Chapter 3-(2) 涙の居場所
外は知らない間に雨が降っていた。先程までの晴れた空は姿を隠し、暗闇に包まれた中、大きな光がいくつも点灯していた。
マンションの駐車場内に収まる小型の宇宙船がエンジンはかかったままで静止していた。運転席からサングラスをしたパイロットが降り、助手席のドアを開く。プロペラの回転音が木霊する中でも、助手席から出てきた足と地面がぶつかり合う音ははっきりと聞こえた。
高身長で筋肉質な男性が姿を現した。シルエットだけでも威圧的に感じるそのオーラに、マンションの入口に立っていた悠馬たちも圧倒された。
助手席のドアが開いたと同時、悠馬たちの前に一歩、エンスが出た。まるで悠馬たちを守ろうとするように、どんどん近づき、悠馬たちからは離れて行く。
そして宇宙船から降りてきた男性――ローデスが目の前に来たとき、エンスは足を揃えて止まった。
「……何をしたのか、分かっているのだろうな?」
冷めた目線を見下ろすようにエンスに送る。ドスの利いた低い声がずっしりと圧し掛かる。静かに怒りを見せるローデスが不気味でしかたなかった。
「次期王女であるミーナを連れ出すことが、どんな大変なことか」
ローデスは深く溜息を吐いた。
「ですが、ミラア様の命をお守りするためにはどうしても……」
「……またミラアか」
明らかな嫌悪感を出し、ローデスは目を細めた。彼が考えていることは、この場にいる誰もが分かっただろう。言葉にしていないローデスの思考が機械のように頭に入り込んでくる。それほどにローデスのミラアに対する態度はあからさまだった。
ローデスはエンスの横を通り過ぎ、ツカツカと高い靴音を立てながら悠馬たちに近づいた。悠馬の額にはじわりと汗が纏わりついていた。結希と羽花は怯えるように悠馬の背中に隠れ、ミーナは眉を顰めて見ていた。
そしてミラアは、少し悲しそうな目をして、ローデスの姿を捉えていた。
やがて目の前に来たとき、しばらくの沈黙の後、ローデスは、はあと深く溜息をついた。
「どうしてお前はいつも私たちの邪魔をするんだ……」
ポツリとローデスは呟いた。勢いを増す雨にかき消されてしまいそうな、小さな声だった。
「どうして私は、縁を切った娘に縛られ続けなくてはいけないんだ……」
王の風格が漂うローデスからは考えられない静かな呟き。しかし、その握った拳は力が入りすぎて爪が食い込み、血が流れていた。
「私たちの血族に呪い発症者などいらない。おまけにミーナを連れ出して国に混乱を招くなど、何たることか……」
そして悠馬は悟った。この静かなオーラを自分は経験しているということを。もちろん状況は違うが、この全身の芯から凍り付きそうな、重たく圧し掛かる暗い雰囲気。初めて悠馬がローデスに感じた恐怖と似ている。そして、次の瞬間に何が起きるかも予想できた悠馬は、反射的に動いていた。
ローデスは瞳孔を強く開き、雨と血が混ざった拳を振り上げた。
「いっそ、お前などいなくなってしまえば良かったんだぁあああああああああ!」
隕石のような大きな拳がミラアに向かって振り下ろされる。ミーナが慌ててミラアの前に出ようとするも、気づくのが遅かった。羽花は大声で泣き、結希は震えながら羽花を抱きしめている。エンスがミラアの名前を叫ぶも、ミラアには届いていなかった。
ミラアの運動能力を考慮すると、避けられないパンチではなかった。しかし、ミラアはその場で呆然と立ち尽くしていた。目には光が宿っておらず、深海のように暗い瞳で、視線を変えないままローデスを見上げていた。
――お父さんは、私に消えてほしいくらいまで嫌いになってしまったの。
