03
アイリーン・カサンドラ。
結婚して姓がアレキサンドになってなお、変わらず彼女はカサンドラである。カサンドラの猟犬、その直系の娘。
俺の妻であるのに。俺が心をもらったのに。
拗ねてみても現実は変わらない。
アイリーンはアレキサンド王家に名を連ねる次代の王妃であると同時に、死ぬまでカサンドラの猟犬なのだ。
これだからカサンドラは。
多くの者が、アイリーンの本質を垣間見てはそう嘆く。平和を歩む時代に在って、なおも変わらず戦火の中に身を置くような苛烈さに。恋をしようが愛を知ろうが、変わらない鮮烈さに。
アイリーンだからしかたない。
誰もがそう言って彼女を愛でる。
やっていられない。
俺の妻だぞ。彼女はアイリーン・アレキサンド。訳知り顔でカサンドラなどと呼んでくれるな。
煮える気持ちに酒を注ぐ。
ぐちぐちぐちぐち……。
一目惚れだと?
恋する乙女が口にするような可愛らしい理由であるのに、なぜ殺伐とするのか。素直に惚れていればいいものを。
ぶつぶつぶつぶつ……。
呷ったボトルから何も流れてこないことで、ようやく飲み干したのだと気づいた。忌々しい。それなりの金を払って手に入れた酒だぞ。味わう間もなかった。
「殿下、さすがに恐ろしいので、そろそろ機嫌を直していただけませんか?」
「損ねたのは貴様だ」
「……いいじゃないですか。私が嫉妬でのたうち回るくらい、あの子に愛されているのでしょう?」
俺の機嫌を取るのが下手過ぎる。せめて歯軋りをやめろ。お前の眉間はどうなっているんだ。そんなに寄せたら眉ごとくっつくんじゃないか。
……酒のせいだろう。ちょっと面白い。メレディスの奇妙な顔なんて、張り倒してやりたくなるのが常であるのに。
「まあ、いい。惚れた理由が何であれ、相手が俺であるなら問題ない」
「こだわりますね。聞いてみればよろしいではありませんか。アイリーンの口を割らせるのもお得意でしょう?」
「骨が折れる」
アイリーンがメレディスにどう語っているのかは知らないが、得意と胸を張れるほど容易くできることじゃない。俺の妻は巧みに嘘を吐く頑固者である。へし折るのは本当に骨が折れる。正直、俺に惚れてくれていなければ不可能だ。愛とは偉大だな。
はあ、やれやれ。
中身が残っている酒を探して、いくつかボトルを振る。……そのまま呷っていたせいか、テーブルを埋めるほど集めたにもかかわらず、ほとんど飲み切ってしまった。
安いワインを、残りを惜しんでグラスに注ぐ。いまさら、という気持ちは酒と一緒に喉の奥へ流してしまう。
「アイリーンが殿下のどこを好きで妻を続けているのかはさておくとして、殿下のほうはどうなんですか?」
ちびちびグラスを傾ける俺へ、メレディスがのんびりと問う。すっかり酔っぱらったメレディスの顔は真っ赤で、呂律も怪しい。
「私の可愛い妹に惚れない男はいないでしょうが、それでも一回りも差がある娘です。北ではたいそう鳴らしていらっしゃったようですし、未熟な果実では物足りないという気持ちがあったのでは?」
こいつは俺のことを何だと思っているのだろうか。いや、わかり切っている。くそ野郎だと思っているのだった。俺のことが嫌い過ぎる。
「アイリーンの一目惚れ云々はともかく、殿下のほうも初手から随分と積極的だったそうではありませんか。ちょっとした好奇心ですよ」
そのちょっとした好奇心が俺を殺すのだ。
泣き顔に惚れた、などと拷問されたって教えるものか。メレディスとの決闘禁止。結局あれから解禁されることはなく、今も禁止のままだ。ゆるしてもらえたからと調子に乗ってまた決闘したら、本当に離婚届を取り出しかねない。アイリーンとはそういう女だ。
まあ、結婚に関してかなり抵抗した古狸どもも、離婚とあっては比ではない抵抗を見せるだろうと思っているので多少の余裕はあるのだが。
俺という暴君を御せる。奴らの中で、アイリーンの価値は留まることを知らない。困ったときのアイリーン。いざとなればアイリーンを泣き落として俺に言うことを聞かせよう。そんなことを虎視眈々と企んでいるのだ。狸どもめ。
とはいえ、大人しくしているに越したことはない。
愛を知り、きちんと自分にも分け与えられるようになったアイリーンは、それこそどんな罰を思いつくかわかったものじゃない。その辺の想定はあっさり飛び越えてくるというのが、俺とメレディスの共通認識である。
「何を険しい顔でだんまりなさっているんですか。教えてくださいよ」
誰が言うものか。絶対に教えない。
沈黙をべったり顔に塗る俺を見て、メレディスはきょとんと瞬いた。
「何ですか、その顔。……ああ、泣き顔にでも惚れましたか?」
……はあ?
思わず漏れそうになった声を呑み込むだけで、精一杯だった。




