番外編① 兄の悠馬と妹の結希
第四章半は短編の小説をいくつか投稿します。
あまり本編とは繋がりがないです。ご了承ください。
「へ~、羽花はお泊まり保育か」
もうすぐ夏が来るという時。保育園からのお知らせが渡された。内容はお泊まり保育について。文字通り、園児たちが保育園にお泊まりすることだ。その日、羽花は家には帰って来ないということになる。
布団や着替えが持参と書いてある。別に結希が使っていたものがあるので準備に困りはしない。だが産まれてから、夜に羽花がいないというのは悠馬にとって初めての経験なので、少し変な感じがする。
「しかし大丈夫かな……不安だ」
「友達も先生もいるんだから大丈夫でしょ、兄バカさん」
テーブルを挟んで向かい側に座る結希が宿題をしながら答えた。今、結希は羽花のお泊り保育用の着替えなどに名前を書いている。小学五年生とは思えない綺麗な字でシャツの端に「みやばはねか」と書いた。
「ほら、私だけじゃ大変だから悠馬お兄ちゃんも手伝って」
「おう、分かった」
その他にも布団に名前を書くことが必要なため、悠馬は結希からネームペンを受け取って、保育園からの書類を読みながら所定の位置に名前を書いた。
「というか、布団とか持っていくの大変だな。何せ車もないし……」
「……私はお兄ちゃんのマッスルを期待しているよ」
「勘弁してくれ……」
そんなことを話しながら、悠馬たちは淡々と必要なものに名前を書いていった。
☆ ☆ ☆
「ああ~! 疲れた~!」
「お疲れ、お兄ちゃん!」
結局、悠馬が布団をロープを巻き付けて体と一体化させて、保育園の距離を死にもの狂いで歩いた。保母さんはそれはもう奇妙なものを見る目で見てきたがこればかりは仕方なかった。この頑張りで羽花が友達と仲良く寝られるのならばそれだけで報われるものだ。
布団を悠馬が背負う代わりに結希は着替えや歯ブラシなどが入ったバッグを持ってくれた。時々ずれて落ちそうになる布団を後ろから支えてくれたため、結希も疲れは少なくともあるだろう。
「残念なことは明日持って帰らなきゃいけないってことだけどね」
「結希よ。まだその言葉に耐えられるほど俺は回復していない」
軽く止めを刺す結希に狼狽えながら、元来た道を帰って行った。
家に帰りつくと、結希は当たり前のように台所に立って晩御飯の支度を始めた。今日は拓斗は友達と済ませてくるらしく、結希と二人の晩御飯となる。
よく振り返ってみると、悠馬と結希が二人で晩御飯を食べるのは初めてだった。幼い頃は両親に加えて拓斗がいたし、拓斗が外に出て回るようになってからは必ず羽花がいた。そう考えると、いつも耳にしている包丁とまな板がぶつかり合う小刻みの良い音もどこか新鮮に感じる。
「お待たせしました~!」
しばらくすると、結希が完成した料理をテーブルの上に持ってきた。今日の献立はハンバーグだ。父親の涼一が家出してから家事全般をこなしてきただけあって、料理の技術も日に日に上達している。
「何かいつも一緒にいるのに、悠馬お兄ちゃんと二人って初めてで何か変な感じするね」
「だな。結希が産まれた頃には拓斗がいたし、拓斗が遊びに出回っていても羽花がいたもんな」
「そうだね。私もたまには四人で御飯食べたいんだけどな~」
結希はハンバーグを頬張りながら少し寂しそうに言った。結希の言う通り、ここ最近で四人で食事をしたということはなかった。ほとんどは拓斗が帰ってこないという理由だが、悠馬のアルバイトの時間などもあり、以前よりも格段に一緒の時間というものは減った。
「悠馬お兄ちゃん、お金は大丈夫?」
