運動会のその後は
あんなに憂鬱だった運動会は一応無事に終わり、先生達と役員達と一緒に後片付けをし始めた。
「終わった!!」
「お疲れさまです」
私達教師にとってここからが第二幕。
なんせ、運動会と言う一大イベントってことで、大人も子供も気分は既にハイテンション! たまにいらっしゃるんですよね。保護者の方でいきなり園庭でバーベキューされちゃうって人。
あれは困ります。
まあ、今年はそんな強者保護者はいませんでしたが、去年はいました。
注意しても楽しいから良いじゃんみたいに言い返され、今日は子供達が主役の日で子供達が走り回っているさなかにバーベキューをしないで下さいと眉を吊り上げた椿から注意され、渋々バーベキューの道具を片付けていたけど。
年々、保護者の対応にも幼児化の波が押し寄せているようだわ。
そんな保護者の方達に多少目を光らせながらも、子供達を見送った。
「さようなら」
「先生さようなら」
「はいさようなら」
これで素直にそのまま帰ってくれれば万々歳なんだんだろうけど、そうは問屋が下ろさないのよね。
と言うのも困った事に毎年、運動会などで自分の子供が一位を獲れなかったからと我が子を押しのけて一位になった子供に対して親子で圧力をかけて来る保護者がいるのよ。
だから毎年運動会が終わっても先生達は気を抜く事など出来ない。
それに土曜日を運動会に使った代休で月曜日はお休みになる事はこの月頭の園からのお知らせで各保護者に伝えてあるが、たまに園たよりもろくに目を通さないくせに何で前もって電話連絡で教えてくれないんだと抗議して来る保護者が後を絶たない。
ったく、園たよりを読みなさいよね!
そのため、この聖南十字学院幼稚園では運動会の終了後に必ず連絡網を使って週明けの月曜日は代休だと伝えるようにしている。
一度、それをやらなかった年があったんだけど、何人かの児童が代休のはずの月曜日に幼稚園に来て、親が(代休のことを)知らせてくれなかった。幼稚園側の職務怠慢だと言い出した事があったのよね。
この連絡網にも欠点がある。
最初に教師が各クラスの委員と副に電話をかけて行くんだけど、最後の人が連絡届きましたと言う連絡を教師に返すんだけど、この電話がなかなかこないんだよ。
もう、来年度からはメールにしてほしいわ。
「先生方、もう少しで業務も終了ですから一緒に頑張りましょう」と言う義兄であり園長の一声で電話連絡が始まる。
園長や副園長達はそれぞれ今回お世話になった来賓、企業(チラシ制作、倉庫会社、放送機器は早乙女家長女の会社)地元名士の方々に運動会が無事に終わった事と感謝の電話を入れる。この後、すぐに二人はお礼状制作に取りかかっている。
「バラ組の電話連絡終了しました」
「すみれ組の電話連絡終了しました」
「ひまわり組の電話連絡終了しました」
「たんぽぽ組の電話連絡終了しました」
「椿先生、ゆり組の連絡網は回りましたか?」
「いえ、まだです」
副園長の優しい問いかけも椿には苦痛に感じてしまう。やはり自分はまだ半人前なのだろう。連絡網一つ満足に終わらせられないなんて…。
椿が自己嫌悪に陥っている間も、キリキリと胃が悲鳴をあげている。
あー早く早く!!連絡網を回してよ!!一体誰が止めてるのよ!!
とにかく連絡網が回り終わらない事には、今日の業務終了にはならず、反省会も出来ない。
イライラしている椿を横目に明美先生がしきりに指で机をタップしている。
コツコツコツコツ…。
ピキッ!!
やめてくれ〜!!
もうイライラする。あなたのその爪、折ってしんぜようか?!って言いたいくらいイライラするんだけど。こっちはただでさえ連絡が滞って連絡網の最後の田中さんからの電話がないんだけど。
あ〜イライラする!!
「今夜八時から役員さん達を交えての飲み会なんですよ〜、椿先生の処っていつも連絡網が回るの遅いですよね〜。みんな先生待ちなんですからね」
幸子先生は椿の隣と言うことを良い事に椿にしか聞こえない小声で毒を吐いてくる。
そんなの事くらい分かってるわよ!!
なんで彼女はいつも私に突っかかってくるのよ。そんなに私を目の敵にしなくても良いじゃないの!私が何をしたって言うのよ!
あーそれにしてもまだ連絡網が戻って来ないの? 早くしてよ〜!!
一応みんな何も言わないけど、無言の圧力って一番キツいんだけど〜。ああ!!早く電話を回してよ!!
