Chapter 1-(1) 恩を受けて迎える
桜の花が咲き乱れ、世間は春を迎えた。悠馬は進級して二年生になった。学校を歩いていると、自分よりも綺麗な制服を着た生徒をちらほら見かけるようになった。
多くの生徒が新しい生活に胸を膨らませる中、悠馬は少し悩みを抱えていた。
「どうするかな、これ……」
屋上で一人、売店で買ったパンを食べながら、何冊からの資料を並べて見ていた。その資料全てには共通して『高校』という文字が印刷されている。
悠馬の悩み事は弟の拓斗と妹の結希の進路についてだった。拓斗は中学三年生に、結希は小学六年生になったわけだが、その次の進路を考えたときに必要なものはお金だ。制服や教科書代、授業料などを考えると、悠馬のバイト代ではとても賄えない。母親が残してくれた財産もいつかは底を尽きる。高校生があまり考えはしない、家庭のシビアな問題だった。
「バイト増やすしかないかな……」
悠馬は溜息をついて空を見上げた。雲一つない青空が更に悠馬の不安を加速させていく。
「おやおや、こんなところで一人で昼御飯かい。寂しいね、青年」
すると屋上の入り口から優しい女性の声がした。腰まで伸びた黒い髪を風に棚引かせながら悠馬のもとへと近づく。
悠馬はその女性を見て、驚いたように目を剥いた。それもそのはずだった。学校にいることが全く予想できない人物だったからである。
「アリアさん……?」
「やあ、悠馬君」
白衣に入れていた右手を挙げて軽く挨拶をする。そう、やってきた人物とはエンスの助手であるアリアだった。
「どうしてここに?」
「ほら、この前言ったでしょ? 職に関しては当てがあるって。あれ教師のことだから」
「嘘でしょ!?」
「本当本当。今年から理科担当の教師として派遣されたわけ。専門は生物! よろしく!」
「は、はあ……」
いつの間に教員免許を取得していたのかなど気になることは多々あったが、とりあえずアリアは春雨高校の理科教師として赴任したらしい。ひとまずエンス宅の無職危機は免れていた。
「ふんふん。見るからに学費や制服のお金について考えていたね?」
アリアが来た事に悠馬が動揺している間に、アリアは悠馬の側にあった学校の資料を持って眺めていた。
「宮葉家の家族の事情はエンスさんから聞いてる。なかなか大変な人生だね。そして何とかしようとする悠馬君は立派だよ」
「宮葉家で働けるのは俺しかいないですし、やらなきゃいけませんからね」
俯きながらに悠馬が言うと、アリアがポンと悠馬の肩に手を置いた。
「悠馬君はミラア様の恩人。だから私はできる限りの協力はしたいと思ってる。何かあったら遠慮せずに言って。お金くらい貸すし」
「でもそんなの悪い……」
「それくらい鏡花星の一部の人は悠馬君に感謝してるの! 恩返しはほいほい受け取っとく!」
力強い声に圧倒されて、悠馬はそれ以降何も返すことができなかった。もちろん、そんな支援を受けることは有難いことこの上なかったが、それでも申し訳なさが勝ってしまう。でも、このアリアの熱意を必死で断るのもまた失礼な気がした。
「まあ、なるべくアリアさんの手は借りることないように頑張ります」
「うんうん。本当に、いざとなったら遠慮はしないように!」
アリアは腰に手を置いて深く息を吐いた。小柄であるため、あまり威厳は感じられなかったが、それでも今の悠馬には逞しく見えた。
アリアはふざけているように見えて芯はしっかりしている人物だ。実際にミーナが日本へ向かうための手助けをしているし、今もこうして悠馬たちの心配をしてくれている。
「ところでさあ……」
と、しみじみと有難さを噛み締めていると、アリアが両手の人差し指を合わせて目線を悠馬から少し逸らし、照れながら言った。
「羽花ちゃんのお迎えって今日行くの?」
「羽花のお迎えですか? いえ、今日はバイトがあるので……って、あ!」
悠馬は大事なことを思い出し、大きな声を出してしまった。それから右手で頭を抱え、深く溜息をつく。
「今日、結希は熱を出してるから迎え行けないんだった……」
「え、じゃあ迎え行く人がいないんじゃない!?」
「……何でちょっと嬉しそうなんですか?」
その原因は悠馬は既に理解していた。アリアが日本に来た日から数日後、エンスから一通のメールが届いた。その内容は実にシンプルに『アリアから羽花ちゃんを守るんだ』とだけ書いてあった。アリアはどうやら、会った初日にバイバイと言ってくれた羽花にぞっこんらしく、会いたいと言ってベッドを転がり回っているらしい。
悪い人ではないことは重々承知しているが、それでもアリアに迎えを任せるのは兄として非常に不安が募る。
「いやあ、アリアさんにそんなこと頼むの悪いですから!」
「悪くない悪くない! むしろ行かせて!」
「お仕事の方もお忙しいでしょうし!」
「暇! 超暇! あっても放って行く!」
「それはダメでしょ……」
「急に冷静だね、悠馬君……。いや、でも! 行かせて! 保育園の場所さえ教えてくれればすぐ行くから!」
「尚更教えられません!」
と、その時。校内に予鈴が鳴り響いた。もうすぐ昼休みが終わる合図で、悠馬は教室に帰らなければならない。アリアから離れるには好都合だ。
「とにかく、迎えは拓斗に頼むんで大丈夫です!」
「ええ~、そんなあ……」
落胆するアリアに背を向けて逃げるように校舎へのドアを開いた。古くなって錆びついているせいで、少し重く開きにくかった。
「あ、ちょっと待って悠馬君!」
「……何ですか」
ドアが閉まる寸前のところでアリアが悠馬を呼び止めた。さすがに無視をするわけにはいかず、悠馬は閉まろうとするドアに手をやってアリアを見やる。
「これは真面目な話なんだけど……」
先程までの羽花の迎えに行くことに必死なアリアの面影はなく、深刻な顔つきになる。あまりの豹変ぶりに悠馬も息を呑んだ。
「迎えに行かせて」
「さようなら」
悠馬は強引にドアを閉めた。勢いがあったため、バンッと大きな音が階段に響き渡る。ドアの向こうで「お願いだからぁああああああああ!」というアリアの声は聞こえなかったことにして、拓斗にメールを送った。