04
取り繕う、暇はなかった。理性よりも先に表情が塗り替わった。
「なるほど、どうりで」
しみじみと訳知り顔をするメレディスに、俺は目が回る思いだ。どうしてそんなに平然としているんだ、こいつは。
初めて顔を合わせたあの日、アイリーンを泣かせたと告げる俺へ向けた殺意は何だったのか。
「そんなに驚くことですかね」
驚くことだろう。お前は自分の抱えている妹への愛について、少々……いやかなり見積もりが甘すぎる。
渋面になる俺を尻目にメレディスの言葉は続く。
「まあ、あの子の泣き顔なんて、私でも数えるほどしか見たことありませんからね。乙女たちの愛らしい笑顔ばかりを見てきたでしょう殿下が、コロッとやられるのも頷けます」
うんうん、そうに違いない。可愛いでしょう、私の妹は。
勝手に訳知り顔で腕を組むメレディスに何と返したものか。思いつかず俺も腕を組む。
「……好き好んで泣かせているわけじゃない」
結局、口を吐いたのは肯定でも否定でもない、ただの言い訳だった。乙女たち云々の件は面倒なので無視する。
泣き顔に惚れた。そこに嘘はないし、だからといって詳細を語ることもしない。けれど、だからといって見たいが為に泣かせるような真似をしている外道だと思われるのはごめんだ。くそ野郎でも泥水野郎でも構わんが、アイリーンには笑顔でいてほしい。
笑っていろ。その為の努力を惜しまない。
覚悟はいまも変わらずある。
「……そんなことは、言われなくてもわかってますよ」
メレディスの返事は、いつになく拗ねた声音だった。
「私は私の妹が世界一の幸せ者でなくなった瞬間に殿下を殺すと決めているんです。頑張ってもらわなくては困りますよ……」
「……」
「はあ……リリーにも同じだけ幸せであってほしいのに。殿下、ちょっと私のこと殴ってくださいません?」
語りかけるというより、ほとんど独り言に近い声量である。酔いでよくわからなくなってきたらしい。こちらを見据える双眸は、うっかりすると黄金が滴りそうなほど溶けている。
「正気ではないな」
「正気じゃいられませんよ」
カサンドラの溺れるほどの情。お前が溺れてどうする。
「さて、もう酒がない。ここらで解散にするぞ」
アイリーンならともかく、酔っぱらったメレディスの介抱などお断りだ。そもそも俺は誰が相手でも男の面倒は見ない。吐こうが泣こうがその辺に放っぽってきた。妻の兄だからといって例外はない。むしろ喜んで捨てる。
「は? 吐いても飲むんでしょう? まだ吐いていませんよ」
「本当に吐く奴があるか。俺の執務室だぞ」
「だからこそ吐くんじゃないですか」
「よし、カサンドラ夫人を連れてきてやろう。無様をさらして幻滅されろ」
「ちょ、それは……! 殴っていいとまで言っているのに、なぜとどめを刺すんですか!? 協力してくださるはずでは!?」
どうして今の態度でまだ協力してもらえると思えるんだ。図々しい。こいつの面の皮は何枚あるんだ。
「うるせえ。アイリーンに会いたくなったんだよ」
「私と酒を酌み交わす機会なんてもうないかもしれませんよ!」
「あって嬉しい機会でもあるまいし」
「この世の地獄みたいな状況でも、互いにボロカス言える機会を重宝しようとは思われないんですか!」
こいつ、俺との酒の席を『この世の地獄』などと思いながら飲んでたのか。ぶっ飛ばすぞ。
「俺は酒がなくともお前のことをボロカスに言うから構わん」
暗にお前は駄目だと言ってみる。酒があったら俺のことをボロカスに言っていい、なんてルールいつ生えた。許可してねえぞ。
「ぐぅ……アイリーンの兄であるのに、なぜ欠片の優しさもわけていただけないのか」
「お前がアイリーンの夫である俺に、欠片の優しさも向けないからだろう」
「嫌いなんですよ」
「気が合うな」
もういいか。アイリーンに会いたい。メレディスが面倒くさい酔い方をしたようだから、面倒なことになる前に距離をとりたい。そのつもりで口実として選んだだけであったのに、口に出したら本当に会いたくなってきた。俺も酔っているのだろう。無遠慮にボトルごと呷るような真似を繰り返したのだから当然だ。
よし、もういいな。
いよいよ面倒になって立ち上がる。いそいそと扉へ向かう俺の背へ、メレディスの声がぶつかった。呂律はもうほとんど回っていない。
「……本当にリリーを呼んでくださるんですか?」
「自分で会いに行け」
「泥水ぅ……」
テーブルに突っ伏して歯軋りするメレディスはもう限界らしく、どろっどろに酩酊している。面倒くさい。
「吐くなよ」
「アイリーン……本当にどこがいいんだこんなの」
こんなの、とか言うな。俺が王太子だってわかってんのか。わかって言ってんだろうな。わかってるから言ってんだよな。忌々しい。
もういい。
何やらぐすぐす泣き出したメレディスを放置して、俺はさっさと部屋を出た。