捨てるなんて可愛い話だったのかもしれない。ローデスはもう、ミラアがこの世から去ることを望んでいる。大好きだった人からの、何一つ冗談のない「死んでしまえ」。悲しいという感情すら湧き上がってこない無になる。
――こんなに辛い思いを背負うなら、ボコボコにされて死ぬのもありかもしれない。
最後に父親の姿を目に焼き付けておこう。自分の望んだ姿じゃないけど、運命として見ておこう。虚ろなままミラアは目を瞑ることはなかった。
すると、その視界が自分の意思とは違うところで遮られた。自分より少し背の高い細身の男性が前に入る。「悠馬……?」
ミラアの前に出た悠馬は、ローデスの重たい拳を両手で受けた。しかし、力の差は歴然だった。悠馬は軽く飛ばされ、後方に体が投げられる。しかし、スタッと両足で着地し、それ以上のダメージは負わずに済んだ。
「やっぱ痛いな~。力ありすぎだ、ミラアのお父さん」
「貴様は、あの時の……」
「お久しぶりですね」
「ユーカリ……」
「悠馬です」
名前は覚えていなかったが、この悠馬の行動はローデスも想定外だったらしい。そしてミラアを目の前にしたために失った冷静さが彼に戻った。
「なぜ、このようなことを」
「いや~、何かあなたから感じる恐怖というか。それが春に腹パン食らったときとそっくりだったもんで、もしかしたら手が出ちゃうかな、と」
そう、悠馬が感じた何かは初めてローデスが日本に来たときと似ていた。ミラアを手放すという選択をしたローデスに怒り、反発した後の静かな重い圧。それから芸術的なパンチを食らった。今もあの時と同じような、静かな怒りにローデスは震えていた。
「怖かったけど、さすがに前の不意打ちよりはダメージないな」
痺れる手をおどけてローデスたちに見せる。今回は受け身を取れたから良かったものの、不意打ちだったら骨が何本か折れていたかもしれないほどの衝撃だった。
悠馬はもう一度、ミラアの前に立ち、ローデスと向き合った。今はもう怖いという感情がない。一度怖いと思っていたことを切り抜けてしまうと、不思議と強気になれた。
「前は、凄く腹が立ったけど、今はただただ寂しいです」
「何だと?」
「ミラアとの時間が、あなたにとって呪い程度のことで消えるものだったと思うと、本当に寂しい」
ローデスは悠馬の発言に歯を強く食いしばった。怒りという感情が沸々と湧き上がってくる。こいつも纏めて処分してしまおうか。その考えが脳を過ったとき、気づけば拳に力が入っていた。
しかし、ローデスは拳を振り上げることはせず、脱力して手を無抵抗に揺らした。
「……くだらん」
ローデスは踵を返し、宇宙船の方へ向かった。悠馬たちからどんどん離れて行き、大きな体はだんだん小さくなっていく。
「ミーナ、支度ができたら来い」
そうミーナに言って、宇宙船に乗り込んだ。
少し大人しすぎる幕切れに全員が驚いていたが、すぐさまミラアたちのところに集まってきた。
「お二人とも、大丈夫ですか!?」
ミーナが心配そうに駆け寄ってきて悠馬とミラアの表情を伺う。
「俺は大丈夫。こう見ても結構筋力は……あって……」
「全く、無茶をするよ。悠馬は後で私の家で治療だ」
「パンチ受け止めただけで治療が必要になるとは……さすが鏡花星の王」
見栄を張った悠馬に呆れたようにエンスが細く息を吐いた。
しかし、その悠馬のとぼけた空気から一変、全員の視線はミラアに集まる。俯いたまま顔を上げようとせず、ただ何もない地面とずっと睨めっこをしている。
「……なあ、ミラア」
そのミラアに一番最初に声をかけたのは悠馬だった。華奢なミラアの肩を両手で掴んで、しっかり目を見た。
「お前、殴られそうになったとき、死んでもいいと思っただろ?」
