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次の朝。俺と三島は同時に家を出て、同じ駅で電車を待った。
こんな男とそんなことはしたくなかったのだけれど、さっさと出ていけと言うわけにもいかない。
しょうがなく、隣り合ってホームに立っている。
会話などひとつもなかった。話したいことも、話しかけられたいことも思い付かなかった。
憎しみじみた感情を押し殺して早く時間が経つのを祈って、俺は何度もスマホの時計を見る。
三島はただ淡々と、どこを見ているかわからない瞳でぼうっと立っていた。
不意にメロディが鳴る。電車の通過を知らせるアナウンス。
危険ですので黄色い線の内側にお下がりください、という決まりきったフレーズ。
そのアナウンスの、残響が消えかけたときだ。
三島が急にふらっ、と動いた。
一歩前に踏み出して、革靴が黄色い点字ブロックを踏み越える。遠くから、電車の先端が光りながら迫ってくる。
おい、と呼びかけようとして、迷った。こんな男にかける声などなかった。でも。
三島が肩越しに振り返って、笑う。
見たことのない笑みだった。
「宗像」
ごう、と風が鳴った。
ささやくような三島の声が、それに紛れて消えていく。ふらりと傾ぐ身体。
強烈に、誘われる感覚。
(あ――)
俺はとっさに手を伸ばして、三島の肩に触れて。
手の中にある骨ばった細い肩、ぞわぞわと現象が深いところを通り過ぎていく鮮烈な感覚に芯から震えて――
――ぐっ、と力を込めて、自分の方に引き戻した。
唸るような風を巻き立てて、電車が一気に通り過ぎていく。三島の髪がばさばさ揺れる。
永遠みたいな数秒間をかけて長い長い電車が過ぎ去って、余韻のような強風が最後まで通り過ぎた、あと。
三島はかすかに苦笑した。
「……宗像には、まだ早かったかな」
え、とくちびるが形を取る。
目の前の男が、なにを言っているかわからない。
「どういう――意味だ」
俺の問いかけに、三島は返事をしなかった。ただ黙って、静かに微笑んでいる。
正体のまったくわからない表情だった。
肩を掴んだままの俺の手に、そうっと自分の手を重ねて、三島は薄く目を細める。
ぞくっ、とした。嫌悪感。反射的に払いのける。
「――あ、そろそろ電車来るな」
三島がさっと電光掲示板を見上げた。なにもなかったような顔。うまく返事ができない。
淡々とした面がゆっくりとこちらに巡って、三島はじっと俺を見つめた。目をそらす。
小さく笑みの音が聞こえてきた。ぞわぞわした。
なにか強烈な――とても嫌な、予感がする。
さっきからずっと、皮膚のいちばん薄いところを撫でられ続けているような、なんともいえない感覚がある。
それが三島の視線のせいだとわかっていた。
なにか乞うような、誘うような、甘ったるい毒みたいな眼差し。怖くなる。
俺は腹の底でぐるぐるとうずまく〝現象〟を持て余して、三島への嫌悪を抑えることもできなくて。
ひたひたと押し寄せる嫌な予感から、逃げるように目を閉じた。
遠くから、いつもの電車を知らせるメロディが、朝のホームに場違いに明るく響きはじめた。




