Chapter 2-(2) 伝統リレーとチャンス
「おお~」
草原広場でシートを敷き、お弁当箱を開くと、絵に描いたように色鮮やかなおかずが揃っていた。綺麗に巻かれた卵焼きから良い焼き加減の野菜炒め。少し小さめのハンバーグも入っている。
正直な感想は想像以上。結希にとって弁当というものは今まで縁がないものだ。保育園も小学校も給食なので、弁当など雑誌でぐらいしか見たことない。それを考えるとこの弁当は上出来すぎた。
「あ、悠馬の卵焼きいただき!」
そのお弁当に感心していると、ひょいと治親が卵焼きを奪い、そのまま口に入れた。
「おい~、治親~」
「へへ~ん」
「ぶっ殺してやる」
「え、え!? そんなに大切だったの!?」
どこからどう見ても悠馬のぶっ殺してやるは冗談ではなかった。ついさっきまでお弁当箱の中身を見て煌めいていた表情はどこかに捨て去られ、憎悪に満ちてしまっている。目がとても鋭い。
「大切だ。お前にとっての美男子くらいな」
「いや、そんなに大切じゃない」
「……あ、そうか。お前にとっての美少女くらいな」
「ごめん、僕が悪かったよ」
そう、この卵焼き――には限らず、妹の初弁当の一口目は治親にとっての美少女に値する。その大事で楽しみだった一口目を奪われてしまったのだ。
「まぁ、いい。アスレチックで突き落とすくらいにしておいてやる」
「それもなかなかですね」
そして悠馬は、肩を落としながらも二口目の卵焼きを食べた。ほんのりと甘く、慰めてくれている気さえもした。
☆
昼食も終え、悠馬たちは園内にある四百メートルトラックへとやってきた。今度はここでクラス対抗リレーが開催される。この入学直後のクラス対抗リレーは意外と伝統的なものらしく、遠足という行事が出来る前から行われていた。遠足が行事として入って来ても、リレーの文化だけは崩されないでいる。
悠馬は走るのが特別得意でもなければ苦手でもない。いつも体育祭のリレーは思い切り走るけど抜きも抜かれもしなかった。
トラックには大半の生徒が集まっており、わいわいと集合場所であろうところに立っている。中には準備運動をする人もいた。
悠馬たちもその人混みの中へ入り、自分たちの定位置を目指した。走順はあらかじめ決めてあったので、遠足前に誰がどこに行くかは知らされてある。
このリレーは一人百メートル走ることになっているので、四つのところで分けられる。偶然に、そして幸いにもミラアは悠馬と同じ位置だ。とりあえず迷子になりそうなので、ミラアの袖を掴んで定位置にやってきた。
「ジョン、リレーって何?」
「俺悠馬。そろそろ覚えて欲しいな。リレーはバトンを持って走って次の人に渡せばいいだけだ」
「次の人って?」
「っと……確かミラアの次は、野田さんだったかな?」
「あ、絶対祥也に振り向かれていない子ね」
「やめなさい」
少し肯定してしまいそうになったが、人間の反射的何かで抑えることが出来た。先ほど定位置に向かう祥也を見たのだが、また他クラスの女子に声をかけていた。悠馬の次は祥也なので、とりあえずバレない程度にバトンで手を叩いてやろうと思った。
『はーい、みなさーん! 盛り上がってますかぁ~?』
拡声器で榊先生が全員に呼びかけた。いよいよ伝統の春雨リレーが始まる。
『これから春雨高校と遠足の大イベント、クラス対抗リレーを始めます。抜く時は外側からくらいを守ってくれれば、後は前を目指してゴーゴーゴー! 以上!』
相変わらずテンションに任せた挨拶である。だが、その一方で生徒思いな先生なので憎めない。
まもなくスタートを合図するピストルが鳴り、第一走者が一斉にスタートした。
C組の第一走は治親。意外にも陸上部出身だったらしく、足には自信があるらしい。その言葉通り、治親はトップを快走していた。
それからC組はトップを独走――と上手く行くはずもなく、二位あたりでずっと走っていた。次第に順番は近づいてくる。それと同時に、クラスに迷惑をかけないようにしなきゃ、という緊張も襲ってくる。
そう中盤あたりの生徒が緊張し出す中、隣のクラス、即ちB組の男子が大きな声で余裕をアピールしていた。
「何だよー、俺と走るのあの女子とかよ。これじゃあ楽勝だな」
