ある部下の一ヶ月後 〜錯乱と怒り顔はご褒美〜
グレン隊長だった美少女と、その父親であるロイヴァー公爵の会話は不毛だった。
別に盗み聞きするつもりはなかったが、テーブルマナーと言うものを学んでいる横でやらかしているから、ファザルの耳に入ってしまう。
バカだ。
この親子は、本気でバカだ。
隊長がほんのりバカだと言う事は知っていたが、まさか公爵閣下までバカだったとは思わなかった。
どうしてこの家系の男どもは、薄毛に固執しているのだろう。
すっきり剃り上げてしまえばいいじゃないか。
それが嫌なら、有り余る財力に物を言わせて精巧なカツラをつくればいいだけだ。
そもそもの話として、あんたらの頭髪の事なんて誰も気にしてねぇよ。
自意識過剰だよ。
わざわざ指差して笑ってくる連中なんて、ただの負け犬の遠吠えだってわかるだろ。なのに、なぜそこだけバカになるんだ?
賢明にも沈黙を守りながら、庶民出身のファザルはうんざりとため息を噛み殺した。
それでも、髪をかき乱して唸っている美少女は至高だ。
長いスカートの中に入り込みたい衝動と戦っていると、男たちの会話を少し離れたところから黙って見ていた公爵夫人がすっと歩み寄ってきた。
ずいぶんと真剣な顔をしている。
マナーの先生の説明を右から左へと聞き流しながら見ていると、元息子、現娘の耳元でそっと囁いた。
「ねえ、グレン。あなたはご存知かしら?」
「……何でしょうか」
「女って、妊娠中や出産後はお胸が大きくなるのよ」
「…………へー、そうなんですか」
女神サマ、もといグレン隊長は気のない相槌を打った。
そんなこと、今はどうでもいい。
おそらく、上官殿はそう言いたいはずだ。
しかし相手は母上だ。
だからグレン隊長は麗しく微笑んでいる。もちろんファザルの目はだまされない。誠意のかけらもないくせに、社交的笑顔の完璧さはさすが公爵閣下のご子息だ。
バカだが。
「あなたのイケメンなお婿さん……じゃなくて副隊長さんは、お胸が大きい女性は好みではないのでしょう? 妻の妊娠中に浮気するなんてよくあることだけれど、大丈夫かしら?」
「あー……何が大丈夫か知りませんが、奴が貧乳原理主義者なのは確かです。……いや、待てよ?」
貧乳の女神サマは何か真剣に考えこみ始めた。
どうせロクでもない事だろう。
それでもやっぱり可愛い。貧乳は正義だ。
マナーの先生の見本を真似てお茶を飲みながら、ファザルの視線は上官に釘付けだった。
だから、グレン・ロイヴァーと言う名の美少女が意を決したようにこちらを見た瞬間も目撃した。
「……うん、あの気の強そうな目は最高だな」
「おい、ファザル!」
「指と指の間を舐め回していいですか?」
「はぁっ? そんなに死にたいのか! そんな事より、俺と子作りしよう!」
「えっ?」
「来月か? 来週か? もういっそ今夜を仮祝言にしてもいいぞ!」
「……何だろう、このあからさまな罠は。いや、罠でもヤレるなら本望ですけどね。……と思ったが、やはりやめましょう」
「何でだよ!」
どういう企みかは不明だが、思い通りに行かずグレン隊長はどうやらイラついているらしい。
手元で崩れやすい焼き菓子と格闘していたファザルは、これ幸いと菓子を押しのけた。
ついでに、すすっと椅子を美少女の横に寄せて、馴れ馴れしく細い手を取った。
「おい、手を離せ!」
「すぐに子作りなんてとんでもない。せっかくの貧乳処女な女神サマなんだから、処女のうちに堪能しないとバチが当たります。そうだな、最低一ヶ月は毎晩失神するまで舐め尽くす。そうしないと、もったいないオバケに殺される」
「……その前に死ね。一度と言わず二度三度は死ね。もったいないオバケの前に、俺が殺してやろう!」
「どちらかといえば俺は、もうダメ死んじゃう!って女の子を泣かせる方が好きです」
「変態めっ! さっさと俺を孕ませて、腹ボテ巨乳化した姿に幻滅しやがれっ!」
……なるほど。
それを狙っていたのかよ。
バカだな。
本気でバカだな。
期間限定なら、巨乳を愛でるくらいの度量はあるぞ。
ファザルはにっこりと笑った。
縦にも横にも縮んだ華奢な美少女の頭を何度も撫で、少しだけ欲望に正直になった。
つまり、可愛い耳たぶをペロペロした。
当然の結果として。
グレン・ロイヴァー隊長は怒り狂った。
とは言え、ファザルは最下層の使い捨て傭兵から成り上がった稀代の男だ。
女体化して貧乳美少女になったグレンが勝てるはずもない。
しかし股間を蹴り上げた一撃は極めて有効で、床にうずくまった混血イケメンはしばらく悶絶した。
……悶絶しながら、蒼白な顔でにやけていたのは秘密である。