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鬼灯庵の大晦日

穏仁警部は文字通り、鬼の警部である。

所属は警視庁猟奇殺人課、役職は係長。

その出自故の人事ではなく、自らの努力と勲で以てその地位を手にした。

それは休んだら働かなくちゃいけないという事と同じくらい当たり前の事である。


 星蓮堂での事件を終えて帰ってきた僕―――シラサワ亜蓮を待っていたのは、当然と言うか三が日まで年末年始の連勤だった。

「六日も休んだ後じゃそりゃ当然なんですけれどね」

署内の壁に張り出された勤務表を見て上司―――穏仁警部に報告すると、紅いアヤカシの瞳がそうか、と呟いた。

「出来たら一日くらい会いにければと思っていたんですが」

ぱさり、と読んでいたタブロイド紙を放り投げた。警部が読むにしては少々大衆じみた紙面には『キヌカワ海運子息婚約破棄』『ダキニ天の宝珠盗難?』『二大天狗抗争激化』などと嘘か誠か解らぬ見出しが並んでいる。


 「おまわりさーん、助けておくれ!喧嘩だよ!」

警視庁の建物を連れ立って出たところで血相を変えた市民に助けを求められた。

こっちだよ、こっちだよ、と腕を引かれて辿り着いた先では

「お前、生意気だぞ」

「田舎者の癖に!」

と叫んでいる天狗と

「あやー、そないないしけえ事しないでやあ」

と頭を抱えている化け狐が。

「こら天狗達!やめないか!」

僕は辺りに飛び散っているものを一息に飛び越え、天狗と化け狐を引き剥がす。

「なんだとう、白澤の癖に生意気だぞ!」

「オレ達の後ろに誰がついていると思っているんだ!大櫂の親分が」


「―――儂が、どうかしたってえ?」


後ろから響く、低く朗々とした声。すうっと異様に高い身の丈は身長と同じくらいに高い一本歯下駄。

白目の部分が酷く少ない、僕らとは違うアヤカシの瞳。

「大櫂の親分!」

この地を統べる金倉天狗統領が内の一、大櫂の親分のお出ましだった。後ろに穏仁警部の姿が見える。連れて来てくれたようだ。

「儂がいつ田舎からのお客さんにちょっかいを掛けろと言ったかい?お巡りさんに盾突けと言ったかい?ええ?」

低く凄まれて、二人の天狗がひいっと竦み上がった。わかったら行きな、と親分は若い二人を追っ払って、改めて化け狐に向き直る。

「お客さんよ、お名前を伺っていいかい?」

「へえ、紺矢と申します」

そして大櫂の親分は深々と頭を下げた。

「紺矢殿、不快な思いをさせて悪かった。この通りだ。この大櫂に免じて一つ許しちゃくんねえか」

こくこくと高速で頷き、かっこいい、と化け狐―――紺矢がうっとりした声を上げた。

大櫂の親分は今度は穏仁警部に向き直る。

「鬼の旦那にも迷惑をかけて申し訳なかったな。呼んで貰って助かった。最近は血の気が多くていけねえな」

いや、と応用に応じた穏仁警部だが、思い出したように

「色々あるらしいが、あまり事を荒立てないようにな」

「その件なんだけれど、実はな……」

二人がごそごそと話し始めたので、僕は辺りに落ちているものを拾う。指先程の玉が思ったより遠くまで転がってしまったようで、紺矢は周りの人に手伝って貰いながら回収している。僕も料紙に包まれた焼き菓子を拾って集める。