今トップを争っているのは、C組とそしてB組。その、俺速いですよアピールをしている男子は荒若中学校出身の汚田。中学時代に陸上部に入っており、足はかなり速かった。何度もアンカーを任されるようなクラスのヒーロー。残念なのは顔面が兵器並みに汚いことだ。
それに女子のミラアが対抗するのは難しい話ではある。顔面では圧倒的だが。
その汚田の目線は明らかにミラアに向けられている。傍から見ればか弱そうな女の子なわけだ。体も細くて表情もいまいち気力がない。百メートルなんて走ったら倒れそうな雰囲気され感じる。
それに気づいたミラアは悠馬に話しかけた。
「レノン、あの人は誰?」
「悠馬な。そんな偉大で想像的な人間じゃない。あいつは汚田。中学の時陸上部で……残念だけどめちゃめちゃ速い。直接対決になっちまうな」
「おだ? どんな漢字を書くの?」
「汚い田んぼ」
「名前も顔と同じくらい汚いのね」
「聞こえてるぞてめぇ!」
それに気づいた汚田は立ち上がってミラアに突っかかって来た。そろそろ哀れでもあるが。
「で、でもなミラア。多分お前じゃあいつは……」
「大丈夫よ。よく言うじゃない。汚い汚田ほどよく吠える」
「いや、まぁ、あの間違ってはいないんだけどさ。それでもやばいって。こんなことして負けたら嘲笑されるだけで……」
そして精神に傷を与えるような行動でもある。無自覚の呪いだからこういう行動に出るのは仕方のないことかもしれないが。
「てめぇ覚えてろよ。リレーでボコボコにしてやるからな」
その汚田の表情は本気だ。あんな汚田の表情は中学の体育祭の色別リレーでアンカーを走っていた時と、好きな女子の服が干してあるベランダを見ていた時以来だ。悠馬自身、とんでもないところを見てしまったと思っている。
それから順番は巡り、いよいよミラアの順番が回って来た。その隣で汚田は鬼の形相を浮かべている。あの鬼の形相は、好きな子に思い切って告白してフラれ、翌日その子が祥也と歩いているのを見た時以来だ。今度ちょっと同情してやろうかという気持ちになってきた。
一番でバトンを受け取ったのはC組。そのすぐ後に汚田がバトンを受け取った。歩幅がまず全然違う。明らかに汚田の方が広い。が、しかし。
足の出すの回数はミラアの方が多かった。
みるみると差が広がっていく。ミラアが圧倒的に速い。
そこで悠馬は思いだしたのだ。今までは宇宙人の前に女の子というのが頭の中で強く残っていた。だが今は違う。女の子の前に宇宙人なのだ。本人からすれば汚い人間に負けるはずがないというくらいなのだろう。
どうしてだろうか。汚田にお菓子でもあげたくなってきた。
「そんな……汚田さんが……」
そんな状況に肩を落としたのは悠馬と一緒に走ることとなる生徒だった。同級生をさん付けで呼ぶあたり、何か師弟の関係のようだ。
そう呟いた後、急に悠馬の方を睨みつけた。何か言いたそうな顔だ。
「お前なんかボコボコにしてやるからなぁ! 俺の兄ちゃん怖いんだぞ!」
「一番弱いタイプじゃねぇか」
「ぐ……ぐぬぬ……!」
別に自分の走りに自信があるわけではない。でもこういうことを言う奴は強くないと決まっている。思わず口に出してしまうほど確実なことなのだ。
あっという間にバトンは回って来て、悠馬は走り出した。あれからミラアが圧倒的差をつけたものの、B組は汚田以降も男子の陸上部続きということで再びトップを奪っていた。よって先ほどの兄ちゃん怖男――たった今命名――がすぐ前にいる状況だった。
その怖男は見事なまでに鈍足だった。走るのが得意ではない悠馬でさえあっさり抜けてしまう。
「あ、速い……」
そんな諦めの言葉を零し、怖男の姿はみるみる小さくなっていった。速い走者を出し切ってしまったB組に勝利という文字はもう見えていなかった。
☆
結果はC組の独走優勝。怖男で後ろから差を詰められたB組は最下位という結果に終わっていた。あまりにも滑稽な結末である。
今は午後の自由時間。午前中と同様に祥也は野田さんと二人きり――ではなく野田さんを含む複数の女生徒と草原を歩いていた。曰く、みんなそれと同等に綺麗なのだとか。
悠馬たちも午前中と同じメンバーで、今度はアスレチックのエリアに来ていた。何よりも目立っているのが、農業公園の端から端までを滑走できる空中スライダーだ。自転車に乗っている時もキャーキャーと声が聞こえていた。
