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十二ヶ月の姫君様  作者: 桜二冬寿
第二章 夏の恋と幼馴染
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Chapter 3-(4) 一緒

 悠馬がこの場所に来るのはあの小学一年生の時以来だった。その景色はあまり変わっていなかった。川は透明で音も絶えず届いてくる。変わっているとすれば、草木が成長しているくらいだろう。

 苺の家の墓はここには存在しない。もう少し前の位置にある。しかし苺はここに来たがり、じっと懐かしむように川を見つめている。水面には怪我などの影響で精神的に苦しいものがあったためか、少し痩せた苺の顔が映る。

 そのまま苺は川に足を浸けて座り込んだ。

 悠馬も苺の隣に座り川を眺めた。やはりその透明な美しさは変わらない。

 今この場にいるのは悠馬と苺のみだった。他の人たちはここよりも下に位置する墓を参っている。悠馬たちはもう参った後だった。

「ひっそりとここに来てどうしたの?」

「悠馬君はやっぱり来ちゃうんだね」

「そんな白い顔をして登って行ったら心配にもなるよ」

 苺はフッと微笑んで地面を見た。悠馬はただ川を見るだけだ。

「苺ちゃんってどうして急に過去のこと話そうと思ったの?」

「……なんでだろうね」

「変に思い出しても苦しいだけだと思うんだけど……」

 それはずっと悠馬が思っていたことだった。この話を知り合いに全てを晒したところで苺にメリットはないはずだ。それどころか身体に影響が出ることもあってむしろデメリットな気がしてならない。

 苺は側にあった小石を川に投げた。ポチャンと虚しい音だけが響く。

「確かに苦しいんだけど、それ以上に引きずっている自分が嫌なの。プールの時みたいに周りにも迷惑をかけるしね」

「そんなの事情を知っていたら迷惑でもなんでも――」

「あと、誰かに慰めて欲しいのかもしれない」

 悠馬の言葉を遮って苺は俯いたまま、しかししっかりと張った声で言った。

「私のせいでお母さんは死んじゃった。でも、どこかで私のせいじゃないって言ってほしい自分がいる。だから話すことで『そんなことないよ』って返事が来るかもしれない。それが一番大きいのかも」

 苺は顔を上げ、川の流れをまた見た。その目には薄らと涙が浮かんでいた。

「悠馬君。話聞いてくれる? なんか今更だけど、みんなに話すのはちょっと怖いのと罪悪感があるかな……。気を使って私のせいじゃないとか言わなくていいから」

 悠馬には拒否権はないような状況だった。悠馬はコクンと頷いた。



 ☆ ☆ ☆



 悠馬たちに川の存在を教えてから数日経ったある日、苺は家で何をするわけでもなくただ寝転がっていた。もちろん悠馬たちと遊ぼうかとも考えたのだが、もうすぐ京安にある家に帰るのだから支度で忙しいだろうと父に止められた。

「暇だなあ……」

 思えば今年の夏はずっと悠馬たちと遊んでいた。橋森の怪奇現象を解決しようというところから始まり、山や川もたくさん探索した。結局その怪奇現象の真実は見回りをしている祖父だったということは少々残念ではあったが、楽しい一時を過ごしていた。

 いつも父は仕事に出なければいけないので遊ぼうと声をかけても相手はできなかった。祖父も畑の仕事や出荷に関する取引もあったため、それほど時間は取れなかった。

 ――こういうときはずっとお母さんと遊んでいたなあ。

 ふとそんなことが頭に過る。そしてその後、寂しい気持ちになる。もう大好きなお母さんはこの世にはいないのだから。



 あの時も今と同じような状態から始まった。

 苺がまだ六歳だったときのことだ。まだ小学校にも通っていない苺には当然宿題など課されているはずもなく、ひたすら遊ぶ今から思えば理想の夏休みだ。

 しかし、当時から父は仕事で郊外へ行っていたし、祖父も農作業をしなければならなかった。

 そんなとき、よく遊んでくれていたのは母である。午前中はサッと昼御飯の準備を済ませてよく山へ散歩に行った。その時が苺にとって一番楽しい時間であった。

 その中でも一番行った場所が川である。山道の途中で唯一川で遊ぶことのできるスポットが、苺と母のお気に入りであった。いつもサンダルを履いて足をつけては、はしゃいで濡れて帰ってきた。