「はい、これで全部かい?」

残念ながら割れてしまっている物も多いが。

「お巡りさん、ありがとうございます」

小さな手をちまちまと動かしている紺矢と名乗は小さな体を二つに折って頭を下げてくれた。

「災難だったね。ところでこれは、辻占煎餅かい?」

「へえ、ふぉーちゅーんくっきーと言います。よかったらおひとつどおぞう?」

周りで手伝ってくれた人たちに色とりどりのお菓子を配る紺矢。僕も一つ受け取って、口に運ぶ。灰色がかかった焼き菓子を何気なく噛み砕いて


「――――――――――っつつつつ?!」


余りの不味さに吐き出しそうになり、目の前の紺矢の純真な瞳を見てそれを堪える。気合でもう一噛みして飲み込もうとして


「―――っ」


 がりっと今度は固い何かが奥歯に当たった。奥歯が欠けるんじゃないかと思う位固い。さすがにびっくりして吐き出すと、素朴な色合いの小さな玉が転がり出る。

「おや、お巡りさん。あたりです」

にこうっと嬉しそうに紺矢が笑った。

「こ、れは、何味、っかな?」

喉に流れ込む唾液さえ不味い。

「粘土味ですー。わぁらの里はやきものが名産品なのです」

それで合点がいった。

「紺矢は笠間稲荷の狐なのかい?」

こくり、紺矢は頷く。

「という事は目的地は皇子神社?行き方は分かる?」

都の東の森の中。年に一度大晦日の夜にほうぼうから狐たちが集まるのだという。

「はいー、そこで売り出す新商品なのですー」

それぞれの土地から持ち寄った菓子を一つの袋にまとめて売るのだという。

「うーん、粘土味はやめた方がいいと思うよ」

「なるほどー、それは要改善ですねー」

うむうむと頷き、紺矢は荷を担ぎ直す。それから僕の手の中の玉に目を止めて

「あたりですが、何も景品を用意していませんでしたー」

ありゃーと、しっぽを揺らした紺矢だけど、何かを思い当たったようで僕の手ごと玉をきゅっと握って

「なんの助けにもなれませんが、呼ばれたら必ず参りますー」

きゅっきゅっきゅー、と拍子を取りながら手を握られて、僕も同じように、きゅっきゅっきゅーと返す。きゅっきゅっきゅー、きゅっきゅっきゅーと何度か歌う、なんともほのぼのした時間。

 折角だから、と一袋フォーチューンクッキーを買い求めて

さて、鬼灯庵へ向かおうか。


 穏仁警部が趣味でもないタブロイド紙に目を通し

連休明けの僕がどうしても三が日の間に休みが欲しかったのは

偏にこの鬼灯庵―――八尾比丘尼の水葬探偵の為だ。

セイレン日向(ひるが)とセイレン(なな)()

鬼灯庵の女主人

死にかけの人魚姫

仇の肉を喰らって八尾比丘尼となった姉妹

水に葬れぬ真実を受け取る勇気は御座いますか、の水葬探偵

そして―――鳥籠エレベーターがチン、と鳴れば

「穏仁警部。亜蓮様。ようこそいらっしゃいました」

七緒ちゃんは今日もにこやかに「最愛」たる僕らを出迎えてくれた。


鬼火の橙色の明かりにぼんやりと照らされた廃劇場。僕らの指定席である箱馬も、七緒ちゃんが起居する長椅子もいつも通りエプロンに据えられている。ただ、常ならば上げられている舞台水槽の緞帳は閉じられたまま。日向さんの姿は見られなかった。

「今日は、あまり体調が良くなくて。亜蓮様とは顔を合わせたくないと」

申し訳ありません、と七緒ちゃんは瞼を伏せた。

先日の無理がたたって日向さんは随分お疲れのようだ。仕方がない。

しばらく三人で穏仁警部がタブロイド紙から拾ってきたゴシップを種に話をする。緞帳の向こうの日向さんもどうやら聞こえてはいるみたいで、時折気配が伝わってくる。

「あー、何か喉が渇いちまったな。七緒、悪いが茶を頼めるか」

頃合いを見て、穏仁警部が切り出すのもいつもの事で。

僕は七緒ちゃんと一緒に劇場の二階席へ。

下の階の家令さん、ぬらりひょんのおじいさんにお茶の手配を頼む。

薄青の光が、緞帳の向こうから漏れだすのはそれからすぐ。

丁度アヤカシひとり入れるほどの、細い光。


―――亜蓮様とは顔を合わせたくないと


柔らかな光に目を細めていると、ことん、と小さな頭が腕に持たせられかけた。

緩やかに波打ちながら、艶やかな黒髪が胸へ背へと流れている。

今日の彼女は髪からひとつながりの様な漆黒のショールですっぽりと体を覆っている。柔らかな胸の隆起を覆うのは朽葉色の濃淡で葉っぱの模様を描いた銘仙。ショールの裾のレースが薄青の光を浴びて床に複雑な模様を描いている。

