08
王宮の最東端に位置する屋外演習場はその日、歓声と熱気あふれる灼熱の地と化していた。
北方の騎士団第六班と我が国の第三軍による親善試合。
他国との交流を深める目的も含まれているはずの試合だが、今回ばかりは様子が違った。
第三軍は今朝、これまで共に国境を守り続けて来た戦友を一人、その正義感の強さ故に失った。レーヴェさまを守る為、王宮迷宮に飛び込んだ彼は幾日も彷徨い、そして力尽きた。彼の鎮魂の為、第三軍は勝利を捧げると目の色変えて張り切っている。
対する騎士団第六班は、最愛の妻を囮に使われたと怒り狂うジュリアスさまを筆頭に、総出で殿下をぶちのめすと息巻いている。これにより、殿下は参加を余儀なくされることとなった。とはいえ殿下もここしばらくの間で溜まりに溜まった鬱憤の発散を目的に、八つ当たりする気満々である。
しかしさすがは軍神を信仰する国。詳しいことはわからないけれど、何やら面白い試合が見られるらしい、とあって、観客は王宮中から集まり、そこかしこで早くも賭け事が始まっている。
公務があるはずの文官たちさえしれっと会場に集まっているのだから驚きだ。古狸たちも漏れなく、全員揃って観客席に座っている。
――ワッ、と歓声があがった。
特に白熱しているのは二試合。アスセーナ将軍とお兄さまの試合と、殿下とジュリアスさまの試合だ。
なぜか参加しているお兄さまは開始直前まで将軍と睨み合い、事前に予定されていた対戦相手を二秒で伸して勝手に剣をとってしまった。審判は泣いていたものの、心臓に悪いと制止する医官たちを蹴散らして観戦している陛下が許可を出したのでまかり通っている。死人さえ出さなければ好きにせよ、との仰せだ。
「アイリーンさま、どちらが勝つと思う?」
レーヴェさまが袖を引く。視線を向けると、ジュリアスさまが振り下ろした剣を、殿下が弾いているところだった。
「わたくしが見ている前です。殿下が勝ちますわ」
「すごい自信、どこから来るのかしら」
ふふ、と顔を見合わせて笑い合う。
謝ろうと会いに行って……ごめんなさい、と先に頭を下げたレーヴェさまは泣いていた。わかっていたことだ。協力者の存在がバレれば、侍女が毒を渡したと知れば、レーヴェさまは自分を責める。けれど事前に防がなかった以上、非は全てわたくしが負うべきだ。そう伝えてもレーヴェさまの涙が止まらないから、今回のことはおあいこにした。
おあいこだから、一度お互いに謝ったらそれでお終いにしましょう。旦那さまの悪口大会なんて、レーヴェさまとしかできませんわ。
そう言ったわたくしを見て、泣き笑いのようになった顔を見て、レーヴェさまはやっと笑ってくれた。
「でも、私の旦那さまは強いわよ」
「ダメです。わたくしの旦那さまが勝ちます」
ムッと顔を見合わせ、試合の行く末を見守るべく視線を戻す。
殿下とジュリアスさまは歓声に掻き消され何を言っているのかはっきりわからないが、何やらずっと怒鳴り合っているように見える。
剣による一撃は重く、空振ってなお風圧で相手を打つ。フェイントもなく、ただ鍔迫り合うだけのガチンコ勝負。しかし常人では一撃すら受け止められないだろう激しさと、熱があった。
「……なんか、喧嘩してるみたいね」
「剣で殴り合ってますわ」
まさに子どもの喧嘩のような試合だった。
――ひときわ大きな歓声で会場が湧く。殿下の一撃が、受け止めたジュリアスさまの体をそのまま地面へ薙ぎ倒した。
「旦那さまったら情けない」
「さすがはわたくしの旦那さま」
誇らしげな顔で笑んだ殿下は、無邪気な子どものようだった。
その後も試合は続き、熱気に飲まれた武官が次々と飛び込みで試合を行い、最後の方は試合というより乱戦のような様相を呈しながらも、みなが晴れやかな顔に笑みを浮かべ幕を閉じた。
◇
試合の後は、宴会だ。
互いの健闘を称え合い、酒を酌み交わし、友好を深める。
飲み比べによるリベンジマッチもあちこちで行われ、ここでも冷めやらぬ熱気が場を満たす。
「殿下、この度は私の妻がお世話になりました」
にっこり笑んだジュリアスさまのこめかみには青筋が立っている。
「世話の焼ける姪だが、奥方は楽しかったようなのでな。多少の我儘は大目に見るさ」
同じく笑んだ殿下のこめかみにも、青筋が立っている。
