喝
薄明かりの空の下、龍神さまが疾風のように空を駆け抜ける。
夜の闇がまだ残る中で、朝焼けの色がほんのりと空を染めはじめていたが、光はまだ遠く、世は静まり返っていた。
その中を龍神さまの大きな体が空を翔け、鱗の一枚一枚が朝の光を反射して神秘的な輝きを放っている。
龍神さまが切る風の音だけが、早朝の静寂を破る唯一の音であった。
僧侶と巫女たちの表情は皆、沈黙に包まれ、何か重い使命を背負っていることを感じていた。
僧侶たちの袈裟が風になびき、巫女たちの白装束も、その清らかな雰囲気を一層際立たせている。
まだ空が薄暗い中、龍神さまの影が広がった。
その影は病院へと向かい、次第に大きくなり、ついに病院の敷地が見えてきた。
建物の輪郭が薄闇の中に浮かび上がり、まるで朝と夜が交錯する瞬間を見ているかのようだ。
病院に着くと、龍神さまは高度を徐々に下げ、静かに着地し始めた。
大きな影が病院の敷地に重く降り立ち、その瞬間、静かな朝の空気が変わった。
建物にかかる気配が、まるで時を止めたかのようである。
龍神さまが着地すると、巫女たちと僧侶たちは一斉に降り、背筋を伸ばして病院の入口へ向かう準備を整え、それぞれが深い息を吐きながら病院の方へと向かった。
病院の玄関に近づくと、まだ暗い時間帯であり、施設内も眠気を感じさせるような静けさを漂わせていた。
医師や看護師たちは、突然現れた龍神さまとその背に乗った一行に目を奪われ、驚きの表情を浮かべていた。
しかし、義徳たちはその驚きに動じることなく、冷徹な視線を病院内に向けながら歩き続けた。
病院内は依然として薄暗く、やっと目を覚ましたばかりのような気配が漂っている。
それでも、全員が無言で、ひときわ重い足音を響かせながら進んでいく。
智真と澄子が居る部屋へ向かう途中、最蔵の目には廊下がぐにゃぐにゃに歪んで見えた。
その揺れに、最蔵の心が引き裂かれるような錯覚を覚えた。
背後の足音すら、どこか遠く、耳の奥にこだまするような感覚だ。
病院内を進み、その足音が廊下に響き渡る。
やがて病室の前に辿り着いた。
空気がひんやりと冷たく、まるで時間が止まったかのような重々しい静けさが辺りを包み込んでいる。
病院の玄関に立ち、義徳は深く息を吸った。
冷たい空気が肺に入り、何の感触もなくすぐに消えていった。
目の前に立つ最蔵を見つめるその視線には、これまでにない厳しさが滲んでいた。
その冷徹さが最蔵の胸に突き刺さり、心の中で何かが崩れそうになった。
『この先は最蔵さま、お一人でお進みください』
その言葉が、最蔵の心に重く突き刺さった。
一瞬、最蔵は目を見開き、驚きの表情を浮かべたが、すぐにその表情は引き締まった。
義徳の顔に浮かぶ感情は、最蔵には読み取れない。
その無表情が逆に最蔵の胸に冷たい恐怖を呼び起こす。
『どういうことでしょうか?』
最蔵が問うと、義徳は一切の感情を込めずに答えた。
『最蔵さまがどれだけ辛くても、背負わなければならない責任がございます』
義徳の声は冷たく、鋭く響いた。
その響きに、最蔵の胸は締め付けられるような痛みを覚える。
最蔵は立ち止まり、義徳の言葉を飲み込むようにゆっくりと顔を上げた。
その顔には言いたくないこと、言うべきこと、全てを飲み込んでいるような表情が浮かんでいた。
内心、その重さを感じた。
義徳はそのまま続けた。
『最蔵さまがなさったことを覚えていらっしゃいますか?』
最蔵は言葉を発することなく、ただ黙って義徳の顔を見つめている。
その沈黙が、最蔵の心をますます締め付ける。
『最蔵さまが光明さまのお墓を蹴られたことで、ご神木に当たり、バキュラが目を覚まされ、その結果、智真さまが命を落とされました。それだけではございません。澄子さまが命をかけて止められたにもかかわらず、最蔵さまはご自分を優先されました』
