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ひゃくはちの願いごと

 自分の欲をひとつずつ交互に言い合って、言えなくなった方の負け。

 そんなくだらないことを始めたのは、高村壮吾の方だった。

 高校を卒業してからも同窓会のように続いていた年越しの飲み会は、年を重ねるにつれてメンバーが増えたり減ったりして、二十三の年には二人きりになった。

 始めはいつものように飲んだり食べたりして一年のことをだらだらと語り合っていたけれど、そのうち話すこともなくなって、ただテレビを見ているのに飽きてきたらしい壮吾が、赤ら顔で口にしたのだ。

「ひゃくはちだぞ。そんなにあるかよ」

 テレビ画面の向こうでは名前の分からないアイドル達が歌ったり踊ったりしているけれど、窓の外から聞こえるどこかの寺の鐘の音が気になるらしい。煩悩の数だけ叩くのだというその鐘にいちゃもんをつけるように吐き捨てると、残り少なくなった缶ビールをあおった。

「あるんでしょ」

 私はかぴかぴになった生ハムを食べてから、赤ワインを口に含む。

 この男と私、どうしてか年末はいつもお互いひとりなのだ。ふたりとも恋人ができないわけではなかった。人並みに恋愛をしてきたが、年越しをそういった相手と過ごしたことは一度もない。

「煩悩は分かんねえけどさ、欲求ての? 言っていこうぜ。そんで、先に言えなくなった方の負け」

 壮吾は冷蔵庫から新しい金色を取り出して持ってくると、がん、と加減できていない強さでテーブルに叩きつけて言った。ぷしゅ、と泡のはじける音がして、私は深い溜息をひとつ吐いた。

「しょうもない。言って何になるのさ」

「笑い話くらいにはなるかもしれないだろ」

 あははと軽い笑い声を漏らしながらビールを飲むと、頬杖をついてこちらを見つめてくる。目に力が無い。完全に酔っ払ってる。

「お金持ちになりたい」

 根負けした私が口にすると、壮吾は楽しげに笑みを浮かべた。

「ふんわりしてんな。んー、ドライブしたい」

「すれば良いじゃん」

「うるさいな、茶化すなよ。休みは仕事で疲れて寝ちまうのよ」

「先に茶化してきたのはそっちだ。えーっと、絵が上手くなりたい」

「バンジージャンプがしたい」

「旅行に行きたい」

 そんな言い合いをしているうちに、十個目だか十二個目だかで壮吾が告白をしてきたのに流されて、私達は付き合い始めた。


 翌年の大晦日には同窓会メンバーに散々からかわれて、「あとはお若い二人で」なんて同い年のくせに調子の良いことを言われて早めの解散になってしまった。

 その時もやっぱり百八チャレンジ――壮吾が名付けた――は開催されて、私の願い事のほとんどは壮吾が叶えてくれることになる。

 どこそこに行きたいとか、何が欲しいとか、酒に弱くてすぐに酔っ払うくせに、そういうのはちゃんと覚えているのだ。この男は。

「私さ、恋人と年越すの初めてなんだよね」

「あ? 去年も越しただろ」

「あの時はもう今年だったよ。壮吾がダラダラ悩んでる間に越しちゃってた」

「あー、そうだっけ」

 結局お互い五、六個しか言い合えないチャレンジは早々に終わって、二人でサラミの袋を散らかしながらカウントダウンを待っていた。

「俺も初めて」

「知ってる」

「うん」

 テレビが盛り上がるにつれて二人の間に漂う空気が緊張していくものだから、口数は減って、喉に流し込む酒の量ばかりが増えた。

『ごー、よん、』

 いざカウントダウンが始まると、いつの間にか俯いていた顔を上げてテレビの方を見る。

「彩花」

『さん、にい』

「キスしたい」

『いち』

 急に名前を呼ばれたから何かと思ったら、そんな「ドライブしたい」と同じトーンで言わないで欲しい。すれば良いじゃん。とからかおうとした言葉は塞がれてしまって、行き場を失い飲み込んだ。

「くっさ」

「え、なに?」

「酒くさい」

 重ねた唇が離れてすぐに顔をしかめると、壮吾はおもちゃを取り上げられた犬のような顔で首を垂れた。

 別に初めてのキスでもあるまいし、そんなに落ち込まなくても良いだろうに。

「ほら、一月一日だよ。今年もよろしくね」

 不貞腐れたままビールの缶に口を付けている壮吾の背中を撫でながら言うと、酒臭い顔がまた近付いてきた。


 その次の年越しは、二人で暮らし始めた家で過ごした。

 出会って十年、付き合って二年。随分長いこと一緒に居るような気がするけど、お互いちっとも変わらないような気もする。

「今年はアレ、やらないの?」

「え、あー、やる」

「言いなよ」

「彩花から言えよ」

「なんで。いつもそっちからでしょ」

 私はクリームチーズとサーモンをのせたクラッカーを口に放り込み、「喋れません」と言うように指でさした。

 壮吾がこんなに緊張している理由は分かっている。何か確信の持てる証拠があるわけじゃないけど、分かる。きっとこのゲームを利用して上手いこと言おうとしたのに、いざその時になると緊張で口が動かないんだ。

