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睡蓮ー運命編ー

鳥居から火を持った僧侶がこちらへ向かってくるのが見えた。


剛仁:『……!義徳さん…』


竜太:『知り合い?』


剛仁:『うん…』


おっかない顔をした僧侶は義徳だった。


義徳は、ゆっくりと境内へ足を踏み入れた。

砂利を踏む音だけが静かな夜に響いている。

右手には火が灯された柄杓のような法具。

揺れる炎が義徳の険しい顔を下から照らしている。


その目は鋭い。

怒っている。

だが、人間の顔ではない。

ニンゲンの顔だった。


義徳は三人の前まで来ると、まず剛仁を見た。


義徳:『誰の許しを得て、深夜に家を抜け出したのですか』


静かな声が、境内に重く響いている。


剛仁:『ごめんなさい……』


義徳:『謝れば済む話ではありませんよ』


剛仁:『はい……』


義徳:『今、何時だと思っているんですか』


剛仁:『…………3時』


義徳:『深夜ですよ。子供が一人で出歩いていい時間ではないでしょう』


竜太も言葉を失った。

義徳は二人を交互に見た。


義徳:『親御さんは今、寝ている。あなたたちは、そう思っているでしょう。しかし、我が子が突然、布団に居ないと氣づいた時、どれほど心配するでしょうか』


竜太:『…………』


義徳:『連絡もせず、突然いなくなる。事故に遭ったかもしれない。誘拐されたかもしれない。倒れているかもしれない。家族は、そう考えるものです』


その言葉には現実味があった。

綺麗事ではない。

実際に起こりうる事を、義徳は一つずつ並べていった。


義徳:『夜道は昼間と違い、助けを呼んでも気付かれにくいです。不審者がいた場合、大声を出しても周りの人は対応できませんよ。車も見えにくいですし、暗闇は、それだけ危険なのです』


剛仁:『…………』


剛仁は俯いた。

言い返せなかった。

全部、正論だった。


義徳:『自分だけは大丈夫と思ってはいけません。その油断が、一番危険です』


境内に風が吹いた。

火が揺れている。


挿絵(By みてみん)