「ああ。お母さんが結構な額をお父さんに内緒で残してくれていたしな。楽勝とは言えないけど、とんでもなくギリギリってわけでもないよ」
「お母さんも不器用だよね。そんな気持ちがあるなら振り込みでもしてくれればいいのに」
「まあ、その時はお父さん以外は口座もないし……。お父さんとお母さんの当時の信頼関係を考えるとその方法は仕方なかったのかもな。ましてや、お父さんが出て行くなんて思ってもいないだろうし」
悠馬たちの母親は父親の家庭内暴力のエスカレートによって、恋愛関係にあった他の男性と不倫をして出て行ってしまった。離婚届だけが空しくテーブルの上に置いてあったのを今でもはっきり悠馬は覚えていた。
それから父親は目を覚ましたように大人しくなり、今まで自分の妻にやってきたことを思い出して、罪滅ぼしのように離婚届に印を押した。
悠馬たちの母親は弁護士で、その業界では少し有名で仕事もよく入っていた。そのため、収入はかなり多い方で、金遣いの荒かった父親を見兼ねて内緒で悠馬たちにお金を貯めておいてくれたのだ。一応、彼女には悠馬たちに罪はないという考えが大きくあったようだ。
「お母さん、元気にしてるかなあ」
「その男の人と幸せになってくれていたら良いけどな。何せ携帯の電話番号も変えてしまっているから、今どこで何をしているか全く分からないもんな」
「本当にね。別に凄く遠いところにいてもおかしくないもんね」
母親が出て行ってからは連絡手段も居場所の手がかりも一切ないため、出会うどころか声すら聞いていない。
「結希は、やっぱお母さんいなくて寂しいか?」
「そりゃあ寂しいよ。だって友達はみんなお父さんとお母さんがいるんだもん。もちろんどっちかがいないって人もいるけど、私はどっちもいないから……。何で私はって思ってしまう。あんまりいい考え方じゃないけどね」
結希は麦茶をくいっと飲み、物憂げな面持ちで水滴のついたコップを見ていた。
普段大人びている結希だから忘れそうになるが、彼女もまだ小学五年生の十一歳である。両親がいないということは決して普通のことではないだろう。特に周りの友達に親がいるのが当たり前なだけに、感じることはあるのかもしれない。
「悠馬お兄ちゃんは寂しくないわけ?」
「寂しいっていうか、訳が分からないって感じかな。でも、とりあえず今宮葉家で最年長は俺なわけだし、あんまり羽花とかに心配かけないようにとは思ってるかな」
「高校生にもなると大人だね」
「そうでもないと思うけどな。家事を全部やっている結希の方がよっぽど大人だよ」
実際、父親が逃げてから結希にかかる重要度は増している。洗濯や掃除などは手伝えるが、料理に至っては結希しか当てにならない。毎日三食と悠馬の弁当を作っていることを考えるとかなりの重労働だ。
「まあ、料理は普通に趣味感覚で好きだから苦だと思ったことはないけどね」
結希はハンバーグの最後の一切れを口の中に入れ、数回の咀嚼の後に飲み込んだ。ごちそうさま、と合掌して食器を片づける。結希は髪を解きながら台所から姿を現し、リビングのドアに手をかけた。
「先にお風呂行っていい?」
「ああ、いいぞ」
返事を聞いて結希はリビングから出て風呂場へ行った。
今日は二人分だからいつもより料理が楽な日である。こんな日くらいは結希もゆっくりすればいいと悠馬は食べ終わった食器を先ほど結希が持ってきたものに重ねた。一筋の水が蛇口から勢いよく出てきて、皿の中に溜めていく。
「――皿洗いくらいはしないとな」
スポンジに液体洗剤を垂らし、ギュギュっと二、三回ほど揉み込む。泡は忽ち立っていき、皿にこびり付いたデミグラスソースを拭きとっていく。
