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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: ルー
【前編 / 04】 『時よ止まれ』

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34

 気が付いたら、自室のベッドで寝ていた。

 は、と詰まった息を吐いて、薄く目を開ける。悪い夢は見なかった。珍しい。


 無意識に枕元をさぐって、眼鏡をかけて、今何時だっけ、とぼんやり考える。

 途端、ぬっ、と視界の真ん中に宗像の顔が入ってきた。へっ、と変な声が出る。


「……むなかた」

「どう。具合」

「えっと……ちょっとだけ、頭、いたい……かもしれない……たぶん……」


 見慣れた天井を背景に背負って、宗像が思い切りため息を付いた。

 あのなあ、とたしなめるような声。


「症状の確率を勝手にどんどん下げるな。正直に言え」

「だ、だって……」


 正直に言ったって、どうにもならないし。頭が痛いのも身体が熱いのもぼーっとするのも、汗で寝間着が張り付いて気持ち悪いのも、吐き気がまだ少し残ってるのも、口に出したってなにも変わらない。

 そういう内容をほとんど無意識でつぶやくと、宗像ははあーっ、とものすごいため息をついた。


「やっぱ具合悪いんじゃん……言えよ……」

「……だから、言ったって、どうにも」

「看護の方針があんだよ。ほら、ちょっとだけ頑張って身体起こせるか」

「え……?」


 なんだか聞き慣れない言葉を聞いた気がする。俺は宗像の大きな手が伸びてきて、気持ち悪かったらすぐ言え、と背とベッドの隙間に差し込まれるのを、呆然と眺めていた。


「ゆっくりな」


 本当にゆっくり、背を支えられて身体を起こさせられる。くら、と眩暈を覚えたけれど、思ったような吐き気は来なかった。


 ようやく九十度になった俺を見て、宗像が着替えどこ、と言う。なんのことだかわからず素直に答えると、開けていいかと尋ねられた。


「……なんで……」

「だから、着替え。汗、ひどいから。ほっとくと悪化する」

「あー……」


 そういうものなのか。

 そういえば、まだ俺が母親の目に映っていたころ、体調を崩したときは、着替えとかお粥とか、あらゆるものが準備されていたっけ。早く良くなって、明日は学校に行けるようにしましょうね、と言いながら、普段はしてくれないことまでたくさんしてくれた。懐かしい。ものすごく昔のことみたいだ。


「……で。開けていいの、悪いの」

「あ……いい……」

「ん」


 宗像は無造作にタンスを開けると、てきぱきと着替えを取り出した。

 大股が歩み寄り、一度額に手を当てられる。ひんやりして気持ちいい。


「んー……ちなみに今、寒い? 熱い?」

「あつい……」

「なるほど。じゃあ、もうちょっと頑張ったら下がるかもな。体温計ある」

「わかんない……」

「じゃあいいや。着替え、できそう」

「……たぶん……」


 ほとんど朦朧と会話をして、宗像の手が額から離れていく。

 ああもったいないな、と思ってぼうっと見ていると、宗像が十秒くらい待って呆れた顔をした。なんだっけ。


「なんだじゃない。もう一回聞くけど、着替え、できそう」

「あー……」


 着替え。着替えって言ったのか。そうか。あんまり聞いてなかった。

 俺はもたもたとボタンをたぐった。うまく外れない。頭から抜くか、と思ってめくりあげようとして、眩暈でうまくできなかった。


 かけっぱなしの眼鏡がひっかかり、ぐら、と上体が傾いて、ベッドに倒れそうになる。おっと、と声がして、ぐっと背中を抱えられた。ため息の音。


「おまえの自己申告、まるっきり当てになんねえのな」

「ご、ごめん……」

「いい。頭ぼーっとしてたらそんなもんだ。ちょっとじっとしてろ」


 そう言うと、宗像はさっさと俺のボタンを外しはじめた。露出した肌、汗が冷えてすうっとする。気持ちいい。思わず目を細める俺に、タオル片手の宗像が言った。


「拭くから腕上げて。こういうの、ほんとは身内にやってもらった方がいいんだろうけど……俺で気持ち悪かったらごめんな」

「へ……あ、うで……」


 なんだか宗像の台詞が長すぎて、なにを言っているかわからない。俺はただ断片的に拾った単語をつなぎ合わせ、なんとか腕を持ち上げた。

 乾いたタオルがさっと肌の上を走っていく。独特の感触がなんだか新鮮で、ふは、と小さく吐息が漏れた。


 宗像はあっという間に俺の身体を清めて、新しい寝間着に着替えさせた。妙に慣れていて、手際がいい。すごいな、と思って、すぐ思い至った。宗像は、お母さんがああいうことになったから、看護の経験があるのかもしれない。


「よし、終わり。ほんとは下着も変えた方がいいんだけど、さすがにそれはな。我慢してくれ」

「うあ……あり、がとう……」

「あー……さっきより意識レベル下がってんな……」


 そっと背を支えられ、後ろに倒される。胸の上まで布団をかぶせられ、とん、と無造作に叩かれた。俺はただされるがままになって、はふ、はふ、と苦しい呼吸を繰り返している。


 頭がぼうっとして、頬がものすごく熱い。息が苦しい。吐いた息がものすごく湿っていて、熱くて、吸う息がぬるく感じる。目元がやたらと厚ぼったく感じて、俺は何度もまばたきを繰り返した。


 ぎしっ、と音がして、宗像がベッドに腰掛ける気配。天井を背負って、男っぽい、整った顔が俺を覗き込んでくる。ふ、とかすかな笑い声。


「おまえ、眼鏡したまま寝んの」

(あー……めがね……なんだっけ……)