義徳:『剛仁さん。あなたは僧侶を志しているのでしょう』


剛仁:『……はい』


義徳:『自分の行動が、どれだけ周りに影響するか、しっかり考えて行動してください』


剛仁:『…………はい』


義徳は剛仁の返事を聞いた後、竜太を見つめた。

竜太は冷静に義徳の目を見た。


義徳:『あなたもです』


竜太:『……』


義徳:『もしもの時、どうするつもりですか?止められなかった、では済まされませんよ。危険な事を止めるのも友です』


竜太の表情は変わる様子はなかった。

頭では分かっている。

だが、ここに来た理由は違う。

しかし、それを口に挟む隙が無い。

義徳の理屈は、一つも破綻していなかった。

だからこそ、苦しいのだ。

義徳は梅美を見た。


その瞬間。

空気が変わった。


義徳の目が僧侶の目になった。

情ではなく、対処を決める目だ。


梅美は小さく肩を震わせた。

義徳は一歩前へ出た。


義徳:『子供たちを深夜に連れ出して何をしようとしている?』


梅美:『…………』


義徳:『答えなさい』


梅美:『……』


梅美は言葉に詰まった。

義徳は容赦なく続けた。


義徳:『未成年を夜中に神社へ呼び出す。極めて異常ではありませんか』


竜太:『……』


義徳:『うまいこと、騙して子供たちを道連れにする氣なのでしょう』


梅美:『違います!私は……』


義徳:『何が違うものか』


ぴしゃりと遮られた。

梅美は俯いた。

義徳の言葉は鋭かった。

それは敵意ではなく、もし子供たちに何かあったら取り返しがつかないという責任感だった。


火が揺れている。

義徳は法具を持ち直した。


その瞬間だった。

剛仁の背中に冷たいものが走った。


来る。

魔王が言っていた未来が来る。


義徳が梅美へ向かって、一歩踏み出した。


義徳:『ここで終わらせます』


火が、強く燃え上がり、梅美の顔が青ざめた。


竜太:『待ってください』


義徳は止まらなかった。


義徳:『下がりなさい』


竜太:『いいえ、下がりません。人の話も聞かずに、上から全て決めつけて、高圧的に理由を聞き出して、その態度では何も言えないじゃないですか』


義徳:『危険な存在に対して、悠長に問答して被害が出たらどう責任を取るのですか』


竜太:『安全面って何ですか?責任って何ですか?常識に規律ばっか重視して、先に危険性を排除って……、ふざけんなよ!』


義徳は既に印を切っていた。

低く経文を唱え始める。

空気が震えた。

梅美が苦しそうに息を呑む。


剛仁:『やめて!義徳さん!』


義徳:『下がりなさい』


その声は、今までで一番強かった。

完全に指導者の声だった。

従わせる声。

逆らわせない声。

義徳は火を前へ出した。


その刹那、バシャアッ!と音が響き渡り、炎が消えた。

それは、水だった。

竜太が、近くの手水鉢から柄杓で水をぶちまけたのだ。

白い煙が上がっている。

義徳の動きが止まった。


暫く沈黙が広がった。


義徳が、ゆっくり竜太を見た。

その目に初めて怒気が宿った。


義徳:『……何をしているのですか』


竜太は肩で息をしていた。

手と足が震えていた。

それでも、引かなかった。


竜太:『人の話を聞かずにこんな事していいんですか?守る側の論理だけで押し切られると、守られる側は非常に苦しくなります』


義徳:『深夜に子供を呼び出している時点で異常です』


竜太:『理由があるんです』


義徳:『その理由で、子供に何かあったらどうするのですか。世の中には悪意ある存在ほど優しい顔をします』


竜太:『本当に怖いのは正しいと思っているニンゲンが相手を追い詰めてしまう事ですよ』


竜太は冷静にそう言った。

義徳の理屈は徹底していた。

大人の論理だった。

責任を背負う側の論理。

それでも竜太は心に荒波を立てず、まっすぐ梅美の前に立っていた。


ここで黙ったら終わる。

常に魔王の言葉が頭に響いていた。

感情ではなく、言葉で伝えるのだと。


竜太は呼吸を整えた。

義徳を真正面から見た。


竜太:『……義徳さん、梅美さんがここに居る理由があります』


義徳の視線は鋭いままだ。

試している。

子供の感情論なのか、本当に考えて話しているのか。

見極めている。

剛仁も、一歩前へ出た。


剛仁:『義徳さん。お願いします。最後まで聞いてください』


雨がパラパラと降り始め、黄金の龍神さまが義徳の前に現れた。

消えた火から、まだ細い煙が上がっていた。

義徳は二人を見つめたまま、ゆっくり口を開いた。


義徳:『……話してください』


竜太:『ありがとうございます。僕と輝さんは幼稚園の卒園式の日に、こちらの神社に来ました。最初は怖かったんです。でも、梅美さんは僕たちを襲わなかった。むしろ謝ったんです。怖がらせてごめんなさい、って。それから、自分がどうしてここに居るのかを話してくれました。大正時代に毒殺されて、犯人も分からないまま、この神社と一緒に壊れていったって』


風が吹いてきた。

梅の枝が揺れている。


竜太:『僕たちは、その時、初めて知ったんです。この神社がただの廃墟じゃないって。梅美さんは、自分を救ってくれなんて、最初から偉そうに命令した訳ではありません。泣きながら頼んだんです。どうしても知りたいって。それで成仏できないんです。僕たちは、その時、約束したんです。絶対に助けるって。僕たちは、本当に見たんです。梅美さんが苦しんでるところも、泣いてるところも、ずっとここで待ってた事も。義徳さんは危険だと言う。でも、僕たちにとって梅美さんは、最初から人なんです。だから、何も聞かずに消されるのだけは嫌なんです』


竜太の中で消されたくないものが、もう一つあった。

それが輝だった。

梅美を救いたいのと同時に輝を元に戻したいという思いも込めていた。

梅美を消された瞬間、輝まで失う感覚があった。


義徳は、何も言わず竜太の心を見ていた。

雨が静かに降っている。

火の消えた法具から、細い煙だけが立ち上っている。

黄金の龍神は、義徳の背後でゆっくりと揺らめいている。


義徳:『…………』


竜太の言葉を否定できなかった。

危険だから排除する。

それは義徳にとって当然の判断だった。

今まで何度も、そうしてきた。

情に流されれば、判断は鈍る。

遅れれば被害が出る。

だから僧侶は、時に冷酷でなければならない。

そう教わってきた。


だが、義徳の脳裏に昼間の光景が浮かんだ。

優樹の声が頭に響いてきた。


この世界には条件があります。

憎悪や呪いを手放さない限り外には出られません。

外に出ても、誰にも覚えてもらえません。


ここにいる人間は、誰一人救われてない。

義徳の指先が、わずかに止まった。

雨音が、やけに大きく聞こえた。


義徳:『…………』


義徳は梅美をじっと見つめた。


怯えている。

だが、襲ってこない。

敵意も無い。

まるで、裁かれる側の目だった。


梅美は、震える指を胸元でぎゅっと握った。

雨が、ぽつり、ぽつりと肩を濡らしていく。


梅美:『深夜に呼び出したのは、理由があります。ごめんなさい……。危険なのも、普通じゃない事も分かっています。でも、この時間しか……駄目だったのです』


梅美は、ゆっくりと顔を上げた。


梅美:『この世界には、綻びが開く時間があります』


義徳の眉が、わずかに動いた。


梅美:『毎日ではありません。場所も、時間も、全部ずれます。でも、この神社だけは違いました。ここは昔から、現実と、この世界の境界が薄い場所だったのです。午前三時。ほんの短い間だけ、向こう側と繋がるのです』


