Chapter 3-(3) 暗闇の花火
悠馬は悶々としていた。お父さんとの同居、真菜に捨てるなと言われたキーホルダー。色々と精神に来る出来事が起こりすぎて、正直体調も万全とは言えなかったが、今日は夏で唯一と言っていい娯楽の時間である。
今朝、宮葉家に来た苺がミラア、結希、羽花の浴衣の着付けをしてくれている。それが終わるのを悠馬、拓斗、エンス、アリアの四人は談笑しながら待っていた。
今日はミラアが誘ってくれた花火大会の当日である。気持ちが進まない面も多少はあったが、せっかくミラアが自分から誘って作られた楽しい場なので、いっそ様々な悩みは忘れて楽しもうと悠馬は心に決めていた。みんなに気を遣わせるのは違う気もするからだ。
「兄ちゃん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。今日はたこ焼きいっぱい食べるぞ!」
「まあ、悠馬たちに色々あったのは私たちも把握している。無理はしないようにね」
「羽花ちゃんの浴衣……」
拓斗もエンスも既に心配しているようだが、悠馬に少しは羽を伸ばしてほしいとも思ってくれているようだ。約一名はカメラの準備に忙しくてそこまで気が回っていないようだが。
そうして懲りずに変態カメラマンを継続しているアリアを半目で見ていると、玄関が開かれてミラアたちが姿を現した。ミラアは青色の涼し気なもの、苺は赤色、結希は黄色、羽花はピンク色の浴衣をそれぞれ身につけている。さすがは着付けも一人でこなす苺に手をかけてもらっているだけあって、浴衣だけでなく髪もいつもより綺麗に結ってある。
連写するアリアを後目にミラアは悠馬の元へと近づいて来る。
「どう?」
「ああ、似合ってるぞ」
「惚れてもいいのよ?」
「それ去年の夏にも聞いた気がする」
「惚れてもいいのよ?」
「惚れないから大丈夫だ」
何かしら不満なのか、ミラアは少し頬を膨らませた。結希が露骨に溜息を吐いているが、悠馬が気にすることはなかった。
「よし、準備ができたみたいだし行こうか! 真菜ちゃんも今から向かうって」
携帯電話で連絡をとっていた苺が言う。友達と楽しく行きたいというミラアの考えの元、真菜も花火大会に一緒に参加することになっている。ちなみに祥也と未来は二人で家から密かに見るらしく、治親は「俺には花火大会なんて眩しすぎる」と参加を拒否したらしい。
かくして悠馬たちは花火大会の会場である河川敷に向かうことにした。今はただ、みんなの笑顔を見ているのが癒しとなる。今日は楽しい日になるはずだから。
☆
河川敷に到着すると白い浴衣を着た真菜と合流した。爽やかな色合いが真菜に似合っており、悠馬も少し見惚れてしまう。これまたミラアは不満そうで、苺も大袈裟に息を吐いている。
場所取りは昨日から撮る気満々のアリアが既に済ませてくれている。変態的なやる気もたまには役立つものだ。
そのため、悠馬たちは屋台を回ってから観覧場所へと向かうことにした。三六〇度から漂う香ばしい匂いにお腹も急激に容量を減らしていく。みんな盛り上がって周囲を見渡していた。
「悠馬お兄ちゃん! 私綿飴食べる!」
「私はイカ焼きかな」
早速今日の晩御飯代として与えていたお金を握りしめて羽花と結希は列に並び始めた。それに続いて拓斗もリンゴ飴を買いに一旦悠馬たちの元を離れる。
以前、家族で夏祭りに来たときの風景と似たそれを見て悠馬も少し微笑んだ。ジャムとバターのように、ここでも悠馬と結希のソース系などの濃い味の食べ物を買う派と拓斗と羽花の甘いものを買う派と別れて行動していた。あの日が少し時間を経て再現されているようで可笑しかった。