その他にもロッククライム、うんていなどで設計されたアスレチックコースや、子供も安全に遊べるネット迷路。更には空中ブランコなどといったものまである。これに限っては有料であるが。
「わ~、写真で見るよりも凄いね~!」
「おう! テンションあがるぜ! ま、僕にかかれば全エリア攻略は楽勝だね」
そう言うとすぐさま治親はアスレチックコースへ走って行った。まるで子供である。
しかし、最初のエリア、ロッククライムでいきなり落下していた。あまりにもかっこ悪い滑り出しだ。
「汚田みたいね」
そうポツリと相変わらずの無表情っぷリでミラアが斬る。汚田と治親の心にきっと深く刺さっているだろう。格好つけて失敗する。これをすなわち汚田現象というのだ。
そんな治親を見たミラアが何も言わずアスレチックコースへと行った。係員に命綱を付けてもらうと、先ほど瞬間的に治親が落下したところをあっさりとクリアしてしまった。
「な……ミラアちゃんに負けるだと……!」
いとも簡単に女子に負けたことが悔しかったのか、治親は再びスタート地点へ戻り、先を行くミラアを追い始めた。何やらアスレチックバトルが勃発している。
そんな二人を悠馬と真菜はベンチに座って見ていた。コース全体を見ることが出来るこの休憩スペースは応援にはもってこいだ。
「ミラアちゃん速いね。女子の運動神経とは思えない」
「……そうだな」
「女子が汚田君より速いって凄いよね……。人間じゃ出来ないと思うな~」
「……そうだな!」
実際、人間じゃないから。そう言いたいところではあるが口を塞ぐ。
「そういや、白花はアスレチックやらないのか?」
なかなか悠馬にとって話しづらい話題だったので、すぐさま方向を切り替えた。
「う~ん。自転車で体力使い果たしちゃったかな」
「そっか」
全然そんな風には見えなかった。まだまだ遊び足りないような無邪気さを感じる。
「宮葉君こそ、何かやらないの? 自転車も無理やり連れ込んだ感じがするんだけど……」
「俺も疲れたから休んでる方が楽でいいや」
本当はこうやって真菜と喋れる時間が恋しいだけなのだけれど。中学生のときは話す機会がなく、ただ時々姿を見るくらいだったから、なおさらこんな風にして話せるのが嬉しい。こんなに楽しい高校生活のスタートが切れるとは思っていなかった。
そうしてしばらく二人で会話していると、チラシを持った係員さんが悠馬たちに近寄って、それを差し出してきた。
「今、キャンペーンやってるんでどうぞ」
受け取ったチラシに目を通すと、今ならペアで空中ブランコが無料で楽しめるというものだった。普段の有料を考えると、とてもお得なキャンペーンだ。
「カップルで素敵な思い出にどうぞ!」
そう言って係員は他の客に声をかけにいく。――その係員のせいでとても気まずい沈黙が襲ってきていた。
「カ……カップル……」
隣にいる真菜は赤面し、一切悠馬の方を見ようとしない。それは悠馬も同様で、真菜の方を見ることなど出来なかった。恥ずかしいのもあるが、嬉しいのもあり。だけど真菜に対する申し訳なさもありでとても複雑である。
だが、これは悠馬にとって最高のチャンスでもある。幸いミラアと治親はアスレチックコースに夢中で、悠馬たちの居場所など忘れている。
そう、これは楽しい遠足。仲間作りも重要だが、思い出作りも重要なはず。そして憧れの真菜と空中ブランコという千載一遇のチャンス。ここで退けば男じゃない。
意を決して悠馬は言う。
『あの』
それと同時に真菜も喋り出してしまう。こういうところで一番気まずい同時に声を出すという行為。再び沈黙が訪れてしまった。
「な……何だ? 白花」
「いや、あの、宮葉君からどうぞ……」
「え、あ、そうか……?」
悠馬は大きく深呼吸をし、表情を引き締めた。
「空中ブランコ、一緒に乗らないか?」
「……うん。行こう」
その気まずそうな顔は極上の真菜スマイルへと変化した。どこかのシェフのスマイルよりも心が癒される。
「じゃあ、行こうか」
「うん!」
悠馬と真菜はミラアと治親を置いて、空中ブランコのコーナーへと歩を進めた。