「―――お休みは、やっぱり取れませんでしたか」

ぽつり、と囁くように彼女は問うた。そっと身を離した七緒ちゃんは

「亜蓮様が何もお話しされないという事は、そういう事なのかと」

違いますか、と真実を見通す水葬探偵の紅い瞳が、僕を見上げた。

ふわり、とショールの裾が揺れて床の模様も姿を変える。

それはまるで、冬の蝶の様に今にもなくなってしまいそうで。

今にも水に溶けていなくなってしまいそうな彼女に見えて。

「うん、ごめんね」

「大丈夫です、お仕事でしょうから」

紅い瞳にふつりと、水の膜が浮かぶ。不規則に揺らめきながら水の膜が瞳をすっかり覆ってしまうのを、僕は飽かず見詰めていた。

僕ら白澤の眼は万物を見通す。

それは例えば、焼死体のただ一本焼け残った指と、借金のカタの証文。

それは例えば、紅い瞳の更に奥に隠された虹彩。

だから、何事もすぐに見飽きてしまう。

見飽きて、見捨てる。

それなのに、不思議だ。

七緒ちゃんを見ていると。

目を奪われて、目を離せなくなる。

見直しては、見惚れる。

「なるべく時間を見つけて会いに来るから」

「大丈夫ですよ、志摩も吹雪もいてくれますから」

だから、思ったほど寂しくはないんですよ。と、駆け寄ってきた使令の管狐を掬い上げる。それで話はお終い、とばかりに七緒ちゃんは僕の前に回り込み

 「今日は何か、面白い事がありましたか」

そう小首を傾げて問うので僕は今日の出来事を―――笠間稲荷の紺矢と金倉天狗の大櫂の親分のあれやこれやを話して聞かせる。七緒ちゃんがまあ、と瞳をまんまるく見開いたのが、なんとも言えず愛らしかった。

「そうだ、お土産があったんだ」

僕は紺矢から買ったフォーチューンクッキーを手渡した。中を覗き込んだ七緒ちゃんは嬉しそうに、一つ摘まんで口に入れる。

かり、と小さな歯が焼き菓子を割る。

「これ、蜜柑の味です。で、ボンボンが、入ってる?これは、何の味、でしょう?葡萄?」

僕には陶器の玉が入っていたけれど、他のものにはボンボンが入っていたみたいだ。

「一つ召し上がりますか?」

と七緒ちゃんは袋の口を開いて中を見せてくれたけれど、僕は遠慮した。

まだ口の中に粘土味の不味さが残っている。

顔をしかめて説明すると、七緒ちゃんはさも可笑しげに笑って

「じゃあ、お口直しをどうぞ」

するり、と着物の袷に手を入れて、取り出したのは銀のボンボニエール。指先が僅かに震えながら、鬼灯の実を僕の口元まで運んでくる。

「大丈夫、毒なんか入っていませんよ」

とろりと、いっそ眦を妖しげに崩しながら囁く。

先程までの不安げで儚げな姿の中から、妖艶と言わざるを得ない香が滲みだす。

指先ごと口に含めば、すっかり体に馴染んだ甘酸っぱさが口腔内を満たす。

少し硬い果肉を指先ごと食めば、微かに、いつもと違う味がする。

蜜柑の味、それは確かにする。けれど、もう一つ、ボンボンの中に入っていた何かの味。葡萄と言われればそうだけれど、もう少し野趣が溢れている。何だろう、これ?

ぴくん、と指先が怯んだように下がったのを、捕らえる。

僅かな違和感の正体は舐めとっただけでは掴めず、歯と舌でこそげるようにして味の正体を確かめる。

「あ、れん、さま」

ふと顔を上げると、七緒ちゃんが顔を真っ赤に上気させていた。

「あの、それいじょう、ちょっと」

ニンゲンのそれよりも少し尖った爪が、かり、と粘膜をひっかく。半ば強引に指が引き抜かれると、その拍子に零れた唾液がつうっと糸を引いた。

ふらりとのぼせたように、七緒ちゃんが後退る。

「黒スグリとか、そういうのに近いと思うけれど……って、わあ、これお酒はいってたの?」

慌てて抱き留めると何故か七緒ちゃんに酷く恨みがましい表情をされてしまった。

ころころと変わる表情はとても魅力的で。

こんなだから、きっと僕は彼女を見飽きないのだと思う。


 丁度その時ぬらりひょんの家令さんがお茶を届けてくれたので、僕らはそれを持って穏仁警部と日向さんの所へ戻った。

その後は終始七緒ちゃんは、これは査古律に薄荷、これは練乳の味に苺、どれも凄く美味しい、買いに行ってみたい、と終始にこにこしてすごく楽しそうに囀っていた。

その瞳が、いつもと違う赤に染まっていたけれど、僕はそれを見なかったことにした。

 