 私は口の中に残ったクラッカーの滓をワインで流し込み、壮吾の口元が動くのをじっと待った。

「け、携帯変えたい」

「変えれば? 温泉に行きたい」

「けっ……け、ケバブを食べたい」

「そういえば最近、駅前にワゴン止まってるよね。新しい財布が欲しい」

「け、健康に留意して過ごしたい」

「それは良い心がけです。……指輪が欲しい」

 いよいよ我慢できなくなって呟くと、じっとテーブルを見つめていた壮吾が勢いよくこちらを振り返った。

 ひらひらと左手を振ってみたら、がしがしと頭を掻いて机に突っ伏した。

「あー、結婚、したい。です」

 壮吾は灰色スウェットズボンのポケットから指輪のケースを取り出すと、こつん、と音を立ててテーブルへのせる。掌で蓋を押し付けたまま、ゆるゆると体を起こすと私の方へ向き直り、ひどく重たい物を持ち上げるようにケースを開いた。

「すれば、良いじゃん」

「お前なあ」

 からかうために口にした言葉は思った以上に震えていて、笑ったはずの顔は涙でぐしゃぐしゃだった。

 呆れた声音の壮吾が私の左手を取って、冷たい指輪を薬指に通した。お酒を飲んでむくんでいるせいか、少しキツい。

「太った?」

「うるさいよ」

 それからしばらく私は指輪を色々な角度から眺めて、壮吾は視線を合わさないままテレビを見ていた。


 その次は初めて夫婦として年越しをして、更に次の年には三人になっていた。

「もしこいつに弟とか妹とかできてさ」

「気が早いよ。まだ生まれてもないのに」

「まぁ、できてさ。そいつらが結婚して子ども産んだりして、家族が増えたら」

「うん」

「百八、いくかもよ」

「なに。ああ、チャレンジ?」

「そう」

「いくかもね」

「俺、叶えてやれるかなぁ」

「がんばってよ」

「おう」

 お酒を飲めない私に合わせて白い顔のまま、壮吾はふっくらしたお腹に手を当てた。

 お金持ちにはなれなかったけど苦しくない生活ができるくらいには稼いでいる。絵は自分の力でどうにかするしかないけど、絵画教室のチラシを持ってきた時には笑ってしまった。旅行に連れて行ってくれた時は、「ドライブしたいのも叶った」と楽しそうに笑っていた。丈夫で長持ちする財布も買ってくれたし、他にも、私のささやかな欲をひとつずつ丁寧に叶えてくれたのはこの男だった。


 それからも毎年、お互いの欲を吐き出しあった。長男が喋れるようになってからは、その子の願いをひとつでも多く叶えてやろうと必死になったし、お互いの願いのほとんどが家族に関するものに変わって行った。

 やがて弟と妹が一人ずつ生まれて、その子たちが育つと共に願いも増えていった。家族全員が揃わない時もあったけれど、夫婦二人きりでもその時間は無くならなかった。

 子どもたちが働き始める頃には、「旅行に行きたい」という願いは夫ではなく子どもが叶えてくれるようになった。サプライズでプレゼントを貰うこともあった。

 ある日、娘が「恋人を紹介したい」と言った時なんかは、夜中に壮吾が泣くのを宥めるのが大変だった。

 孫が生まれて、子ども達の奥さんや旦那さんも一緒になって願い事を言っていくとさすがに時間もかかったけれど、お互いが知らなかったことを知ることができるからとその習慣も引き継がれていった。


 やがて家族全員で集まることはなくなって、また二人きりで年を越すようになって何度目かの冬。

「もうそろそろ、欲も無くなってきたよ」

 私はお酒を飲む代わりに温かいお茶を淹れるようになったし、壮吾も力任せに缶を机に叩きつけることはなくなった。

「百八は、無理だったな」

「言ってる方が疲れちゃうからね。誰が何を言ったかも分かんなくなるくらい」

「子ども達の願いを叶えるのは、俺たちの役目じゃなくなったしなぁ」

「そうだよ。……まぁでも、全部合わせたら百八くらい叶えたんじゃない?」

「あいつらの願い事、しょうもないのばっかりだったな」

「誕生日はチョコケーキがいいとか」

「つつじの蜜を吸ってみたいとか」

「恋人を紹介したいっていうのが一番驚いたかな」

「あればっかりはいよいよ叶えてやれないかと思ったな」

「バカ」

 笑い合って、ふたりで私の作った焼きおにぎりを頬張る。去年、壮吾が食べたいと言っていたのをすっかり忘れていて、なんとか滑り込んだ焼きおにぎり。表面に薄く味噌を塗って焼いてるのが美味しいんだと顔を綻ばせていた。

「俺はもう、あいつらが幸せになってくれれば良いかな」

 これまた随分と無責任なことをいうものだと思ったけれど、そう言って二つ目のおにぎりに手を伸ばす壮吾がとても優しい顔をしていたので口を噤んだ。きっと彼自身が幸せだから、そんな当たり前のことのように言えるのだ。そして私は、そう思える人の隣に居ることができて幸せだと思う。

「私はひとつあった」

「なに?」

「来世でも一緒になりたい」

「気が早いなぁ。まだ老後も死後も残ってるのに」

「死後って何よ」

「天国でも暫くやろうよ、百八チャレンジ」

「神様に怒られるよ」

 あはは、と笑いながらお茶を飲む姿に、初めて二人で年を越した時の壮吾の姿が重なった。


 数え切れないほどの願い事をしたけれど、結局どれもこれもあなたが居たからこそ価値のあるものだった。

 また新しい一年がやってくる。私達は、一体あと何度こうして向き合って年を越すことができるだろう。昔みたいに願いが湧いてくるわけじゃないけれど、きっと枯れることはないと思う。最後に願うことはなんだろう。あなたはそれを叶えてくれるだろうか。それとも、笑い話くらいにはしてくれるだろうか。


 遠くで除夜の鐘が響いている。


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