三人はいつもどおりに楽しくしている。それに安心すると共に、自分が情けなくなってくる。最年長の自分が一番多感でどうするんだと悠馬は心の中で言い聞かせた。今日は絶対に悲しさを顔に出さないと決めているのだ。それなのに、見える景色全てがもう戻らない淡い記憶に変換されていく。
薄暗い河川敷も、それを照らす屋台の光も、全部が悠馬の底を刺激する。そしていつしかの悠馬たちと両親の影が思い出される。
嬉しそうに手を繋いでいる羽花、楽しそうに顔を見上げる結希、かき氷の全ての味を制覇すると意気込む拓斗、そんな弟と妹を見て笑う悠馬。
――そして、子どもたちを見て微笑む幸せそうな二人。
まるで過去に戻ってきたような感覚。でも、その光景は現実だった。
ただ、違うところは、笑顔を向けられている相手と、微笑む人の片方である。
綿飴を買う羽花と結希、リンゴ飴を買う拓斗のその奥に、三人グループの人がいる。お父さんとお母さんと息子一人の幸せそうな家族。悠馬たちのいる反対方向に進んでいる三人は、きっと花火を見るスポットへと歩いているのだろう。
「ああ、そっか……」
そんな言葉が悠馬からポツリと零れた。意識したわけでもない、勝手に動いた口から漏れたその言葉は、悠馬の心底の理解を示すには十分だった。
突然喋った悠馬にミラアたちも驚いていた。そんなみんなの顔を見て悠馬は慌てて笑顔を作った。でも、それが壊れるのも時間の問題だと悠馬自身が一番理解している。
「俺、ちょっとトイレ行ってくるよ。先に回ってて!」
だからそう言ってみんなから離れた。できるだけ早く一人になりたい。その気持ちからどんどん足の回転は速くなっていく。
悠馬がどうしてお父さんとお母さんと再会できたとき、嬉しいという感情が少しも湧かなかったのか。
それはお父さんとお母さんの関係だけでなく、お父さんと子どもたち、お母さんと子どもたちの関係さえも崩れていたからだ。
悠馬に一緒に暮らそうと言ったお父さんの他人行儀な目が嫌だった。お母さんの優しい目はもう悠馬たちに向けられていなかった。
お父さんは息子を見る目じゃない。お母さんはその目の対象が変わっている。
二人はそれ以外何も変わってはいないのに、どうして何もかもを失ってしまっているのだろう。
張り裂けそうな思いを足音に籠める。露骨に大きいその音に何人か振り向いていたが、悠馬は気にする余裕もなかった。
そうして早歩きを続けること数分。悠馬は屋台の明かりで賑わう通りから抜けて河川敷の先にある神社へとやってきた。光の少ないこの場所は今の悠馬にとっては居易い場所である。
石階段にゆっくりと腰を下ろす。空は木でところどころ隠れるため、花火を見る場所としては相応しくない。だから人の数はゼロだった。
そして遠くでする祭りの音を聞きながら、悠馬は静かに涙を流した。
俯いて涙を拭く。でも拭う度に涙は溢れてくる。全ての思い出を吐き出そうとするかのように、自分の中の邪気を洗おうとするかのように、止めようとしても涙は出続けた。
自分にまだあると信じていたもの。いつかは修復されると思っていたもの。それが全て破壊されてしまった感覚。もう何のためにここまで生活していたのか分からなくなる。拓斗、結希、羽花のためでもある。悠馬自身のためでもある。でも、きっと悠馬の根底には、気づこうとしなかっただけで、あの時の家族ともう一度暮らしたいという気持ちがあったのだ。
「それが壊れたら、何もないじゃんか……」
顔を伏せたまま悠馬は呟いた。
すると遠くで花火が空に向かって行く高い音が聞こえた。いつの間にか花火大会の開催時間になっていたようだ。あまりに長いトイレの時間にみんなも心配しているかもしれない。でも、今の悠馬に戻る勇気はなかった。