 次の日からは、文字通り目が回るような忙しさだった。普段の仕事に加えて休みの間に溜まってしまった仕事をやっつけ、少し手が空いたと思えば巡査に駆り出される。

年末を迎えた街の中はいつもよりもずっと往来が多く、僕らの仕事も自然と増える。そのうち背広から警邏用の制服に着替えるのも億劫になって、制服のまま日中を過ごすようになって。

七緒ちゃん日向さんの姉妹の事も、紺矢の事も、大櫂の親分の事も勿論心配だったけれど、そこまで当然手が回るはずもなく。


 そして、迎えた十二月三十一日。大晦日。

突然にその事件は起きた。

 警視庁内の木霊が一斉に鳴り響いた。

「指令。強盗事件発生。場所は卿都ラジオ塔「指令。天狗の犯行と思われる盗難事件発生「指令。中央教会鐘撞堂にて空き巣事案発生「指令。泥棒案件。犯人は窓から侵入し「指令。窃盗事件発生。犯人は天狗「指令。天狗の「指令「指令「指令「指令「指令「指令「指―――――」


 「天狗による盗難事件だあ?」

耳をつんざく木霊達の声にさすがの穏仁警部も目を白黒させている。

「大櫂の親分にも話を聞いた方がいいだろう。いや、いっそ連れて行った方が速いか。お前は現場へ先に行っててくれ」

「わかりました!」

手すきの僕らも現場に駆り出され、辿り着いたのは高層ビルヂングの最上階。


ニンゲン・モモシロ恭次(六十八歳、男性)の証言

天狗!天狗の犯行に間違いない!これを見ろ!ばっちり証拠に残っておるではないか!フィルムを一本無駄にして現像したのだぞ!儂が久方ぶり似合う孫娘と記念撮影をしようと思ったその瞬間じゃった!窓を突き破って何かが飛び込んできたのは。はじめは烏かと思った!そいつは孫が持ってきてくれたお土産を掻っ攫うや否やあっという間に飛び去っていったのだ!


ニンゲン・モモシロ瀬野(皇子の森小一年女組)

あのね、おっきな鳥さんが飛んできたのよ!それで、瀬野が持ってきたお菓子を持ってちゃった。お腹空いたのかな?


「それじゃ何もなくなっていないんですね?」

色とりどりのお菓子が、おはじきでもばらまいたみたいに床一面に散らばっている。

盗まれた、と二人が口をそろえて証言しているし、まるで突風が吹き込んだ後の様に室内は散らかっているものの、特に何かを盗まれたりした訳ではないらしい。孫娘との貴重なひと時が奪われたわ!と顔を真っ赤にさせているお祖父さんから写真を受け取る。

にこやかに写る祖父と孫娘。お祖父さんの傍らにお土産らしきお菓子の包みが置かれている。そしてその写真を右から左へ突っ切っている、ぶれて写る何か。

背中に黒い羽。人とは違う嘴。そして足には身の丈と同じ位の高さのある一本歯下駄。

「これは、大櫂の親分?」

「確かにこの足元の下駄は親分のモンだな」

到着した穏仁警部に写真を見せると、僕より余程親分との付き合いの長い穏仁警部も断言してくれた。

「天狗の社会は完全な縦社会だ。履ける下駄の高さも上下関係で決まってるよ」

そうだ、紺矢に悪さをしていた天狗達も親分のひと睨みには決して逆らわなかった。

だからこれは大櫂の親分に間違いはないはず。

その大櫂の親分も間もなく到着するらしい。

ここにお祖父さんと鉢合わせたら天狗と人の抗争が始まってしまう。

だから、それまでに真相を見つけ出さなくちゃいけない。

考えろ、考えろ。

水葬探偵のように。

水槽から出る事の出来ない日向さんのように。

日向さんの傍を離れる事の出来ない七緒ちゃんのように。

身動きの取れない彼女達の代わりに。


「―――おまわりさん、いっこあげる」

つい先日も見たばかりのお菓子を一つ手に取り、じっと座り込んで考えていると、顰め面になっていたのだろう。孫娘さんが頬にお菓子を押し付けてきた。

「おいしいよ」

……それは、盗難の証拠品のお菓子なのでは?

ちょっと躊躇ったけれど、穏仁警部が頷いたので頂くことにする。

卵煎餅みたいなサクッとして軽い口当たりの、二つ折りのお菓子。

あれ?

