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「次はここですか、これも定番と言えば定番の場所ですね」
俺たちが次に訪れたのは美術室。俺たちが普段学園生活を送っている本校舎にも美術室はあるが、近代的な校舎と古い木造校舎の違いだろうか、ここの美術室の方が美術部らしいイメージがあるな。
部屋の中は少し乱雑だ、絵を描くためのキャンバスを立てかける木の支柱(イーゼルと言うらしい)が埃除けの布をかけられた状態で窓際にいくつもに置かれている。
デッサン用だろうか? 壁際に並んだ胸像の無機質な視線がこちらを向いているようで中に入るのが躊躇われる。
しかし桐花は迷いのない足取りで部屋の中へとツカツカと入っていく。おいおいマジかコイツ、この女に恐怖心というものは無いのだろうか?
「それで、この美術部の七不思議はなんですか?」
リポーター役を意識しているのか、桐花はややカメラ目線になりながらも神楽坂先輩に話を振る。
しかし神楽坂先輩は落ち着き払った様子で桐花をなだめる。
「急かさないで桐花さん、ちょっと準備しなきゃいけないの」
「準備?」
「そうよ。吉岡くん、ちょっと手伝ってくれる?」
そう言って先輩は手招きをしてくる。
なんだなんだ? ご指名か?
先輩に連れられ向かったのは美術部の部屋の一角、そこには扉があった。
「ん? なんでこんな所に扉が?」
廊下につながる扉ではない。内開きのその扉はそのまま隣の部屋につながっているようだった。
「ここは美術倉庫に繋がってるわ、使われなくなった隣の部屋をぶち抜いて扉をつけて出入りをしやすくしたものよ」
「そりゃまた……豪快な」
普通に廊下に出て隣の部屋に行っても対して手間は変わらないだろうに。
「それで、何をすりゃあ良いんですか?」
「この倉庫の中からイスを取ってきて欲しいのよ」
「イス?」
神楽坂先輩は扉を開け美術倉庫の電気をつける。
中は美術室よりも多くのもので溢れていた。かつて美術室で描かれたであろう、大量のキャンパスが棚を埋め尽くしている。
使われなくなって久しいはずだが、カビ臭い空気の中にわずかに絵具の匂いが漂っている。
そんな倉庫を歩き進むと、不自然なくらポカリと開いた空間あった。
その中心には俺の腰ぐらいの高さの物が布がかけられた状態で鎮座していた。
「イスってこれか」
布を取り払えばそこにはアンティークな小洒落たイスがあった。
木でできたイスは古く、体重を支えられるのか不安になるほどその四脚は細い。
「これで良いんすか?」
「ええ、持ってきてくれるかしら?」
何に使うのだろうか?
疑問に思いながらも神楽坂先輩の指示に従う。
「お、重!」
持ち上げてみると予想以上にズシリとくる感覚に驚く。思っていたよりもしっかりとした作りをしているのかもしれない。
「よ、おっとっと、よいせっと」
こういったイスは持ちづらくて仕方ない、その上狭い倉庫の中をイスを抱えて移動するのは大変だ。棚にぶつからないように気を張って運び出す。
取り出したイスを美術室の床に置き、神楽坂先輩に尋ねる。
「それで、このイスがどうしたんすか?」
「それは七不思議その3、座ってはいけない呪われたイスよ」
「天にまします我らの父よっ!!!」
「あっ、吉岡さん西洋系もいけるんですね」
心の中で全力で神に祈りを捧げる。
「何考えてんすか! 俺バッチリ触っちまいましたよ!!」
不意打ちにもほどがある! 呪われる!? 俺呪われちゃうの! ああ我が主よ……!!
「まだ大丈夫よ、これは“座ったら”呪われると言われているイスだから」
「だからってんなモン運ばせないでくださいよ!!」
しかし俺の全力の抗議は笑顔で受け流される。
クソゥ、なんて色っぽい微笑みだ! 許しちゃう!!