ただ、せめて空に咲く大輪の花くらいは見ておこうか。そう思い、悠馬はゆっくりと重たい顔を持ち上げた。
するとそこで、悠馬の視界は遮られた。そして悠馬の身体は少し持ち上げられて、誰かに吸い寄せられる。柔らかくて温かい身体に包まれて、白くて細い腕が背中に回ってキュッと小さく力を入れられた。
悠馬は何が起こったのかすぐには分からず、答えを求めるように悠馬を抱きしめている――ミラアを見遣った。
「……何これ」
「魔法よ。心が温かくなる魔法」
そう言ってミラアは悠馬を離そうとはしなかった。彼女の背後では花火が打ち上がり続けている。その度にミラアの瞳が輝いて悠馬を照らす。
そんなミラアを見て悠馬に湧き上がった感情は怒りだった。
きっとミラアは元気のない悠馬を想ってこうしてくれているのだろうが、今の悠馬には余計なお世話としか捉えられなかった。ミラアは悠馬たちの過去を口頭で言われたことしか知らない。それなのにこうして追いかけられるのは……出過ぎた真似としか思えないのだ。
「何も知らないくせに勝手なことするなよ……」
悠馬はミラアから離れようとする。それでもミラアは悠馬を離しはしなかった。酷いことを言われても、彼女はただ一直線に悠馬を見ていた。そして自嘲気味にフッと笑みを漏らす。
「それ、私も悠馬に思ったことあるわ」
「……え?」
「だって、悠馬は昔の私を何も知らないのに、お父さんと私の間に入ってきたんだもの」
冷静に話すミラアに、悠馬も少しずつ落ち着きを持ち始めた。
言われてみれば、悠馬の持っている感情は既に逆でも成立していた。ミラアが父親との過去に縛られ、命を失いかけたとき、悠馬は無意識にミラアを救おうとしたのだ。
あのとき、悠馬の本能は何のために体を動かしたのだろうか。ミラアに生きて欲しいため。単純に言えばそうだが、これは少し省略しすぎた理由だったのかもしれない。
あの時は確かに――悠馬がミラアに生きて欲しかったのである。
そして今は、ミラアが悠馬に元通りに戻って欲しいと思っているのかもしれない。
ようやく悠馬を解放したミラアは悠馬の隣にしゃがんだ。
「思い出って、何もかも今よりよく見えるから辛いわね」
「……そうだな」
「でも、だからと言って消えて欲しくないから難しいわね」
ミラアの言う通りだった。悠馬を縛っているのは昔の両親と無邪気にはしゃいでいた子どもの悠馬である。いっそ消えてしまえば楽なんだろうけど、消えて欲しいとは思わない。だからこそ、今がもどかしいのだけれど。
「向こうがどう思っているかは分からないけど、私は今でもお父さんの子のつもりよ。だってお互いに心から笑って遊んでいた日々は事実なんだもの」
「その生き方、ミラアは辛くないのか?」
「辛いわ。思い出は美化されるもの。でも、今を見ることを教えてもらってからは、辛さも軽くなったわ」
「今を見ること、かあ」
「教える側の人ができないなんて、教師失格ね」
「……教えたの俺なの?」
「そうよ?」
ミラアは当たり前でしょと小首を傾げる。悠馬としてはそんなこと教えた覚えはないのだが、知らない間にミラアはそう捉えていてくれたらしい。
きっと、今の悠馬にそんなことはできない。今を見ると辛いことが永遠に続いているような気がしてくる。でも、ミラアはそれを乗り越えた。違う視点から今を見て、こうして前向きに生きているのだ。
彼女は、悠馬の知らない間に、とても大きくなっていた。
それが嬉しいような、寂しいような、羨ましいような、妬ましいような。自分でも一つの正解を導き出せないけど、一つ言えることは、ミラアという人物はとても芯の通った強い女性であるということだ。
「だから詳しく何があったのかは知らないけど、悠馬はちゃんと二人の子どもよ。悠馬がそう思い続ける限り、何があっても」
