十章
いつの間にか夏の気配もほとんど消え、街路樹のイチョウも黄色く色付き始めていた。
八葉商事の中村とばったり出会ったのは、早めに午前中の外回りを終え、定食屋に入った時だった。
高田は注文を済ませると、中村と同じテーブルに向かい合って座った。
「お久しぶりですね、中村さん」
「お久しぶりです。確か、一緒に占いへ行った時以来ですよね」
「ええ。ここ最近は忙しかったからか、すごく昔のような気がしますよ」
高田はネクタイを緩めると、水を一気に飲んだ。乾燥した喉が心地よく潤される。
「凄いですもんね、高田さんの功績。会社を立て直した上に、あの日輪照明さんの引き抜きも断ったって。私の会社でも知らない人が居ないくらいですよ」
「ははは。よく言われるけど、会社を立て直したっていうのは大げさですよ。全員の力があってこそだから……」
「でも、日輪照明さんからのお話を、その場で断ったっていうのは本当なんですよね?」
「ああ、それは……まあ、ね。大企業は、なんだか合わない気がして」
「それだって中々出来ることじゃありませんよ。もし私だったら…………ま、まあ、そんな事有り得ないでしょうけど……でも羨ましいですよ」
「何がですか?」
運ばれてきたカツ丼を頬張りながら、高田は訊ねる。
「いや……高田さんみたいに信念を持った人が居たら、会社の皆さんも心強いんだろうなって 」
「ははっ。そんな信念だなんて……。ああ、それに、今の自分があるのは、中村さんのおかげでもあるんですよ」
「私の?」
中村はサバミソ定食の箸を止め、心当たりがないという風に首を捻った。
「はい。ほら、あの時、ここで占いに誘ってくれたじゃないですか。あの出来事が無かったら、ここまで変われなかったと思いますから」
「占い、効果あったんですか?」
「んー……効果というか、きっかけになったのは間違いないかなと」
転機は中村と別れた後にあったわけだが、高田はそれを口にはしなかった。
「そうなんですか。それなら私としても嬉しい限りです。でも、少し頑張りすぎでは? 以前会ったときと比べて、かなりお痩せになりましたよね?」
「そうですね……あの時からだと、もう十二キロ以上は落ちたかな?」
「そんなに!」
「いやいや。もともと肥満体系でしたからね。それだけ余分な物が沢山ついていたって事なんですよ」
「でも……やっぱり無理し過ぎだと思いますよ。食事は三食ちゃんと摂っていますか?」
「朝はコーヒーだけで、昼はここですね。最近は忙しくて食べない時もありますが」
「晩御飯は?」
「ほとんどカップ麺かコンビニ弁当です。疲れてそのまま寝ちゃうときもあるけど」
「じゃあ、一日何も食べない事も?」
「ええ、まあ。たまに」
そこに嘘はなかったが、ドリームキャンディ購入のために節約も兼ねて、食事量を減らしていたという側面があったことは否めなかった。
「それは絶対ダメですよ。食事はバランスを考えつつ、三食ちゃんと摂らないと。身体がもちませんよ」
「いやあ、分かってはいるんですがね。中々……。それに俺の場合、疲れは眠れば吹っ飛びますから。大丈夫ですよ」
「でも、睡眠だけでは…………あっ、じゃあ良かったら今度……」
「ああ、すいません、もう行かなきゃだ」
腕時計に目をやった高田は、急いでご飯を口に詰め込むと、味噌汁で流し込んだ。
「それではお先に。中村さんは、ごゆっくり」
席を立つと、高田は会計を済ませて店を出た。
そして今日も、高田は遅くまで残業をこなしてから会社を出ていた。
この疲れがまたいい夢を見させてくれる。そう思うと、ヘトヘトなはずなのにスキップでもしたくなるほどだった。
会社は軌道に乗り、仲間たちからの信頼も得て、肥満体系も解消された。毎日が充実し、全てが順調に廻っているように思えた。
それを見るまでは……。
途中でコンビニに寄った時、夕飯を買うついでに、夢で過ごす新しい女性でも探そうかと雑誌コーナーに目を向けたのがいけなかった。
『美人アナ、宮倉彩夏。熱愛発覚! 自宅お持ち帰りデート! お相手はプロ野球、小野寺正孝!』
ある週刊誌の表紙に大きく書かれていたその文字列に、高田は目を疑った。
雑誌を手に取ってページを捲ると、そこには、夜道を二人の男女が、手を繋ぎながら歩く後ろ姿の写真が掲載されていた。これだけではよく分からないと思ったが、更に別の写真では、高級マンションの明かりに照らされる二人の横顔がはっきりと映っていた。
それは確かに、あの宮倉彩夏に間違いなかった。
「そんな……なんで……」
意識こそしてなかったが、これまで高田は、夢で過ごす相手として宮倉を一番多く選んできた。宮倉彩夏は高田にとって、最も愛していた女性だったのだ。
それが自分以外の男と? 信じられなかった。あんなにも自分の事を好いていてくれたのに……。
もちろん、高田が宮倉と共に過ごした日々は現実ではなく、あくまで夢の中の出来事だ。しかしそうは言っても、発覚した熱愛の事実は、高田の心に大きなショックを与えるものだった。
急激な虚無感に襲われ、立っていられなくなる。床に落ちた週刊誌が、乾いた音をたてて、むなしく広がった。
その後、店員に声を掛けられて、なんとか我を取り戻した高田だったが、さすがに歩いて帰る力はなく、タクシーを使った。
帰宅して部屋に入ると、着替えることもせずにドリームキャンディを口に入れ、ベッドに潜り込んだ。
その日、高田は夢の中で宮倉と過ごした。今までに無いくらい、その身体を強く抱きしめ、温もりを何度も確かめた。こんなリアルな感覚が、夢の中だけの出来事なはずはない。そんなふうに思った――。




