Chapter 3-(3) 変化のない結果
「はあ……」
ミラアは頬杖をついて深い溜息をついた。昨日の壮絶な出来事から一日が経った。まだ心は落ち着かなかったが、それは決して悲しいものではなかった。信じられないことが起こったことによる驚きから、どくどくといつもより激しく心臓が脈打っている。
ミラアは朝、教室に一番に入った。悠馬は羽花を保育園に送り届けるという用事が毎朝ある。さすがに学校までの道を覚えたミラアは、秋頃からは一人で登校している。
それが今日はどうしてか、少し安堵している。よくは分からないが、今悠馬がいたら自分が自分でなくなる気がしていた。
気難しい顔を浮かべて、ミラアは机に伏せた。この何か分からない複雑な心境は時間が解決してくれるのだろうか。ミラアは再び溜息をついた。
「どうしたの、ミラアさん?」
「いつも悩みなんて無さそうなのに溜息ばっかりじゃない」
するとミラアの席の前に真菜と苺がやってきていた。訝し気な様子でミラアを見ている。
「何か、胸が苦しいというか……」
「それってまだ風邪が治ってないんじゃないの?」
ミラアは一応、学校は風邪のために休んでいることになっている。死の淵を彷徨ったことなど、この高校では悠馬しか知らないことだ。
するとミラアは苺の言ったことに首を振った。
「体は大丈夫」
いつもの調子で答えるミラアに、真菜と苺は顔を見合わせて気抜けしていた。何が何だか分からない様子だ。
「でも、体が大丈夫ならひとまず良かったね。ミラアさん、結構休んだ期間が長かったから心配だったの」
休日を挟んでいることも考慮すると登校するのはおよそ一週間ぶりだった。それだけに、こうして真菜たちと会うのもかなり久しぶりにミラアは感じた。
真菜がミラアの休んでいる間のプリントを鞄から取り出そうとしていると、教室の扉が開かれた。入ってきたのは羽花を保育園に送り届けた後の悠馬だった。相変わらず時間がギリギリになってしまうため、息切れが激しかった。
「あ、悠馬君。おはよう」
「おはよう苺ちゃん。もう授業始まるけどここにいて大丈夫なの?」
苺はクラスが別であり、教室もかなり離れている。歩いてゆっくりしていれば登校していても遅刻扱いになってしまう。
「大丈夫大丈夫。森林で鍛えた足が私にはあるから。それより、ミラアちゃん、ちょっとまだ調子良くないみたい」
「え? そうなの」
悠馬は俯いていたミラアを覗き込むようにして見た。顔色は良く、呪いの前兆の余韻はもうないように見えた。しかし、何があるのかよく判明していないものであることも事実であるため、放っておけないことだ。
「ダメそうならすぐ言えよ。無理しても仕方ないからな」
ここでまた呪いの前兆が見られることがあれば大惨事になる。ミラアは少し頬が赤くなっていて、もしかしたらまだ熱が少しあるかもしれなかった。
ミラアに伝えた悠馬は自席に戻って授業の準備をした。冬なのに走ってきたせいで、少し手が汗ばんでいた。
悠馬がミラアの元から離れた後、苺は手をプルプルと震わせながら、真菜の耳元に口を寄せた。表情も何やら深刻そうだった。
「真菜ちゃん。これってもしや……」
言われた真菜もなぜか動揺しながら返事をする。
「もしかするよね……」
二人は手を絡め、震えながらミラアの方を見ていた。ミラアは二人を気にする素振りはなく、俯いたままだった。
「これは真相を確かめるしかない……!」
その数秒の奇妙な時間の後、苺が急に表情を引き締め、声が出るのを何とかして殺したように静かに呟いた。
苺はミラアの机の両端に手を置き、食い入るようにミラアに迫った。ミラアもさすがに気づいたのか、急な行動に狼狽している。
「ミラアさん、今度の土日って暇?」
「土日? たぶん暇……」
「真菜ちゃんは!?」
「私もたぶん大丈夫だけど……」
「よし! じゃあ今度の土日、女子会を開催しましょう!」
『女子会……?』
考えもしなかった苺の発言にミラアと真菜は声を揃えて怪訝そうに見合わせた。今までそのような集まりなかったために、より不思議に思えるのだろう。夏休みも事情が事情なだけに遊びの集まりとは言い難かった。
「そうよ! だってミラアちゃんのそれはもう完全にあれでしょ!?」
「かなり抽象的だね……。私は何となく分かるけど」
「そんなのもう、女子だけで話すしかないじゃん! そうだよ! お泊りするしかないよ!」
ヒートアップする苺は止まらず、続々と計画を打ち出した。場所は真菜の家になった。ミラアの部屋でも良かったのだが、苺的にはとりあえず悠馬から離れなければならないらしい。苺の実家は遠すぎるため却下となった。
「あ、そうだ!」
