睡蓮ー大祓 中編ー
四人が次に足を運んだのは、大きな水音が響く広場であった。
青い鳥居の先に巨大な渦潮が幾重にも回転している。
その中心には色鮮やかなカップが並び、渦潮の上を滑るように回っていた。
看板には大きくこう書かれている。
速開都比売の大渦潮
ご利益:悪縁切り
穢れや執着を渦へ還し、新たな一歩を。
竜太:『コーヒーカップなのに、水の上を回ってる……』
大和:『すごい……本当に渦潮だ』
瀬織:『速開都比売様は、穢れや執着を一気に飲み込んで、道を開いてくださる神様なの』
剛仁:『断ち切るというより、新しい道を開くために手放すということだね』
瀬織:『うん。悪縁だけじゃなくて、自分でやめたいと思っている事にもお力を貸してくださるの』
大和:『ずっと忘れられない手放したいものでも?』
瀬織:『もちろん。夜更かしでも、意地を張る事でも、過去に戻りたい事でも、何でもね』
竜太:『なるほど……』
その後、係員が四人の前に現れた。
『ご乗車の前に手放したいものを心の中でお決めください。速開都比売様が渦へお納めいたします』
大和は目を閉じ、小さく手を合わせた。
剛仁も静かに合掌する。
竜太は黙ったまま、ゆっくりと渦を見つめていた。
それぞれの問いが、胸の奥で静かに渦を巻いていた。
アトラクションから降りると四人は清らかな心を持って歩き、大和は手品のように一瞬で二つ目のスタンプを押した。
大和:『ふぅ……(氣づかれなくてよかった)』
剛仁:『……………?』
午前最後にやってきたのは、一際大きな風が吹き抜ける丘だった。
空高く伸びる白い塔の周囲を巨大なブランコが円を描くように回っている。
乗客が頂上へ達するたび、歓声とともに風が地上まで吹き下ろしてきた。
入口の看板には力強く“気吹戸主エアロストーム”と記されている。
ご利益は気分一新。
嫌な気分も迷いも、風とともに吹き放つ力を持つアトラクションである。
大和:『気持ちいい風』
竜太:『こんな高さまで上がるんだ』
剛仁は風に揺れる木々を見つめ、小さく微笑んだ。
剛仁:『気吹戸主神様は穢れを風で遠くへ運んでくださる神様だね』
瀬織:『うん。胸につかえている思いや、言えなかった言葉、どうしても忘れられない気持ちまで、風に乗せて運んでくださるの』
大和:『じゃあ、乗ったら氣持ちがスッキリするの?』
瀬織:『全部なくなるわけじゃないよ。でも、前を向けるくらいには軽くなるかもしれない』
その後、係員が笑顔で案内した。
『安全確認をいたします。風に預けたい思いがございましたら、どうぞ心の中でお唱えください』
四人は、それぞれブランコへ腰を下ろした。
ゆっくりと動き始めたブランコは、やがて大空へ向かって一気に加速した。
轟く風と身体を包み込む大気が心地よい。
耳元を吹き抜ける風は、まるで神々の優しい息吹のようだった。
大和は思わず目を閉じた。
胸につかえていた小さな不安が、青空へ吸い込まれていくような気がした。
アトラクションが終了すると大和は再び慣れた手つきで素早くスタンプを押し、何事も無かったかのように振舞った。
大和:『ふぅ………(氣づかれてないよな?)』
剛仁:『…………………』
その頃、遊園地の時計台から正午を告げる鐘の音が園内へ響き渡った。
ポコンポコンポコン
先生:『えー、そろそろ昼だぞー!みんな中央広場へ集合ー!』
園内放送も続けて流れてきた。
『遠足でお越しの皆さまへ。まもなく正午となります。昼食のお時間です。各学校の集合場所へお集まりください』
大和:『もうお昼なんだ』
竜太:『あっという間だったね』
剛仁:『先生が中央広場へ集合って言ってたね』
瀬織:『うん、午後もいっぱい歩くから、ご飯を食べて元気をつけよう』
四人は顔を見合わせ、小さく頷くと賑やかな園内を歩き始めた。
道の両側には色とりどりの花が咲き、遠くでは子どもたちの笑い声が響いている。
神々の気配に包まれた不思議な空間を後にしながらも、四人の心は午前中とはどこか違っていた。
大和は胸が軽くなったような晴れやかな気持ちで歩き、竜太は静かな表情のまま空を見上げる。
剛仁は合掌して小さく一礼すると、『午前中もありがとうございました』と風へ感謝を告げた。
瀬織はそんな三人を見つめ、どこか安心したように微笑んだ。
