表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: ルー
【後編 / 02】 蛹室にて

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

86/105

85

 たん、と後ろ手で生物室のドアを閉める。その残響すら消えないうち、俺は口を開いていた。


「おまえ、それどうした」


 また生研部で。三島はそう言った。

 だから部活が始まるまで待ったのだ。


 だが、俺の問いかけに、三島は黙って笑うだけだ。諦めたような、それでいて受け入れたような、なんとも言えない表情が下を向く。もやもやした感情がこみ上げた。


「もしかして──」


 何度も何度も、激しくかきむしった首の傷。なにがあったかなんて明らかだ。

 だが、部外者の俺が、こんなことを聞いていいのか。どうしてもわからずに口をつぐむ。


 ぐっとくちびるを噛み締めている俺を見て、三島はかすかに首を傾けると、微笑んだ。なんだかよくわからない、諦念みたいな笑みだった。


 あんなにわかりやすかったのに、今の三島の考えていることが、俺にはちっともわからない。

 口惜しさや様々な感情が、俺の口をひたすら重くした。長ったらしい沈黙があたりを満たした。


 まだ、鞄ひとつ置いてない。入り口から一歩も動いていない。

 そんな状況で、重苦しい、長い沈黙がじっとりと降りて。俺はとうとう、耐えかねて言葉を発していた。


「……母親か」


 それが一番、確率が高い。

 三島は曖昧に笑うだけで、なにも答えなかった。

 答えこそない、だがいっさいの否定もまた、しなかった。痛切に悲しくなる。


(母親、なのに──)


 どうしてだ。

 俺は母というものは、世界で唯一やさしい存在だと信じていた。なのに。


 やっぱり三島は俺より不幸だ、と思う。だって俺は、一度だけでも与えられることを知っていた。

 なのにこの男は、たった一度もそれを知らされず、あまつさえ、こんなことさえ。


 じわじわとこみ上げる感情に、ぐっと眉を寄せた。

 視界の隅、首の傷が目に入る。三島はまだ笑っている。


 それでも、硝子レンズ越し、不思議な色の危うい瞳。そこに底のない絶望、みたいなものが見えるのは、俺の気のせいなんだろうか。


「終わらせて、ほしかったんじゃないのか」


 ぽつり、と声がこぼれていた。

 三島がすっと視線を持ち上げて、俺を見る。


 現象と関係ないじわじわした情動に任せて、手を伸ばした。目の前の首筋をそっと、指の甲でなぞる。

 まだ痛みがあるのか、三島がぴくんと身を震わせた。痛ましさに、目が細くなる。同時に、ひとつの疑問が浮かんだ。


 もし、あの母親が三島の首を絞めたとして。これだけ引っかき傷があるということは、三島は必死で抗った、ということだ。それこそ、死にものぐるいで。


(どうして──)


 俺が首を絞めたときは、ひとつも抗うそぶりを見せなかったのに。終わらせてほしいと、時を止めてくれと、懇願すらしたくせに。なのに、なぜ。


 問いかけこそしなかったが、俺の意図を悟ったらしい。三島はふっと表情を消して、黙り込んだ。

 十秒ほど黙り込んで、細い指先が俺の手をやんわりと払いのける。小さな、とても小さな声がした。


「……なんでだろうな」


 ぽつんとそれだけ言うと、三島はすっと身を翻す。俺から離れ、いつもの机に歩み寄り、とさりと鞄を下ろした。

 参考書やノートでいっぱいだったはずの鞄の音は、聞いたこともないほど軽くなっていた。


 ふ、と息を吐き、三島が顔を上げる。


「なあ。今日から行動実験だよな。まずは学習機能とか見るんだっけ」

「あ、ああ……」


 なにもなかったみたいな顔。こんなのは大したことない、というような表情。

 わざと気丈に振る舞っているのか、本当に平気だからなのか、なにか感情を隠しているのか。

 はっきりとはわからない。ただ三島に聞いたところで満足のいく返事はこないだろう。それだけはわかった。追求を諦める。


 それから、二人して飼育室代わりの準備室に移動して、マウスを出したり準備をしたりした。いつも通りの部活動。


「課題用のケージどこ」

「あそこの棚の、いちばん下。重いから俺が出す」

「じゃあ俺、記録の準備するから」

「おう」


 まるで何事もないみたいな顔で準備を整えて、俺たちは実験にいそしむ。

 平常のマウスとストレスマウスを同じ迷路のケージに入れて、動き出す様子を撮影する。ストップウォッチ片手にデータを書き留める三島は、相変わらずなにを考えているかわからない顔をしていた。


