Chapter 3-(1) もしかしたらの父親
悠馬たちは気持ち急ぎ足でエンスの自宅へと帰ってきた。というのも、ミーナの素晴らしきUFOキャッチャーの功績の影響で走ることは不可能だったのだ。
部屋に上がり込むと、ろ紙の上に黄色のペースト状のものを手に持つエンスがいた。エンスは少し口角を釣り上げてそれを見せてきた。
「みんなのおかげで完成したよ。一発大成功さ」
エンスはグッと親指を突き立てた。その自信に溢れたエンスを見て悠馬たちも肩を下ろした。
さっそく服用させよう、とエンスは真っすぐミラアの寝ている部屋へ向かった。未だに虚しく眠っているミラアだったが、それもこれまでだ。エンスの手にある薬を飲めば、すぐに目を覚まし、いつものミラアが帰ってくる。
エンスは溜まった唾を一度飲み、そっと薬をミラアの口に注いだ。ミラアの喉が一度上下に動いたのが、誰から見ても確認された。
そして、次の瞬間――。
「ん――」
ポツリと言葉を零して、ミラアは目を覚ました。ずっと暗闇を彷徨っていたため、まだ明るい昼の世の中に慣れていないようだった。ゆっくりと上体を起こして、辺りを見回す。
その姿を見た悠馬の顔は不思議と笑顔になった。喉元で閊える何かが喜びの爆発を抑える。それくらい、言葉にできない嬉しさがあった。
久しぶりの苦しそうでないミラアの姿に、結希とミーナも涙を流していた。いつもは元気な羽花も静かにミラアに抱きついている。エンスも満足気に、しかし優しく微笑んだ。
「おはよう。気分はどうだい、ミラア」
「普通の朝ね」
「今は昼だが、それくらい普通の回答なら大丈夫そうだ」
エンスもそれを聞いてようやく安堵したのか、身体が急に弛緩した。すると身を翻し、モニターのある部屋に方へと行ってしまった。どうやら、ミラアの現状を確認するようだ。
「あれ、どうしてミーナが?」
そこでミラアは自分が眠りにつく前と違うことに気づいた。鏡花星にいるはずのミーナが、日本にいて自分の側で涙を流している。
「ふふ、会いたくて来ちゃったんですよ。久しぶりすぎて嬉し涙が出ちゃいました」
手で涙を拭いながら、ミーナはやや遠回しに言った。ミラアとしては、会おうと思えば会えるのに、と思っていたのかもしれないが、彼女もまた久しぶりに妹と会えて嬉しそうだった。
「あ、お姉ちゃん復活記念に、悠馬さんたちとお菓子買ってきたの。準備するから待っててね!」
ミーナは手を合わせて言い、軽くスキップしながらリビングの方へと行った。私たちも手伝う、と結希と羽花もそれに続いて行く。
気がつけば部屋にはミラアと悠馬の二人だけになった。悠馬は三人を微笑して見送り、ミラアの側にしゃがんだ。
「体調はどうだ?」
「万全よ。風邪薬一気飲みが出来そうよ」
「万全なら風邪薬はいらないけどな」
いつものとぼけたような答えが返って来て嬉しい気持ちになる。いつも嫌というほど噛み合わない会話が、こんなに貴重だと思うとは考えられなかった。
ただ、あまりに通常のミラアを目の当たりにすると心が締め付けられるようにも感じた。
レストランで聞いたミーナの話。ローデスが大好きだったミラアとして見ると、ミラアが復活してくれて嬉しい気持ちは一気に消え去り、虚しさだけが残る。
「ねえ、悠馬」
ミラアに話しかけられ、悠馬はハッと顔を上げた。嫌なことを考えて深刻そうになっていた顔を無理やりな笑顔に作り変える。
しかし、ミラアはもまた、神妙な面持ちをして悠馬の目を真っすぐ見ていた。
「私は、呪いで意識を失ったの?」
「え……」
悠馬は思いもしなかったその言葉に固まってしまった。
ミラアは少し目を伏せて続ける。
「私だって悠馬と同級生。それくらいの判断はできる」
「の、呪いなんて大袈裟な……」
「誤魔化さないで」
これまで見たことのないミラアに悠馬は圧倒された。じんわりと汗が滲んでくる。ミラアが十二ヶ月の呪いを知っている。そして自覚症状となっている。
「エンスが寝ている間に本を読んだことがあるの。《十二ヶ月の呪い》。精神の不安定が一年続くと死んでしまう、解決法のない呪い」
「知ってたのか……」
必死にミラアには隠そうとしてきたことだったが、彼女はもう理解していた。それならば、知らないうちに彼女を苦しめていたのかもしれなかった。理解している他人の気遣いは、意外と辛いときがある。
そこで、悠馬は一つ考えが浮かんだ。ミラアが十二ヶ月の呪いの存在を知っているならば、何が彼女を追い詰めているのか分かるのではないか。もしそれが分かれば、精神的な部分について解決策が見えてくる。
あまり聞かれたくない質問だとは思ったが、最終的にはミラアの命を救うためだ。そう無理やり自分に言い聞かせ、ミラアに問おうとしたとき、先にミラアが悠馬に問いかけた。
「悠馬は、お父さんのこと好き?」
「え?」
ミラアは日差しで金色に輝く窓を眺めながら言った。
「私は、お父さんが大好き」
「……」
「小さいときはたくさん遊んでくれた。優しい笑顔で抱きしめてくれた。お父さんにミラアって呼ばれるだけで楽しくてしょうがないくらいに」
ああ、そうか。悠馬は理解した。ミラアは今もまだ父親のローデスのことが好きなのだと。優しく、遊んでくれたときの姿が鮮明に残っているのだと。
これまで悠馬は心の中で思っていた。お前を捨てる父親なんか早く縁を切ってしまえ。暴言ばかり吐く父親なんかと付き合っていてもメリットなんて一切ない。早くローデスから離れろ。俺たちと楽しく毎日過ごそう。その方が絶対にミラアのためだ。
しかし、彼女は悠馬の知らないローデスを知っている。それが強くミラアを縛り付けているのだ。もしかしたら、もしかしたら。その考えがどうしても頭を過ってしまうのだ。
そしてミラアの質問の意図。悠馬もまた、父親を捨てきれていない。母親への暴力から始まった家庭の崩壊。そんなことされたのに、悠馬は父との縁を切れない。悠馬もまた、もしかしたらが頭を巡るからだ。
「だから、苦しい。そのお父さんにいらないって言われて、本当に……」
大好きなローデスと冷たいローデス。理想と現実のようなギャップにミラアは締め付けられ、一年を過ごした。悠馬たちが嫌いなわけでもなく、一緒にいるのが楽しくないわけでもない。彼女の中にいるローデスの存在だけが呪いの発症へと導いたのだ。
全てを知ったのに、悠馬は何も言葉が出なかった。気の利いた言葉くらいかけてやればいいのに何も出てこない。自分の中に居続けるあの日の父親。それが見事に自分と絡み合ってしまい、苦しさだけが込み上げてしまう。
程度には違いがあっても、ミラアの状況は悠馬と似ていた。だからこそ、心を彷徨う気持ち悪さを感じた。そして痛いほど、ミラアが可哀想になる。
「ミラア……俺は……」
「ちょっと良いかい、二人とも」
何とか言葉を紡ぎ出そうとしたとき、リビングからエンスが戻ってきた。先程までの朗らかな表情はそこにはなく、渋い顔をして言った。
「ローデス様がそろそろ日本に着くとの連絡があった。悪いけど、一緒に表に出てくれるかい?」