結希の毎日は小学生とは思えないほどにハードだ。六時に起床して朝御飯と弁当の支度をし、八時半には学校に登校して十七時に帰宅。それから洗濯機を回し、部屋の掃除をして晩御飯の支度。それから学校の宿題をして寝る。遊ぶ時間なんて一切ないのだ。少しは手伝おうと悠馬は思うのだが、アルバイトのある日は情けなくも疲れ切ってしまって朝の支度も手伝えない。
「本当、世話になってるな」
生活に関しては母親が残してくれた大金と悠馬のバイト代で普通には食いつなげている。時折大変だろう、と祖父の義三が少ない年金を振り込んでくれることもある。本人曰く「結希と羽花のためなら無駄に長生きして年金貰う」らしい。
でも、結局お金を形にしてくれているのは紛れもなく結希だ。五歳の羽花に何かをしろというのも酷な話で、拓斗に関しても事情を考えれば仕方ないと同情する余地もある。それだけに結希の果たしている役割は大きかった。
「お兄ちゃんお風呂どうぞ~……って、お皿洗ってくれてたんだ」
「ああ。いつも世話になってるしこれくらいはな。今日くらいは夜、自由に遊んどきなよ」
「何、改まっちゃって。らしくない」
結希はクスクスと笑ってドライヤーで髪の毛を乾かし始めた。今は風呂上りのため、いつもお下げにしているツインテールは背の辺りで真っすぐに伸びている。
「そういうことなら、お言葉に甘えようかな~」
「おう、甘えろ甘えろ。じゃあ風呂行ってくるわ」
「いってらっしゃーい」
悠馬は全ての皿を洗い終わり、手を軽く濯いでからリビングを出て風呂場へ行った。せめてこの土日くらいは結希の負担を軽減できるように何かしようと思いながら。
☆
あの後、結希は自分のやりたいことをやっていた。本を読んだりテレビを見たり、久しぶりにくつろいでいる結希を見た気がした。その姿にどこか安心して、悠馬も学校の課題をしていた。
時刻はあっという間に日付の変わる直前にまでなっていた。布団を運ぶという労働をしたせいか、今日はやけに眠気が簡単に襲ってきていた。それは結希も同様で、目を度々こすっている。
「そろそろ寝るか」
悠馬はノートを鞄にしまいながら言った。結希も眠気がピークに達しているのか、小さな声で「ん」とだけ呟いて立ち上がった。
――かと思うと、悠馬の隣に来て腕を絡ませて体を密着させた。あまりに意外な行動に悠馬も少したじろいだ。
「あのー、結希さん?」
「ん~?」
「これは何でしょう?」
「今日は甘えて良いんでしょ?」
「まあ、そう言ったけど……」
「今日は私が最年少だから自由に甘えるの」
「はあ……」
ここ最近の結希からは想像できない姿だ。それは親に甘える子どものようで、頭を何度か猫のようにスリスリと擦りつけてくる。
悠馬が戸惑っていると、結希は静かに寝息を立て始めた。あまりに無防備で少し可笑しく思えてくる。まるで、いつもは羽花に気を使って甘えないみたいな行動である。
「結希もまだ何だかんだいって子どもだな」
悠馬は細く息を吐いて、結希をお姫様抱っこした。そのまま寝室へと運んだ。寝室に行けずにリビングで寝てしまうなんて何年振りなんだろう。そんな懐かしささえ感じて。
「悠馬お兄ちゃんと一緒の布団で寝るんだよ?」
「寝たふりだったのかよ……」
と、思い出に浸っていると、先ほどまで寝ていたはずの結希がぱっちりと目を開けていた。
結希は少し悪戯っぽく笑って見せ、再び目を閉じた。今度こそ本当に寝る体勢だろう。
「おやすみ、結希」
「おやすみなさい」
モゾモゾと布団の中で再び体を密着させたまま秒速で結希は眠った。
「たまにはこういう日もないとな」
多少の気恥ずかしさはあったが、いつも働いてくれている結希が望んでいることならば仕方ないと悠馬もそのまま目を閉じた。