 そういえば、宗像の顔が、思ったよりよく見える。外し忘れたらしい。

 大きな手が伸びてきて、かち、とフレームに触れた。ゆっくりと眼鏡を外されて、耳の上をツルが通り過ぎていく感触。巻き込まれた横髪が頬にかかる。


 宗像は枕元に眼鏡を置くと、そっと頬の髪の毛をはらってくれた。汗ですこし湿った髪が、重力に従ってはらりと落ちる。動作の端々で触れる指先の感触が冷たくて、すごく気持ちよかった。なんだか、安心する。


 宗像は、眼鏡を外し終えてもベッドから立たなかった。ただ俺の枕元に座ったまま、じっとこちらを覗き込んでいる。なんだろう、と見上げていると、宗像がかすかに目を逸らして、もう一度俺を見た。


(あ……)


 いつもの目だ。

 色のない、静かな、よくわからない瞳。実験用マウスを見つめるときの。


 ぎっ、とベッドのスプリングが鳴る。宗像の片手が俺の顔の横に置かれていた。

 反対の手が、ゆっくりと近付いてくる。骨ばった指先が頬のすぐそばを通り過ぎるのを、俺はただぼうっと見つめていた。


 ひや、とした指先が耳元に触れる。つけっぱなしの透明ピアス、その表面をなぞるように指先が動いて、耳たぶごとそっとつまむような動作。


 俺はただ、ぼうっと宗像を見上げていた。宗像は俺を見下ろしてはいたが、その瞳にたぶん、俺はほとんど映っていなかった。不自然なほど淡々とした、静かな瞳。


 指先に、ゆっくりと力がこもる。じりじりと、ほとんどわからないほどの速度で、ピアスをつまんだ指が動く。耳と反対の、外側へと。


 宗像は、じいっと俺を見下ろしたまま、淡々と、一定の速度で、ピアスを引いた。やめる気配も、ためらう様子も、一切なかった。


 ピアスホールが引き痙れる、裂けるようなぴりっ、とした痛み。ぴくっ、と身体が動いて、痛みのためかすかに目元をしかめる。


 ひっ、と喉の奥で、生理的に呼吸が詰まった音。それを聞いた瞬間、宗像の目になにかが宿った。

 色のない、透明で、静かで底のない、深い深い水底みたいな──


(あ──……)

 それを見て、わかった。はっきりした確信が俺を震わせた。


 たぶん宗像はずっと、このピアスを、引きちぎりたいと思っていた。

 あの色のない瞳で見つめられるとき、彼の底にはいつも、その衝動があったのだ。


「むな、かた」


 ひりついた痛みをどんどん増していく耳元の感覚に、ほとんど無意識に彼を呼ぶ。

 その瞬間、はっ、と宗像がまばたきした。彼の瞳に俺の姿が戻ってきて、宗像がほんのかすかに顔を歪める。


 この表情だ、と思った。

 正と負とそれからその中間の、ありとあらゆる感情が一瞬で見え隠れする、あの表情。


 流星が、ふたたび俺の中に落ちてくる。

 音を立て、火花を散らし、燃え落ちるような情動が、俺の内側をこすっていく。


 どくっ、と心臓が動いて、指先が歓びに震えた。宗像のどうしようもない表情、さまざまの感情が見え隠れする瞳、剥き出しの、とてもきれいな、生きたなにか。開いたドア。


 その内側をくっきりと覗き見て、ああそうか、と思った。

 どこか深いところがじいんと震えて、確信に胸の底がさざめいた。


 宗像は、ぎりぎりの縁みたいなところに立っていて、落ちるのをじっとこらえている。

 縁の縁、そのいちばん危うい端っこで、必死で耐えている宗像がぐらりと揺れるその瞬間が、きっと今なんだ。


(そうか、宗像のドアの向こうは、……こんな風になってるんだ)


 不思議な充足があった。

 陶酔に似た感覚が、一瞬がまだ続いている。


 じりじりとピアスを引っ張られて、痛みはますます明確になる。宗像はあの表情を、世界中でいちばん無防備で危うい目をしたまま、それでもピアスから指を離さない。


 熱でリミッターのゆるんだ頭で、震えるほどのリアルを感じた。生きているという実感が全身をしびれさせて、俺のいちばん底で眠っていたものが熱を持つ。


 ぴっ、と耳の皮膚が、かすかに裂ける気配があった。痛かった。

 痛みはリアルだ。曖昧で、半透明で、ぼんやりとした嘘みたいな現実の中で、この感覚だけは本当だ。


 うっとりと口を開いた。言葉が、勝手にこぼれだす。


「……それ、もっとしてほしい……」

「は──」


 宗像が、びくっ、と全身を強張らせた。

 まるで熱いものを触ったみたいに、弾かれるように手が離れる。


 宗像はものすごい顔をして、さっきまでピアスを千切ろうとしていた手を、反対のそれできつく握った。戒めのようだと思った。


(そんなこと、しなくて、いいのに)


 耳元が、余韻でじんと痛んでいる。とんでもない多幸感。

 目の前にさらけ出された宗像の、なにかとても美しいもの。

 それを見た時に感じる、しびれるようなあの情動。

 生きている実感、圧倒的なリアル、半透明な世界を塗り替える、本当の、なまの、生きた〝なにか〟。


 どうしようもなく、満足してしまいそうになる。

 耳のあたりがじわっとした感じがあって、たぶん血がにじんだんだろうと思った。いいな、と思った。


 目の前で、宗像が呆然と俺を見下ろしている。その表情にさっきまでの静けさは見て取れない。残念だな、と思って俺は、長い息をふーっと吐いた。ふわふわした多幸感に目を閉じる。


 それきり、俺の意識は引きずり込まれるように眠りへ落ちていった。

 水の底、打ち込んだ錨よりもっとずっと圧倒的なものが、ずぶずぶと沈んでいった気がした。



 

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