↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空想殺人  作者: 大窟凱人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/4

選択肢3 目撃者

 楢崎省吾は、吉岡から届いたメッセージに返信した。


『明日はちょっと用事がある。また今度にしてくれ』


 すぐに返事が来た。


『了解です! また誘いますね』


 吉岡は明日の昼休み、いつもの交差点を渡るだろう。

 そこで車にはねられて死ぬ。

 無論、楢崎が勝手に想像したことだ。部長が空想どおりに階段から転落死したのも、偶然に決まっている。

 だが、もし吉岡まで空想どおりに死んだら。

 楢崎はしばらく考えた末、明日の昼休みに交差点へ行くことにした。

 自分の目で確かめればいい。

 何も起きなければ、それで終わりだ。もう二度と、馬鹿げた空想などしなければいい。

 ただ、一つだけ気になることがあった。

 本当に事故が起きた場合、自分はどうするのだろう。


     *


 翌朝、吉岡はいつもどおり出社してきた。


「楢崎さん、おはようございます。昨日は遅くまですみません」


「ああ、おはよう」


「今度こそ飯、おごらせてくださいね」


 吉岡は笑って自分の席へ向かった。

 楢崎はその背中を見送った。

 空想の中では、あの身体が車にはねられ、路面に叩きつけられる。頭の下に血が広がり、救急隊員が心臓マッサージを始める。

 吉岡は何も知らない。

 知らないまま、今日もいつものように仕事をしている。

 昼休みが近づくと、楢崎は落ち着かなくなった。


 十一時五十分。

 吉岡は机に向かって書類を整理していた。

 今ならまだ警告できる。

 今日はあの交差点を通らない方がいい。そう一言伝えるだけで済む。

 しかし、それでは何も確かめられない。

 楢崎は立ち上がった。


「ちょっと出てくる」


「昼飯ですか?」


「ああ」


「じゃあ、一緒に行きましょうか」


「いや、先に済ませたい用事があるんだ」


 吉岡は頷き、再び書類に目を落とした。

 楢崎は会社を出た。


     *


 交差点は、会社から歩いて二分ほどの場所にあった。

 片側二車線の道路に横断歩道が設けられ、向かいには吉岡がいつも利用しているコンビニがある。

 楢崎は道路を渡り、コンビニの前に立った。

 ここなら会社の出入口も、横断歩道もよく見える。

 腕時計は十二時を少し過ぎていた。

 車は絶え間なく行き交っている。

 信号が青になるたび、会社員や学生が横断歩道を渡っていく。誰もが自分の用事に気を取られ、車にはねられるかもしれないなどとは考えていない。

 楢崎は吉岡の姿を探した。

 もし本当に事故が起きたら、助けなければならない。

 だが、空想が現実になる瞬間を見届けたい気持ちもあった。

 自分には人を殺せる力があるのか。

 あの部長は、偶然死んだだけなのか。

 それを確かめるために、わざわざここまで来たのだ。


 十二時十分。

 会社の出入口から吉岡が現れた。

 信号が変わるのを待ち、横断歩道を渡ってコンビニに入っていく。

 楢崎は少し離れた歩道で待った。

 数分後、白い買い物袋を提げた吉岡が店から出てきた。会社へ戻る横断歩道の前で立ち止まる。

 まだ、楢崎には気づいていない。

 楢崎は道路を見た。

 車はいつもどおり走っている。速度を落として交差点を曲がる車もあれば、直進していく車もある。

 どこにも異常はなかった。

 やはり、何も起こらないのだ。

 楢崎は安心した。

 そのとき、歩行者用信号が青に変わった。

 吉岡が歩き始める。

 楢崎は、なぜか足を動かせなかった。

 空想の中では、このあと車が突っ込んでくる。

 そして吉岡が死ぬ。

 あと数秒。

 それさえ過ぎれば、すべてが偶然だったと証明できる。

 吉岡が横断歩道の中央に差しかかった。

 そのとき、吉岡がこちらに気づいた。


「あれ、楢崎さん!」


 笑顔で手を上げる。

 楢崎も反射的に手を上げかけた。

 直後、交差点へ進入してくる車が目に入った。

 速度を落とす気配がない。

 曲がろうとしているのか、直進するつもりなのか、一瞬判断できなかった。

 吉岡はまだ楢崎を見ていた。

 危ない。

 そう思った。

 しかし、楢崎は声を出さなかった。

 車が近づいてくる。

 吉岡が振り向く。

 空想した光景と同じだった。

 その一致に、楢崎は息を呑んだ。

 次の瞬間、タイヤの擦れる甲高い音が響いた。

 楢崎は走り出していた。


「吉岡!」


 横断歩道へ飛び込み、吉岡の身体を突き飛ばした。

 手のひらに背中の感触が残った。

