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それからも三島との関係は続いた。
俺はかぎりなく好意に似せた態度で三島に接して、そのたびに三島は面白いように反応した。
一日ひとつの個人情報も惜しみなく与えた。彼の中の『宗像達也』の解像度をどんどん上げていった。
結果、三島は自分のたくらみを順調だと判断したらしい。俺の前ではかなり気の抜けたところも見せるようになってきた。
きょとんとしたときに見せる無防備な半開きの口とか、なんだかんだ吃りながらも生意気な口調を見せてくるところとか。
もしこれで俺が本当に三島に好感を抱いていたとしたら、喜ばしいことばかりだ。
だが実際は、俺は三島を最低だと思っている。
そのためだろうか。最近では、得るものより弊害のほうが大きくなっているのが実情だった。
早朝。アゲハ成虫の飼育箱、スポーツドリンクを染み込ませた脱脂綿を取り替える。
そっと蓋を閉じると、脱脂綿に数匹の蝶がむらがった。長い口を懸命に伸ばし、蜜の代わりを吸っている。
ぱたぱたと揺れる翅を見ていると、俺の獰猛なものがうっすら動き出すのがわかった。顔をしかめる。
(違う。大丈夫。俺は──まだ、大丈夫)
懸命に言い聞かせて、でも、心臓は嫌な感じに脈打っていた。
だんだんと喉の奥が乾いて、視野が狭くなって、凶暴ななにかがこみ上げそうになる。歯を食いしばって必死に耐えた。
そわそわするような、落ち着かないような、なんとも言えない感覚をこらえて、大丈夫なんだと何度も唱える。最近はもうずっと、そんなことの繰り返しだった。
三島と出かけた、あの日以来。俺の中の〝現象〟が、日ごと夜ごとに強くなっているのだ。
なにが契機だったかなんて明白だった。三島のピアスだ。
平日の三島はあの青を身に着けてはいない。それでもよく見ると彼の耳元には透明なピアスがつけてあって、動いた時や振り返った瞬間など、ちらりと見え隠れする。
さらに生物室の彼は教室よりずっと無防備で、隠すつもりもないのだろう、堂々と髪を耳にかけることさえしょっちゅうだった。
あの日以来、髪からピアスが見えるたび、引きちぎりたいという強烈な衝動がこみ上げて、どうしようもない。俺は完璧な笑顔を作り、何気ない態度で、何度もそれを押し殺していた。
透明ピアスなんて、今まで気付きもしなかったのに。
一度知ってしまえば、二度と知る前には戻れない。ことあるごとに三島の耳元が気にかかる。透明なシリコンがちらつくたびに腹の底がぞわつく。
今や俺の〝現象〟は、災害の前みたいに不気味な兆候を見せはじめていた。
日に日に強くなる、強大で理不尽な、腹の底で眠る制御不能なもの。悪魔的で強烈な衝動に、感じるのはたしかに嫌悪と恐怖なのに。まぎれもない恍惚と陶酔が、どうしようもなく俺をねじ曲げるのだ。
俺の中身が、あの現象が、いちばん底の方で脈打っているのを感じる。発露をじっと待っているのが、はっきりとわかる。それをなんとかなだめて、俺は今日もできるだけ淡々と蝶の世話を続けていた。
枝を整えたとき、手首にひら、と飛び交う蝶の翅がかする。黄色と黒の鮮烈な色彩。ぞくっ、と背が震えた。
寒さのせいだ。
コンスタントに羽化をさせるため、飼育室は年中薄ら寒い。
そのせいだ。そうに決まっている。
(俺はまだ平気だ。大丈夫なんだ)
脳裏をよぎるのは三島のことだ。
痩せた身体つき、おずおずと見上げる仕草、加害を誘う挙動。
レンズ越しに見える無防備な、なんとも言えないあの瞳。
ちらちらと見え隠れする、海の底みたいな青いピアス。
引きちぎりたいという衝動。
大丈夫、という決まりきった呪文を口の中でつぶやく。
前に蝶を殺したのはいつだっただろう。はっきりとは覚えていないが、ずいぶん前のはずだ。
あれからやっていないのだから、俺はきっと大丈夫。
ちゃんとできている。何の問題もない。
何度そう唱えても、嫌な予感はちっとも消えることがない。
俺は大きく息を吸うと、ゆっくりと吐いた。心拍を観測した。皮膚感覚に集中した。吸うより吐くのを長くした。
今までに得た知識を総動員して、今すぐできる、自分を鎮める手段を順番に試していく。ひとつ。ふたつ。三つ。四つ。
(大丈夫。俺は平気。まだ殺していない。安心しろ、落ち着け)
何度唱えても、心を落ち着かせようとしても駄目で、心音はいつまでもやかましい。乾ききった衝動は収まらない。理不尽な現象が、腹の底で重たく動いている。「くそっ」と小さく吐き捨てた。
まばたきの合間、しきりによぎるあの青色。
透明な海の、いちばん底みたいな青。
夢想するのは、痛みと驚愕で呆然とした三島の顔だ。
きっと血の赤が映えるだろう。あの薄い耳の端が、雫に濡れたらきれいだろう。したたり落ちる赤い水の、においはどんな風だろう。
彼は泣くだろうか。怯えるだろうか。
それはきっと、ぞくぞくするほど素晴らしい──
(違う──そうじゃない、しっかりしろ!)
ぎりっ、と奥歯が鳴った。
何度も違うと唱えて、それでもだめで。
だって俺は他に手段を知らない。うまいやり方も、上手な宥め方もわからない。
俺はとっくに悪魔に魂を売っていて、ぎりぎりの縁で耐えるだけの存在で、獣以下の人でなしになりかけている。
俺はとうとう、記憶の中の美しいものにすがった。
お願いだから俺を守ってくれと。記憶の中のひとは返事すらしてくれない。それでも、祈らずにはいられなかった。
(頼む、お願いだ。俺を守ってくれ。……母さん)
ぎゅっと目を閉じる。美しい存在、あたたかかった記憶。母との思い出。
もう見ることのできない、追憶の中の母の笑顔は、タンポポと春先の西風のにおいがした。