と、予定を立てていると苺は急にスマートフォンを取り出して慣れた手つきで文字を打った。またミラアと真菜は不思議そうに見ている。
「誰かと連絡取っているの?」
「うん。まあ、あれじゃん。あれの師匠は必要じゃん?」
「あれの師匠なんているの……?」
苺の謎の人脈にもう訳が分からなくなっている真菜は少し呆れの表情を浮かべた。
「まあ、というわけで! 土日は楽しくお話ね!」
そう言って苺は教室を飛び出して廊下をダッシュして行った。一応遅刻は気になるらしい。
思い立ってからの苺の計画の早さにミラアと真菜は押されっ放しだったが、いきなり静かになった途端、二人で少し微笑んだ。
「急だったけど、楽しみだなあ」
「ねえ、真菜」
「ん?」
「あれって何? 苺には私の痛みの原因が分かってるの?」
冗談も何もなく本気で聞いているミラアに、真菜は急に愛おしさが込み上げてきて小さく笑った。
「分かっているのかもね」
そう答えた後、学校にチャイムが鳴り響き、授業が始まった。ミラアは釈然としないまま、真菜から借りたノートを開いた。
☆ ☆ ☆
時刻は進んで夕方になった。悠馬は自宅へと戻ると、乱雑に鞄をソファの上に放り投げ、座布団を枕にして寝転ぶ。
「ぬわー、今日も疲れた~!」
ここ数日、緊張感とばかり向き合っていたせいか、一気に疲労感が襲ってきた。こんな風に脱力するのも随分久しぶりに感じる。
台所では結希が晩御飯の準備をしていた。そして羽花は保育園で借りてきたという絵本に夢中である。
改めていつも通りの日だと確認すると、悠馬は再び座布団に顔を埋めた。
――と、その時だった。
玄関の方から大きな何かがぶつかる音が響いた。突然のことで体がビクリと跳ね上がる。結希も慌てて台所から顔を出してきた。
「何、今の音……」
「玄関の方からだよな……?」
「ふ、不審者……?」
羽花が泣きそうな顔で悠馬の背中に隠れる。結希もおたまで口を隠しながら悠馬を盾にするように下がった。
悠馬も若干恐怖はあったものの、息を呑んで廊下に繋がる扉を開けた。
すると、そこには白衣を着た女性がいた。長い黒髪が伸びており、まだ高校生かと思われるくらい童顔でスレンダーな女性だった。
「あの……」
恐る恐る声をかけてみると、その女性はやっと悠馬たちに気づいたようで、白衣を二、三度叩いてから立ち上がった。
「えっと、宮葉さんのお宅でよろしいですか?」
「ええ、まあ……」
「おー、本当に一瞬に日本に来れるんですね。初めてでしたけどこれは凄いですね」
よく見ると、鏡花星から日本への一方通行となっているワープゲートが開いている。状況を見る限り、この女性は鏡花星からやって来た人で間違いなさそうだ。
「それで、あなたは?」
「あ、申し遅れました。私、アリア・イアベルと申します。鏡花星で研究員をしていました。まあ、元研究員ですけど」
「アリアさん……? どこかで聞いた覚えが……」
と、悠馬が首をかしげていると、部屋にチャイム音が響いた。結希がモニターで確認すると、来訪したのはエンスだった。
すぐ側にあるドアを開けると、相変わらずパソコンと向き合ってばかりいるせいで目に覇気がないエンスが姿を現した。
「悠馬、ちょっと話が……って、アリアじゃないか」
「エンスさん! お久しぶりです!」
「ふむ、事情はよく分からんがワープを使って来たんだな。すまないね、三人とも。また急にクローゼットから人が出てきて」
アリアはエンスに抱きついて顔を擦っているが、エンスは至って通常運転で冷静に話す。
「とりあえず、皆さん上がってください。エンスさんもお兄ちゃんにお話があるみたいだし」
結希が促して、一同はリビングに場所を移した。
「で、どうしたんだい? 急に日本に来て」
テーブルの前に腰掛けたエンスは抱きついていたアリアを引き剥がし、怪訝そうに見た。
「まあ、話せば長いんですけど、ざっくり言うとですね。研究員の資格を剥奪されちゃいましてね!」
アリアはわざとらしく腕を目の辺りで動かして泣くポーズをとった。しかし、そのコミカルなアリアの雰囲気に対して、エンスは至って真剣な顔をしていた。
「……そうか。すまない、アリアにも迷惑をかけて」
「いえ、良いんです。私が自らの意思でやったことですから」
パッとエンスの顔を見て微笑むアリア。その時、悠馬はアリアという人物が一体何者なのかを思い出した。
「アリアさんって確か、ミーナがこっちに来たときに……」
「思い出したかい、悠馬。そう、ミーナが言っていた日本に来る手助けをしてくれたアリア。それが彼女だ」
ミーナがキート草を持って日本にやってくる際、追手に見つかったところの間に入ってミーナを送り出してくれた人物。その人の名前がアリアだった。
