家族
最蔵の涙が止まらない中、静寂が支配する病室の中で、心の中は混乱と痛みで満ちていた。
智真の無念を抱きしめ、悔しさと悲しみに沈んでいる間も現実は容赦なく続いている。
最蔵が一人で抱える現実は、もう目の前に迫っていた。
智真が命を落としたのは、他でもない最蔵の行動が引き金となったからだ。
最蔵が光明の墓を蹴ったことで、神の怒りを招き、破壊神バキュラが目覚め、その結果が智真の命を奪うことに繋がってしまった。
最蔵の中でその責任は重くのしかかり、言葉にできないほどの悔恨と後悔が押し寄せていた。
だが、時間は許さない。
すぐにでも最蔵は智真の親や関係者に、そして自分自身にそのすべてを告げねばならない。
澄子が命を懸けて止めに入った事実も、その結果最蔵が自分の欲望を優先したことも、どれもが責任から逃れることも許さない。
無視することも、逃げることもできない現実なのだ。
智真の顔を見て重くのしかかる責任で狂いそうになる中で、義徳の冷徹で冷静な声を思い出し、それが最蔵が目を覚ますきっかけとなっていた。
鋭い眼差しで最蔵を見つめていた時のことを思い出し、一切の甘さがない無情とも言える厳しさが込められた義徳の言葉を頭の中で繰り返していたのである。
また目を伏せたくなる現実に悔しさと恐れが交錯し、どんなに苦しんでも、どんなに逃げたくても、今は向き合わなければならない責任が待ち受けている。
その責任を全うするためには、何よりもまず智真の家族—その親に対して誠実でなければならない。
最蔵は深く息を吸い、震える体を何とか支えながら、立ち上がる決意を固める。
その先に待っているのは、怒りと憎しみ、そして深い悲しみに満ちた対面であることは確実である。
何がなんでも立ち向かわなければならない。
だが、最蔵には更に辛い瞬間が待っていた。
医師の説明がエコーのように聞こえ、最蔵は立っているのもやっとである。
澄子の顔を見るその瞬間、最蔵の心は深い奈落に引きずり込まれるようだった。
智真の無念を背負った最蔵の心には、もうどんな言葉も響かない。
澄子が目の前にいることを強く感じている筈なのに、その姿が目の前から消えてしまったことが、まるで最蔵の現実を冷酷に突きつけてくるようだ。
病室は最蔵の胸の中も凍りつくような感覚に包まれていた。
澄子がどうなっているのか聞くことも見ることもできず、最蔵の心を引き裂いていた。
澄子が命を懸けて止めに入ったにも関わらず、最蔵はその心を無視して自分の欲望を優先した。
それが今、最蔵を責め、追い詰めている。
最蔵は震えながら、澄子を見つめた。
澄子の冷たく硬くなった顔だけが、無言で最蔵を見つめ返しているように感じる。
澄子が命を懸けて止めに入った、その思いが今、最蔵には重くのしかかる。
澄子を助けられなかったこと、守れなかったこと、それが最蔵を押しつぶしそうだった。
最蔵の中で澄子の顔は、智真の死と同じくらい、いや、それ以上に深い痛みとして刻まれていた。
澄子の命を守るために自分がすべきことをしなかった結果、最蔵の責任は重すぎるほどに感じる。
『澄子さん…』
最蔵は涙を堪えきれず、かすれた声で呟いた。
その声は震えて、言葉にならなかった。
最蔵の手は澄子の顔に触れたくて、でも触れることができない。
自分がこんなにも澄子を傷つけ、命を奪ったという罪悪感がその手を縛り付けていた。
最蔵はしばらくそのまま立ち尽くし、何もできずにいた。
胸の中には何とも言えない痛みだけが満ちていた。
澄子の無念を晴らすため、最蔵は自分を許すことはできない。
責任を全うするためには、まずは澄子の親にも、智真の親にも、すべてを告げる覚悟を決めなければならない。
その場で、最蔵は澄子の顔を見つめながら、心の中で謝罪を繰り返した。
