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誰にも見せたくなかった部屋にふたりで入って、俺は三島の後ろ姿が感嘆の声を上げるのをぼうっと眺めていた。
三島の肩にはカーディガンがかかっている。好きな子にするみたいにさりげなくかけてやったそれ、そんな行動が自動的にできる自分に、とことん染み付いている、と思った。
三島は俺の簡単な説明を受けて、次々と飼育箱を覗き込んでいる。その瞳はきらきらと輝いて、子供みたいに楽しそうだった。
純粋な興味と関心に輝く目に一瞬だけ気持ちが和みそうになって、すぐさま否定する。
俺はなにをやっているんだろう。
絶対に見せたくない。誰にも触らせたくない。
痛いほど思っているはずなのに、身体ばかりが勝手に動く。
俺はいちばん見せたくなかった棚に行き、成虫を隠していたラック、そのカーテンをさっとめくった。
三島がわあ、と子供みたいな声を上げる。
「いいリアクション。育てた甲斐があるな」
「だって、ほんとにすごいって。ブリーダーになれるぞ」
「アゲハはそこまで儲からねえかな」
肩をすくめて笑うのも、やわらかな声を出すのも、全部演技だ。自動的に行われるシミュレーション通りの行動だ。それでも三島は楽しそうにしている。バカな男だと思う。
飼育箱の中で、無数の蝶がばたついた。壁面に翅がぶつかる独特の音。
ちらと隣を見やる。
視界の中央では、三島がじっと蝶を見つめていた。黄色と黒、警告表示の色が、なめらかな瞳の表面に映り込んでいる。
その姿の上に、今はないマウスの姿も重なって、俺はかすかに目を細めた。
ゆっくりと動き出す〝現象〟の気配。
「……こいつら、ほっとくと明るい方に飛ぼうとするから」
言い訳をして、さっとカーテンを閉じた。あ、と三島が声を上げる。そっとこちらを振り返った。
カーテンに隠された向こうで、ばたつく音はまだ続いている。
三島はちらと飼育棚のほうをみて、おずおずと声を上げた。
「あのさ。このままじゃ、弱っちゃうんじゃないの」
「……」
その通りだった。この飼育箱にこの頭数はあきらかに過剰飼育だし、そもそも成虫を箱の中にずっと入れておくこと自体、かなりの無理がある。
俺は少しだけ迷って、一瞬だけ考えて、さっとまともな顔を作った。言い訳を口にした。
「成虫は繁殖と観察を終えたら、すぐ野に放ってる」
半分は本当で、半分は嘘だった。繁殖と観察はやっている。
でも──そのあとは。
ばたばたと音がする。まぶたの裏、まばたきのたびに、蝶の翅がひるがえる。
黄色と黒、立入禁止の、警告表示と同じ色。
三島はぱちぱちとまばたきをして、さっきから寄っていた眉をさらに寄せて、言った。
「それ──このへんの生態系が崩れるんじゃ……」
「……っ」
とっさに言葉が出なかった。
純朴な疑問を浮かべる瞳から、逃げるように下を向いた。自嘲気味な笑みが浮かぶ。
「…………そうかもな」
こぼれた声は小さくて、語尾がかすかに震えていた。
なぜだろう、いつもならすらすらと出てくるはずのごまかしや言い訳は、今ばかりは、ちっとも出てきてくれなかった。
相変わらず忌々しいほど見る目のある男だ、と思う。
この男はいつもそうだ。俺の中身を見抜いて、勝手に近付いてきて、俺の内側を踏み荒らす。
そのくせ自分はなにもしていないという顔をする。
本当に──ずるくて、卑怯で、見苦しくて、最低の、天敵みたいな男だった。
そっと視線を持ち上げる。
三島はなぜか目を丸くして、食い入るように俺を見つめていた。名前のない宝石のような瞳が、レンズの向こうで揺れていた。
きれいだなと思って、たまらなく苦しくなる。
(蝶も、マウスも、そして三島も。俺にとっては、同じなんだろうか)
現象に流されたくはなかった。
人間にだけは手を出したくなかった。それなのに。
目の前には三島、背景にはカーテンがかかっていて、その裏では大量の蝶がうごめいている。
見ていたくなどないのに目を逸らせなくて、俺はかすかに喉元が詰まったような感じを覚える。
(俺は──いつまで、耐えていられるのだろう)
一瞬でよぎった大量の思考、それをなんとか、立て直そうとする。
息を吸って、ぎゅっと末端に力を入れ、心音を整える。
俺はなんとかいつも通りの完璧を作り上げると、顔を上げて、笑った。
「そうだ。こないだ言ってたアプリ入れたけど、あとで触ってみるか?」
「え……あ、えっと……え?」
三島がぱちぱちとまばたきをする。その瞳にはもう、さっきまでの宝石みたいな光は見て取れない。
いつも通りの、たやすい、愚かな、挙動不審の男だった。
カーディガンを返そうとする三島を制して、彼が上着の前をかきあわせる仕草を見下ろす。
その子供じみた、加害を誘ういとけない動作を見て、なんとなく、三島を家に上げた理由がわかった気がした。
(たぶん……疲れたのかもしれない。耐えることに)
これはきっと自傷行為だ。やけくその無謀な行動だ。
誰にも見られてはならない場所、そこにいちばん近い部分に、よりによっていちばん触れさせてはいけない男を招き入れた。
いい加減、終わりにしたくなったのだろうか。
でも、俺はまだ、諦めるわけにはいかないのに。
「……行くぞ」
端的に言って、飼育室を出る。
明かりも空調もつけっぱなしの室内をかすかに振り返って、俺は後ろめたい中身を封じ込めるように、そっとドアを閉じた。
三島の目がぼんやりと、俺を見上げていた。