「……そろそろ七不思議について教えてくれませんか?」
一連のやり取りを見てウンザリしたように桐花は話をするように促す。
「このイスはかつて美術部の顧問だった先生がデッサン用に質屋で買ってきたもので、誰が作ったものなのか、どこで作られたものなのかも一切不明の代物よ」
「イスに関する怪談話だと、殺人鬼が愛用していたイスとか、非業のデザイナーが死の間際に作り上げた最期の作品と言った話が定番ですが、そういったバックボーンは無いんですか?」
「フフっ、もしかしたら知らないだけでそういった“いわく”もあるかも知れないわね。でも今回の七不思議には関係ないわ」
「ではなぜ呪われていると?」
桐花の問いを受けミステリアスな笑みを浮かべながら、そのイスの背もたれに手を這わせる。
……当たり前のように触ってるけど、本当にどんだけ肝が座ってるんだ。
「さっきも言ったとおり、このイスは美術部の絵の練習用に買われた物。買われて数年は何事もなく美術部に置かれて、新入部員の課題の一つとしてずっと描き続けられていたらしいわ。……でもある年に事件が起きたの」
「事件?」
「その年も新入部員にこのイスを描くように課題が出されたわ。合格を言い渡されるまで何度も書き直しが命じられる結構厳しい物だったそうよ。でも時間と共にみんな上達していき、1人また1人と合格をもらっていった。……でもその中の1人、ある男子生徒はどうしても合格がもらえなかった。もちろんサボっていたわじゃない、彼は誰よりも熱心に絵の練習に励んでいたわ」
その男子生徒を思っているのだろうか、神楽坂先輩は情感たっぷりにイスを見つめる。
「もともと不器用で1人で抱え込む性格だった彼は次第に思いつめ、1人遅くまで残ってデッサンを続けるようになっていった。毎日毎日、来る日も来る日もそのイスを描き続けていた。……そして、周りのみんなが気づいた時には、彼はすでにおかしくなっていた」
そこで一拍置く。
怖い話は苦手な俺でも思わず聞き入ってしまうほど神楽坂先輩の語り口は巧妙で、思わず聞き入ってしまう。
「彼がそのイスにかける思いは、もはや執念と呼べるものに変わってしまっていた。目を血貼らせ、鉛筆を握りすぎたせいで手の皮がむけて血だらけになった状態でもなお、一心不乱にそのイスを描き続ける彼は明らかに異常だった。顧問の先生もさすがにまずいと思って止めたわ、“もう合格だ! これ以上はいい!”……でも彼は止まらなかった」
俺も桐花も無言だった。緊張した面持ちで話の続きを待つ。
「……そしてある時、絵を描き続ける彼を妨害するように部員の1人そのイスに座ったの。彼をからかうためか、あるいは友人を止めようとしたのかもしれないわ。でもその行為に、男子生徒は激昂した」
「ど、どうなったんですか?」
「惨劇よ。美術部にある物を片っ端から手に持っての大暴れ。“そのイスに座るな! そのイスに座るな!!” そう叫びながら何度も殴打を繰り返したそうよ。近くにあるキャンバスが真紅に染まるほどね」
こ、この部屋で暴力事件だって!? 思わず周りを見渡してしまう、あるはずのない血の跡が見えた気がした。
「男子生徒はそまま学校を自主退学、その後の動向はわからないまま。そして残されたこのイスには男子生徒の執念が宿り続け、座った人物に不幸をもたらすそうよ」
神楽坂先輩の話はここで終わる。
……なんだろう、幽霊とかのオカルト的な怖さではなく、リアルな人間の狂気が感じられる話だった。
語り終えた神楽坂先輩は、さて……、と呟き俺の方を見た。
「じゃあ、検証のために吉岡くんに座ってもらいましょうか」
「何考えてんだアンタっ!!!」
今不幸をもたらすって話をしたばっかじゃねえか!
「だってこの企画は七不思議の検証よ? 座ったら呪われるかどうか確かめる必要があるじゃない」
「だからってなんで俺なんすか!?」
「えっ、まさか私か桐花さん、女の子を座らせる気?」
「い、いやそういうわけじゃ……そう! 百目鬼先輩! 男の百目鬼先輩でいいじゃないっすか!」
「ぼ、僕はカメラマンだから……」
クソっ! ズリいぞ!
「頑張ってください吉岡さん。男を見せる時ですよ」
「簡単に言うな! 呪われたり取り憑かれたりしたらどうするつもりだ!?」
「そこは、まあ、主の加護が」
「そこまで万能な物じゃねえよ!」
全力で拒否するが、みんな俺のことを期待のこもった目で見つめてくる。
「応援してるわ」
「こ、幸運を祈る」
「ファイトです! 吉岡さん」
ぐ、ぐぐぐっ! チクショウめ!!
「いいか! 本当に呪われたら、俺がお前たちを呪ってやるからな!?」
意を決してイスに座る覚悟を決める。ゆっくり、身長に腰を下ろしていく。そして……
「ほ、ほら座った、完全に座ったぞ!」
イスに完全に体重をかける形で座り込む。
「うーん、特に何も起きませんね?」
「で、デタラメだったんだよ! 座っただけで不幸をもたらされるなんて、そんな事ある訳ねえ!」
「チェっ、面白くない……」
「お前今舌打ちしやがったな!? そんなに俺のことが『ギシリっ』……ん?」
妙な音が聞こえたと思った直後、イスの脚が折れてそのまま尻を乗せていた部分が地面に落ちた。
「いっ痛アアアアア!!」
あまりの痛みに悶絶する。体重を全て預けていたため、尻を打ち付けた痛みよりも腰にきた衝撃がヤバイ。
「おっふ……おうっっっっふ……!」
「うわー、痛そう。大丈夫ですか吉岡さん?」
「おまえ、これが……! おうっふ……」
ダメだ、まともに文句も言えない。
「こ、ここ。あ、脚の木が腐ってる」
「なるほど、それで壊れたと。これがイスによってもたらされた不幸かしら?」
「えー、ちょっと地味じゃないですか?」
お前ら絶対に呪ってやるからな!!
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……どうか、どうか