そこに想像していた食感がない事に気づいた。

「あら、立ったままなんて失礼ですよ」

ほんわかとした声音に振り替えると、初老の女性がお茶の支度をして部屋に入ってきた所だった。年齢から推測して、お祖父さんの奥さんだろう。

「これね、結構おいしいのよ。皇子の森の神社の名物なの」

そう言って出してくれたのは、孫娘さんが一つくれたのと同じ焼き菓子。

わあい、と孫娘さんが手を伸ばして一つ手に取り、そのまま僕らにも渡してくれる。

一口齧れば、檸檬味の酸っぱい生地の中に、蜂蜜のボンボン。

僕は慌てて取って返し、現場に残っていた焼き菓子を持ってくる。

パン、と両手で叩いて割れば、中には何も入っていない。

フォーチューンクッキーのはずなのに、何も。

今度は奥さんに断って、菓子鉢の中の一つを割らせてもらう。

パン、と叩くと、砂糖の儚くも確かな質感が掌に残る。

「瀬野ちゃん、奥さん、これを買ったのはいつですか?」

「えーっと、クリスマスの頃ね。瀬野に贈り物を届けた、その帰りだったから」

これは奥さんの言。

「今日、あのね、電車に乗る前!」

元気いっぱいに孫娘さんも教えてくれる。

一週間前に買ったものは狙われず、今日買ったものは狙われた。

この間に、一体何があった。

何が起きた。

僕の『白澤』の眼は、一体何を見てきた。

僕は目を閉じる。

今日まで見てきたあらゆるものを瞼裏に想起する。

フィルムを早送りするようにしてこれまでの日々を思い起こし、最後に辿り着いたのは。

奇妙に老いたような絶妙に(いとけな)いその気配。

「―――あ」

繋がった。

僕は静かに穏仁警部を振り返り、大櫂の親分を呼んで貰えるように頼んだ。

「見つかったのか、水に葬れぬ真実が」

ええ、と僕は答えた。水葬探偵の様な口上は持っていない。だから、思ったことを思ったように伝える。

「多分、正解がわかったと思います」



 大櫂の親分は予め近くで待機してくれたらしい。穏仁警部が呼ぶとすぐに姿を現した。破れた窓から入って、そのままひょいと窓枠に座り込む。

僕は一同が揃ったのを確認してから、ポケットに手をやり閉まったままだった小さな玉を引っ張り出した。

掌からそっと床に向かって転がすと、ポン、と小規模な破裂音と共に煙が上がる。

そして、その中から姿を現したのは転がって散らばる、色とりどりのお菓子たち。

その真ん中に小さな姿が一つ。

「大櫂の親分―――!」

「あの時の鳥さん!」

「儂がおる!」

驚きの声が上がる中で、僕はその傍らに膝をつき

「この騒ぎの犯人は、君、君達だったんだね。―――紺矢」

大櫂の親分と瓜二つの姿が滲んだように蕩け、代わりに現れたのは

「おひさしぶりです、おまわりさんのおにいさん」

笠間稲荷の化け狐、紺矢だった。


 「君達が探しているのは、ダキニ天の宝珠かい?」

へえ、と紺矢は頷いた。

事の次第は次の通りだ。


 彼らの頂点に君臨するダキニ天は、幾つかの宝珠を持つことで知られている。それが、盗まれたのか、失くしてしまったのか。タブロイド紙の見出しに「盗難?」とあったようにどちらなのかはわからない。ただ、狐たちは失った宝珠の在りかを突き止める所までは辿り着いた。

どうしてだか新商品として売り出したフォーチューンクッキーのボンボンの中に紛れている。

そう気が付いたのは売り出してしまった後。

だから、狐たちはクッキーを回収して回ったのだ。

ご丁寧に変わりのクッキーまで置いて。

中にボンボンが入っていなかったのは、ボンボン作りには時間がかかるから割愛せざるを得なかったせい。フォーチューンクッキーなら中身が空っぽでも単に外れと思う人も多いだろう。