しかし、それでもすべては遅すぎたことを、最蔵はどこかで分かっていた。
澄子に許しを請うことすら、できないのだ。
『ごめんなさい…ごめんなさい…………』
最蔵の言葉が、病室の冷たい空気に溶け込んでいく。
胸の中には、澄子と智真の死が圧し掛かり、心は引き裂かれるように痛む。
謝っても、何をしても、戻らない命。
悔しさ、後悔、そしてどうしようもない無力感が、最蔵を支配していた。
最蔵が何度も謝罪を口にする中、その背後から静かな視線が最蔵を見守っていた。
それは楓芽だった。
楓芽の目は最蔵の震える姿に焦点を合わせ、何も言わずにただじっとその場に立っていた。
楓芽の表情には、最蔵が感じているものと同じような苦しみが滲んでいたが、その中に悲しみの奥深さと、何かを決意したような強さがあった。
最蔵が謝罪を繰り返したとき、楓芽は静かに一歩を踏み出した。
その足音が、最蔵の耳に届く。
最蔵は振り返ることなく、ただその足音を感じ取る。
やがて、楓芽が最蔵のすぐ後ろに立つのを感じた。
『最蔵さん…』
楓芽の声は低く、しかししっかりと響く。
楓芽の目が最蔵の背中に向け、言葉の隙間からその深い意図が伝わってきた。
『澄子さんも、智真さんも、もう戻りません。最蔵さんがいくらお詫びを続けられても、誰かがその罪を贖うことにはなりません』
楓芽の言葉は、最蔵の胸に深く刺さった。
最蔵の中で何かが崩れ落ちるような音がした。
謝罪し続けることで、自分の中の苦しみを少しでも和らげようとしていたのだろうか。
しかし、それがどれほど無力であるかを、楓芽は静かに伝えた。
『ただお詫びをされるだけでは、何も変わりません。これから、しっかりと向き合う覚悟が必要です』
その一言が、最蔵の心に強く響いた。
楓芽の言葉の中にあった痛みと覚悟が、最蔵に現実を突きつけた。
最蔵は楓芽を見た。
目の前に立つ楓芽の表情は、悲しみを超えて、何か別の感情が込められているように見えた。
最蔵は何度も謝り続けていたが、もうその言葉だけでは、全てを背負うことはできないという現実を、楓芽は目で静かに伝えた。
最蔵は涙を拭い、再び澄子の顔を見つめた。
心はまだ壊れそうなほど痛んでいたが、楓芽の言葉が少しずつ最蔵を現実へと引き戻している。
この瞬間、最蔵の中で何かが変わったように感じた。
まだ完璧ではない、だが、少しずつその責任を背負って進まなければならないのだと。
『最蔵さん、こちらまでお一人でいらっしゃったのですか?』
最蔵は楓芽の問いに答えられず、下を向いた。
楓芽は病室の前に誰かが居るのだと察し、歩き始めた。
最蔵は楓芽の問いに答えられず、ただ静かに下を向いた。心の中で自分を責め続けていた。
言葉を紡ぐことすらできず、ただその場に立ち尽くしているしかなかった。
その時、楓芽は最蔵の沈黙を感じ取るように、静かに歩き始めた。
そして、病室の扉の前に辿り着くと、何かを察したように足を止めた。
目を細め、病室の外側に誰かがいることに気づき、無言で扉を開けたその瞬間、空気が一変した。
『………………!!!!!!!!』
扉の先には、智真の家族が立っていた。
智真の家族も、ちょうど開けようとしていたところだった。
父の小五郎、母の百子、兄の功典が目を血走らせてこちらを見つめている。
その目には怒りと絶望と呆れたような感情が込められているように見える。
智真が命を落としたことで、家族の心は壊れ、怒りと悲しみが胸に渦巻いている。
楓芽は、智真の家族を中に入れ、外に居た義徳たちも中に入れた。
智真の母、百子は静かに病室に足を踏み入れると、息子である智真の顔を見つめた。
目を細め、心の中で何度も、何度も名前を呼ぶ。
