雪華3
三日前まで遡る。
珍しく幸子先生が椿を飲み会に誘って来た。
「椿先生、実は聞いて欲しい事があるんですけど?今日はお時間ありますか?」
「え?あ、はい空いてますけど?どうしたんですか?」
いつも勝ち気な幸子の態度とは違うことに少し違和感を憶えながらも、自分に相談事があると言い出した幸子の言葉を信じる事にした。
「幸子先生、ですが相談事なら私よりも仲の良い明美先生や古藤先生にされた方が…」
「私は椿先生に話があるんです」
ピシャリと言われ、椿は肩を竦めた。
何で、私はここにいるんだろう…?
片手にハイボールの入ったグラスを持たされ、場違いなまでに煌びやかなお店で幸子と二人でグラスを交わしている。
本当は二人ではないが。
ここは幸子の行きつけのお店らしい。店に入ってすぐの壁に何枚もの店員の顔写真が大きく張り出されていて、その中から幸子は店員を選んでいた。
幸子から相談があると言われて来たのに、相談どころかさっきから二人の男達に挟まれてる。
なんなのこの男達。本当に馴れ馴れしいったらありゃしない。私は幸子先生の悩みを聞きたいのにと心の中でぶつくさ文句を言っている。
「ねえ、君、本当にこの髪って染めてないの?」
ついっと指を髪に絡めてくる男の指から銀色に光る髪を引き抜くと出来るだけ逃げるようにソファの角へと座った…はずなのに。
もう片方から大きな手が出て来て、椿の白い手を笑顔で撫で回している。
「あ…あの…私、帰ります」
「え?もう帰るの?もっと飲みなよ」
立ち上がった椿の手を引っ張りソファに戻す男は毛色の変わった猫を見るような目で見ている。
「幸子先生は?」
そうだ。私は幸子先生から相談があるって言われてここに二人で来たのに。なんで気づいたら私だけなの?
不安そうな表情でキョロキョロと幸子を探している椿に、男達はくすくすと笑っている。
何が可笑しいの?
「手を離して!幸子先生はどこ?」
「ああ〜彼女なら化粧室だよ。でもす〜ぐに戻るって言ってたね」
さあ、君も飲みなよと手渡された茶色いドリンクを親の仇のように睨めば、「それはウーロン茶だから」とクスクス笑われてしまった。
それにしても幸子先生遅いな〜と椿はウーロン茶を口に運んで喉に通した。
普段なら、自分の限界と言う物を知っている椿も、ハイボールを一杯飲んで後はウーロン茶を三杯飲んだだけなのに体がさっきからフワフワしてる。
化粧室ならすぐに戻って来るのに、携帯電話の液晶画面に出て来る時刻に目をやるとあれから二十分も経っている事に気づいた椿は席を立った。
「危ないよ〜」
「ねえ、どこ行くの?」
「もっと飲もうよ」
「化粧室に行きたいの」
バッグも持って行こうとすると物質だと笑いながら言われ、奪われたバッグの中には財布から携帯電話までしっかり入っている。
これじゃあ、家に連絡を入れたくてもできないじゃない。
早くここから出ないと…。
それだけを頭にさっさと幸子先生を探し出してこの店から出る事を決意した。
「大丈夫〜?」
いつの間にか馴れ馴れしく人の腰に巻き付くように置かれた手に不快を感じその手をピシャリと叩き払えば、ケラケラと笑われた。
そんな男を置き去りにすると椿は壁伝いに化粧室へと向かって行った。
幸子がいると告げられてた化粧室に行ったが、そこにはガランとしていて誰もいない。
「幸子先生?」
もぬけの殻と言うのはこんな感じだろう。
「う…そ…」
その場で座り込まなかった自分を褒めてやりたい。
「あ〜ごめんねぇ。忘れてたわぁ。君の連れの子から、君の事をよろしく〜って言ってったよ。お会計も君に任せる〜って言ってたよぉ」
ウソだ!
今椿の頭の中で警報がいやと言うほどガンガン鳴り響いている。ついでに赤いランプも点滅しっぱなしだ。
ヤバイ。逃げなきゃ!
ぐにゃりと歪む通路を足早に歩く椿を待ち伏せしていた男から逃げるようにして、急いで自分のバッグがおいてある所まで戻れば、そこには男達が笑顔で自分を待っていた。
「どこ行くの?」
「帰ります!」
「ダメだよ」
《え?なんで?》
「お金払ってもらわなきゃ」
ぐいっと引っ張られる腕に鳥肌が立った。
《あ…そうだった。でも幸子先生は自分の分くらい払っておいてくれたよね。でないとここの飲み代って一体幾らなのかワカラナイじゃない!!》
ぱらりと見せられた金額に椿は頭が真っ白になった。
ナンデスカ、コノキンガク?!
ハイボール一杯とウーロン茶を三杯飲んだ金額にはどう見ても見えない。
なんで、諭吉が何枚も飛んで行く?
丁度、週末に新しいコートを買おうって思ってお金を下ろしていたからセーフだったけど。
幸子先生…自分の飲み代払ってないし。何で、果物盛り合わせなんて自分だけ頼んでいるのよ!それもしっかり自分だけ食べちゃってるし。
領収書とレシートはもちろん貰ったから、絶対に幸子先生から徴収してやる。
許すまじ幸子先生。
そう心に決めた椿はここには長居は無用とばかりに鞄を奪うと出口へと駆け出した。
「おおっと君はココから帰れないんだよ」
「嫌!放して!」
今まで他の客に付いていた男達まで椿の目の前に現れた。
なんなのよ、この人達!!
何度嫌だと言っても、彼らはただにこにこと虫も殺さないような笑顔で椿の動きを封じてく。放してと何度も相手の腕を払いのけて鞄を手にした椿の頭上から低い声が頭に響いた。
《全く躾のなってない猫ですね。毛色だけは一級品でもね》
聞いた事のある声色に助けを呼ぼうと振り向いた瞬間、椿の体が崩れるように落ちた。
《私の旦那様には相応しくないんですよあなたのような方はね》
助けて……さん…。
薄れ行く意識の中で助けを呼んだ。
それは決して聞こえない声。
あれは誰?
何処かで聞いた声だったはず。
冷たい声…。
どこで?
深い谷底に落ちるように椿の意識は闇へと落ちて行った。