義徳:『向こう側……?』


梅美:『現実世界です。魔王は、その綻びを使って、この世界へ来ています。でも、それが可能なのは、この時間だけなのです。それが昼では不可能で、夜でも駄目です。この神社の結界と、月の位置と、人の意識が最も静まる時間が重ならないと、向こうから来れません。だから……私は、この時間を選ぶしかありませんでした』


義徳:『魔王とは何ですか?』


梅美:『この世界をつくった人です』


雨音だけが響いている。


義徳の表情は変わらなかった。

だが、その沈黙は、先ほどまでと違っていた。


梅美:『私は、この世界の仕組みを全部理解している訳ではありません。でも、何度も見ました。時間が巻き戻るのを。人の記憶がズレるのを。消えたはずの人が、別の形で存在しているのを。何度も何度も…。この世界は、人の強い執着や後悔や憎しみが、現実に溢れ出さないように作られた場所です。ここに落ちた人は、簡単には帰れません』


義徳の指先が、僅かに止まる。


梅美:『魔王は、未来を変える為に来ました』


義徳:『未来……』


梅美:『このままだと、私は除霊されます』


義徳の瞳が静かに揺れた。


梅美:『その後、この神社は壊されます。地下のものも、全部知られないまま壊される。そして、怨みだけが残るのです』


義徳は、火の消えた法具を見下ろした。


梅美:『私は消えてもいいと思っていました。でも……』


梅美は、竜太と剛仁を見た。


梅美:『この子たちは、話を聞いてくれたんです』


雨が少し強くなった。


梅美:『怖がるだけじゃなくて、消そうとするだけじゃなくて……、私が何を苦しんでいるのか、知ろうとしてくれました。だから、最後くらい、ちゃんと話したかった』


沈黙が広がった。

その静寂の中で、義徳の頭の中では、点だったものがゆっくり繋がり始めていた。


優樹の言葉。

輝の大人びた立ち振る舞い。

現実の世界に居た時の記憶のズレ。

時間の巻き戻り。

世界。

帰還。

存在が忘れられる。


頭の中で、昼間から積み重なっていた違和感が動き始める。

バラバラだったものが、少しずつ繋がっていく。


義徳:『……待って…ください…』


小さく漏れた声。

竜太と剛仁が顔を上げた。

義徳は二人を見ていない。

遠くを見ていた。


義徳:『もし……』


思考が、急速に形を持ち始める。

もし、この世界が優樹の言った通り、憎悪を抱えた人間を閉じ込める世界だとしたら、梅美は何だ。

ただの悪霊か?


違う。


毒殺された。

真実も分からぬまま。

神社ごと忘れ去られ。

長い時間を、この場所で独り取り残された。

義徳の胸の奥に、鈍い痛みが走った。


普通の地縛霊ではない。

閉じ込められている。

優樹の言葉と一致する。


そして、義徳は思い出した。

輝が言っていた言葉を。


門を閉ざして、娯楽ではないと誇るか、それとも門を開いて変わるか。

あの時は、子供の理屈だと思った。


だが今、義徳は、自分自身が門を閉ざそうとしていた事に氣づき始めていた。


危険だから。

規律だから。

責任だから。

正論だ。

全部、正しい。

だが、正しいだけで、本当に救われるのか。


義徳の喉がわずかに詰まった。

優樹の声が再び響く。


理屈は分かる。

間違ってるとも言い切れない。

何度、頭を整理してもここに辿り着く。

誰一人救われてないのだと。


義徳:『………………』


梅美は、ずっと俯いたままだ。

消されると思っている。

義徳は、その姿の奥の奥を見つめた。

ここで起きた事まで見ていた。


その瞬間だった。

義徳の頭の中で、一つの像が重なった。


暗い神社。

泣いている少女。

そして、剛仁と同じ顔をした性別不詳の人。


義徳:『……ッ!?』


息が止まった。

なぜ、その映像を知っている。

見た事がない。


だが、知っている。

脳ではなく、もっと深い場所が反応している。

剛仁が不安そうに義徳を見る。


剛仁:『義徳さん…大丈夫…?』


義徳は返事をしなかった。

ゆっくり梅美を見た。


そして、義徳の中で最後のピースが嵌まる。


魔王。

未来の輝。

世界を作った存在。

剛仁と同じ顔。

分魂。

記憶。

人格。

時間の巻き戻し。


全部が、一本に繋がった。


義徳:『……そういう事か……』


低い声だった。


竜太:『……え?』


義徳の目は除霊対象として見ていた目ではなくなっていた。

義徳は静かに呟いた。


義徳:『この世界は……閉じ込めるだけの場所じゃない……』


雨が、境内を静かに濡らしている。

義徳の目が、ゆっくり剛仁へ向いた。

その視線には、昼間まで無かった感情が混ざっていた。


義徳:『剛仁さん……あなたは……』


そこまで言って、義徳は言葉を止めた。

まだ確信には至っていない。

だが、見えてしまった。


この世界の構造が。

そして、剛仁という存在そのものが、この世界の中心にいる可能性を。

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