 一時間ほどそれを続けた。実験は順調で、問題らしいものは見つからなかった。

 こんなことばかりうまくいくのに、現実の生活は、なにひとつうまくいかない。あんまりだと思った。これが罰だというのなら、俺はともかく、なぜ三島が。


 暗い表情の俺をよそに、あるていど仮説通りの結果を書き留めながら、三島がぽつっと言った。


「──たぶん、他の誰でもだめなんだ」


 えっ、と顔を上げる。

 三島は、片手で首筋を押さえて、じっと俯いていた。その顔は前髪で隠されて良く見えない。

 ヘアピンであらわになった耳元にピアスが光って、でも、俺の現象がなにかを求めはじめるより先に、三島が口を開いていた。


「俺はおまえに、宗像だけに、傷付けられたい」


 耳を澄ませてようやく聞き取れる、くらいの声。聞いたこともない、震えと掠れで、今にも消えてしまいそうな。


 まるで心細い子供みたいな声音だった。よるべのない、心許ない存在が、手を伸ばせばすぐに届くはずなのに、すぐ傍の誰かの指先を掴むことすらできずに震えている、みたいな。


「っ……」


 じいん、と胸の底でなにかが震えた。

 視界の端でちらつく青いピアス、現象が呼び覚ますどろついた衝動と同じくらい強い、痛いような感情だった。

 理由などひとつもわからない、哀切としか言いようのない情動が、こっぴどく俺を揺らした。


「どうして、俺なんだ」


 こぼれ落ちたつぶやきを拾って、三島はふっと黙り込む。

 分単位の、たっぷりした沈黙。マウスたちが動き回る、かたかたという小さな音。

 長い時間をかけて、三島のくちびるがようやく、かすかにわななく。


「……さあ」


 たった二文字。それだけを口にすると、三島はストップウォッチを止め、胸に抱えたバインダーにさらさらとデータを書き込んだ。

 それきり、また実験に戻ってしまう。促す視線を送っても、もう何の反応もない。


 俺は自分の中を満たす感情に戸惑いながら、押し殺すように作業を続けた。

 結果ばかりが順調で、実験は成功しているのに、ちっともいい気分にならなかった。



 日暮れまで実験を続けて、ようやく今日の分が終わる。

 実験器具をすべて片付けて、バインダーの中身をファイルに綴じた。あとは簡単に餌や水の世話をして、ケージを準備室に戻すだけだ。


 ざらざらとペレットを餌皿に入れていると、ふと、すぐ傍に人が立つ気配があった。

 ちらりと視線を持ち上げる。目を伏せた三島が、静かな表情で立っていた。くちびるが動く。


「やっぱり俺、おまえんちに戻る」

「……」


 絶対にだめだ。拒絶の言葉が、強烈にこみ上げる。淡く尖った喉仏の感触が思い出される。ベッドの上で俺を見上げた、蕩然としたあの表情も。


 この男はだめだ、他の誰がよくても三島だけはだめだ。

 この男は俺を破滅させる。悪魔みたいな天敵だ。

 きっと三島にとっても俺は同じように天敵で、一緒にいれば互いに落ちていく。それがはっきりわかる。


(それでも──)


 立ち尽くす三島の、襟元からかすかに覗く赤い傷跡が、あの切ないような苦しいような、どうしようもない哀切が、俺に抵抗を諦めさせる。

 このまま家に帰したら、二度と三島に会えないような気がする。それはきっと間違っていない。


「……わかった」


 破滅的な、ぎりぎりの選択肢を、それでも選ぶしかできない。

 他の誰かの家に行けなんてこと、三島にはとても言えなかった。だってこの男には、まともに頼れる奴なんて、他には誰もいないのだから。


「ありがと」


 あまりにも短い礼の言葉。その声に感情らしきものはほとんど見て取れなくて、三島はじっと俯いている。表情は前髪に隠されて、ちっとも見えなかった。


 ヘアピンで留められた耳元にピアスが光る。ほとんど反射で動き出す獰猛な現象を、目を逸らすことで抑え込む。

 俺だけに加害されたいと願う男。それを連れ帰って、俺は人間でいられるのか。


 考えても無駄だと思った。どうせなにをやったって疲弊するだけだ。

 現象も衝動も、母も父も三島だって、俺の思ったとおりになったことなんて一度もない。なにをしたってぜんぶ無駄だ。


 ひどい無力感を胸に、俺は三島の後ろ姿が、準備室にケージを運ぶのを見つめていた。

 筒に詰められたストレス負荷マウスが、かすかに手足をうごめかせた。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