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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: Ru
【前編 / 04】 『時よ止まれ』

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 ありとあらゆる悪夢を見た気がする。

 不安とか恐怖とか、生理的嫌悪とか、憤りや不快感。

 そういう負の感情がすべてぐちゃぐちゃに入り混じって、ずるっと頬になすりつけられたような夢だった。


「……っ、……は、はあ、はっ、……はあ」


 びく、と覚醒する。

 ばちっと開いた目、視界に映るのは自室の天井だった。息が荒い。心臓がばくばく鳴っている。俺はすっかりずれてしまった眼鏡を整えた。


 と、遠くでなにか音がするのに気付く。インターホンだった。

 あの電子音のおかげで、俺は悪夢から解放されたらしい。慌ててベッドから起き上がった。手が咄嗟に眼鏡を探す。かけっぱなしだった。


 足元はまだくらくらしていたが、慌てて玄関に向かう。LDKのインターホンより、直接玄関に行ったほうが早いのだ。


 間隔をあけ、何度か鳴っていたインターホンが、ふっと途切れる。俺は焦って靴をつっかけた。


「い、いま開けます」


 誰に言うともなくつぶやき、扉を押し開ける。ふわ、と外の風が中に吹き込んだ。はーい、と小さく声を上げる。


「……よお」

「えっ」


 そこには、宗像が立っていた。

 いつもと変わらない表情、実直な瞳の表面に、目をまんまるにした俺が映っている。なんで、と声がこぼれた。


「忘れ物。届けに来た」

「わ、すれもの……?」

「そう」


 ごそごそ鞄を探ろうとする宗像に、俺は慌てて待って、と言う。宗像の瞳がすっと持ち上がって俺を見た。

 俺はきょろきょろと左右を見回して、言った。


「あの、上がって……ここじゃ、なんだし」

「わかった。じゃあ、お邪魔します」


 玄関のドアを閉めて、二人して靴を脱ぐ。廊下を進もうとして、宗像がついてきていないことに気付いた。

 振り返ると、宗像はしゃがみこんで、脱いだ靴をきちんと揃えている。育ちが良い。


 俺が待っていることに気付いたのか、悪い、と行って宗像が歩み寄ってきた。首を振る。

 先導して、とりあえずLDKの方に通した。


「えっと、椅子の方でいい? 座ってて。麦茶しかないけど……」

「ああ、おかまいなく」

「いや、外蒸し暑いだろ。飲んでったほうがいいって」


 できるだけ、普通に振る舞おうと努力する。ほとんど習性、みたいな行為だった。

 変に気を遣われるのも本意ではなかったし、心配を誘うようなことだってしたくない。できるだけ、なんともないと思われていたかった。


 がぱん、と冷蔵庫を開けて、麦茶を用意していると、ダイニングの方から宗像の声がした。


「おまえ、なんで休んだの」

「あー……派手な寝坊したら、急に面倒になっちゃって。休むことにした」


 軽い口調で言う。麦茶をグラスにそそぐのに、手元がぐらぐらしてこぼさないかひやひした。側頭部が脈打つような感覚がある。盆に移すために持ったグラスが、すごく冷たくて気持ちいい。


 俺はできるだけふらつかないよう、足元を踏みしめて歩いた。

 グラスを出して、対面に座る。なんとか無事に席につくことができて、俺はひそかにほっとした。

 宗像は簡単に礼を述べると、麦茶を飲む。うま、と笑った。


「すげえ久しぶりに飲んだわ」

「そう? 水入れて放り込むだけだから楽だよ」

「自分で淹れてんの?」

「まあ、うん……おまえだって、自分で淹れてるじゃん、アイスコーヒー」

「あれはお客さん用だろ」


 そういうものなんだろうか。なにせ来客の経験がないのでわからない。

 というか、良く考えてみれば、今が初めての来客なのか。こんなコンディションでなかったら、もう少しまともな出迎えができたのだろうか。


 霞がかった頭でなんとか意識を維持しているだけなので、思考がどうしても取っ散らかる。俺は小さく息を吐くと、で、なんだっけ、と尋ねた。


「ああ。忘れ物」


 宗像が、鞄をごそごそやって取り出したのは、あのタブレットだった。

 え、と口が半開きになる。宗像が俺を指さして、またその顔する、と苦笑した。


(忘れてたんだ……)


 あんなに大事にしてたのに。忘れたことすら気付かなかったなんて。

 俺はたどたどしく礼を言うと、タブレットを自分の方に引き寄せた。


 起動すると、読みかけだったゲーテが現れる。

 母と嬰児を殺した少女が牢に入れられ、恋人ファウストが助けに来るも拒絶して、恋人の処刑を前にしたファウストが『私など生まれてこなければよかった』と慟哭するシーンだった。


「学校で渡そうと思ったけどおまえ、休んでるし」


 ちょっと様子見るついでな、と宗像が笑う。そっか、と笑い返して、俺は自分の分のグラスを口に押し当てた。飲むふりだけして、すぐグラスを戻す。また気分が悪くなるかもしれないと思ったからだ。

 宗像はあっつ、とつぶやくと、グラスを持ち上げた。


「ごめん、ちょっと一気するわ」


 言うやいなや、全部飲み干してしまう。

 俺は思わず自分のグラスを差し出していた。ずっ、とテーブルの上をグラスが滑る。


「よかったら……飲む?」

「や、大丈夫」


 おまえ飲めよ、と宗像が言って、視線がふと俺のグラスに留まった。目元がかすかにひそめられ、宗像の視線が俺を捉える。

 じっ、と見つめられ、俺は思わずたじろいだ。


「な、……なに」

「無理すんな。おまえ、具合悪いだろ」

「えっ」


 あっさりと言い当てられて、目が驚きで丸くなる。半開きになった口から、呆然と言葉が漏れ落ちた。


「なんで、わかったの」

「……いや、見てりゃわかるよ」


 麦茶だって全然減ってないし、さすがに、と言われる。信じられなかった。むしろなんでわかんないと思ったんだよ、と続く声に、なんだか気が抜ける。


 途端どっと身体が重くなり、俺はへなへなと机へ突っ伏してしまった。

 正面で、慌てたように椅子を鳴らす音。おい、と焦った呼び声。


 俺は朦朧とした頭で、机の天板が冷たくて気持ちいいなあ、なんて事を考えていた。

 ほとんど意識しない言葉が、へろへろと口から勝手にこぼれていく。


「だってお母さん、気付かなかった……」


 一瞬の沈黙のあと、宗像の、いつもより低い声が問う。


「父親は」

「えっと……前に顔見たのいつかな……」


 宗像が強烈に、黙り込む気配。静かになる。

 音がなくなったとたん、強烈なだるさがやってきて、俺はこてんと顔を横に倒し、目を閉じてしまいそうになるのに抗った。

 まばたき、と呼ぶには長すぎるそれを抵抗のように繰り返していると、宗像の手がそっと俺の目元を覆う。


「寝てろ」

「でも」

「いいから。寝てろ」

「……でも……」


 でも、の続きがどうしても思いつかなかった。

 抗いたい理由があったはずなのに、なんだかもういいや、という気持ちになる。

 だって宗像の手は大きくて、骨ばっていて、ひんやりして、ものすごく気持ちいい。ずっとこうだったらいいのにと思う。


 大きな手のひらがそっと動いて、俺のまぶたをゆっくり撫でた。

 ああ気持ちいいなあ、安心するなと思う。

 それきり、俺は長い息を吐くと、もうどうでもいいや、と意識を手放した。



 

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