 部長を階段から突き落とした空想のときと、よく似ていた。

 吉岡の身体が前方へ倒れる。

 楢崎はその行方を確かめる間もなく、横から突き上げられるような衝撃を受けた。

 地面が消えた。

 視界の端で、信号機がひっくり返った。

 何かが砕ける音がした。

 それが車の音なのか、自分の身体の音なのかは分からなかった。


     *


 楢崎が目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。

 最初に見えたのは白い天井だった。

 次に、右手に巻かれた包帯。

 身体を動かそうとすると、腰の奥に鈍い痛みが走った。

 右脚には何の感覚もなかった。

 医師から、事故で脊椎と骨盤に重い損傷を負ったと説明された。

 手術は終わっていたが、脚の麻痺がどこまで回復するかは分からないという。

 吉岡は無事だった。

 転倒した際に肘と膝を擦りむいただけで、大きな怪我はなかったらしい。


「楢崎さん!」


 数日後、吉岡が見舞いに来た。

 顔を見るなり、涙を流した。


「本当に、ありがとうございました」


 楢崎は首を横に振った。


「無事でよかったよ」


「楢崎さんがいなかったら、僕、死んでました」


「そんなことは分からないよ」


「でも、車が来てたのに、全然気づかなくて」


 吉岡は何度も頭を下げた。


「どうして、あそこにいたんですか?」


 楢崎は一瞬、言葉に詰まった。


「たまたまだよ。昼飯を買おうと思って」


「そうだったんですか。本当に運がよかった……」


 吉岡は、楢崎の包帯だらけの身体を見て口をつぐんだ。

 しばらくして、もう一度頭を下げた。


「一生忘れません。楢崎さんは命の恩人です」


 楢崎は笑おうとしたが、うまくいかなかった。

 吉岡は知らない。

 自分が事故を予想していたことも、それを確かめるために交差点へ行ったことも。

 車が近づいてきたとき、すぐには声を出さなかったことも。

 あと数秒、見届けたいと思ってしまったことも。

 楢崎は布団の下の右脚を見た。

 動かそうとしても、足先は少しも動かなかった。


     *


 事故から半年が過ぎた。

 楢崎はまだ車椅子で生活していた。

 リハビリを続けていたが、右脚には十分な力が戻らず、以前のように歩ける見込みは立っていなかった。

 会社にも復帰できなかった。

 吉岡は何度も見舞いに来た。

 仕事の話をしたり、差し入れを持ってきたり、ときには車椅子を押して病院の中庭を散歩したりした。


「楢崎さん、焦らなくていいですよ」


 吉岡はいつもそう言った。


「今度は僕が助ける番ですから」


 楢崎は、そのたびに申し訳なくなった。

 あの日、自分が交差点に行かなければ、吉岡はどうなっていただろう。

 本当に車にはねられ、死んでいたのだろうか。

 それとも、横断歩道の向こうに自分がいなければ、吉岡は立ち止まらず、何事もなく渡り終えていたのだろうか。

 吉岡が自分に気づいて手を上げたことも、あの事故に関係していたのかもしれない。

 空想が事故を引き寄せたのか。

 自分が事故を引き起こしたのか。

 どちらとも判断できなかった。

 ただ一つ、はっきりしていることがある。

 楢崎はもう、事故以前の身体には戻れなかった。


     *


 退院した日の夜、楢崎は自宅の窓から外を眺めていた。

 久しぶりの自室だった。

 以前は何の苦労もなく出入りしていた部屋なのに、今は車椅子を動かすたび、家具の角に気をつけなければならない。

 机も、ベッドも、扉も、すべて以前と同じ場所にある。

 変わったのは自分だけだった。

 楢崎は目を閉じた。

 あの交差点を思い浮かべる。

 青信号で歩き始める吉岡。

 近づいてくる車。

 自分が道路へ飛び出すところは想像しなかった。

 吉岡が車にはねられ、路面に倒れる。救急車が到着し、病院へ運ばれる。

 やがて死亡が確認される。

 空想の中では、すべて最初に思い描いたとおりになった。

 楢崎は目を開けた。

 車椅子の足置きに、動かない右脚が載っていた。

 しばらく見つめてから、もう一度目を閉じた。

 今度は、あの日の自分を思い浮かべる。

 車が近づいてきても、道路へ飛び出さず、その場に立っている。

 吉岡が倒れても、ただ見ている。

 すると不思議なことに、頭の中の自分は事故が終わると何事もなかったように歩き出した。

 楢崎は、その姿が羨ましかった。

 何度も同じ場面を想像した。

 吉岡が死ぬたびに、楢崎は自分の足で歩いて帰った。

 夜が更けても、空想をやめることができなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。