義徳の言葉は冷徹で、痛みを伴う真実を最蔵に突きつけた。
その一言一言が、最蔵の胸に重くのしかかり、心を深く突き刺す。
最蔵は口を開けようとしたが、言葉が見つからない。
自分がどれほど取り返しのつかないことをしてしまったのか、その重さが今更になって身に染みる。
それでも、何をどうしても、その責任を消すことはできないという現実が、心を深く沈ませたのだ。
『早く行きなさい。最蔵さまがどれだけ苦しまれても、この責任から逃れることはできません』
義徳の声が再び響いた。
その冷徹さに、最蔵の心が凍りついたように感じた。
そこに桂之助が前に出て、共に行こうとしたが、義徳は手を振ってそれを制し、心を鬼にして厳しく一喝した。
『甘やかすな』
その言葉に、最蔵はもう何も言えなかった。
心の中で葛藤を繰り返しながらも、その責任の重さを受け入れるしかないという現実に向き合わざるを得ない。
『……私一人では……………』
その声はわずかに震えていたが、義徳はじっと最蔵を睨み、その目に映る弱さを見つめ、冷たく答えた。
『壁は誰にも頼らず、ご自分のお力で乗り越えるものでございます』
最蔵は反論しようとしたが、その言葉を遮るように義徳はさらに冷たく言った。
『この後、智真さまのご家族がいらっしゃいます。ご両親に、全てをお話ししなければなりません』
その言葉が最蔵を震えさせ、心の中で渦巻く恐れを一層強めた。
智真の親が自分を責め立てる姿が目に浮かび、その痛みをどう受け止めればいいのか、最蔵は途方に暮れる。
最蔵は無言で、重い足取りで病室の前に立ち、扉に触れた。
その後ろ姿を、義徳は黙って見守った。
最蔵の背負う責任の重さが、義徳には痛いほど分かる。
それでも、義徳はその決断を揺るがすことなく、最蔵が歩むべき道を歩ませる覚悟を固めていた。
最蔵が扉をゆっくりと開けると、目の前に横たわる智真と澄子の姿が見えた。
その奥には楓芽と医師と看護師と警察官が立っていた。
最蔵の中で渦巻く感情を整理する暇もなく、医師の声が響いた。
『病室に空きがなく、申し訳ありませんが、お二人とも同じ部屋で説明させていただきます。まずは、智真さんの状態についてご説明いたします』
担当医が手に持っていたカルテを睨みながら、最蔵を見つめた。
その眼差しには疲れと、どこか厳しさを含んでいた。
『智真さんについてですが、残念ながら、命を取り留めることはできませんでした。首をはねられたことによる致命的な損傷が原因で、病院に到着する前に既に………。治療の開始が遅れたため、蘇生措置も間に合いませんでした……』
最蔵は静まり返った空間の中で、智真の顔が最蔵の目に飛び込んできた。
智真は無理にでも安らかな表情をしているように見えたが、首から下は冷たく、もはや命を持たないことは明らかであった。
最蔵は立ち尽くし、言葉を失った。
目に映るのは、かつて自分が知っていた智真の面影。
それがもう、この世のものではないのだという現実が、胸を締め付ける。
無意識に、最蔵の体は一歩前へと進んだ。
目を見開き、震える手で智真の顔に触れようとしたが、すぐにその手は震えて止まった。
口を開けても、言葉は出てこなかった。
どうしていいのか、何を言えばいいのか、それすらも分からなかった。
その瞬間、最蔵は堰を切ったように涙をこぼし始めた。
声が出るはずもなく、止め処なく涙が頬を伝って流れていった。
泣き崩れそうになるのを必死でこらえながらも、深く、深く胸が痛んだ。
自分が引き起こした事態の重さが、今、この瞬間に一気に押し寄せてきた。
『智真さん…ごめんなさい………私のせいで………………』
最蔵は喉の奥から絞り出すように言った。
その声は、ほとんどかすれていた。




