Chapter 2-(3) 恐怖心は恋心
空中ブランココーナーは親子連れが多かった。高いところでブランコなんてアルプスくらいでしかできないから、夢といえば夢である。
時折春雨高校の生徒を見かけることもあった。目の前にいるのも春雨高校生だ。複数の女の子と一緒に並んでいる。しかしその女子たちは何やら大きな声で言い合っているようだった。
「……祥也?」
「む? おお、悠馬か」
くるりと振り返るのは入学四日ほどでハーレムを築き上げている祥也。数えると一緒にいる女子は野田さんを含め五人だ。
「何を言い争っていたんだ?」
「ああ、それはだな……聞けば分かる」
少々面倒くさそうに、でも満更でもなさそうに女子の言い争いの方に目をやる。
「私が祥也君とブランコに乗るの!」
「いいえ、私よ!」
「祥也君は私を選ぶにきまってるじゃない!」
「ブスは引っ込んでなさい! 私よ!」
「ブスはあんたでしょ!」
という具合に胸倉を時々掴んだりと、大変醜い争いを繰り広げていた。争いの内容は、誰が祥也と空中ブランコに乗るかというもの。ペアで無料というチラシを見てやってきたのだろうが、お金を払えさえすれば、平等に祥也と乗ることは出来ると思う。
譲らないのは彼女らなりのプライドなのかもしれない。そして祥也が憎い。
「で、悠馬はというと……」
祥也は悠馬と真菜を交互に見てから悠馬の耳元に顔を近づけた。
「やるじゃん」
そう小声で囁く。それに少し顔が熱くなった。もちろん祥也にドキッとしたとかではなく単に恥ずかしかったのだ。
そう話している間に祥也との空中ブランコ権が決まったようだ。最終的にはじゃんけんだったそうで、意外と正当な決め方だった。
その集団の中に戻っていく祥也はチラッと顔を覗かせて、頑張れよ、と口の動きだけで伝えた。
☆
空中ブランコ権を勝ち取れなかった祥也ハーレムの四名様を尻目に、空へと向かう階段を上っていった。先ほどからベンチで様子を見ていたが、実際に上ってみるともっと高く感じる。人が砂粒サイズに見える。
上るにつれて風も強くなり、より一層怖さが増してくる。
なかなかに高くなってきてから、真菜はずっと悠馬の袖を握っている。目を瞑って震えながら、一歩一歩と上へ進んでいるのだが。
「白花……もしかして高いところ苦手?」
「べ、別に苦手じゃないよ!? かなり怖いだけで……」
それを苦手というのだが、本人は認めないらしい。これからも分かる通り、真菜は高所恐怖症だ。もちろん上るにしても命綱は付けてもらっているので落ちても安心だが、高所恐怖症が本当に怖いのはこの高いところでの地面の不安定さである。風も強く、階段が時々揺れるので、無理もない話だ。
無事空中ブランコを楽しめるのか不安になりつつも、真菜の体を支えながら一歩ずつ上って行った。
もうすぐアトラクションというところまで上って来た。真菜も怯えながら頑張っている。その時、悠馬の携帯電話が震えた。新着メールと表示されている。
「誰だよこんな時に……」
無視したいところではあったが、結希のメールだったらきっと何かあるだろうし、拓斗からのメールなら警察沙汰かご飯要らないのどちらかなので、とりあえずメールを見た。
しかしその予想は見事に外れ、送り主はそろそろ空中ブランコを終えたであろう祥也だった。
ハーレムの自慢なんだろうな。と思いつつも受信ボックスを開く。しかし、ハーレムの自慢ではなく、たった一言書かれただけだった。
『吊り橋効果(笑)』
「吊り橋効果……?」
吊り橋効果といえば、緊張感や恐怖感から恋愛感情が生まれるという有名なものだ。それを笑いながら送ってくるとはどういうことだろうか。
「……まさかっ!」
未だに袖にしがみついている真菜の方に目をやる。真菜は今、高さという怖さと必死に戦っている――即ち恐怖心があるということだ。
その締め付けられる心にそっと優しくしてあげたらどうなるだろうか。ただ接しただけなのに頼もしく見えるではないか。せっかく空中ブランコに誘ったのだ。今は好感度を上げるチャンスだ。