『智真、お母さん来たよ。智真……、智真……。ねぇ、返事をして…。お願い、智真……、ねぇ……、お願い……』
『お父さんも来たぞ。智真!目を開けてくれ!智真!』
『…………………………』
母と父は必死に声をかけ、兄は突然のできごとに受け入れられず、混乱して目を丸くして震えていた。
しかし、返事はない。
智真はもう答えることはなく、ただ無表情のまま横たわっている。
その静けさが、百子の心に冷たい波のように押し寄せてきた。
『智真!』
百子は、再び名前を呼びながら、智真の手を握った。
しかし、息子の手は冷たくなっていた。
その無機質な手を握った瞬間、百子の胸に痛みが走り、涙がこぼれ落ちた。
『どうしてこんなことになっちゃったの…』
百子の声は震え、息が荒くなった。
息子が生きていると信じていた自分を、今までどれほど欺いていたのだろう。
無念さと悲しみが一気に押し寄せ、百子はその場に崩れ落ちた。
膝をついて地面にしゃがみ込むと、百子はただただ泣き続けた。
声を上げて泣くことさえもできず、ただ無力に涙が流れ続けた。
息子の顔を見ることができないほどの痛みが、胸の中で何度も反響する。
手を伸ばして智真の顔を撫でながら智真の体を抱きかかえたが、そこにはもうかつての温もりはなかった。
百子は息を呑みながら、何度も息子の名前を呼び続けていた。
しかし、もう智真は返事ができない。
涙が止まらなくなった。
その涙は、全ての無念と、息子を守れなかった自分への悔しさ、そして突きつけられた現実への絶望がぐちゃぐちゃに渦のように襲い掛かってきた。
その場に立っている僧侶や巫女たちの胸にも、百子の悲しみが重くのしかかってくる。
百子と小五郎の声と涙、兄の功典の表情が最蔵にとっても避けがたい現実の一部であることを痛感させた。
どんなに謝っても、この痛みは二度と戻らない息子の命の代わりにはならない。
その現実を突きつけられた最蔵は、ただ黙って立ち尽くすことしかできなかった。
百子は声を震わせながら、智真に言葉をかけた。
『智真がどんなに私の中で生き続けていたとしても…もう二度と会えないことが、こんなにも辛いなんて…………』
その言葉を口にした瞬間、百子の手が震えた。
息子の冷たくなった手を握りながら、百子の目は澄子に向けられた。
澄子の顔を見た瞬間、その冷たさに百子は胸が締め付けられる思いだった。
澄子の頬に手を触れた瞬間、その冷たさはまるで氷のようにひんやりとしていて、百子は智真を抱いたまま、一度冷静になる為にカーテンを開けて空を見た。
『…………なんでこんなことになっちゃったの?』
百子の声は、最初はかすれ、そしてやがて息を呑むように深く詰まった。
『どうして…こんなことになっちゃったの…?』
百子は息子を抱きしめたまま、涙で濡れた顔をあげ、最蔵を見つめた。
百子の目は怒りと悲しみに満ち、最蔵を射抜くような鋭い視線を向けている。
最蔵はその言葉に答えられず、ただ黙って立ち尽くしていた。
だが、百子の言葉が繰り返されるたびに、最蔵の胸の内で言わなければならないことが渦巻き、ついに口を開いた。
『…すみません』
最蔵はゆっくりと息を吸い、苦しげに事実を打ち明けた。
百子は相槌を打ちながら最蔵の話を聞いていた。
最蔵の声は震え、涙が止まらなかった。
小五郎と功典は静かに聞いていた。
百子は最蔵の言葉に耳を傾けながらも、目の前の現実を信じられないかのように震えた。
百子は息を呑み、唇を震わせながら最蔵を見つめ、最蔵の言葉を遮るように叫んだ。
『私の息子を返して!!!!!あなたがそんなことをしなければ智真は生きてたはずよ!!!!!!返してよ!!!!!!』
百子の声は怒りと絶望で震え、再び涙があふれ出た。
最蔵はうつむき、言葉を失った。
