Chapter 1-(2) 寂しいときは食べましょう
「羽花ちゃーん、お迎えが来ましたよー」
エプロンをつけた保育士のお姉さんが手でメガホンを作って羽花を呼びかける。既に子どもたちの数は少なくなっていて、到着が少し遅れたことを実感する。
声を聞くと、羽花は嬉しそうに下駄箱のところまで歩いてきた。
「あれ? 今日は拓斗お兄ちゃんだ!」
「ああ。お帰り」
迎えに来た拓斗は気恥ずかしそうに頬をかいた。いつも見ている羽花だが、こうして保育園に来て見るのは初めてだった。基本的に悠馬か結希が迎えに来るためだ。
いつものように仲間たちと学校帰りに街を歩いていると、携帯電話に悠馬から一通のメールが入っていた。悠馬はアルバイトがあり、結希も熱で寝ているため、今日は拓斗が羽花の迎えに行くようにという内容だった。更には晩御飯を食べさせるようにと。
拓斗は若干の面倒くささはあったものの、羽花を保育園に預けっ放しにするわけにもいかないのでしぶしぶやってきた。
羽花と一緒に保育園を出ると、沈みかけの夕日が目に飛び込んで来た。日に日に日照時間は延びていて、春の訪れを感じさせる。
「羽花、今日は悠馬お兄ちゃんが忙しいし、結希お姉ちゃんも風邪で寝てるから御飯食べにいくぞ」
「ほんとに!? やったー!」
「何食べたい?」
「ハンバーグ!」
「ハンバーグか。んじゃあ、ファミレスでいいかな」
「チーズハンバーグ食べるの!」
「ああ、羽花はあれ好きだもんな」
とことことついてくる羽花が微笑ましくて、拓斗は少し気持ちが軽くなった。ここ最近は家族と話す機会も少ない。拓斗自身が家にいないことが一番の理由だが、家にいたとしても会話はない。だから、こうして無邪気に慕ってくれる羽花が眩しくもあった。
「ねえ、拓斗お兄ちゃんってどうして家に帰って来ないの?」
「え?」
「もっとお話したいのに」
ちょっと拗ねた風にズボンの裾を引っ張る羽花は、上目遣いで見てきた。
拓斗はそれに答えようとしたが、言葉が出てこなかった。思い返せば、自分でもなぜ家に帰らないのかが理解できなかったからだ。悠馬たちがいる家に帰ったところで、苦痛なことなど何一つないのに。それなのに、まだこうして何かから逃げている。
でも、それは羽花にとっても寂しいことだということが今更ながらに拓斗は理解した。羽花はまだ五歳だ。悠馬や結希の学校の時間の都合上、他の園児よりも帰りは遅く、保育園に残る時間は長い。帰ったら結希は家事をするし、悠馬もアルバイトで帰りが遅くなる日がある。寂しさが募るのも無理はない。
――せめて自分がいてやらなきゃいけないのに。
そんな思考が巡ると、拓斗は自然と羽花の頭の上にポンと手を置いた。
「じゃあ、今日、たくさん話そう。特別にドリンクバーを頼んでもいいから」
「え!? いいの!?」
「ああ。……あ、でも悠馬には内緒な」
「うん! 拓斗お兄ちゃんとの内緒!」
羽花は突き立てた人差し指を口の前に持って来て笑った。そんな羽花が可愛らしく、でもどこか寂しく思った拓斗は、困った笑顔で返し、ネオンが点灯し始めた街の方へ向かった。
☆ ☆ ☆
悠馬はロッカーの前でグッと身体を伸ばし、ゆっくりと息を吐いた。時刻は午後十時前。アルバイトを終えた悠馬は制服のエプロンを鞄に放り込んだ。新年度が始まったため、春休みほどの客はおらず、少し気持ち楽に働けた。
学校の制服に着替え終わると、同じくアルバイトを終えた真菜が鞄を持って更衣室から出てきた。
「あ、宮葉君。お疲れ様」
「お疲れ」
真菜とシフトが入る日は途中まで一緒に帰ることが日課になっていた。どうせ一緒に終わるのだからということで一緒になっているが、内心、悠馬は幸せな気持ちでいっぱいだ。
店を出るとまだまだ活気のある街が電飾で煌めいていた。そんな中、悠馬はふと足を止めた。
「宮葉君? どうしたの?」
「あ~、いや。それがね……」
悠馬はこのまま家に帰っても晩御飯がないことに気づいた。結希は風邪で寝込み、拓斗と羽花は既に違う場所で済ませているはずだ。
「今日はこの辺で御飯食べてから帰るよ。だから今日はここで――」
悠馬が言いながらいつもの帰路とは反対方向に進もうとすると、目の前にいた真菜が直立したまま硬直していた。そして何やら強張った顔でぶつぶつと呟いている。
「ここで……ここで……踏み出さなきゃ……」
「白花?」
「え!? あ、宮葉君! こんばんは!」
「……こんばんは? どうした?」
真菜は手でパタパタと顔を煽ぎながら、何とか火照りを取ろうとする。更に後ろに振り返って両手を頬に当てて、また何やら呟いていた。
この時、真菜はある決断を迫られていた。ここで一歩、勇気を出して言うべきだ。私も一緒に行っていい? と。
これまで何となくだったが、悠馬は誰のものにもならず、時間が経てば両想いになれるなんて思っていた。それは人を好きになったときに陥りやすい勘違いなのかもしれないが、真菜は中学時代からずっとそうして日々を過ごしてきた。
しかし、高校生になってから悠馬の取り巻く環境は大きく変化している。ずっと自分だけが一途に想い続けていると思っていたら、幼馴染でずっと悠馬に好意を寄せている苺が現れた。更に真菜が知らないところで、ミラアにとって大きなことを悠馬が手助けをしていた。そしてミラアも悠馬に恋をしている。
そう、気がつけばライバルが二人も増えていた。加えて苺は積極的に悠馬に話しかけていけるし、ミラアに至っては悠馬たちの部屋と隣同士だ。油断していたら遅れをとるのは間違いなく真菜だった。
だからこそ、この悠馬と二人だけのアルバイトの時間は楽しみであり、至福であり、そしてチャンスだ。
しばらく背を向けたままの真菜を不思議そうに見る悠馬に再び向き合う。緊張でなかなか言葉が紡ぎ出せない。それでも震える声を一生懸命に絞り出した。
「よ、良かったら……一緒に御飯、食べませんか?」
その言葉に悠馬は体を突き刺されたような衝撃を受けた。冷静に考え直せば、この状況は真菜を誘い出すチャンスだ。もし真菜がそれを言わなければ、あっけなく逃すところだった。
もちろん悠馬に断る理由はなく、いつもより少し長い帰り道を共にする。緊張から解放された真菜にも自然な笑顔が戻る。
(見ててね、苺ちゃん、ミラアちゃん。今日、一歩リードして見せます!)
真菜は心の中でライバルたちに宣言し、悠馬と並んで飲食店街を歩いた。心なしか、いつもよりも電飾が綺麗に見えて祝福された気持ちになった。