今回の件に関する報告は侍女までで打ち止めてある。それ以降の件は夫婦の問題、と殿下がものすごく怒った結果、わたくしに関することは一切が秘められた。だから鼠の一件は陛下さえ知らない。
内緒にしてくれる、殿下は約束を守ってくれた。
「次は必ず、勝たせていただきますよ」
「あっはっは! やってみろ」
殿下ったら大人げない。
火花が散りそうな睨み合いを断ち切ったのは、レーヴェさまだった。
「旦那さま! また私を放って、今度は叔父さまにべったりなの? 呆れたこと、もう知りません!」
刃のような怒りが突き刺さり、ジュリアスさまの手からグラスが滑り落ちた。みるみる青褪めレーヴェさまへ駆け寄る。そして、
「レーヴェ! あぁ、私のレーヴェ、お願いだから」
捨てないでぇ、とめそめそ泣きだした。
「あら旦那さま、私のことより第二王子さまの方が好きになったのではなくて? 何日も放っておいても平気だったじゃない」
「誓って、誓ってそんなことはないよ、私のレーヴェ。私だって寂しかったよ、決まっているだろう?」
「あら、私は寂しいなんて言ってません。叔父さまに負けるような情けない旦那さまに放っておかれたって、ちっっっとも寂しくないわ」
ツン、とそっぽを向いてしまったレーヴェさまを見て、ジュリアスさまはわんわん泣き出した。
「先に惚れたのはレーヴェの方ではなかったか?」
「レーヴェさまったら、見事にジュリアスさまを突き落としましたわね」
泣きじゃくるジュリアスさまを慰め、見ているこちらが照れてしまうような笑みを浮かべる。あの笑顔の為ならきっと、ジュリアスさまは底なし沼にだって飛び込むだろう。
「ところで、あなたの兄がさっきからうるさいのだが」
「無視してください」
ジュリアスさまの慟哭を打ち消さんばかりの怒号が響いている。
「あいつ、何をそんなに将軍に突っかかることがある?」
「殿下ったら、そっとして差し上げてください。お兄さまは今、殿方が通る最難関に挑戦中ですわ」
「何だ、それ」
「内緒です」
こればかりは教えるわけにはいかない。お兄さまの誇りを守る為ならば、わたくしは己の口を縫いつけたって構わない。
「また内緒か」
「内緒です」
「ならばしかたない。飲め、アイリーン」
言うなり口元にグラスを押し付ける殿下にびっくりして、とっさに口を開いてしまった。本当に飲ませようとグラスを傾けたことにまたびっくりして、目を白黒させているうちに流し込まれたワインが喉を通過した。
「な、何てこと……殿下!」
「あっはっは! 気にせず飲め、許す」
「無理に飲ませたんではありませんか! もう! 絶対に教えて差し上げません!」
「手強いな」
頭にきて、手当たり次第にグラスを干す。
「もうわたくし酔っ払いました!」
「ははは! 見ればわかる」
頬を撫でる手から逃れるように身を翻し、お兄さまの元へ駆ける。将軍に食ってかかるお兄さまに、ほとんど体当たりするようにぶつかった。
「アイリーン? どうした……酒を飲んだな!?」
「飲みました」
「弱いんだからやめなさい。まったく、殿下はどうした?」
せっかく逃げて来たのに殿下を呼ぼうとするお兄さまにムッとする。
「どうしてわたくしを追い返そうとなさるの! 妹に優しくないお兄さまは嫌いです!」
「なっ……――!? 私を嫌うな命にかかわる!!」
「妹に嫌われた程度で人は死にません!」
「わからないだろう!? 私は死ぬんだから常に愛せ! 私のことは永遠のその先までずっと愛してくれ!!」
情けないほど取り乱すお兄さまが頼りなくて、うっかり口が滑った。
「そんなんだから将軍に駄目って言われるのです!」
「今それは関係ないだろう!!」
「関係大ありですぞ、メレディスさま」
「そうです! 関係あります! 妹離れなさるのでしょう!」
さっさと離れてもらえるように、その為に頑張っているのに。お兄さまには一刻も早く綺麗なお嫁さまを迎えてもらって、幸せになってもらいたいのに。
「そういう嬉しいことを言うな! 泣くぞ!?」
「泣かないでください! 将軍も、お兄さまに意地悪するのはやめてください!」
「わ、私は認めませんぞこんな性悪!!」
「性悪なのは生まれつきです諦めてください」
「アイリーン!?」