そんな事をを心の中で叫びながらも電話を待っている椿の顔は終始笑顔である。
常日頃から椿は保護者や子供達からは『とても優しい笑顔の椿先生』と言われている。
そんな椿だが彼女の腹の中では呪詛を唱えるように「早く来い早く来い、電話よ早く来い!」と言うおどろおどろした声が響いているなんて誰も知らない。
「ねえまだなのかしらね?椿先生の処だけですよ」
まだ良い足りないのか小声で毒を刺して来る幸子先生に大しては頭の中で彼女をボコってた。
だがここで幸子がやっている事を指摘しても構わないが、それは自分の不甲斐なさを浮き彫りにしている事になると自覚した椿は園長に反省会を先に済ませる事を提示した。
園長も壁にかかっている時計に目をやると小さくため息を吐きながらも「そうしましょうか。では本日の反省会を始めます」と自分から他の職員達の目を反らしてくれた。
反省会も架橋に入った頃、漸く椿のデスクの電話が鳴り響いた。
「はい。お待たせいたしました聖南十字学院幼稚園の早乙女でございます」
「はい、はい、では失礼いたします」
「すみません、ゆり組電話連絡終了いたしました」
漸く最後の電話連絡が終わり、職員室に先生達の安堵に漏らすため息が木霊した。
だが、今年はどうやら無事に夜を迎えそうだわ。
「明美先生…お昼はお騒がせいたしました」
「え? ああ。いいえ…」
一瞬だけ哀しそうに微笑んだ椿はすぐにいつもの完璧な笑みを浮かべると、さっきから心配そうにこっちを見ている臣に目礼をした。
多分、義兄さんも私が明美先生に八つ当たりした事を知っているんだよね…。きっとまた義兄さんに心配かけてしまった。
いつもそうだ。
私はいつもあの優しい瞳に護られて来た。
蘭姉と臣義兄さんは幼なじみでいつも私を護ってくれる人達で。昔から私は何かと目立ちたくないのに、この派手な髪と瞳のせいで学校でも友達の間でも浮いていた。
小学校の高学年の時なんて最悪だった。
中学生のちょっと柄の悪いグループのお姉さん達が下校途中の私を待ち構えて、街に連れ出した事があった。
いきなり十人以上の化粧バリバリで眉もないような人達から生意気だと言われ、泣きそうになった。
そのまま彼女達に万引きしろと言われ、雑貨屋に連れて行かれて万引きを強要された。もしここで万引きしたら私はどうなる?
この人達と同じところまで落ちるの?
嫌だ…そんなの嫌だ。
万引きだって立派な泥棒だ。親に連絡だって行く。桜姉ちゃんの事でみんな傷ついている時に、私がこんなことしたら……。
頭を降り続ける私に「早くやれ」と背中を痛いほど小突かれた。
震える手がゆっくりと欲しくもない雑貨に伸ばし始めた時、声が降って来た。
「椿。ダメだよ。負けちゃ」
慌てて椿が後ろを振り向くと、そこに立っていたのは柄の悪いお姉さん達の腕を締め上げてる蘭姉ちゃん。
蘭姉ちゃんは彼女達を店側に突き出すと、「この子達ってどうやら万引きの常習犯だから、警察に連絡入れた方がいいですね」とご丁寧に店員に忠告までして行った。
店員やセキュリティに引きずられるように連れて行かれる彼女達の口から地獄からの叫び声みたいに怒鳴ると、言葉にもできないほどの罵詈雑言の嵐。
ひぇ!!
その時、まだ十二才の私はおしっこ漏らしそうなくらいにビビりまくっていた。
「君たち、ここは君達の遊び場じゃないんだ」
え…この声って…。大人にしては声がまだ幼い。でも変声期特有のハスキーな声のする方に恐る恐る目をやると…。
顔だけは爽やか笑顔を称えた臣ちゃんがいた。
こわい…。
そう臣ちゃんは昔から本当に怒る時は笑顔でこんこんと諭すように叱る。
「ねえ、君達にあれほど椿ちゃんには手を出すなと忠告しておいたはずだよね?なのにどう言うことなのこれは。どうして君達は分からないのかな?」
そう言う分からない子は…臣ちゃんの言葉が終わる前に警察官がやって来て彼女達を署に同行させると言って連れて行った。
後で聞いた話だが、全て臣ちゃんが警察に手を回していたとか。
そんな強い臣ちゃんが一番好きなのは、私じゃなかった。いつも蘭姉ちゃんの事を眩しそうにして見てたもん。
臣ちゃんの片思いが両想いになって、二人は晴れて結婚する。
そんな二人に私はまだ護られている。
もう私も良い年齢なんだから、自立しなきゃとは思いつつも、現実は厳しいのよね。
それから椿が念願の一人暮らしをするようになるのは、もうすぐ。