百子の言葉が深く胸に刺さり、心を締めつけた。
最蔵は言葉を続けようとしたが、声がかすれてうまく出なかった。
百子は手で顔を覆い、何度も震えながら言った。
『もう、何を言っても遅い…………。最蔵さんのせいで、私の息子は帰らないんだから…』
百子はその言葉を発するたびに、心の奥底から響くような苦しみを感じていた。
その痛みは、最蔵が想像する以上に深く、百子の全てを飲み込んでいるようだ。
百子は目を閉じ、声を振り絞るように泣き叫んだ。
最蔵はただ、静かに涙を流しながら、その痛みを受け止めていた。
小五郎と功典は、最蔵が涙を流しながら責任を認め、百子の怒りと絶望に晒される様子を黙って見守っていた。
しかし、胸中では、最蔵に対する複雑な思いが渦巻いている。
小五郎は、最蔵の痛みも理解しようとした。
最蔵が抱えている苦しみは、本当に重いものだと感じていた。
だが、それと同時に自分の心の中で芽生える怒りを抑えきれずにいた。
殺人犯のお墓とはいえ、お坊さんがお墓を蹴るなんて、許されることではないと。
それが神聖なものに対する冒涜であり、最も大事なものを踏みにじった行為だということが、小五郎にははっきりとわかっていた。
小五郎は深いため息をつきながら、最蔵を見つめた。
『最蔵さん……、あんたがどんなに辛くても、神様が宿ってるご神木の近くのお墓を蹴ったら、どうなるかくらい判るだろ…………』
功典もその言葉に賛同するように頷いた。
最蔵が犯した行為の重大さを感じ取っていたが、智真が人のために尽力したことも知っていた。
それでも、最蔵の行動を無視できるわけではない。
お墓を蹴った瞬間、事態は制御できない方向に進んでいた。
智真が人々を救うために最善を尽くしたとしても、最蔵が犯した過ちの重さは変わらない。
功典は静かに言った。
『どうしてくれるんだ?』
その言葉に、最蔵は言葉を詰まらせ、再び目を伏せた。
どんなに自分が謝っても、許されることはないことを痛感していた。
百子の怒りも、心に突き刺さるように響いている。
それでも、最蔵は無言で耐え、ただ静かにその痛みを受け入れているしかなかった。
功典は更に声を大きくして言った。
『おい!どうしてくれるんだって言ってるんだよ!』
病室の沈黙が重い空気に包まれている。
義徳は一切の手助けはしなかった。
小五郎は最蔵を責めることができない自分の心を、少しずつ理解しようとしていた。
しかし、同時に心の中で感じていた怒りを抑えることができずにいた。
小五郎は呟いた。
『ずっと苦しかったんだろう。だが、過ちを消すことはできない』
最蔵を責め立てることはなかった。
どれだけ悔い、苦しんでいても、怒りが湧き上がっても、それが最蔵の罪を許すことにはならない。
しかし、最蔵の痛みを受け入れ、過ちを悔いている限り、小五郎は最蔵を完全には見捨てられなかった。
それは、最蔵の心の中に見える痛みが、あまりにも深く、辛いものだからだ。
最蔵は、その言葉を深く胸に刻みながらも、何も言えなかった。
ただ、泣きながら静かにその場で頭を下げて謝ることしかできなかった。
百子は涙を流しながらも、澄子の顔をじっと見つめた。
心の中で何かが響き、ゆっくり智真の冷たい手をそっと澄子の手に重ね合わせた。
その瞬間、まるで時が止まったかのように、静寂が病室に広がった。
澄子の手のひらに、智真の冷えた手が触れた感触は、どこか神聖で儚いものだった。
百子の目から流れる涙が澄子の頬を伝う。
『智真、この子を助けなさい。このまま眠らせるわけにはいかないでしょう』
その刹那、澄子の手から突然、眩しい光が差し込んだ。
それはまるで太陽のように、病室を一瞬で満たすその光は、目を開けていられないほど強烈であった。




