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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: Ru
【後編 / 02】 蛹室にて

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 その次の日。俺はなにかの覚悟をして教室に入った。


 もう二度と、三島は登校してこないかもしれない。それどころか、入ってきた先生が沈痛な顔で、今日は悲しいニュースがある、とか言い出すかもしれない。そんな覚悟だ。


 だが、幸いにして俺の覚悟は空振りした。

 昨日空っぽだった席には、ちゃんと三島が座っていた。一筋の傷が走った、腫れのやや引いた頬。鈍い赤がまだ残る口の端。ヘアピンで留めた髪の下、耳元で青いピアスが光っている。


 ほっとするのを避けられなかった。思わず肩の力が抜けて、だがすぐに気を取り直す。

 いくら三島が無事で安心したからといって、俺がわざわざ気にかける必要があるかといえば別の話だ。三島は俺に『時を止めて』もらいたがっている。関わるのは得策じゃない。


 俺はつとめて目を背けて席についた。

 友人たちといつものように笑い合い、三島などいないかのように振る舞う。


 それでも、授業中ともなると話は別だった。

 三島は俺より少し前に座っている。ホワイトボードを見ていれば、強制的に視界に入り込んでくるのだ。どうしても、気持ちや注意が持っていかれる。振り切ることは困難だった。


 授業中、三島は教科書も、ホワイトボードも見なかった。あのタブレットさえも出さなかった。ただぼんやりと肘をついて、窓の外を眺めていた。授業を聞いているそぶりも、なにか問題を解く様子も、まったくなかった。


 長ったらしい授業がようやく過ぎて、昼休み。三島は担任に呼ばれて、連れられるように教室を出ていった。

 教室全体の、なにかあったのかと伺う空気、さざめきあう独特のざわめき。

 だが、三島より重要なことなんて彼らにとってはいくらでもある。じきに、誰もがそれぞれの興味に戻っていった。


 呼び出された三島は、十分もしないうちに戻ってきた。

 からりと扉が開いた瞬間、視線がいっせいに三島に集まる。失われたはずの教室の興味が戻ってくる。

 つい、俺もその注目に加わっていた。もっとかかるかと思っていたから意外だったのだ。


 教室中の遠巻きな視線を集める中、三島は淡々と歩いて席についた。

 その机には弁当もパンもなにもない。彼はなにもせず、ただ静かに座っている。

 食事も飲み物も存在しない、空っぽの机の上を見て、つい複雑な感情が浮かんでしまった。


 うちに来てからずっと、三島はまともに食事を取っていない。慣れない環境では食欲が出ないのかもしれない、家に帰ったらなにか食べられるかもと思っていた。


 だが、こうして家に帰してみても、三島は昼食すら持ってきていない。この調子では、昨日だって食べたかどうか怪しいものだった。


(……くそっ)


 俺は躊躇して、やめろと自分を振り切ろうとして、できなかった。友人たちに断りを入れ、惣菜パンを一つ持つと立ち上がる。ゆっくりと三島の席に歩み寄った。


 机の上に影が落ちて、絶対に気付いているはずなのに、三島は顔を上げなかった。食事も読書もスマホいじりもしないまま、ただ淡々と座っていた。


「……ほら」


 ぽん、と机の上にパンを投げ出す。やはり三島は俺を見ない。ため息。


「食え。おまえ、どうせ朝も食ってないんじゃねえの」

「さあ……どうだっけ」


 疲れたような、ぼんやりした声だった。それきり、黙り込む。パンを取る気配もない。

 俺はもう一度大きくため息をつくと、食え、と繰り返した。三島がちろりと俺を見上げる。


「食ったら吐く、ってんじゃなけりゃ、食え」

「……わかった」


 痩せた指がびりびりと包装を破く。パンを両手で持って、だが三島はそこで止まってしまった。かすかに下を向いて、雑な前髪が目元を隠す。

 俺はなんとも言えない感覚に耐えて、なあ、と呼びかけた。


「さっきの、なんだったの」


 聞くつもりなどなかったのに、尋ねていた。

 三島はゆっくりとパンを持った両腕を下ろす。くす、と小さな笑い声が聞こえた。


「面談がどうとか言ってたけど、断った。たぶん母親が学校に泣きついたんだと思う」

「……あっそ」


 それを聞いて、俺はどうすればよかったのか。わからないからこそ聞かないでおこうと思ったのに。

 もやもやした感情を持て余す俺をよそに、三島は小さく息を吐く。じっと下を向いて、パンを食べるか食べまいか、迷っているみたいな仕草だった。ため息をこらえる。


 とりあえず、俺にできることはした。食うか食わないか決めるのは三島の領分だ。

 そう判断して、その場を去ろうと踵を返したときだ。


 視界の端に、ちらっ、と赤いなにかが見えた。

 一瞬で、どこに見えたかも判然としないのに、妙に不自然なものを感じた。本当なら、赤なんて見えるはずのない場所、だったような。


 とっさに立ち止まる。振り返り、視線を走らせて、俺はその色の正体を探した。

 赤色はすぐに見つかった。パンを手にした三島を上から覗いて、襟の隙間からちらりと見える首筋だ。


 まだ新しい赤い傷が、何本も走っていた。

 水平じゃなく縦の傷が、首の前側に集中している。


(え……?)


 首の前側に何本も重ねてつけられた、数センチにわたる縦の傷。

 どこかで、そうだ、フィクションで何度も見たことがある。


 まるで首を絞められたとき、必死で抵抗して、何度もかきむしった跡、みたいな──


「ッ……!」


 ぞっ、とした。

 一瞬で血の気が引いた。


 あの夜の、三島の瞳を思い出す。

 硝子レンズを通さない、不思議な色のきれいな瞳。喉仏に食い込んでいく親指。終わりにしたい、時を止めてくれ、という言葉。


 くちびるがわなないた。声が、勝手にこぼれだす。


「……おまえ、それ──」


 言いかけた言葉はすぐに途切れた。三島が振り返って、俺を見上げたからだ。

 視線が交わる。三島の目が、うっすらと細くなる。


 くちびるに指を押し当てて、三島は口の端を持ち上げた。

 しーっ、と漏れ出す息の音、そして。


「また、生研部で」


 いつかの玄関で聞いたのと同じフレーズを、まったく違うトーンで口にした。

 くすっ、と声を上げて三島が笑う。ひどい眩暈がした。



 

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