もうこの世に将軍の顔を恐れない男などきっといない、絶対にいない。お兄さまを逃したら二度とない。性格が悪いくらいなんだというんだ。
「なんてことをおっしゃるのですか妃殿下! 泣きますよ!?」
「妹に現を抜かして婚期を逃しに逃したお兄さまはもう手遅れなのです! 拾って差し上げてください!」
「アイリーン!?」
「ぐぅ、しかし……」
なんてしぶとい、ちっとも折れない。
「今ならお父さまもついてきます。お兄さまを拾ってくださらないのなら、お父さまとはもう遊ばせて差し上げません!」
「妃殿下!?」
「お父さまはわたくしが大好きなのです。だからわたくしが将軍を嫌いだと嘆けば、お父さまは二度と会ってくれなくなります!!」
「脅しではありませんか!」
脅して事が済むのならいくらだって脅す。
お父さまのことが大好きなのだから、その息子であるお兄さまのことだって大好きになれるはずなのだ。なぜ拒むのか。
「妃殿下、ですから私はあれのことなど好きではないのです。なぜわかってくださらないのか」
「わたくしのお父さまが嫌いな人などおりません! お母さまが愛した殿方ですよ、お母さまを疑いますの!」
「た、確かにグレースさまは慧眼でしたが、それとこれとは……」
ごにょごにょと何やら言い訳を始めた将軍を無視してお兄さまに向き直る。
「お兄さま、お兄さまはなぜそうも人に嫌われるのですか!? あっちでもこっちでも嫌われているではありませんか。もっと人に好かれる努力をなさいませ!」
ふはっ、と。すぐそばで吹き出す殿下の声がした。
「お前、俺に説教できんな」
「やかましいですよ殿下。ややこしくなるので引っ込んでいてください」
「もちろん、アイリーンを回収したらすぐ引っ込むさ」
腰を抱く腕から逃れようと身をよじる。しかし今度は逃がしてくれなかった。
「むぅ、離してくださいませ。これではお兄さまの人生はお先真っ暗です」
「別に構わんだろう、放っとけ。どうせ一生じめじめしてるんだ、こいつは」
「ボロクソ言ってくれますね、この夫婦は」
お兄さまが胸の前で拳を握る。
「決闘は禁止です」
「わかっているともアイリーン。私が妹との約束を破るはずがないだろう? ちょっと喧嘩を吹っかけるだけだよ」
「それなら、良いです」
「うん、アイリーン。何も良くないぞ?」
困り顔でこちらを覗き込む殿下に、ツンとそっぽを向く。
「すっかり拗ねてしまったな。アイリーン、アイリーン?」
「殿下も協力してください。お兄さまをぶっ飛ばして性根を叩き直して、その後は将軍をぶっ飛ばして首を縦に振らせてください。そうしたら、機嫌を直します」
「……ずるいぞ」
お兄さまの愛の為には、しかたない。
「なら、さっさとぶっ飛ばしてしまおう。奥方のご機嫌取りだ」
殿下という支えを失い、わずかにふらつきながらもなんとかしゃんと立つ。
先手必勝、と打ち出された殿下の拳を、お兄さまがすんで避ける。間合いを詰められながらも、受け流し、カウンターで殴りつけ、また避けて。どちらも一歩も譲らない。
頭がふわふわする。殿下の姿もお兄さまの姿も、いつの間にかできた人だかりから湧き上がる歓声も、どこか遠い。瞬きが次第にゆっくりになって。纏わりつく倦怠感が心地良い。
「アイリーン、こちらへ」
そのうち目の前に見慣れない手が差し出された。誰だろう、と。浮かびかけた疑問を塗り潰すほど、名を呼ぶ声が優しかったから、わたくしは何も考えずその手を取った。
◇
「アイリーン」
知らない声なのになぜかがむしゃらに腹が立って、ムッとして目を開ける。
月を溶かし込んだような、まっすぐで艶やかな銀糸の髪。夜を切り取ったような宵闇の瞳は深く、じっとわたくしを見つめている。
「おはよう、ぼくの薔薇姫」
「あなたのものではありませんわ」
返事をしたのは反射に近い。ぴしゃり、と叱りつけるような声が出た。
言ってから、わたくしを見つめる瞳に見覚えがあることに気づいた。すう、と心の芯が凍りつく。
――あぁ、
「……やっと来たのね」
こぼれた言葉に、彼は嬉しそうに目を細め愉快そうに肩を揺らした。
「来たよ。しかも今夜は現にね」
軍神、アゼレウス。
この国の民が信仰し、この土地に住まう、わたくしたちの神様。




