわざわざありがとう」

「ううん。こっちこそありがとう。来て良かった」

「そう言ってもらえると私も嬉しいわ」


 悠馬は、本当は自分の力でお母さんに言葉を伝えて、これまでのことに終止符を打とうと考えていたけど、それは高慢な考えだったようだ。お母さんはお母さんで、よく考えてくれて、そして出した答えがこれなのだろう。

 きっとお母さんは、自分には二つの家族があると認めてしまったのだ。それが良いことなのか悪いことなのか分からない。でも、重かった宮葉家の秒針が少し遅いペースで動き始めたことを悠馬は感じていた。

 これからもお母さんは相田さんたちと共に暮らす。それでも、今までよりもずっと側にいてくれる気さえしてくる。そんな摩訶不思議な感覚と自分の単純さに悠馬は自嘲した。


「――お母さんは、ちゃんといたな」

「ん? 何か言った?」

「いや、何も言ってない。じゃあ、仕事がんばってね」

「うん。悠馬も気を付けて」

 手を振るお母さんを横目で見ながら、悠馬は休憩室から出た。


 だんだん、悠馬の足音が小さくなって部屋から離れて行く。それを確認したお母さんは、ゆっくりと立ち上がり、身体を伸ばした。

 すると、同じく休憩室でコーヒーを飲んでいた同僚の女性社員が近づいてきた。


「ねえ宮葉さん。あの子は?」

 その質問に、ふっと口元を緩めた。


「私の自慢の息子よ」



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