 ある日、いつもと同じように苺は母と共に川へやってきた。相変わらず澄んだ綺麗なものである。

 しかし、この日は前日の雨の影響で流れが少し急であった。

「今日は危ないかもしれないから止めとこうか」

 いつも苺が楽しみにしているだけに、少々残念ではあるようだったが、母は微笑んで言った。前日と言っても地面はほとんど乾いていたし、何で川だけ……と少し拗ねた苺だった。

 その雨はしばらく続いたもので、川に来るのは久しぶりだった。そのため余計に楽しみという感情は募っていた。

「それじゃあ、今日はここでボール遊びでもしよっか! 取ってくるから待ってて!」

 悲しそうな苺を見て気遣った母はボールを取りに早歩きで家へと向かった。この川から家までは非常に近いため、母もわざわざ苺を連れて降りようとは思わなかったのだろう。

 その場に残った苺はずっと遊びたかった川の方を見た。濁流と言うほど濁っていない、むしろ綺麗な川をジッと眺める。確かに流れは速くなっているが、ずっと見ていると若干だけな気もしてきた。

(ちょっとだけなら……)

 苺はペタペタとサンダルと地面がぶつかり合う音を立てながら、川へと近づき、足を水に浸した。久しぶりの冷たい感触に笑顔になる。

 その時だった。体重のかかっているお尻の部分がズルッと滑り落ちた。よく見ると、その部分はまだ地面が乾き切っておらず、かかった体重に耐え切れずに崩れてしまったのだ。

(え、ちょっと……)

 苺がその状況を判断するには時間が短すぎた。次の瞬間には苺の体は川に投げ出され、容赦なく急流が襲い掛かってくる。大声を出そうとしても、口の中に水が入ってきて発することはできなかった。

「苺!」

 苺が流され始めたとき、ボールを取りに行った母が戻ってきた。凄く焦った顔で川の方へ走ってくる。額には汗が浮かんでいたが、もしかしたらそれは冷や汗だったのかもしれない。

 母は迷うことなく川へ飛び込み、苺の元へ走った。水量も増しているせいでいつもよりスピードは落ちてしまっているが、母は無我夢中だった。

 何とか苺の手を掴み、体に引き寄せて抱きしめた。しかし、急流となった川は想像以上に手強く、母も一緒に流され始めてしまった。足がついても流れでまた転ばされてしまう。

 ――この時、母は何を考えていたのか。今となっては悔しいくらいに分かることだが、当時の苺には理解できなかった。

 たまに足がつく瞬間。その時を狙って母は苺を陸地へと投げた。幸い苺たちも陸地よりに流れた時であったため、苺は大きな衝撃を受けはしたものの、川から脱出することに成功した。

 しかし、母は変わらず川に逆らうこともできずに流されていく。

 ――助けなきゃ。子どもながらに苺はそう思った。しかし、陸に上がった時に足を強打したらしく、すぐに立ち上がることができなかった。

(お母さん……!)

「お母さん!」

 心でも声でも叫んだ。しかし、母の姿は小さくなっていくばかりだった。


 数日後、母は下流の方で見つかった。何とか陸地に自力で上がったみたいであったが、見つけるのが一足遅かった。大量に飲み込んだ水と流されているときの呼吸困難の影響で、息はしていなかったという。