「まあ、次期王女様の脱走を手伝ったんですから、当然の仕打ちですけどね。むしろ命があるだけ優しいものです。正直、あの星にいるの気まずいんで日本にやってきました!」
「また随分と思い切ったね」
「というわけで、エンスさん! 私住むところがないんですよ!」
キラキラと目を輝かせ、手を組み合わせてアリアはエンスの目を見つめた。エンスも言いたいことは分かっているのか、苦笑いをして頬を掻く。
「まあ、いいよ。部屋にも空いているところがあるし、好きに使えばいい」
「さすがエンスさん!」
「ただ、仕事は探してくれ。アリアを含めると、今私の家には無職二人と高校生一人という絶望的な状況だ」
「もちろんです! 仕事に関してはちょっと当てがあるんです!」
「何でなんだ……」
意外性のパンチを繰り出し続けるアリアに、さすがのエンスもたじろいでいた。
そこでエンスは思い出したように顔を上げ、悠馬の方を向いた。
「そうだそうだ。元はと言えば、悠馬に話があったんだよ」
悠馬もアリアの話ですっかり忘れていたが、エンスは元々悠馬と話すために来たのである。完全アポなし訪問のアリアはまさに想定外の出来事だっただろう。
エンスは手に持っていた二枚の書類を悠馬の前に差し出した。そこには女性の人体図が描かれており、そこから体の周りの余白に様々な数値が記されている。
「これはミラアの身体調査の結果だ。右が正常時で、左が薬投与後のものだ」
二枚を見比べても同じように人体図の周りに数値が印刷されている。全く同じ方法での身体検査だったのだろう。
「悠馬、その二枚を見比べて、違いが分かるかい?」
言われて、悠馬は二枚の書類を交互に見た。一つ一つの数値を丁寧に照らし合わせていく。
「いえ、分かりません」
しかし、数値は全部同じで違いは見当たらなかった。
その返答にエンスは頷き、更に持って来ていた鞄からノートパソコンを取り出した。
「その答えが正解だよ、悠馬」
「え、そうなんですか?」
「ああ、見ての通り、正常時と数値は何ら変わっていない。しかし、これは妙なことでね」
「そうですよねえ」
と、検査結果を横から見ていたアリアも先程までの明るい仕草からは考えられないほど渋い顔をして見ていた。
「身体検査もそうだし、心電図にも異常はない。怖いくらい、今のミラアは正常だと言える」
エンスがパソコンに映し出した心電図は正常な状態を表す基本線の部分で推移していた。
そう、ミラアはひとまず呪いからは解放されて、今は健康そのものだ。それはもちろん良いことなのだが、研究員の二人には疑問が付きまとう結果だった。
「これが表す意味は、ミラアに薬の副作用が出ていないということだ」
「確か、呪いの前兆を抑える薬は、身体に何かしらの不自由をもたらすっていう副作用がありましたよね?」
「ああ。それが出ていない。まあ、良いことなんだけど、謎だ」
エンスも渋面を浮かべる。それに釣られるように悠馬も考え込んだ。エンスが作った薬は間違いなく、副作用が出てしまう不完全なものだった。その作り方に間違いやアレンジがない以上、原因はミラアの方にあるというのが妥当かもしれなかった。
「まあ、私はこれからもこの謎を解明すべく研究していくよ。あくまで呪いは前兆を抑えただけだ。進捗がなければ、来年にはまた発生するからね」
「お供しますよ! エンスさん!」
「そういう点ではアリアが帰ってきたのはラッキーかもな。悠馬、また迷惑をかけて悪いが、学校でミラアに異変があったら教えてほしい」
「分かりました」
そう言ってエンスは立ち上がり、書類とノートパソコンを片づけて帰る準備をした。
「すまなかったね、急に。ここで失礼するよ」
「私も急にすみませんでした。本当に急にすみませんでした。以後、よろしくお願いします」
アリアは何度も頭を下げた。その腕をエンスが引っ張って玄関の方に行く。
お見送りをしようと悠馬が玄関まで行くと、ひょこっと羽花がついて来た。
「羽花、ミラアが元気になったからまた遊んでやってくれ」
「うん! バイバイ、エンスさん!」
「ああ」
エンスは軽く手を挙げて羽花に返事をし、ドアを開けた。そしてアリアも一度お辞儀をして出ようとする。
「アイアちゃんもバイバイ!」
「え? ああ、バイバイ……」
まだ喋りが拙いためにしっかりとアリアと言えていなかったが、羽花は満面の笑みでアリアに手を振っていた。こんなにすぐに名前を覚えてもらえると思っていなかったのか、アリアも少し驚いた様子で小さく手を挙げて家を出て行った。
その後、外の方から「何あれ可愛すぎるぅぁああああああああああああああ!!」というアリアの声が聞こえたが、悠馬は聞いていないことにした。