「…………」
「正直、そっちの方が腹立つよ」
「……別に、いいじゃない」
凄く久しぶりに感じたミラアの声は、小さく震えていた。そして何かを自分の中で噛みしめた後、大粒の涙が流れた。
「別にいいじゃない。私が死んだって。悲しむ人なんていない」
「そんなことない。俺らが――」
「生きるのが辛いわ」
悠馬の言葉を遮ってミラアは言った。雨の音の方が大きかったが、それでもはっきりと耳に届いた。
「もう、生きたくない。大切な人に捨てられて、殺されかけて、嫌なことしかない」
ミラアは何度も目尻を拭った。その度に涙は溢れてくる。何とかして心を浄化しようとしているようだった。
「悠馬たちも私が死んでも困らないはず。だから――」
と言いかけたところで、ミラアの体がフッと前に吸い寄せられた。そして雨で濡れた腕が背中に回ってくる。ミラアは悠馬の体に密着する形で抱きしめられた。
突然の行動に一同驚いたが、エンスはなぜかホッとした顔をし、ミーナは赤面して口を覆い隠していた。
「二度とそんなこと言うなよ」
「でも……」
「ミラアを救うために、エンスさんは自分の立場を捨てた。ミーナは国の大問題と知った上で日本に来てくれた。俺だって、ローデスさんに殴られそうになったところに割って入った。手もめっちゃ痛い」
ミラアは悠馬に手で強引に抑えつけられて話すことはできず、ただじっと悠馬の話を聞いていた。
「でもみんな後悔はしていない。そこまでして守りたい命なんだよ。ミラアの命は」
ミラアの事情は全員がよく知っている。死にたいという感情が芽生えてくるのも仕方ないと思われる現実を彼女は味わっている。
でも、ここで悠馬たちを動かす理由はたった一つだった。ミラアが十二ヶ月の呪いの前兆が出たとき、生かすか見届けるかを迫られたあの時と同じ、単純な感情。ミラアに生きてほしいから。
「だから、生きてくれ。ミラアが生きているから嫌だと思う人がいるんじゃなくて、ミラアが生きているから嬉しいと思うやつが側にたくさんいるんだ――」
――みんな、ミラアが大好きなんだよ。
その言葉以降、ミラアは喋らなかった。ただ強く雨だけが降っていた。ずっと悠馬に引っ付いたまま離れず、服を濡らした。
「もう大丈夫ですかね~」
そう言ったのはミーナだった。ずっとミラアの様子を見ていたが、身体は宇宙船の方を向いていた。ミラアの状態が少し落ち着いたと見たのか、鏡花星へ帰ろうとしていた。
「久しぶりにお姉ちゃんに会えて楽しかったです。ありがとうございました」
「礼を言うのはこっちだ。ミーナがいなければ、ミラアは助かっていなかったさ。本当にありがとう」
完全に安堵が戻ってきたエンスが柔和な笑みで返した。その言葉にミーナも笑顔になり、再び悠馬たちに向き合う。
「皆さん、お姉ちゃんをよろしくお願いします」
深く頭を下げて、ミーナは大雨の中を走って宇宙船へ向かって行った。たった数日しか滞在期間はなかったが、こうして別れの時が来ると、もう何年も一緒だったかのような寂しさが込み上げてくる。
「あ」
と、ミーナは急にブレーキをかけ、振り返って大きな声を出した。
「悠馬さん! お姉ちゃんをお願いしますね!」
「え? うん。それさっき言わなかった?」
「大事なことなので二回言いました!」
悪戯っぽい笑みを浮かべてミーナは宇宙船に乗り込んだ。静かにアイドリングしていたエンジン音が急速に稼働し、大きな船体を持ち上げる。大粒の雨を切り裂いて、暗い空へと消えて行った。
「家入るか。寒すぎて風邪引きそうだ」
ミラアは無言で、悠馬に抱きついたまま小さく頷いた。雨はまだ、激しく降っている。しかし、風はない不思議な夜だ。