 父も祖父も、誰も怒りはしなかった。一番このことを重く思っているのは苺だと分かっていたからであろう。

 苺は母が息をしていないという事実を知ったとき、泣くことすらできなかった。ただ頭が真っ白になって、何が起きているのかも全く理解できなかった。

 父に巻いてもらった包帯の部分がズキズキと痛む。この痛みが虚しく、悲しかった。

 ただこの時の苺に分かったこと。それは「苺を助けるために遠くに行ってしまった」ということだった。



 ☆ ☆ ☆



「幼稚園の頃のことなんてほとんど覚えていないけど、これだけは嫌っていうほど鮮明に覚えているなあ。忘れちゃいけないことなのは当たり前なんだけどね」

 苺は川を見つめて少し泣きそうな顔になる。

「私がちゃんと川に足を浸けるのは止めようって思っておけば……って。そしたら、お母さんもこうはならなかったはずだし……」

 悠馬はただ黙って聞いていた。今は苺の苦しみを受け止めることしかできない。

「きっと天国でも恨んでるよね……」

 いよいよ苺の頬を涙が伝った。初めて家族以外の人が事故を知った瞬間。あの日の悲しみ。様々なものが込み上げてきて、苺はそれに耐えられなかった。ただ静かに泣いていた。

「……でも、それは苺ちゃんが殺したはやっぱ大袈裟だよね」

「大袈裟なんかじゃ……」

「いや、大袈裟だよ。確かに苺ちゃんがお母さんの言うことを聞かないで川に入ってしまって一緒に流されたのかもしれない。でも、それは苺ちゃんが殺したんじゃない。どれちかと言うと犯人は雨と川だよね」

 苺は俯いたままだ。悠馬はそんな苺を横目で見ながら話し続けた。

「それに、恨んでもいないと思うよ。俺も分かるんだ。昔から大好きな人が、何かのきっかけで多少は嫌いになっても、心の底から嫌うことはないって。何か一種の毒みたいだよね」

「そういうものなの?」

「そういうものだよ。だからお母さんは絶対に恨んでいない。断言できるね!」

 悠馬だってそうだった。父親が逃げて嫌いにはなったけど、心のどこかではやはり憎み切れない。彼は紛れもない、たった一人の父親だったから。

(お爺ちゃんが言っていたのってこういうことだったのかもな)

 病院前で話したことの意味がちょっと分かった気がする。それは、同じ地域に住む祖父だったからこそ切り出せた話であったのかもしれない。

「じゃあ、お母さんはどう思っているんだろう……」

「それは苺ちゃんのお母さんにしか分からないかもね」

「優しかったけど、正しくないときは厳しかったからなあ。『私のこと考えてる暇があるなら夏休みの宿題でもしなさい!』とかかな」

「なかなか男前だね」

 二人は微笑んだ。この話を無理やり明るい考え方をすると、母の想像の話となって盛り上がった。お母さんが側にいるとして、彼女は何をするのか。そんなことを考えたことは、おそらく苺にはなかったのだろう。

「もっと早く話せば良かったなあ」

「そんなに言い回るような内容じゃないと思うけどね」

「こんなに楽になるとは思ってなかった」

 苺の表情はどこか晴れやかだった。プールに行った後からの無理やりな笑顔ではなく、心から微笑むことを思い出したようだ。

「ありがとう、悠馬君。たぶん、全く引きずるなって言われても難しいと思うけど、かなり楽になった」

「それなら良かったよ」

「お母さんが天国で怒り疲れないように頑張らなきゃね!」

「おう! その意気だ!」

 苺は勢いよく立ち上がり、大きく伸びた。木の障害を潜り抜けて届いている日差しがところどころ当たる。その苺の姿は、いつもの元気で明るいものだった。

「そろそろ戻ろうか。みんなも待っているだろうし」

「そうだね。無理やり連れて来て喋っていないっていうのも悪いしね」

「そうと決まれば戻ろう!」

 悠馬は坂道を降りていく。苺はその姿を懐かしげに見た。彼はやはり変わっていない。今も昔も、心の広い人だ。

(あの時も、「よく分からないけど苺ちゃんは殺していない」って言ってくれたもんな)

「ありがとう、悠馬君」

 小声でそうつぶやいて、苺は悠馬の後を追った。


 ☆


 その後、みんなと合流して苺は悠馬に話したことをみんなに話した。悠馬は知り合ったばかりのミラアや真菜にまで言わなくても、と言ったのだが「これから仲良くしたい人たちなんだから事情は知っておいて貰わないと」と言って聞かなかった。

 みんなも最初こそは驚いていたが、後からは苺の元気な姿を見て安堵していた。

 完全に過去のことを忘れることはできない。いや、忘れてはいけないことだ。でも、苺は以前よりもずっと明るく振舞い、楽しく過ごしている。お母さんと一緒に歩く人生はまだ始まったばかりだ。


 そして時間はあっという間に過ぎて、悠馬たちは京安に帰る日を迎えた。

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