龍神を祭る村
甲村。
国の西にある山の麓に位置するこの村は、林業が盛んで、坂田という豪族が国からの命を受けて村人を支配していた。
甲村は昔から、龍神への信仰の篤い村で、村の西にある龍神の祠は人々の憩いの場所にもなっており、化け物の出現も少ない平和な村であった。
その憩いの場所を代々管理し、宮司を行っているのが坂田家で、彼らは、この村が日々の暮らしに苦しむ事がなく、皆が息災で生きていけるのは、龍により守られているからだと豪語していた。
国を治める王ですら、龍神崇拝をしている国である。
小さい規模とはいえ、龍神を祭ってある祠には助成金がでているのだが、坂田家の現当主は、その助成金のほとんどを懐に収め、村人の寄付で祠の管理を行っていた。
坂田の主・郷雲は、自分の愛妾のもとに生まれた男の子にある特徴を見つけた。
黒い髪に金色の右瞳と青色の左瞳。胸元にある龍の文字。
すべてが、幼い頃から父親に聞かせれていた龍神の“神の子”の特徴であった。
その子が生まれてから坂田の村は、涸れた井戸が再び水をたたえ始め、彫り尽くしたとされた金山から再び金が取れるようになった。
郷雲は、その子こそ、神の子に他ならないと、『龍綺』という名を付けて、可愛がった。
そのため正妻よりも龍綺を生んだ愛妾は、郷雲からさらなる寵愛を受けるようになった。
「閉じ込められた鳥のようだ。」
龍綺がそう感じるようになったのは、13歳の頃からだった。
物静かでいつも泣いているような母は、彼を抱きしめては、すまない、と言い続けた。
13歳になるまで龍綺には自由があった。
母を正妻やその他の妾から守るため剣術を学びたいと願い出れば父・郷雲はそれを叶えてくれた。
剣術の指導をしてくれたのは、村一番の剣士との呼び声も高い加奈陀という男だった。
彼は元々王宮に仕える剣士だったが、甲村の龍神信仰に惹かれ、十数年前にこの村にやってきた。
凛々しい姿や、豪快な笑い方、考え方全てが龍綺には新鮮で、学びとなっていた。
時々村を離れて出かけるが数日もすれば戻ってくる彼は、龍綺に人生において旅を続けることの大切さを何回も話してくれた。
ところが、13歳になったとき、その加奈陀が己の力を試すため旅に出ると告げてきた。
もう帰らないというのだ。
元々この村に流れ着いたような男である。
人々は惜しみながらも彼を見送ることを了承した。
龍綺は、師なる人がまだ幼い自分のもとを去っていくことに驚きを隠せなかったが、それ以上に母が衝撃を受けていることを知った。
「何が悲しいのですか?」
尋ねる息子に母は、悲しい笑顔を見せて彼を抱きしめてきた。
昔から母は、自分の気持ちをあまり話すことのない大人しい人であった。
父からの寵愛を一番に受けていると屋敷の者は皆言うが、父は、都から取り寄せた珍しい調度品などを母に送ることはあっても、滅多に自分達の住む棟にはやってこない人だった。
幼いながら、龍綺は、母の悲しみは、父の態度にあるのではないかと考えていた。
加奈陀の旅の準備と呼応するように屋敷の一角で改築工事が始まった。
その工事に関して龍綺は、父から何も教えてもらえず、屋敷の中で疎外感を感じるようになった。
ある夕飯、父が珍しく龍綺親子のところに来た。
驚いたのは、最近の彼は新しく入った若い妾に夢中ですっかり彼らの元を尋ねては来なかったからだ。
龍綺は、いつも父に言うようにお願いがあるのですがと切り出した。
「なんだ?」
「もうすぐ、加奈陀師匠が旅に出られます。それに私も同行したいのですが…。」
父は、いきなり立ち上がった。
「な、なんだと!!」
箸を床に叩きつける。
龍綺はこんなに怒りの表情をみせる父を見たことがなかった。
そして、彼は、向かいに座っていた母の襟首を掴みあげた。
「龍綺に何を吹き込んだ!!お前は!!」
掴んでいた襟首を投げ捨てるように放す。
母は、冷たい床に手を付いて倒れた。
「母上!」
駆け寄る龍綺を父が担ぎ上げた。
「父上?!」
戸惑う龍綺に構わず、父は彼を運んでいく。
「父上!母上が!待ってください!」
「少し黙ってろ!!」
有無を言わせぬ父は、龍綺を改築をおえたばかりの一室に投げ入れた。
「お前はココで暮すのだ!!そうだ…一生!!逃したりはしない!龍の子は俺の…坂田の豪族のものだ!!」
龍綺は体勢を整え、父の方へ駆け出したが、何か見えない壁に阻まれ元いた部屋の中央に弾き飛ばされた。
「ふん!あの忌々しい女め!今までの恩を忘れおって!いいか!龍綺…お前は一生ココで暮らし、甲村に、この坂田に永久の繁栄を齎すのだ!!」
龍綺は何が何やら分からなかったが、母の身が心配でならなかった。
その後、加奈陀が1人で旅立ったことを知った。
尋ねてきた父が見下した目で自分に告げた言葉で、この人は、もう父親ではないのだなと悟った。
母は、父からかなりの暴力を受けていたが、結界に閉じ込められた龍綺の世話係りとして姿を見せるようになった。
「母上…どうして…。」
母の美しかった顔は右頬が腫れ上がり、隠れて見えないが、動くたびに苦痛な表情を見せていた。
尋ねる自分に母は何も答えなかった。
見せるのは変らない悲しそうな笑顔。
「龍の子って何なんだ…。」
小さい頃自分のことをそう呼ぶ周囲の者が嫌いだった。
思い返せば、腫れ物に触るように自分を扱っていた父、親戚。
母は自分を見る度に泣き出しそうな顔を見せていたため、加奈陀だけが彼に対して普通に接してくれていた。
加奈陀が村を出ると知った時に告げた自分の言葉に父は激怒し、自分を閉じ込め、母に手を上げた。
周囲の目に父は、自分を可愛がり、何でも与えてくれる優しい父親に映っていた。
龍綺は周りの人達に「優しいお父上ですね。」「こんな高価なものを戴くなんて、本当に愛されておられるのですね。」と言われ続けた。
“そうか、自分は父に愛されているんだ。”
龍綺は、これが、決して自分を抱きしめない父の愛情表現なんだと思うことにしていた。
時々掛けられる言葉の端に感じる違和感は、自分の後ろにある何かを強く感じさせるものだった。
元々、活発で常に剣術や体術に精を出していた彼は、部屋に閉じ込められた生活へのストレスを感じていた。
何かをしていないと気が狂いそうになっていたため、部屋の中で、天井の梁を利用してぶら下がったり、飛び跳ねたりして、精力的に身体を動かしていた。
時には、玉のような汗をかきながら、母を出迎えた彼に、彼女は、心配そうな顔を見せることもあった。
つづく