ギュッとミラアが悠馬の手を握った。冷たそうな白い手からは想像もできないくらい温かい。その体温に心を預けると、不思議と悠馬の気持ちは落ち着いて行く。身体の至る所が緩和されていく感覚が悠馬を襲う。そして自然と涙が溢れてきた。
でも何故だろうか。今まで流してきた涙と違って、悲しくないのは。
そうして再び泣き出した悠馬を、ミラアはもう一度抱きしめた。悠馬はそれを受け入れた。こうしていられると、妙に安らいで、『今』を見られる気がするのだ。
「私たちはきっと何も失っていないわ。だって、たくさんのものが残っているもの」
せっかく綺麗に着つけられている浴衣は悠馬の涙で濡れている。申し訳ないのだけれど、溢れ出す感情を止めることはできなかった。
「……みんな自分勝手だ。酒とギャンブルにはまって、借金作って、俺たちも置いといて逃げるし。自分だけ幸せを求めてどこかへ行ってしまうし」
悠馬の愚痴をミラアはただ頷いて聞いている。その姿がまた悠馬の涙腺を緩くしていく。
「あの時はどう生きたって苦しかったよ! どう進んでも棘の道だった! だったら一緒に進んでくれよ! 何で……何で棘の中に放っておくんだよ!」
花火にも劣らない悠馬の叫びが静寂の境内に響き渡る。遠くから聞こえる破裂音も、次第に数が多くなってきた。
ありったけの思いを吐き出した悠馬は、少し清々しい気分になった。それと同時に虚しくもあるが、やっと自分以外の誰かに本当のことを話せたから。
悠馬はそっとミラアの手を解いて目を合わせた。先程までとは違う生気の感じる悠馬の顔色に、ミラアも晴れやかな微笑みを浮かべた。
「俺、もう一度親と話してみる。それで、ちゃんと親子の会話をしてくるよ」
「うん」
「俺はまだまだ、子どもだしなあ」
悠馬は立ち上がって大きく体を伸ばした。真っ暗な夜だけど、今日は花火のおかげで道もよく見える。
「ミラア、みんなのところに行こうか」
「もうフィナーレレベルの連発をしているけど、間に合うかしら?」
「だったら走るまでだ!」
「私のスピードについてこられるかしら?」
「あ、いや、うん、ついていけないけど」
ミラアもスッと立ち上がり、二人は長い階段を駆け足で降りた。その間も夜空では花火が輝き続けている。
悠馬は隣で悠馬にペースを合わせてくれているミラアを見た。常識のない変な宇宙人だったはずなのに、こうして悠馬に救いの手を差し伸べてくれたミラア。どこかでミラアは何も制御できない人だと思っていたけれど、とんだ勘違いだったようだ。こんな風に人に寄り添える一面があるなんて知らなかった。
思い返してみても、ミラアはどんなときでもローデスの悪口を言ったことはなかった。死の瀬戸際まで追い込まれたというのに、自分の信念を貫き通した。時にそれは危険かもしれないけど、それでも今の悠馬に、ミラアは煌めいて見えた。
花火大会の会場も近づいてきて、花火の音も大きくなってきた。更に見物客の歓声も混じって騒々しさが増す。
「ミラア!」
「何?」
「ありがとうな!」
「何? 聞こえないわ?」
悠馬は再びお礼を言うことはなく、ニッと笑ってスピードを上げた。ミラアを置いて、大輪の夜の花を後目にただ走り続ける。
きっとまたお父さんとお母さんに会えば緊張するだろうし、追い詰められもするだろう。
でも、今度は負けない自信があった。
だって、たくさんの勇気を貰ったから。
「悠馬、さっき何て言った?」
「うわ、やっぱ足速え……簡単に追いつかれてる……」
そんな隣で走る救世主に、悠馬はもう一度、心の中で感謝した。
それは、今日一番の大玉が空に打ち上がったのと同じタイミングだった。