また被害に遭ったのは鐘撞堂やラジオ塔、今僕らがいる高層ビルヂングみたいな高い建物ばかり。その理由は簡単だ。

低いところなら、変化して忍び込むことが出来る。

けれど、狐たちは空を飛べない。

ではどうすればいいのか。

狐たちは変化ができる。

だから変化した。空を飛べるものに―――天狗に。

変化した狐たちは次々に高い建物に襲来し、結果としてこんな騒ぎになった。

紺矢が大櫂の親分に変化したのは、上京の際に因縁をつけられた腹いせでは勿論なくて

「カッコええなあと思ったんです。わぁらとそんなに背ぇも変わらないのに堂々とされよって」

しょんぼりと肩を落として紺矢は言う。

「おまわりさんのおにいさんにも、大櫂の親分さんにも、こうに迷惑をかけて、本当に、申し訳ありません」

深々と頭を下げた、小さな肩が冷気を発しながら震えていた。この寒い大晦日に朝からずっと、天狗に化けて空を飛び続けていたのだろう。

「でも、ダキニ天様にどうしても宝珠を見つけてあげたいんです」


「その意気や、ようし―――!」

高らかに叫んだのは、誰であろう濡れ衣をかぶせられた大櫂の親分そのひとで。

「気に入ったぞ紺矢殿。儂の翼を貸してやろう」

言うが早いか、紺矢にくるりと背を向けて

「先刻の無礼、この大櫂の翼にてお返し致そう。なあに、遠慮することはない。義理を返すまでだ」

ただし、と大櫂の親分は続けた。

「今度は正攻法。一戸一戸正面から頭を下げて回るぞ。よろしいかな」

へえ、へえと嬉しそうに紺矢は頷き、大櫂の親分の背中に抱き着いた。

ばさりと、黒い翼が羽ばたき、推進力を得る。

「金倉天狗達に次ぐ。ダキニ天の宝珠を探し出し、紺矢殿にお届けせよ」

朗々とした声が、夕闇迫る街に響き渡る。

あちらからもこちらからも、応、応と声が響き、黒い羽の天狗達が空に向かって飛び立つ。

この日、夕刻を経て夜になっても、天狗達の姿は空のそこかしこで瞬いていた。

まだ、宝珠発見の知らせはない。けれど、きっともうすぐ見つかるはずだ。

署に戻って長所を作っていた僕に、窓の外を眺めていた穏仁警部は

「まだ見つからねえか」

とぼやいた。

「そろそろ日付も変わるだろうし、子どもや女性だけの家は少し、怖い思いをするかもしれないな」

何せいきなり扉を開けたら天狗と化け狐の組み合わせだ。慣れていても少々魂消るだろう。

「いや、でも大櫂の親分の眼もあるし、大丈夫じゃ」

「用心するように、注意して回った方がいいだろう」

何をそんなに、心配することが。

「―――あ」

紅い瞳に水の膜が張っていた事を、唐突に思い出した。

それから、鬼火は火傷する程に熱くはない代わりに、部屋を暖めはしない事も。

立った二人きりで迎える、新年の事を。

「そうですね、そうですそうです!」

立ち上がり、制服の上からコートを羽織る。

「ちょっと僕、見回りに行ってきます。すぐ戻りますから!」

そのまま署を飛び出して、見回り用の自転車を蹴って蹴って蹴って。

鳥籠エレベーターの到着を待つのがもどかしく、いつかのように外階段をひた走る。

大丈夫、とそう言われても。

そのさびしさを思う、と、僕は大丈夫じゃない。


 果たして、彼女はいつもの長椅子にもたれかかってぼんやりと舞台水槽を眺めていた。

「亜蓮様?」

いつもとは違う入り口から現れた僕を、心底驚いた表情で見つめると、飛びついてくる。

「こんなに冷えて、どうしたんですか?」

そうして僕の頬を包み込んだ手もまた、同じくらいに冷えていた。

その手を僕は引き剥がし、少し距離を取る。

右手を挙げて、額の所まで持ってくる。濡れた革靴の踵を、カン、と打ち鳴らし

「夜分遅く申し訳ありません。警視庁から参りました、シラサワ亜蓮刑事です。実はこのあたりで、天狗と狐が、探し物をしていて、こちらにも伺うかもしれないと思ったので、先にお知らせしよう、と思いまして」

そこまで言って、僕は言葉を失った。

紅い瞳から、水の膜がすうっと決壊して、そこから宝珠のような涙の粒が、ポロリ、ポロリ、と零れ落ちて行く。

「ありがとうございます、刑事さん。こんなところまで、わざわざ……私達の、私の為に、ありがとうございます。亜蓮様」

「いえ、善良な一般市民の為ですから」

僕らの不器用なごっこ遊びもそこまでだった。

くすっ、ふふっ、と互いの口から抑えきれない笑い声が漏れて。


丁度、その時だった。


鐘撞堂からごぉーん、と厳かに鐘が鳴り響き

港の汽船が一斉にぶぉーん、と汽笛を打ち鳴らし

ばららららっと、何処からか花火と爆竹の音が

僕らは顔を見合わせて、そしてどちらともなく頭を下げる。



「「今年も一年、どうぞよろしくお願いします」」



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