とりあえず『俺、頑張るよ!』と返信しておいた。
するとすぐに返信が来る。またまた短い文ではあった。
『は? 何言ってるんだ? 吊り橋効果のおかげで前にいた女子と仲良くなれたって話だぞ?』
「……アイスクリーム体験で手にべちゃってつけてねちってさせてやる」
そんな訳の分からない攻撃案を練って、頂上へ向かって行った。
☆
頂上は階段途中よりも風が強く、握るパイプを放せば吹き飛ばされそうだ。
目の前には二人乗りのブランコが固定してある。その奥の方に下りる階段がある。
ブランコは下にあるネット――といっても地上からはかなり高い位置にある――に足が着くまで乗ることが出来るため、結構長い時間遊べるようになっている。
「では、次の方どうぞ」
スタッフに誘導されて、悠馬はブランコに腰を掛けた。真菜も恐る恐る、下を見ないようにしながらブランコに座る。
イスに付いているシートベルトを装着し、視線を前にやった。
「お好きなタイミングでどうぞ」
言われて、一歩だけ前に出た。
「行くぞ、白花?」
喋る気力もないのか、真菜はコクリと頷くだけだった。
その反応を確認すると、両足を宙に浮かせ、半円を描いてブランコは空を歩いた。前の階段が近くなったり
遠くなったりする。
飛び出したは良かったものの、真菜はまだ目を瞑っていた。その目を開く一歩がどうしても踏み出せないようだ。
「目、開けられないか?」
「……うん」
「でも、もったいないぞ。こんなに綺麗な景色なのに」
上を見れば雲一つない水色の空。見渡せば綺麗な緑と太陽の光が喧嘩し合う草原。そして賑わう人々。これほどの景色を生きているうちに何度拝めるだろうか、と思うほどである。
「思い切って見てみなよ。怖さはあるかもしれないけど、損はないぞ」
真菜は薄らと目を開けようとした。それと同時に悠馬の袖を握る強さが増す。
その恐れる目に飛び込んでくる景色と風。淡い緑色がゆらゆらと揺れる眼下。その全体を今、初めて視界で捉える事が出来た。
「あ……」
ただ感嘆の声をあげた。零れるように空気として消えていく。
「どうだ? 綺麗だろ?」
「……うん」
そして、やっとしっかりと目を開けた。薄らとボヤけていない、はっきりとした自然。それを地上から遥かに高いところから一望できる。恐怖もこれなら贅沢に変わる。
「まだ怖い?」
「……ちょっとね」
でも、悪い気分ではない。寧ろ良い気分だ。そう真菜は心の中で思えた。空のように澄んだ気持ちで。
☆
やがてブランコは着地地点のネットに足がつく程までに揺れが収まり、悠馬にとって天国のような一時は終わりを迎えた。高いところが怖いわけではない悠馬はあと一時間でも乗っていられるのだが、真菜はもう散々な顔をしている。
階段を下ると、アスレチックコースバトルを終えていたミラアと治親が立っていた。
「もー、ずるいよ悠馬。何も言わずに白花さんと空中ブランコなんて!」
美少女と一緒に、それも近距離で遊べた悠馬が羨ましい治親は口を尖らせた。近距離ではないが、治親も美少女と遊んではいる。
ミラアと治親の方はというと、ミラアがあのまま逃げ切りで決着。それも圧倒的差だった。またしてもミラアの手によって男の意地を汚される犠牲者が増えてしまった。
「んで、どうするの? まだ自由時間余ってるけど」
結構長い時間遊んでいた感じもするが、最後のアイスクリーム体験まではまだ時間があった。まだ他のところで遊ぶ時間は十分にある。
「牛さん! 牛さん!」
その治親の問いかけにいち早く答えたのはミラアだった。珍しく声も張り上げている。
「そんなに乳搾り体験やりたかったのか……」
「でも、まぁ、言われてみればミラアちゃんの希望だけまだ実行できてないね」
「じゃあ牛さんのところ行こうか」
真菜の言うことに全員が頷いた。
かくして悠馬たちは牛の放牧をしている小屋へと向かった。