やがて四人は、たくさんの遠足の班が集まる中央広場へと到着した。
そこでは先生たちが出席を取りながら、生徒たちを迎えていた。
先生:『よーし、全員いるな。それじゃあ、お弁当の時間にしましょう』
生徒たちは『いただきまーす!』と元気よく声を合わせ、一斉にお弁当を広げ始めた。
この時、亨は父が用意したお弁当を開いて喜んでいた。
遠足で悲しい思いをしないように愛情を込めて卵焼きを作っており、食中毒を防ぐためよく火を通しているのが分かる。
輝は母上が手作りしたものを見て、久しぶりの母上の味を噛みしめていた。
美月と翔も親が作ったお弁当を幸せそうに食べ、デザートに皆で買いに行ったお菓子を楽しそうに食べていた。
一方、剛仁は合掌して食前観・食後観を唱え、真面目な一面に竜太は輝も定食屋で同じような事をやっていたのを思い出していた。
遠足だからといって氣を抜かないのが剛仁である。
竜太:『剛仁さんは、うどんが好きだと思うのですが、うどん屋さんでも合掌して唱えるの?』
剛仁:『仏教に興味を持ってからやるようになったよ』
大和:『周りとか氣にならない?』
剛仁:『目の前にある食事に感謝する心を忘れない事が大切だから、周りをじろじろ見たりしないよ』
瀬織:『笑われたらどうするの?』
剛仁:『怒ってるより笑っているのがいいね』
瀬織は静かに剛仁を見つめていた。
食事の前に手を合わせ、命へ感謝を捧げる姿は、とても美しく映った。
瀬織:『私はそういう人、大好きだよ』
瀬織は穏やかに微笑んだ。
すると、剛仁は瀬織に『笑顔、かわいいね』と言い、竜太は剛仁に『口説き坊主め』と頬を突いて笑った。
大和は午後に備えてスタンプを素早く押す練習を一生懸命やり、口説き坊主トークは聞いていなかった。
昼食後の広場は人で賑わっている。
弁当箱が開き、笑い声が交わり、遠くではアトラクションの歓声が響いている。
ところがどっこい、足元の音が突然消えた。
音だけが、一瞬遅れているような奇妙な違和感を感じた。
剛仁がふと顔を上げた。
剛仁:『………来る!』
大和:『…っえ?』
その刹那、広場の中心にある地面が、わずかに熱を帯びた。
ひび割れはなく、爆発もしない。
ただ、土の奥から赤い光が脈打つように滲み出している。
それはまるで、心臓の鼓動のように。
瀬織:『火星の気配を感じる…』
瀬織の声が少しだけ低くなった瞬間、地面は形だけが立ち上がった。
赤い砂塵が空へ巻き上がり、渦を作り、やがてそれは一つの輪郭になる。
それは破壊そのものの姿ではなく、動き始める何かだった。
ただ、遊園地の中心に、世界のテンポを変える何かが降りてきたような氣がした。
剛仁:『誰かが封印を解いたな。バキュラが来る』
大和:『バキュラって、あの空港の近くに居る子?』
剛仁:『壊すべきものだけを壊す神、伝説の火星バキュラだよ』
大和:『………火星のバキュラ?』
剛仁:『剣を握れる人を捜さなければ…………』
竜太:『剛仁さん………、もう遅いかもしれません…』
竜太の呼吸が少し乱れている。
何かに氣づかされてしまったような反応である。
竜太:『……』
誰もあちらを見ていない。
だが、竜太の視線だけが一点を外れている。
大和:『どうしたの?』
返事はない。
瀬織の目が、ゆっくりと竜太の視線の先を追う。
剛仁も目を開く。
そして、誰もいないはずの背後に、影があり、空間そのものが、そこだけ濃くなっている。
その刹那、ズンと空気が落ちた。
大和:『……え?』
ゆっくりと、全員の視線が後ろへ向く。
最初からそこにいたとしか思えない位置に七十メートル級の黒い巨体が、遊園地の広場の背後に立ち、赤い瞳が静かにこちらを見下ろしていた。
剛仁:『…………バキュラの中でも最も恐れらていると伝えられている伝説の爆熱破壊神バキュラだ。大和、早くスタンプを集めて大祓詞を読まなくちゃ!』
大和:『なんでバレてる!?』
剛仁:『このままだと日本が壊れちゃう』
大和:『瀬織ちゃん、ごめん…、僕…、秘密が守れなくて……』
瀬織:『これは予測できなかったから、いいの。急ごう!』
竜太:『地図なら僕に任せて、全部覚えたから』
大和:『竜ちゃん、ナイス!』
この時、大和はバキュラに最初から見られていた事に氣づいてしまったのであった。




